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第1回
第2回
第3回
第4回
PROFILE
いつもの荷物
旅のメモ

奥入瀬濁流

紺屋町裏通りの古い土壁

十和田湖の子ノ口

酸ヶ湯キャンプ場

2.盛岡から八甲田山越え

 北ホテルは中心街にありながらも、こぢんまりと落ち着いたホテルです。

 評判の朝食(トーストセット)をゆっくりと食べ、チェックアウトをすませて待っていると、タワーパーキングから相棒が顔を出した。

 今日は八甲田山を走る。

 豪快な山岳ドライブが期待できるはずだった。しかしやけに雲が多くて蒸し蒸しする。いやな予感がぬぐいきれない。

 私はさっそくオープンにして「上の橋」で中津川を越えた。そこは紺屋町界隈である。コインパーキングに入れて町歩きを楽しむことにした。城下町の面影を色濃く残し、古い土壁や時代劇の背景のような木造の家屋がならんでいる。

 私の耳に風鈴の涼やかな響きがとどけられた。

 音に誘われて歩いていくと、古い商家のたたずまいのこぢんまりとした建物が現れた。店先には誰の姿もない。表の戸がフルオープンにされ、頭上にはいくつもの鉄製の風鈴があった。そこは伝統の南部鉄器の店だった。清潔な店内には様々な鉄瓶だけでなく、灰皿や栓抜きがならべられ、そのどれもが洒落たデザインで鉄素材の無骨さは微塵も感じさせない。それどころか温もりさえただよわせている。私は奥に向かって声を放った。

 「すみませーん」

 ややあってから「はーい」と女性の澄んだ声が返ってくる。暖簾を払って顔を出すとそこにきちんと正座し、こちらにきっちりと顔をむけて微笑んだ。私から見てまだ若い、この家の奥さんらしい。感じのいい人だと思った。何代も続く由緒ある家らしく、すべてが垢抜けて好ましい。この町が城下町だとあらためて気づかされた。さっそくひとり用の洋鍋を包んでもらう。キャンプで使うつもりです。

 私は良い買物をしたときの高揚した気分を抱いて店を出たのでした。

 ふうっと珈琲の香ばしい薫りがした。

 どこだどこだと目を走らせると、大きなガラス窓の奥に焙煎器が見えた。まちがいなく焙煎したてのがいただける。ドアを押して足を踏み込むと、小さなカウンターとテーブルが三脚だけの店内にバロック音楽が流れていた。男性がひとりカウンターの奥で豆を挽いていた。軽く会釈をかえし、一番奥のテーブルに腰かけてブレンドを注文した。やがて運ばれてきた黒く熱い液体をすすると深煎り珈琲である。酸味が抑えられ、コクとやや苦味のある味わいが鼻腔を満たした。物静かなマスターは電話で注文を受け、焙煎した豆を計量してミルにかけている。しばらくするとミニバンが横づけされ、女性が急ぎ足で降りてきて、珈琲の小袋を受け取って戻っていった。注文に応じて豆の挽き売りをしているという。ならばと私もブレンドを100グラム頼んだ。今夜のキャンプが楽しみになった。

 奇妙な名前の店だったが賢治作品ゆかりの名前らしかった。私は受け取った珈琲の小袋に鼻を押しつけて深呼吸。うーん幸福なんて本当は簡単だったんだ、クラムボン。

 オープンで街を流していると混雑したバスターミナルにまぎれ込んだ。バスの後をついてあっちこっち走りまわっているうちに、ぽんとコープの前に出ていた。さっそく買物に赴く。雨天キャンプに備えて、バゲットとチーズとプレスハムを買う。遠野の道の駅にて地場のキュウリをたっぷりと仕入れてあったので、これでテントのなかでも食事を簡単にすます準備が整った。

 盛岡インターから東北自動車道に上がる。

 岩手山SAでジャジャ麺なるものを初めて食べた。昨夜は駅前の焼き肉屋で盛岡冷麺とベアレン麦酒だった。好きな麺が続いて満足。ここで給油。

 やがて安代を過ぎたあたりから、雨のカーテンを何枚も潜るように、天候が急変をくり返した。適度な高速ワインディングを駆けながら、山間の強い雨滴をボンネットで弾いていく。十和田インターで下りて国道103号線(十和田道)に出た。一路、観光湖めざしてハンドルを切る。天候がはっきりしないせいで幌を開けるか否かで鬱々していると、向こうから屋根のないレーシンググリーンの古いジャガーが走ってきてすれ違った。ベージュの内装が上品で、痩せた初老の紳士が背中をしゃんと伸ばしてハンドルを握っていた。ハンチングの下からは清潔に刈り込まれた白髪が見えていた。ソフトトップ車は幌を開けた状態が基本形なのだ。私は煮え切らないでいた自分を恥じ、すぐにコンビニの駐車場に入れて幌を降ろしたのだった。いっそせいせいしました。

 十和田湖は、寒々とした霧雨につつまれていた。

 湖畔沿いに緑のトンネルを走ると、時折ぱらぱらと水滴が落ちてきてフロントガラスを叩く。

 子の口のレストハウス前に駐車した。

 湖面をのぞき込んでみたが、鱒は釣られてやる気がまったくないようなので、ここでの釣りはあきらめようと思う。

 愛車まで戻ってくると年配の男性が車体をまじまじと眺めていた。

 こちらに気がつき、いきなり「日本のメーカーがこんな車作ってたんだ」と言ったのだった。車に興味あるのかと思い「これはロードスターという車で……」と説明を始めたがまったく聞いていない様子だった。コクピットをじろじろ眺めやりながら「ひとりなの? 横に誰も乗せないの?」ときた。「時々家族と買い物に」と正直に言いかければ「そうじゃなくて誰か別の女の人とかさ」と笑いながら売店の方へと消えていったのだった。こういうことはままある。たいていは家族連れか団体旅行中で、ようは退屈してるだけなのだろう。ロードスターでひとり旅に出てごらん、と売店の丸い背中に向かって言ったのだった。

 気をとりなおして奥入瀬渓谷に走り込んだが、いくらも行かないうちに本降りになった。

 路肩に停めて路肩で幌を立てた。そのついでに川岸に下りてみると、増水した太い流れが渓谷の岩という岩をすべて呑み込んで濁流と化していた。変化に富んだ幾筋もの美しい流れの面影はどこにもない。名だたる滝もダムの“放水”であり美しさは望むべくもなかった。

 奥入瀬から走り出て、十和田ゴールドラインを駈け上がる頃にいったん雨は上がった。

 待ってましたとばかりにオープンに。

 見上げんばかりのミズナラやブナの木立の間を駈け上っていく。蔦温泉を過ぎて道は八甲田周遊ルートにつながった。周遊ルートを反時計回りに走って田代平の広々とした高原牧場を駈けぬける予定だったが、無情なる濃霧に遮られ、田代平をあきらめて引き返した。しかし谷地を過ぎたあたりで、またいきなり降り始めたのだった。今回はかなり手強い。ワイパーを最速にした。雄大な八甲田山を眺めながらのオープンドライブという絶好のロケーションのはずがとんだことになった。路面で弾けた雨が水煙となってぼうっともやっている。泥水が流れ出てアスファルトを覆った。私はほうほうの体で酸ヶ湯キャンプ場に逃げ込んだのだった。そこは広い駐車場のど真ん中にぽつりと一台白いSUVが停まっているだけだった。東京近県のナンバーだ。ぐるりと見まわすと、広い芝生のテントサイトの中央に黄色いテントがひとつだけあった。私は雨に打たれながら管理棟へと駈け込んだ。たったそれだけで濡れネズミになった。

 「テント張るんですか?」

 「ええ、キャンプに来ましたから」

 「雨ひどいから、同じ料金で2階の部屋を使っていいですよ。ただし相部屋ですが」

 と受付の男性は玄関の軒下に目をやった。そこには大型ツーリングバイクが一台、雨滴をしのいで停められてあった。2階に案内されると十畳ほどの和室に男性がひとりすでに寝袋を持ち込んで読書中だった。会釈して同室を請うと快くOKをくれた。

 キャンプ場の受付で入浴券を買い、アクセルをひと踏みして隣の酸ヶ湯温泉に行く。荒天でも満車だった。やっとひとつ空きを見つけた。湯治客は言うにおよばず観光や山登りの拠点なのだ。ここは歴史ある名湯で硫黄泉である。その名に恥じず目に入るとひどくしみる。千人風呂で知られ、混浴の習慣が残されているおおらかさが人情の温かみを感じさせる。私は学校のプールほどもある大きな浴槽の中央に小さな立て札を見つけた。ここからこっちが男湯であっちが女湯。昨今のマナーの悪さから、ひとつ湯船を分けざるを得なくなったようだった。観光客が大勢押し寄せると昔からの良さが失われていく。地元の人たちが大切にしている場に、そっとお邪魔させていただく。それが旅する者のマナーであると私は思う。それだと窮屈でくつろげないという輩は、すべてのサービスをお金で買えるリゾートに行くといい。

 キャンプ場に戻ってくると小降りになっていた。

 この機を逃してはならじと私はテントを担ぎ出した。しかしテントサイトの芝生はどこも水浸しだった。

 「やあ、キャンプが本当に好きなんですね」

 さっきの受付の男性が表に出てきた。

 「ええ、どうしても大地に寝たくて」

 これは本当で、地球から力をもらえる感じがするのです。都会暮らしの身には、大地のエネルギーは貴重品だと私は思う。

 「水はけが良いのはね、あのあたりですよ」

 左側のちょっと奥まった方角を指さしながら親切に教えてくれた。しばし立ち話を楽しむ。

 芝生に二人用の小さなテントを張り、その前にテーブルとチェアをしつらえて設営を完了した。あらためて見まわすと、八甲田の緑にかこまれた清潔なキャンプ場である。

 さあ、キャンプだホイ!

 炊事場で準備をしていると声をかけられた。日に焼けた顔に白い歯が笑っている。さっきのバイクツーリングの人だった。しばし話し込んだ。自分は北海道を走っていたがあまりに雨ばかりなので青森に渡ってここまで下りてきたのだという。ところがこちらに来ても雨続きで嫌になったので、明日には東京に帰るつもりだと苦笑した。もし北海道に渡るつもりなら、どこそこのルートは土砂くずれだと情報をくれた。私が今回は東北を走っているのだと言うと、ここから十和田までにガソリンスタンドはあったかと訊いてきた。残量が心細く、青森まで戻ろうか思案している様子だったが、残念ながら私にはスタンドの憶えがなかった。

 「ま、ずっと下り坂だし」

 と十和田道を行く決心をしたようだった。私たちはお互いの旅の無事を祈って別れたのだった。

 次は、いよいよ世界遺産の白神山地を走りぬける。