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PROFILE
いつもの荷物
旅のメモ

白神岳山頂

世界遺産の核心部を望む

八幡平アスピーテライン

アスピーテラインの朝

4.マタギの里から八幡平へ

 早朝に十二湖を走り出て日本海にドンとぶつかった。そこから海岸沿いの国道101号線を南下。JR五能線と併走する。雲ひとつない空に見わたすかぎりの大海原。ついついスピードが出てしまう。トラックを一台ぬきさった後は車の影もなく、爽快な海辺のドライブになった。

 白神岳登山口に愛車を入れて登山開始。ちょうど八時である。道案内が整備された登山道なので、ひとりでも不安なく登っていける。静かな朝のブナの森は明るい緑色に染められ、あちこちから湧き出る清水で喉を潤しながら汗をぬぐい、のんびりのんびり先をめざす。気持ちが軽くなる登山道である。本当に美味い清水が豊かに湧き出る山である。途中から急登になった。やっとの思いで尾根道に出ると、でかい日本海が目に飛び込んできた。地図のような海岸線が遠くまで見わたせる。頂上まではもう少しだ。尾根風に吹かれながら行くと昼前に山頂に到着した。そこからは世界遺産の核心部を眺められる。ブナやミズナラの原生林がずっと奥地まで広がって果てしがない。山頂では年配のご夫婦と一緒になった。話し好きの奥さんで私たちは思わず話が弾んだ。曰く、白神ラインという名前から想像して、もっときれいに整備された観光道路だと思っていたのがとんでもなかった。痩せた旦那さんは立場がないという顔をした。奥さん話をやめない。

 「あなたも全部走ったんですか。そりゃ大変だったでしょう。途中で一台もすれ違わなかったし、地元の人さえ走らないひどい道」

 とふたたび旦那を横目ににらんだ。

 私は結構楽しく走りましたとは言えなくなって、そうですねと頷き返すしかなかった。

 「道路の補修工事の車が崖から落ちて、作業員が二人亡くなられたそうですよ」

 それを耳にして私はやっと合点がいった。暗い路肩の2本のロウソクとしずんだ空気をまとったマイクロバスが思いだされたのだった。

 私は下山すると十二湖に向けてアクセルを踏んだ。リゾート施設のアオーネ白神で入浴して山の汗を流し、リフレッシュ村にテントを張って連泊した。

 翌日は、ふたたび国道101号を日本海沿いに南下した。二日続きの"大晴天"である。左手に深緑の白神山地が迫り、右手に真っ青な日本海が広がり、頭上にはまぶしいばかりの夏空。大パノラマのど真ん中を突っ走る我が一台。これぞフルオープンの快感!

 今日はツーリング最後の山地である八幡平を走る。

 能代で国道7号線に乗り換えて日本海に別れを告げ、米代川沿いに内陸へと走り込んでいく。道の駅"たかのす"の先を右折して国道105線(阿仁街道)に入り、愛車はさらに南下を続ける。谷間のカントリーロードを軽快に流していく。

 道の駅"あに"にて愛車を休ませた。容赦のない猛暑である。広い駐車場に3台しか停まっていない。そのどれもが地元ナンバーで、車影が陽炎で揺らめいている。汗をふきふき食堂でひとり飯を食っていると、真っ黒に日焼けした若い男がふらりと入ってきて、離れたテーブルに腰をおろして注文した。客は他には誰もいない。私は食事を終えて売店をひやかしてまわった。冷凍の熊肉を見つけた。今夜のキャンプの彩りにと思ったが、ひとりには多過ぎたのであきらめざるを得なかった。売店を出ると、日陰で自転車の若い旅人がひとり、ベンチで昼寝を決め込んでいた。さっきの男だった。私も隣のベンチで横になって、仰向けになって目を閉じた。そよ風が心地よい。しばしまどろむ。ふっと目が開けば、隣の旅人の姿はなかった。愛車は灼熱地獄と化してハンドルさえ熱くて握れないほどだった。そろそろ旅も終盤を迎える。

 私は道の駅を走り出て最初の交差点を右折し、のどかな田舎道を軽く流していく。さっきの旅人が自転車を漕いでいるのに追いついた。前後にキャンプ道具満載である。私は彼に余計なストレスを与えないようにうんと離れてゆっくり追いぬいていく。やがて目的のマタギ資料館に着いた。

 マタギと呼ばれる猟師は独特の規律を持つ伝統の世界を生きてきた。阿仁(あに)はマタギ発祥の地といわれ、ここに資料館が設けられている。熊を狩るというイメージが強いが、カモシカ、野ウサギ、テンも貴重な獲物だった。

数名で熊を追いつめて狩る勇壮な巻き狩りの様子は、小説『黄色い牙』(志茂田茂樹著)に詳しく描かれています。時代の流れがマタギの世界を揺るがしていく様子も描かれ、古くからの厳しい規律と山への信仰心によって支えられてきた希有なる世界だと理解できます。この地の山の女神はとても醜い姿をしているといわれ、オコゼを好むとされています。なぜなら醜い魚の姿を見ることによって自らを慰めるからであって、大切に紙につつんで猟に持参したといわれています。山の神を怒らせては大変です。

 

来た道をもどって、再び国道105号線を私は南下した。

 峠の短いトンネルを越えるとそこは山国だった。夏空の底が緑に染まった。人の気配はおろか人工物さえ目に入ってこない。道の両側には民家や水田さえなく、ただ深い緑だけが押し寄せるようだった。マタギの世界がこの奥にあるのだろう。いや、あったのだろう。資料館で見た熊狩りの様子がよみがえってふとアイヌのことを思った。独自の信仰を持ち、自らを厳しく律しないと自然と共存などできないのだ。ガラスのような壊れ物のバランスのうえに成り立っている。その素晴らしいバランスを壊すのは、自然からいかに多くを搾取するかという人間の我欲である。私は相棒のハンドルを握りながら、そんな考えに囚われ続けたのだった。

 ロードスターは全身に山の風を浴び、峠から駆け下りてゆく。

 やがて道は平坦になり、景色までも単調になった。この国道をこのまま行けば、田沢湖、角館、鶴舞温泉と続く。私は田沢湖まで南下するつもりだったが、実はさっきから迷っていた。走りが退屈に思えたからだ。そこでグイとばかりに右にハンドルを切って川の流れを横切り、県道321号線に走り込んでみた。田沢湖をあきらめて八幡平へのショートカットである。道は狭くなった。そして適度なアップダウン。小気味よいコーナーが次々に現れた。このショ-トカットはなかなかいける。しばらく走って国道341号線にポンと出た。目の前には玉川ダムの宝仙湖が広がる。なんとも人工的な風景で心が乾いた。左折して黙々と北上する。だだっ広い道である。ロードスターにはやや大味過ぎるが、軽快にすっ飛ばした。

 道はふたたび山間へと入っていく。

 新玉川、玉川とニつの有名な湯治場をパスし、県道23号線の分岐を右折して、いよいよ八幡平温泉郷へと走り込んだ。まずはビジターセンターに愛車を停めた。広い駐車場に車の影はなかった。小休止である。キャンプ場に行く前に、明日の早朝に走る予定だったアスピーテラインを少し走ってみた。後生掛温泉を通過し、観光の車の列にくっついてワインディングをそろりそろりと上がっていく。八幡平登山口を通り過ぎてから下り坂が始まる。ブレーキを踏みっぱなしの前車との車間を多めに取り、高原の風景を楽しみながら軽く流していく。ユースホステル前を通過。下りワインディングが始まって車がつっかえてきた。私は楽しめなくなって路肩に寄せてUターン。ビジターセンターの方へと来た道をもどっていったのだった。

 大沼キャンプ場にテントを張り、後生掛温泉へとアクセルをひと踏みした。この温泉は古くから湯治場として有名で、箱蒸しや泥風呂などが楽しめる。先日の青森の酸ヶ湯に負けないくらいのきつめの硫黄泉である。温泉の刺激に負けまいと全身が反応するから、ついでに病気が治るのかもしれない。明日は朝が早いので、簡単に食事をすませるとすぐに就寝した。寝袋のなかで身体中から硫黄の匂いが立ちのぼってきた。悪くない。

 夜明けとともに起床。

 手早くテントを撤収した。旅も今日でおしまいである。冷えきったエンジンを十分に暖機してアスピーテラインに走り出た。朝の新鮮な空気がコクピットを満たす。視界のかぎりにおいて車の影は皆無である。私はアクセルを深く踏み込んだ。薄暗い山岳道路でエンジンは咆吼し、ワインディングを軽快に駆け上がっていく。愛車との一体感がいやが上にも高まっていく。高度が上がって視界が開けた。眼下に雲海が広がり、朝日を受けて銀色に輝きつつあった。頭上にはもうひとつ高い雲。ともに輝きをましていた。上下ニつの輝く雲にはさまれた高原の一本道を、赤い小さな車はフルオープンで小気味よく加速していく。

 見返峠にて樹海ラインへとハンドルを切った。ゆっくりと降下を始める。静かな朝の緑のトンネルを堪能しながら、やがて町に出た。東北自動車道の松尾八幡平インターチェンジまではすぐだった。

 人々の日常が始まる頃には、私は高速道路をひたすら東京めざしてアクセルを踏んでいた。あっという間の8日間だった。天候に恵まれたとは言い難いが、そのおかげもあって、四つの山地をそれぞれに楽しめた思い出深い山岳ドライブになった。いつも思うことだが、ひとり旅の成功は、ひとえに自分のポジティブシンキングにかかっていると思う。負け惜しみでも何でもない。すべてが整えられた旅は、もはや旅とは呼べないかもしれない。そしてあなたは旅人ではなくなって観光客であると思う。非日常を味わうのが旅だと思う。

ありふれた日常から解放され、心をオープンにしてくれるのが旅であるならば、小さなオープンカーこそが私にとって旅する車であり、唯一無二の旅の相棒なのです。

 ロードスターの楽しみ方は人それぞれですが、私の場合は"ツーリング・ロードスター"であり"旅するロードスター"です。

 さあ、次はどこに行こうか、相棒。