論評04 『英国からの警告』


一刻も早い市場回復を期待

激変する経済情勢のもと、世界の自動車市場が急速に冷え込み、アメリカのビッグスリーはもとより、日本、更には欧州、韓国などの自動車メーカーも非常に厳しい局面に立たされている。年初には想像すら出来なかった危機的状況からの一刻も早い回復を心から期待したい。アメリカビッグスリーが壊滅的ともいえる状況に至った要因を「金融危機」とすることは簡単だが、長い間収益性の高いフルサイズピックアップに代表される商品を優先して、小型経済車を軽視してきたことや、魅力的な商品の開発よりも、売れなくなれば販売奨励金に依存してきた経営体質と今回の危機的な状況は決して無関係ではない。自動車ほど商品と直結した産業はないというのが私の動かない信念だ。


日本のクルマづくりに対する危機感

三樹書房ホームページに「車評オンライン」が開設され早くも10ヵ月が経過したが、第一回の「車評オンライン」で日本の自動車産業の将来は決して油断が許されないとして、これからのクルマづくりに対する私の危機感にふれた。資源、環境、安全問題などへの更なる挑戦、品質や生産性面での優位性の維持、顧客満足度の更なる改善などは必須だが、私は『車評50』、『車評軽自動車』プロジェクトや、年間200台近い内外のクルマへの接触を通じて、「心に響く日本車の少なさ」を痛感、「日本のクルマづくりはこのままでいいのか?」という危機感が高まっていた。魅力的でオリジナリティーに富んだ商品の開発、世界をリードするデザインの実現、走りの質の大幅な向上、品質、価格に依存した戦略からの早急な脱皮、それらによる付加価値のアップ、ブランドイメージの強化などは日本のクルマづくりに課せられた最も重要な課題だと思う。


ブライアンロング氏による『英国からの警告』

同様な問題意識をもつ日本在住のイギリス人モータージャーナリストがいる。ブライアンロング氏だ。『車評50』、『車評軽自動車』の評価メンバーの一人として大変貴重、かつ厳しい視点で評価をしてくれた彼は、イギリスのデトロイトともいえるコベントリーで生まれ、若くしていろいろな事業に関わる一方、イギリスの出版社Veloceから既に50冊をこえる自動車の歴史に関する書籍を出版してきたヒストリアン(歴史考証家)であり、根っからのクルマ好き人間だ。かつては世界に勢いを誇った、イギリスの自動車産業の崩壊を身近に見てきた彼の目には、日本の自動車産業の将来は決してばら色ではないのだ。こよなく日本を愛する彼は、日本の今後のクルマづくりに警鐘を鳴らすべく『英国からの警告』(日本の自動車産業の生き残りを目指して)〔仮タイトル〕という本の執筆を決意した。三樹書房より来年春頃までに出版にこぎつけるべく、目下私も協力して編纂中だが、出版に先立ち、今回の「車評オンライン」でその要点をご紹介することにした。以下はその中からの抜粋である。



イギリス自動車産業の衰退

かつてのコベントリーはイギリス産業の中心地で、私が初めて出版した本にはここで自動車を生産した100社以上の会社が記載されており、エンジンビルダー、自転車及びオートバイメーカー、軍用自動車専門メーカー、そして航空機と航空機エンジンメーカーなどが軒を並べていた。かつてのコベントリーはイギリスGDPの大部分を負担していた。私の幼年期、コベントリーには、ルーツ(ハンバーとヒルマンを生産)、スタンダード(後のスタンダード・トライアンフ、更に後にはオースティン・ローバー)ジャガー、デイムラーおよびアルヴィスなどの自動車会社、大型トラクターメーカー、工作機械メーカーなどの工場が立ち並び、加えてこれら大企業の協力会社として力強く生きるエンジニアリング会社が数多く存在していた。

こうした多くのメーカーや、工場の中で今日まで生き残ったものはほとんど無い。ジャガーの大きな拠点であったブラウンズレインは事実上閉鎖され、ラドフォード工場の跡地は既に住宅地と化し、古くはハンバーやヒルマンを、近年はフランス車プジョーを生産してきた、かつてのルーツ工場は2007年春に閉鎖され、有名なロンドンタクシーのメーカーであるカーボディー社は現在中国へ製造拠点を移しつつある。コベントリーには今やほとんど産業が存在せず、それに伴い町としての活力も、誇りも失われている。以前よりもずっと多くのショッピングセンターが軒を連ねたものの、消費者の購買力低下と共にこれらのショッピングセンターもまた斜陽の道を歩み始めている。


日本の鎧の綻び

約10年前に日本に居を移した当初、私には日本が抱える問題が明確には見えなかった。物事はあたかも精密時計のように動き、クルマやカメラ以外にも多くの興味ある製品があり、その間紹介され、友人となった人たちを通じて日本の戦後の驚異的な発展の経緯を感じ取ることが出来た。しかし最近になって日本の鎧の綻びが見えるようになり、この国が発展する上でのブレーキ要因にも気がつくようになった。イギリスと言う産業国家の崩壊を目の当たりにしてきたクルマ大好き人間の私から見ての、日本の自動車産業に将来起こりうる苦難の前兆が見え始めてきたのだ。今こそ、手遅れになる前に日本はそれらの前兆と言う忠告に、素直に耳を傾けることが必要だと思う。


現状に甘んじてはいけない

現在日本の自動車産業界が世界の頂点にあることは事実だ。しかし決してこれに甘んじていてはいけない。ほんの少し前まで、アメリカの自動車産業が崩壊すると言う話は冗談にもならなかったし、わずか30年前には日本のクルマは、イギリスでは冗談のような存在でしかなかった。環境安全対応技術などへの更なる注力、高品質な商品を実現するための開発や製造プロセスの見直しなどは必須だが、それだけでは海外からの脅威を打ち砕くためには不十分であり、世界戦略の再構築はもちろんのこと、自身の商品やブランドのあり方に関する抜本的な見直しが必要だ。それに加えて日本人の意識や社会慣行、更にはクルマに関わる文化そのものも変革させなければならない。日本の若者に蔓延する倦怠感やヤル気のなさと同時に、高年層における変革に対する抵抗感も大きな問題だ。他国をしのぐスピードで自国を変革しようとしない閉ざされた心、もしかしたらこれが問題の源泉といえるかも知れない。

イギリスの現状は、報道を通じて多くの日本人が抱くイメージとは大幅にかけ離れたものであり、現在のイギリスの真の姿が日本人にとって目覚ましの役割となることを期待したい。私の言及する幾つかの問題について、心ある人たちの間で議論が起こり、対策を真剣に検討するきっかけになれば、私が誇りを持って住むこの日本に対し、ささやかではあるが貢献出来ることになり、是非そのようになることを願っている。



日本が心配すべきいくつかのポイント

以下は彼が指摘している「日本が心配しなければいけない」いくつかのポイントだ。今回の経済危機を予測した人は皆無に近いだろうが、まずは遠からず日本の自動車産業に迫り来る「危機に対する認識不足」をあげている。次に彼が指摘しているのは「アメリカ市場への過剰依存」であり、このつけは今まさに日本の自動車産業全体が直面している大きな問題だ。そして「中国ブームへの警鐘」だ。中国戦略を一歩間違えると日本の自動車産業の足を大きく引っ張ることになることは間違いない。また「保守的な日本人のメンタリティー」も改革のスピードを鈍らせる大きな要因であり、昨今の若者の「上昇志向の欠如」、更には「教育の弱体化」はゆゆしき事態と彼の目にも映っている。そして「若者のクルマばなれ」と「クルマ文化の未成熟」にも警鐘をならしている。


クルマづくり変革のポイント

クルマのビジネスには、商品、技術以外にも調達、生産、流通、マーケティングなど多岐に渡る戦略が非常に重要であることは論を待たないが、自動車ほど商品の魅力そのものが業績に直結した産業は少ないというのが私の動かない信念だし、ブライアンロング氏もまた同意見だ。そこで彼の『英国からの警告』の最終章は「日本のクルマづくりのあるべき姿」という形で締めくくられるが、この部分に関してはまだ本書全体が編纂中ということもあり、本の出版をお待ちいただきたい。


1913年ごろのスタンダード社の工場。その後この工場はこの地域全体に大きく拡張された。


スエズ危機の際に溜まったスタンダード車の在庫。この1956年のこの写真から当時のスタンダード・トライアンフ社の生産規模を垣間見ることができる。


トライアンフスポーツカーは長い間アメリカで大成功したモデルだ。コベントリーとトライアンフの関係は深く、かつて創始者が市長を務めたほどだ。


アルヴィスは戦前に既に前輪駆動車を作り上げた会社だが、その製品は高品質なクルマから、航空機用エンジン、世界で最良の小型戦車まで幅広かった。写真は市の中心部にあったアルヴィス工場でのイベント風景。


スワローロードのダンロップ航空機製造の隣にあった古いジャガー工場。手狭になって移動したブラウンズレインの元デイムラーの工場が戦後のジャガーの輸出モデルの生産拠点となったが、その後デイムラーはジャガーの傘下に入った。


クライマックス社のボス、レオナルドリー(左)とジャガーで貴重な役割を果たした技術者ウォルターハッサン。コベントリークライマックス製のF1エンジンは長年無敵を誇ったが、今や存在しない。
小林謙一のセカンドオピニオン
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この著作の製作にあたって
私とこの本の著者であるブライアン・ロング氏との付き合いはすでに10年をこえた。イギリス人である彼からは、お互い自動車を主とした出版関連事業を仕事にしている関係で、今までも多くのことを教わってきている。その中で最も自分の知識と乖離(かいり)を感じたことが、イギリスの自動車産業の発展と衰退の歴史であった。今回さまざまな経過を経て、彼自身の実体験に基づいて「現在の日本の自動車産業に向けた警鐘」を著わしたのが本書である。
原稿を翻訳するにあたって、アメリカの自動車産業に詳しい糀谷大輔氏が担当された。糀谷氏はアメリカの大学を卒業後日本の企業で長年原子力関係の仕事に従事された、良識ある自動車評論家の一人である。また、この本を編集するにあたって適切な監修者の必要性を強く感じた私は、小早川隆治氏にその役割をお願いした。

監修の小早川氏について
小早川氏についての経歴は、プロフィールを読んでいただければわかっていただけることと思うが、スポーツカー開発、モータースポーツ、広報、デザイン部門などの統括責任者としての要職を歴任されてきた方である。一般的に日本においては、自動車の愛好家などが評論家に転進することが多いが、欧州などではレーシングドライバーやエンジニア、自動車技術分野の専門家など、実績のある方々がその経験を生かすことでジャーナリストになり、活躍されている場合が多い。そうした意味において小早川氏は、十分な経験と実績を備えた、日本における希少なモータージャーナリストである。さらに小早川氏は、広報、アメリカ出向時代から外国の有力モータージャーナリストと幅広い交流を持ち、彼らと自動車技術やデザイン、運動性能などについて対等に話せる数少ない日本人でもある。
ロング氏の独自の視点によるイギリス自動車産業の衰退の歴史と、日本の自動車業界に対する警鐘は、国際人である小早川氏の監修によって目下内容の精査が図られているが、完成すればこれまでの日本のジャーナリズムにはない、インパクトを与えてくれるものになると期待している。


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