ポルシェ911に関する本で、日本で刊行されたものには、長年にわたり私が公私にわたり師と仰いだポール・フレール氏による1978年に初版が発行された『ポルシェ911ストーリー』、同じく1999年に初版が発行された『新ポルシェ911ストーリー』などがある。一方でわが親友でもあるブライアン・ロング氏のポルシェ911に関する書籍(その歴史を5分冊にまとめたもの)も圧巻といって良いものだが、日本語版がないのが残念だった。
現役時代にマツダのスポーツカーづくりの一端を担ってきた私も、ポルシェのクルマづくり、中でも世界中のスポーツカーファンの心をつかんで離さない、ぶれのない哲学に強い感銘を受けてきたし、かつてポルシェ356B、964カレラ4を所有したことのあるポルシェファンの一人としても、ブライアン・ロング氏の手によるポルシェ911関連書籍の日本で出版を願ってきた。今回の企画はブライアン・ロング氏、三樹書房、それに私の思いが一致したものであり、非力ながら、本書の翻訳者であるロング・美穂さんの翻訳のお手伝いをするとともに、監修もさせていただくことになった。
ポルシェ本社と20年にわたる親密な関係をもつブライアン・ロング氏が、ドイツ本国のポルシェアーカイブの多大な協力を得ることにより、これまで公表されることのなかった写真をふんだんに盛り込んだ。既存のポルシェブックとは一線を画した、年式、年代別に、「読むだけではなく、観て楽しめる」ポルシェブックが実現した。ブライアン・ロング氏によると本書に使用されている写真のうち95%はポルシェアーカイブからの提供であり、そのうちおよそ半分がこれまで一般に公開されたことのない写真である。今回の車評オンラインでは本書のほんの一部をご紹介させていだくが、その前にブライアン・ロング氏のご紹介からはじめたい。
1967年英国コベントリーでエンジニアリングと関わりの深い一族のもとに生まれ、幼くして自動車と深く関わりをもつようになったブライアン・ロング氏は、イギリスに留学中に結婚された日本人の奥様と、お二人のお子様と共に現在は日本に在住する世界でも数少ない自動車歴史家だ。彼の執筆業になるまでの職務経歴も多岐にわたり大変興味深いので、以下簡単にご紹介しよう。
コベントリーのテクニカルカレッジで機械工学を専攻、主席で卒業するが、就学中から父親の自動車関連事業(販売、サービス、部品、板金塗装などを行う幅広い事業)、メルセデスベンツトラックの実習で実務経験も身に付ける。17歳からマネージメント業務もまかされ、以来いくつかの会社でマネージメント、あるいは取締役を歴任、19歳で技術書に関連した自分の会社を設立。さらにジャガー・ダイムラー ヘリテイジトラスト(古い図面、カタログ、ドキュメント、写真、車両などを将来のために収集、保管)に参画するとともに、ダイムラー・ランチェスターオーナーズクラブ(ダイムラー、ランチェスターのオーナーのクラブで、会員数は当時も今も約1700名)のボードメンバーとなり、各種の記事の執筆を始めたのがきっかけで、1990年に最初の出版物がイギリスのVeloce社から刊行された。
まったくの偶然から執筆業という世界に入ったというブライアン・ロング氏だが、1990年以来、ポルシェ356、911、914、924、944、ボクスター、デイムラーSP250、ジャガーXJ-S、各種日本車(レクサス、トヨタセリカ、MR2、ホンダNSX、スバルインプレッサ、ミツビシランサー、ニッサンZ、マツダMX-5、RX-7)など、合わせて約58冊の歴史書を出版してきた。クルマ以外にはカメラにも造詣が深く、海外では英文の「ニコン物語」、「キヤノン物語」も出版済みだ。また近年は日本国内のジャガー販売店のスタッフを対象としたジャガーの歴史に関するレクチャーも担当、私もお手伝いしてきたが、ジャガーの歴史について彼の右に出る人はいないと断言してもいいだろう。
趣味はクラシックカー、クラシックカメラ、ゼンマイ式腕時計、そして乗馬であり、若いころから多岐にわたる領域で活躍し、新しい領域へのチャレンジにどん欲な彼は、政治分野への関心も深く、手始めに、イギリス、アメリカ、日本のこの10年の政治の動向をまとめてみたいという。
また、ブライアン・ロング氏がこれまでに所有したことのあるクルマも興味深い。フォードグラナダギヤ、ダイムラー4.2ソヴェリン、アルファロメオ アルファファスッド、アルファロメオ2.0 GTV、アルファロメオ1750 スパイダーヴェローチェ、マツダRX-7、マツダロードスター、マツダRX-8、BMW 520i、メルセデスベンツ250、450SE、300SL、450SLC、ポルシェ924、ポルシェカレラ4、マセラティ222Eクーペ、ジャガーXJ-S HEクーペ、ジャガーXタイプ2.5エクゼクティブワゴンなどだ。
以下がこのたび発刊された『ポルシェ911 空冷・ナローボディーの時代 1963〜1973』のさわりである。
ポルシェ社の創業者フェルディナンド・ポルシェ博士は戦前主要な自動車関連企業で設計者、エンジニアとして活躍、1931年の春に自らが精選したメンバーによる小さなチームと正式に自分の会社をシュツットガルトに設立したのがポルシェ社の始まりであり、戦前に開発したのが、ベンツとのグランプリ争いを制したアウトユニオンカーと、あのVWビートルだった。戦後シュツットガルトの施設はアメリカ軍に占領され、オーストリーの片田舎グミュントに構えた粗末なスタジオから息子のフェリー・ポルシェの手でVWのコンポーネントをベースにしたスポーツカーが生まれたてきたのが、ポルシェブランドの礎石となる356である。
356の模型を持つフェルディナンド・ポルシェ(デザインも製作も彼の息子フェリー・ポルシェによる)。彼の左の少年はブッツィ・ポルシェで、オリジナル911のスタイリングを手がけたフェリーの息子である。右側がフェルディナンド・ピエヒ。フェルディナンド・ポルシェは戦後ヒトラーとの関係を疑われ、投獄されるが、釈放後1951年にこの世を去った。
1948年からつくられた365は356A、356B、356Cと進化、1965年まで生産を続けるが、スピードスターは、アメリカのライトウェイトスポーツカーファンの間では大きなヒットとなった。ティアドロップ型のリヤライトは、1957年春以降に製造された356A。
356には熱狂的なファンがいたが、永遠に不変であり続けることはもちろんできなかった。当初は、より大きいサイズの4シーターに焦点を合わせ、タイプ695プロジェクトという名の下で検討が進んだが、最終的にはホイールベースの短い2+2の901というモデルとなる。写真は初期のレンダリングをするブッツィ・ポルシェ。
1963年テスト中の初期の901プロトタイプ。ポルシェ356に比べてやや幅がせまく、全長は長くなった。901はその後のポルシェブランドを築き上げる象徴的はデザインとなるが、ネーミングについて、プジョーから二つの数字の間に0を入れることにクレームが付き、911と改称して市場に導入された。
最初の生産型ポルシェ911は、1964年製造が開始され、9月に1965年型として発売された。この販売促進用に資料はすでに911になっているが、後部を描いたイラストレーションにはまだモデル名を示すバッジがなく、極めて初期に作られた911関係の印刷物であることが分かる。
912は356Cの最終型のエンジンをベースとした4気筒エンジンならびに、いくつかの装備を除いて基本的には911そのものである。912の報道発表会は1965年4月に開催され、一般への公開は翌月の5月の予定であったが、ドイツでは1966年初期型として発売された。
1966年9月に発表された911Sは、量産型911シリーズの頂点に立つモデルであった。エンジン出力は圧縮比を上げたことなどにより160bhpに高められていた。また特徴的なフックス製のアルミホイールを装備していた。
1967年型から導入されたタルガモデルだが、写真の1968年型からアルミホイールはブラックとシルバーの2トーンになった。ロールバーは、安全の観点からオープンカーの販売を禁止するというアメリカの計画に対して、莫大な投資をせずに問題をクリアーしようとするブッツィ・ポルシェのアイディアだった。
1969年型からホイールベースが57mm伸びた。(トレイリングアームを長くすることで実現)アーチが張り出した新型のリヤフェンダーは、この年式から採用された幅広のホイールとタイヤのコンビネーションにも対応することが出来た。
1970年型車からエンジン排気量は全て2195ccに拡大され(シリンダーボア径 を4mm拡大)、911T(キャブレター)のパワーを125bhpに、二台のフュールインジェクションモデル(911Eと911S)ではそれぞれ155bhpと180bhpに押し上げた。写真は911T。
1971年型は実質的に1970年型と同じで、エンジン潤滑、インジェクション、イグニションシステム、スポーツマチックトランスミッションにマイナー変更が行われ、加えて燃料ポンプが車のフロントからリヤに移動し、グローブボックスのデザインが変わった。
1972年型では、6気筒ユニットのボアは84mmのまま、ストロークが70.4mmまで拡大されて、排気量は2341ccになった。一般的には2.4リットルモデルとして知られている。911Tは130bhp、911Eは165bhp、911Sは190bhpDIN(ドイツ工業規格)となった。
1973年型の最大のニュースはカレラRSの導入であった。ボア90mm、ストローク70.4mmで排気量は2687cc、機械式燃料噴射装置と8.5:1の圧縮比は210bhp(6300rpm)の出力を引き出し、可能な部分全てに軽量化が図られた。
以上が、空冷・ナローボディー時代の911の歴史のさわりだが、最後に空冷エンジンモデルの34年間にわたる年間生産台数の推移をごらんいただきたい。世界のクルマを見渡してみてもこのようにまったくぶれのない一貫したフィロソフィーのもとに着実に進化を遂げ、しかも安定した生産台数を記録してきたクルマはないとっても過言ではない。ポルシェ911の歴史は水冷エンジンに変更後も今日まで面々と続いていることが、世界中の顧客のポルシェ911に対する尽きることのない愛着を物語っている。本書をポルシェ911にご関心をお持ちの方はもちろんのこと、日本のクルマ作りに関わられている方々にもぜひごらんいただき、ポルシェの揺るぐことのないクルマづくりの哲学の一端をご理解いただければ幸いである。
尚、この『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963〜1973』は、3月中旬に発売されたばかりで、全国の大型書店を中心にして販売されている。写真や図版などはカラーで収録されており、定価は2800円+税でB5の大判サイズである。書店の店頭になければ、アマゾンやセブン&ワイなどで取り寄せることも可能なので、今度の連休中にゆっくり楽しんでいただけるクルマの写真集として、ぜひ皆さんにお勧めしたい。