
1.遠野から北上山地越え
「どうして旅に出るの?」と女に問われて「苦しいからさ」と答えたのは太宰治。彼が東北の旅に出かける時のことだ。われわれ凡人はまねしないほうがいい。苦しいのは家計の方です」などとつまらぬ話になってしまう。
男を旅へといざなう理由は色々で、私の場合、それは衝動に似ている。場所は横浜のとある国道。朝から家族の買い物につきあわされ、おまけに梅雨空。まったく進まない前車のテールランプをにらみつつ私は溜息をついた、その時、いきなりそれは来た。
「まぶしい緑のトンネルをオープンで走りぬけたい!」
よし山岳ドライブである。馬をとき放つように愛車を思いっきり走らせてやろう。ということで、私の今回の旅は東北地方です。山深い民話の里です。
さあ地図を広げよう。
旅の入口を花巻に決定。横浜からちょうど五百キロ。その先には四つの山塊がひかえている。北上山地、八甲田山、白神山地、八幡平である。
北上山地は遠野物語で知られる民話を育んだ。
八甲田山は十和田湖や奥入瀬渓流の観光地で知られる。
白神山地は世界遺産の広大なブナ原生林で有名。
そして最後に、海抜千メーター級の高原ドライブが楽しめる八幡平。
さあ旅支度です。
相棒のロードスターの狭いトランクルームに、愛用のキャンプ道具を詰め込みます。独りキャンプの夜を豊かにすごす品々を忘れてはいけません。珈琲、パイプ煙草、文庫本が私の三点セットです。
まず珈琲。食後の一杯は旅の疲れを癒してくれる。家からインスタントを持っていくのはファミリーキャンプですること。男のひとり旅なので、ここはひとつ現地にて美味い珈琲を調達することにします。
次にパイプ煙草。これは独りでこそ楽しめる。匂いや煙を周囲に気遣うだけでも心が疲れてしまうから。心おきなくパイプ煙草をやるのは、ひとりキャンプの大いなる悦楽のひとつです。
最後に文庫本。旅を思い出深いものにできる。食事に凝らなければキャンプの時間はゆったりと流れていく。ガスランタンの灯火でページを繰るのは趣があって気に入っています。「遠野物語」と「注文の多い料理店」の二冊を旅行鞄に詰め込みました。
いよいよ早朝五時に家を出発。東北に向けて旅立った。梅雨明け宣言の出ないまま、雨天で幕が開いた。首都高、川口ジャンクションを経て東北自動車道に入るころには、すでにテールランプの赤い光が列をなしていた。
那須、福島、仙台と北上を続け、フュエルゲージの残量が心細くなったので、鶴巣PAにてセルフ給油。その頃にはすっかり雨もあがって陽もさしてきた。花巻まで待ちきれずにオープンに。晴れやかな気分でハンドルを握りなおすと、私は滑らかに加速して本流に合流した。やがて青空が広がって汗ばむほどに。右手首をドアミラーの上に置けば、サマージャケットの袖から風が入って全身の汗を乾かしていく。
花巻インターチェンジにて釜石自動車道に接続。
車の影もなく、ただまっすぐな高速道路だけが目の前に続いている。アクセルを踏み込めば、ぐんぐん滑走路を離陸していく気分である。遠く早池峰山と思しい美しい姿が霞んでいる。里山が幾重にもかさなり、青々とした水田を取り囲んで、のどかな日本の田園風景が広がった。
突然、晴天の雨がフロントガラスをぬらした。旅の入口にて狐の嫁入りのお出迎えとは、旅人を歓迎する意味だろうか。それとも、ここからの道中お気をつけあそべとの忠告だろうか。ご存じのように宮沢賢治(花巻出身)の童話には人を食う山猫が棲んでいるし、遠野物語にはカッパや雪女などはもとより、山中で人を喰う山男などの恐ろしい話が集められてある。何となく心のすみにそれが引っかかったまま、旅が始まったのでした。
花巻空港インターチェンジを降りると午後の1時。宮沢賢治記念館を見学して「雨ニモマケズ風ニモマケズ」の本当の意味を知り、雨天オープン走行時の口癖にしていた軽々しさを反省させられた。
私はルートインの駐車場へ入れた。今夜は時間がないのでキャンプはしません。
チェックインをしていると、制服姿のフロント嬢がおもむろに何やら取り出した。
「失礼ですが、どれになさいますか?」
と問う。彼女の手にはビニールパックされたものが幾つか載っていた。
「これ、何ですか?」
「キュウリの漬け物です」
彼女は少し恥ずかしそうにしながら
「カッパの好物だそうです」
とつけ加えた。顔を見るとからかっているふうではない。
「お隣の遠野市はカッパの伝承で有名なので、これはサービスですからひとつを選んでください」
いささかビジネスライクに響いた。私はもろみ漬けキュウリを選びながら
「明日、遠野まで行くんです」
と言えば
「カッパ淵といって昔カッパが棲んでいた川があったり、お寺にはカッパの狛犬があったり、街にはカッパにちなんだ色んなものがあるので楽しんできてくださいね」
とやっと彼女自身の言葉と笑顔になった。じゃあこのキュウリを餌にしてカッパ釣りでもしますよと言いかけてやめにした。ビジネスホテルのフロントにふさわしい、とてもまじめな顔のお嬢さんだった。
明日は、遠野盆地の背後に迫りくる、北上山地を走りぬける予定です。
昨日とうってかわって晴天の夏空である。
オープンにして、朝の空気を浴びながら北上川を越え、国道283号線を銀河鉄道のモデルになったJR釜石線沿いに“田舎の夏の風景”をひた走る。風がなつかしい匂いを運んでくる。里山の樹木の香りや水田のぬるい水の匂い。猿ヶ石川が夏を反射してキラキラと音が聞こえそうなくらいだ。花巻の時間は、さらさらと稲を揺らすように、ゆっくり流れていく。トップギアで軽く流す。遠野でジンギスカン昼食をとり、昔話村、カッパ淵、山口集落の水車を見学した。遠野からは国道340号線を走る。田舎ののんびりした風景の向こうに、いよいよ北上山地が迫りくる。
遠野物語の最初にこんな伝説が載っている。大昔にひとりの女神が三人の娘をつれてこの山地に来た。そこで良い夢を見た娘に、良い山を与えると母の女神は言った。その夜、天から美しい光の華が姉姫の胸に舞い降りた。それを末の姫が目覚めて盗み、自分の胸の上にのせ、もっとも美しい早地峰山を得た。姉たちは見ばえのしない六角牛山と石神山を与えられた。北上山地はねたみ深い女の神が棲む山地である。そっと山懐に入って行かねばならない。ぶいぶい噴かしたりガンガン飛ばしたり、にぎにぎしく走り込むなどもってのほか。そおっとお邪魔させていただく感じである。旧い峠道は荒れ気味だったが、ギアシフトは三速と四速をリズミカルに往き来しながら軽快に走り上がる。木もれ日が路面で遊び、頭上はまさに緑のトンネル。まぶしい夏空に入道雲が光った。山の冷気で汗がさあっと引いた。これぞオープンカーの悦楽。私はアクセルを踏む。
やがて道はどんどん狭くなって、昼なお薄暗い峠越えとなる。タイトなカーブが続き、暗いコーナーミラーにパッシングを浴びせながらカーブを曲がり込んでいく。車も人の姿もまったく皆無。深い山中に我独りである。などといい気になっていると、峠付近まで来たところで雲行きがあやしくなってきた。陽気な太陽が顔をかくすと、なんとなく寂しい道だなと思えてくる。立丸峠で私はエンジンを止め、外へ立ってみた。木々が生い茂った鬱蒼とした峠だった。エンジンの響きがふっと消えて、しんと静寂につつまれた。頭上のどこかで葉ずれの音がざわざわしている。何となく胸騒ぎがする。もしこれが夜だったなら……間違いなく北上山地の闇が遠野物語を生んだのだ。怖ろしい異形の者たちは、この山奥から里に降りてきて人々の心に棲みついたに違いなかった。
その時、私のすぐ背後で笹をかき分ける音がした。
身がまえてふり返ってみたが、笹の茂みだけがそこにあった。うす気味悪さが背中にはりついた。反射的に愛車に飛び乗るとアクセルを強く踏み込んでいた。いつもと変わらぬ身のこなしで、ロードスターは軽快にコーナーを駆けぬけていく。そんな相棒が頼もしく思えてもっと好きになる。乗り手の思いに応えてくれる馬と旅するのは幸せである。これもまた人馬一体なりや。
峠を下りてくると、川井村で広い道路にドンとぶつかった。国道106号線である。左折して盛岡の街をめざす。鉄道と平行して明るい渓谷を縫うように走っていく。交通量は多いが、ほど良いペースで流れ、フルオープンで快適に飛ばせた。
山の女神は気まぐれである。
大粒の雨がばらばらと落ちてきてフロントガラスを叩いた。うまい具合に道の駅を見つけて走り込んで、慌てて幌を立てる。売店前で雨宿りをしていた人たちが、興味津々にこちらのことを見ていた。私はできるだけ悠々と歩いてみせ、売店で小岩井アイスクリームを買い、そして雨の駐車場をぼんやり眺めた。やけに家族連れのミニバンが目立つ。小さな女の子が浮輪を抱きしめたまま車から降りようとするのを、母親が取り上げてシートに放り上げた。こんな山中で浮輪は奇妙に思えて地図で見ると、この道は盛岡と日本海側の宮古を結ぶ街道だった。海水浴シーズンが始まったのだ。
アイスクリームを食べ終わるころにぴたりと雨が上がった。女神様は気がきくねえとばかりに、ささっと幌を開けて意気揚々と一番に走り出たが、またすぐに大粒の雨に見舞われた。まるで私が出てくるのを狙っていたみたいだ。本当にいやな女神だ。やむなく路肩の待避スペースに走り込んで、よいしょっと幌を立てる。まったくご苦労なことである。
盛岡の街に雨は降っていなかった。中心街の北ホテルに投宿した。明日は八甲田山をめぐって高原オープンドライブを堪能して「絶景かなー!」をお伝えする予定。請うご期待。