
4.四国カルストへ
翌朝、テントを撤収しているその真最中に、いきなり滝のような雨が襲った。呆然と立ちすくんでいるうちに、分解中のテントに吹き込んだ雨がテント内に水溜まりをつくった。キャンプ道具一式がずぶ濡れになったことはもちろんだが、濡らさないように気をつけていたエアマットやシュラフさえ豪雨の餌食にされた。私は大慌てで所帯道具をかき集め、両手に持てるだけを持ち、腋の下に挟めるだけを挟み、口にくわえられるだけをくわえて、炊事棟の屋根の下へと逃げ込んだのだった。
1枚しかない雑巾を何十回も絞り、道具をひとつひとつ拭いていく。朝から何とも気の滅入る作業になった。
やがて小降りになったが、まだ油断がならない空模様である。しかしこれを逃してはならじと、水気を含んでずっしりと重くなったキャンプ道具一式を狭いトランクにぐいと押し込んだ。濡れたシュラフは座席の背中と幌の間の空間に広げ、エアコンを効かせて乾燥させることにする。天気予報から察するに、今日は一日幌を降ろしたままのツーリングになりそうだったので、乾燥には好都合である。
私は雨天をついて出発した。
近くの樫西の漁港に出向いた。岸壁には白色と黄色のレインコートをはためかせながら二人の男性が釣り竿を出していた。空は暗く何とも寒々とした光景である。しばらく見ていたが釣れていないようだったので、私は最初の予定だったここでの釣りを諦めて、昨日行けなかった足摺岬へ向かうことにした。
海岸沿いの国道321号線(通称サニーロード)を、岬を目指して南下していく。途中、串本の海中公園に立ち寄ろうとしたが、風が強く海は白波が立って大荒れだった。
携帯で天気予報を再度チェックすると、やはり一日中雨天である。ただし北に行くほど天気がもつらしい。そこに一縷の望みをつなぐ。今回は海一色で行くと決めたが、ここでちょっと心変わりです。
私と相棒は足摺岬を諦めて北に向かい、四万十川を源流まで遡ってカルスト台地まで登ってみることにした。そこには日本三大カルストのひとつである四国カルストが待っている。そこは四国の北部とまではいかないが中部くらいにはなるはずで、ひょっとして天気の回復が見込めるかもしれない。高原キャンプは涼しくて気分のいいもので、星空が見えたら最高である。
海の神様には申し訳ないが、今日は山を目指すことに決めた。夕方までには濡れたシュラフも乾いてくれるだろう。
そう決めると俄然走りにも張りが出てきた。
土佐清水市の交差点を左折して312号線を北上し、やがて四万十川の広い河口にぶつかった。ここが中村市。駅の近くで給油して向かいのショッピングセンターに買い物に行く。今夜は、場合によっては雨天キャンプになる可能性があったので、バゲットとハムを買ってサンドイッチの準備を一応整えておく。
表に出ると空は真っ黒な雲に覆われていた。
走り出すとすぐに土砂降りに見舞われた。みるみる道路は川になり視界はまったくきかなくなった。雨が幌を叩く激しい音で、外の音もエンジンの音も何も聞こえない。目と耳を奪われて走るのは危険きわまりない。そこで私はコンビニに逃げ込んだ。しばし雨宿り。ここで暇つぶしに食べたお握りが今日の遅い朝食になった。
雨天の441号線を北上する。
四万十川沿いに遡っていく途中、土砂崩れで片側通行になっているとの道路表示あり。
本当に北に行くほど天気は回復するのだろうか?
私は不安を抱きながらも山間へと向けてアクセルを踏んだ。行く手の山々は厚い雨雲にすっぽりと覆われ、これからの苦戦を予告するかのようだった。
山に向けて走るにつれて、車1台分しかない細い道が次々と現れた。場所によっては、対向車ありの表示が、道路脇の電光掲示板に出るようになっている。無理して突っ込まずに手前できちんと待った方が良い。曲がりくねった細い道を、幌を降ろした後方視界の悪い状態でバックしていくのは、結構気をつかうし骨が折れる作業だった。
雨の四万十川を2艘のカナディアンカヌーが並んで下っていく。朝から雨がかなり降ったにもかかわらず、川の水は濁っているわけではない。周囲を取り巻く山々の緑が豊かで、土砂を出さないのかもしれず、それが四万十川が日本最後の清流と呼ばれる理由のひとつかもしれない。そんなことを考えながら走っていると道は片側通行規制になっていた。崖崩れで土砂が道路にあふれ出ている。人が手を加えた場所からは土砂が出る。
江川崎で国道381号線を選び、道の駅「四万十とおわ」にて昼食にした。お腹が空いていたのでバイキングにする。地元のおかみさん達が寄り集まって作った手料理が並ぶ。どれも地元食材の素朴な味付けばかりで温かな気分にさせてくれる品々である。私は何度もお代わりに立った。最後にゆっくりとお茶をいただきながら窓の外に目を移すと、眼下に川の流れが見おろせた。雨中に1艘の小舟がいた。岸沿いにペットボトルの浮きが数メートルごとに浮いているのが見えた。それを小舟を巧みに操りながらひとりで回収していく。浮きの下には仕掛けが結びつけてあってウナギを捕っている。
さらに川を遡って、国道439号線に乗り換えて北上を続けると、道幅はどんどん狭くなっていった。対向車が来ないことを祈りながらアクセルを踏む。狭いワインディングが続く川沿いの道を、相棒は小気味よい身のこなしで駆け抜けていく。これがもし晴天で、陽の緑のシャワーなど浴びながら走ると、さぞや気持ちが良いことだろうと思う。秋の紅葉の季節も素晴らしいかもしれない。雨の谷道は暗くて陰気である。
めがね橋が左手に現れてすぐに消えた。あちこち蔦に覆われていた。昔の森林鉄道跡らしい。
山は深くなり、四万十川の源流域に分け入っていく。ワインディングを抜けても抜けても次のワインディングが現れるということが続き、それは尽きることがないかに思えるほどだった。いい加減うんざりし始めた頃になって、やっと国道197号にたどり着いた。
檮原(ゆすはら)方面に向かう。
途中から林道を使ってカルスト台地へと登坂していく。雨もあがり薄日までが差してきて、目の前には走りやすいコーナーが次々に現れてくる。天気予報は当たりかといい気になっていると、尾根道に出た途端、濃霧にすっぽりと覆われた。そこは天狗高原でカルスト台地の東端である。地図によれば見晴らしの良い雄大なカルストドライブが始まる場所のはずだ。しかし視界は10メートルもなかった。路肩を見きわめるのがやっとである。風がボディに横からドンとぶつかってきて雨も降りつけた。厚い雨雲のど真ん中に迷い込んだ感じだ。キャンプ場を捜す気力さえ萎えてくる。
最初に予定していた足摺岬をパスしてカルストまで登ってきたのが裏目に出た恰好である。今回のツーリングは海一色のシーサイドツーリングだと宣言しておきながら、山に浮気したのが良くなかった。携帯で天気予報をチェックすると、今夜は大雨強風雷警報が出されていた。こんなことなら足摺岬から荒ぶる海原を眺めている方がよっぽど楽しめたかもしれない。海から山に浮気した罰が当たったとしか言いようがなかった。
仕方がないので、これから山を下りてテント場を捜そうかと迷っていると、霧の向こうから大きな建物の影が現れてき。国民宿舎だろうか、天狗荘という名の宿泊施設だった。車載時計は午後4時を過ぎていた。飛び込みでチェックインに行くと、幸いなことに夕食も準備可能とのことだった。
その夜の天候は、予報どおりに大荒れに荒れた。その様をガラス張りの温泉から静かに眺めたのだった。
翌朝、8時。
嵐は去ったものの雨天である。
暗い空をうらめしげに見あげながら、私は相棒のコックピットに身を沈めた。エンジンを目覚めさせ、フォグランプのスイッチを入れてカルストの尾根道に出た。風で霧が流れている。本当ならば眺望がきいてオープンツーリングが楽しめる道である。残念な気持ちを引きずりながらトボトボと歩くように相棒は進んでいく。雨の沈んだ色に染められた牧場を走り抜けると、霧の向こうに見あげるほどの大きな影がぼんやりと現れた。唸るような機械音がして、巨大ロボットが腕を振りまわしている感じがする。やがて霧の中から現れたのは風力発電の風車だった。
姫鶴平のレストハウスの前を通過した。さすがにこの天気では他に車の影もない。
地芳峠から県道440号線を北上して松山を目指した。
下り道の狭いワインディングが連続するが、昨日の439号線よりは道幅もあって気分的にかなり余裕がある。途中、道路脇に龍馬脱藩の小径というのを見つけて少しだけ歩いてみた。深い木立にかこまれた寂しく細い山道だった。龍馬が志を抱いて故郷を捨てた道だと想像しながら改めて見まわし、男の気持ちを少しでも感じようとしたが、しとど降る雨のせいもあってか、やはり何度見まわしても寂しい道だった。
国道33号線(土佐街道)まで下りてくると、やっと雨があがったので、川沿いの快適な道路で久しぶりに幌を全開にした。東京の郊外を走るくらいに交通量が多い道である。地図で確認すると、高知と松山を結ぶ幹線道路だった。車が多いはずである。楽は楽だが少々退屈なドライブを強いられる。
松山市街まで下りてくると猛暑が復活した。
道路は車であふれていた。無風で首筋を汗が流れていく。高速道路を潜った辺りから蝉の声がしだした。この辺りからの国道33号線は蝉時雨街道と呼びたいほど蝉の鳴き声が凄まじく、オープンの頭上から容赦なく降り注いでくる。道路を多くの車が走っているのだが、その騒音よりも蝉の鳴き声の方が遙かに大きいのだ。街路樹には一体どれほどの蝉がいるのだろう。
天山橋交差点を左折。小野川の土手を走ると、向こう岸に四角チョコレートのような建物が見えてきた。これが伊丹十三記念館だった。映画「お葬式」や「マルサの女」などの映画監督として有名な人だが、私にはエッセイ『女たちよ』『ヨーロッパ退屈日記』などのエッセイで親しみがある。外にガレージがあって、大きなベントレーが飾られてあった。生前、車好きで知られた伊丹さんの最後の愛車だったらしい。そこの説明プレートには以前の愛車だったロータスエランの話がエッセイ『女たちよ!』から引用されてあった。小型軽量スポーツカーのエランと大型高級セダンのベントレーでは、同じ英国車でもまったく内容も性質も異なる車であり、何も知らない人が説明プレートを読むと奇異な印象を受けるに違いない。洗車せずに汚れていた方が格好いいというのはベントレーであるはずがない。
係の女性に訊いてみた。
「展示車と説明プレートが違っているようですが」
静かな物腰のその女性は、聡明そうな表情を崩すことなく
「ええそうですね。車好きの方は良くお判りになるようです」
と答えた。
「間違えたんでしょうかね、それともわざとでしょうかねえ?」
ちょっと笑みがこぼれて
「さあ、わかりませんが」
伊丹さんが天国からニヤニヤしながら見おろしている気がした。ここを訪れる観光客にちょっとした話題を提供するつもりだったのかもしれない。
常設展示は俳優時代やエッセイに出てくる小物品の展示品が主だった。特別展は映画「マルサの女」のメーキングだった。多彩な故人の活躍が偲ばれる。他に人影もなく落ち着いて見て回れた。
展示室を出てカフェで一息ついた。
係の若い女性は明るくて活発な感じで、期せずしてしばらく話し込んだ。するとこんな事を教えてくれた。
「以前ここに来た男性の年配のお客さんの話ですが、しまなみ海道に特別な場所があると言ってました。そこはひとりで行くと、とても感動する風景が見られるそうです。誰かと一緒じゃだめでひとりがいいそうです。私はまだ行った事がないのですが、どんなところか行ってみたい気がします」
私はまだ帰路は決めてなかったので、しまなみ海道から本州に渡るのも悪くないと思った。
「あなたにとってそんな特別な場所はありますか?」
即答が返ってきた。
「ええあります。四国カルストです。あそこは身体が自然に深呼吸する素晴らしいところです」
と顔が輝いている。
その夜は、市街の中心地にあるホテルに泊まり、散歩がてら道後温泉を楽しんだ。
最終日はロングドライブになった。結局、しまなみ海道はやめることにした。
まずは松山から宇和島まで走り、そこから山に入って四国カルストにリベンジに行った。曇天ながら胸一杯の深呼吸をした。そこから南下して高知までくると、あとは一気に徳島から横浜まで駆け抜けた。帰り着いたのは翌日の早朝で、ほとんど24時間走った勘定になる。
私は相棒の労をねぎらって隅々まで丁寧に洗車し、ワックスをかけ直した。伊丹十三氏のエランのように、旅の汚れを身にまとったロードスターも良いかもしれないとは思ったのけれど、いつまでも旅の疲れがとれないようで、やっぱり小綺麗にしてやった。
さて、次はどこに出かけようか。