
1.横浜から徳島へ
小さなオープンカーと旅するのはとても楽しい。移動の足としてだけでなく、旅の相棒になってくれるからです。
私の場合、ある種の渇望にも似た思いで旅が始まることが多い。
慌ただしく日常を過ごしていたある日、昼食にいつものコンビニ弁当を食べ終え、何げなくオフィスの窓辺に立った。そこには思いもしなかった青空が広がっていて、私はハッとさせられた。昨夜の激しい雨は梅雨明けを知らせる雨だったのだ。その生まれたばかりの夏空の下には、まったく潤いの感じられない渇ききった街という代物が果てしなく広がるばかりで、その広大さにはまったく救いが感じられなかった。
夏空のもとには青い海が広がっていて欲しい。
潮風を浴びてオープンでどこまでも走りたい!
去年の夏は、東北地方まで山岳ドライブに行って、緑のトンネルを堪能した。だから今回は大海原を眺めながらドライブがしたい。私は山を走るのが好きだが、今回は始めから終わりまで海一色で行こうと思う。山岳ドライブの次は潮風ドライブが断然いい。
さあ、いつものように地図を広げよう。
太平洋につき出た岬がふたつ、すぐに目に飛び込んでくる。室戸岬と足摺岬はともに高知県にあって沖には黒潮が流れている。
太平洋の海の色はどんなだったろうか?
それを確かめる旅に出ようと思った。
まず横浜から四国に渡る。四国は徳島から始めて、時計回りに太平洋側の海岸をなぞるようにふたつの岬を巡り、さらに宇和島を経て松山まで行こう。四国を走るのは学生時代以来だから実に35年ぶりのことである。
私は相棒の狭いトランクにキャンプ道具を詰め込んだ。
いつもは登山道具を持っていくのだが、今回の旅のテーマはシーサイドドライブなので、代わりにスノーケリングの3点セット(マスク、スノーケル、足ひれ)を持っていくことにした。ところがこれが意外にかさばって往生させられた。最後にいつものように釣り道具をぐいと押し込んで準備完了である。今回はフライフィッシングではなく、漁港の岸壁から竿を出して、五目釣りをのんびり楽しむつもりだった。
早朝4時、横浜を出発。
私の四国ツーリングが幕を開けた。
夜明けに向かって、相棒は軽快に東名高速道路をクルージングしていく。
浜名湖サービスエリアにて休憩。すでに周囲は朝日があふれている。ひどい混雑。子供達の夏休みが始まって家族連れで賑わっていた。
「どうしてひとり旅なんかするんですか?」
と職場で訊かれたことが何度かあった。主に女性からそう問いただされる。家族を放りっぱなしにして、ひとりで遊び回っている悪い男という非難めいた響きを薄々感じ、そんな場合、真正直になると誤解を招くだけなので、こう答えることにしている。
「たまにはカミさんもうんと羽根を伸ばしたいだろうし、それにちゃんと家族サービスで旅行にも連れて行ってるし、それに家族の好物もいっぱい土産に買って帰るよ」
だいたいこれで収まります。「うんと」「ちゃんと」「いっぱい」などの形容詞で強調するのがポイントです。これとはまったく別のケースで、純粋な好奇心から同様の質問が発せられる場合もあります。そんな場合は「男のロマン!」とか「漂泊の想い!」などと私は少々口はばったいことを敢えて言います。旅の理由というよりも旅の心意気でしょう。別に気取ったり格好をつけるつもりは毛頭ありませんが、釣りや写真などの趣味を目的とする旅は別にして、そういった具体的な目的を持たない旅はただ移動するだけの単調なものになりがちに思えるからです。心意気は旅に新しい視点を持ち込むことができると考えます。今まで見えていなかった小さな発見や出逢いに気づくようになると、私は思います。
さて私はそんなことを考えながら、家族連れで混雑したサービスエリアから走り出た。
その後、豊田ジャンクションにて新名神高速道路へと乗り継いだ。
四日市あたりで渋滞に出くわしたが、やがて徐々に流れて甲南パーキングエリアにて再び休憩。山の緑にかこまれた清潔なパーキングエリアで、私は手入れが行きとどいた広い芝生で大の字になって、朝食代わりのソフトクリームを胃に入れた。朝の空気が深呼吸を誘う。
一息ついて走り出す。山間の広い高速道路を快適に走り、山崎にて名神高速に再び合流した。混雑する京都付近をショートカットする形である。
そんなこんなで大阪の吹田まで順調に来た。
しかし道路情報によれば、この先の中国道は宝塚にて大渋滞とのこと。そこで中国道に向かわずに、第2神明道路へとハンドルを切って神戸まで南下することにした。
神戸から垂水ジャンクションを経て明石海峡大橋へと向かうことにする。巨大な垂水ジャンクションはすべてがトンネルの中だった。次々に現れる案内板に目を光らせながら、初めての私はレーンを選ぶのに多少緊張した。もしレーンを間違えると、まったく逆の方角に行ってしまう。
ジャンクションのトンネルを出ると、目の前に吊り橋を支える巨大な柱が見えてきた。天に向かってそびえ立つ門だ。それに向かって小さなオープンカーは吸い込まれていく。
美しい吊り橋を渡った。
長さは4キロ近くあるらしい。この手の吊り橋としては世界一の規模と聞いた。大震災で岩盤が動いて、初期の予定よりさらに1m伸びたらしい。海面からはかなりの高さがあって瀬戸内がぐるりと見渡せた。眼下を大型船が往き来している。旅への期待がふくらむ橋である。それらを一跨ぎにして本州を後にすると、前方に淡路島の町と山の緑が迫ってきた。
渡り終えてすぐのサービスエリアで一服した。猛暑である。
ここは橋全体を展望できる場所で、観覧車などもあって、さすがに家族連れでごった返していた。熱中症対策によく冷えたスポーツドリンクを1本買って早々に退散した。
真夏の太陽にジリジリと焼かれながらオープンで走った。
フロントガラスの向こうで入道雲が盛り上がってモリモリと音が聞こえてきそうなくらいである。相棒は歓喜のエンジン音を高らかに響かせながら淡路島を突っ切って四国を目指していく。
右を向いても左を向いても、そして上を向いても夏、夏、夏である。
強烈な太陽光線が、渡世の垢をあっという間に乾かし、パリパリとはがしていくようだった。
淡路島にある最後のパーキングエリアは、淡路島南パーキングエリアである。
そこは静かなサービスエリアだった。木陰に木のベンチがあった。私はしばし仮眠をとった後、鳴門海峡を越えて四国へと走り込んだ。
鳴門インターチェンジで降りて国道11号を南下する。
横浜で高速道路にあがってからというもの、ここまで延々と自動車道ばかりだった。
国道沿いのガソリンスタンドにて本日2回目の給油。
相棒を給油機の前に停めてから気がついた。価格がどこにも表示されていない。値段を訊くと店員は即答できず、給油機の設定値を調べ始めた。やっと返事があったが、横浜に比べると多少値が張るようだった。私は当地の相場を知らなかったので、まずは10リッターだけにしておこうと店員の顔を見上げた。そんな私の躊躇を、日に焼けた若い店員が困惑げに見おろしていた。首筋に汗が光っていた。私は指でOKサインを出す。
「ハイオク満タン入ります!」
と元気のいい声がスタンド中に響きわたった。吸い殻とゴミは大丈夫ですか、これ中拭きですどうぞ、フロントガラス拭いていいですか等々、矢継ぎ早に声が降ってくる。
「へえ横浜からですか。どのくらいかかりました?」
フロントガラスを拭きながら話しかけてきた。
「今朝は4時に出てきたよ」
しばらく黙して暗算している顔つき。
「ふーん、やっぱりそれぐらいはかかりますかねえ。結構遠いですよねえ」
と私の相棒のことを眺めた。
「さすが速いっすねえ」というお世辞を用意していたのかもしれなかったが、高速道路をかっ飛ぶために、この車と旅をしているわけではないので、今日一日、私の右横を最新のミニバンやSUVがどんどん追い抜いていった。
ひょっとして遠来からの客は、四国に上陸するとまずこのスタンドで給油していく人が多いのかもしれない。きっと彼は皆に同じ質問をしているのかもしれない。
「気をつけて行ってらっしゃい」
元気な声に送り出されて、私は徳島市街へと走り込んだ。車載時計は午後3時を指そうとしていた。
幹線国道の広い交差点を右に折れ、道路マップと標識を頼りに徳島駅まで行く。
駅前のロータリーの路肩に相棒を寄せて、ホテルの場所を地図でたしかめていると声をかけられた。地図から顔をあげると、二人の年配の男性が、相棒のことをじろじろ眺めまわしている。
「すぐに車を出しますか?」
ひとりが訊いてきた。
「ええ、場所がわかったのですぐ動かしますよ」
私は大慌てで返事したのだった。
二人の男は、もう一度私の顔を確かめるように見てから去っていった。グリーンの制服姿だった。旅先でのこんな出逢いは、あまり歓迎したくはありません。
ホテル裏のタワーパーキングに相棒を預け、身のまわり品を入れたトランク鞄をひとつさげてフロントにてチェックインを済ませた。
さっそく階上の天然温泉に赴いた。入浴受付のおばちゃんが
「宿泊のお客さんは何度入ってもタダですから、いっぱい入ってください、いっぱい」
と景気よく言って、バスタオルとフェイスタオルをぽんと貸し出してくれた。
先客は年配の三人だけ。ともに他人らしく静かで好ましい。
サウナや露天ジャグジーもあって、のんびりと旅の汗を流すことができた。やや茶色に濁った湯だったが、以前はわざわざ濾過して透明にした湯を張っていたという。
私はひどい空腹にやっと気がついた。今日一日ソフトクリームとミックスナッツぐらいしか口にしていなかったので、一階にある郷土料理の食事処で夕食をとることにした。
一杯の生ビールで精気を取り戻した。新鮮な刺身や温泉卵入りの讃岐うどんは言うにおよばず、鯛の炊き込み飯が美味い。
文字どおりの一杯機嫌で、満足のお腹をなでながら、私はぶらりと街に出て夜風に吹かれてみた。耳を澄ますと阿波踊りのお囃子がどこか遠くでしている。祭りは来月のはずである。連を組む人たちが、近くの河原で練習でもしているのだろうか。胸中に四国まで来たという感慨が沸々と湧いてきた。
明日は室戸岬まで行く。
いよいよ待望のシーサイドクルージングが待っている。