成田を出発してわずか3時間で上海空港に到着、成田空港とは比較にならない広大な滑走路やターミナルビルに驚く間もなく、早速リニアモーターカーで上海市内に向かった。2002年に開通したリニアモーターカーの乗り心地は大変スムーズだが、本来なら420〜430km/hのはずの最高速度は、(騒音問題に起因して)300km/h+αだった。それでも空港ターミナルから市内まで10分もかからない。ただし延長計画は目下ないという。
当日午後、生まれてはじめて上海の街を巡った。東西文化の入り混じった独特の雰囲気の街並み、歴史をしのばせる旧跡、林立する近代ビル、日本より広くて、しかも無料の高速道路、道路に溢れる世界の様々なブランドのクルマなどに思わず我も忘れて見入ってしまった。来年5月から開催される万国博に対応して、会場や種々のインフラ整備も急ピッチで、街に溢れるエネルギーは日本の比ではない。
オート上海の印象に入る前に中国の自動車市場の近年の動向を簡単に見てみたい。1990年に50万台に満たなかった年間販売台数は、2000年には200万台、2004年には500万台を突破、2007年に879万台、2008年には938万台を記録した。今年の1〜3月の販売台数も前年比+3.9%と、アメリカの−38%、日本−30%とは大きく異なり、3月の販売も111万台を超えた。通年では1000万台を突破し、アメリカを抜いて自動車販売世界一となる可能性すらある。ただし現在の販売台数の背後には1月20日から実施された1.6L以下の自動車購入税の引き下げ(10%から5%へ)もあるので、今の水準がどこまで続くかは定かではない。
そのような中国市場にはどこの国のクルマが多いのか見てみると、1990年代には欧州勢が断然優位だったようだが、その後日本、アメリカ、韓国、中国車のシェアーが拡大した。昨年の全販売台数にしめるブランド別シェアーではGM:10.9%、VW:8.8%、トヨタ:5.8%、ホンダ:5.5%、ニッサン:3.9%などとなり、乗用車に限ると中国ブランドが32%、日本が27%、欧州20%、米国11%、韓国10%と、総じて欧州勢のシェアー低下は否めない。
上海の路上は世界中のブランドが混然と入り混じった光景だ。数多くの中国ブランドの見分けは短時間には出来なかったが、外資系ブランドの中で最も多くみかけるのはVWで、中でもタクシーは大半がVWサンタナだ。アウディも月間1万台近くのA6が販売されており、路上でも多くのA6に遭遇した。また日本とは比較にならないほどのGM車、中でもビュイックを路上で見かけ、アメリカ本国でも見ることのない、オペルとも異なる小型モデルも目にした。今やGMにとって中国市場はひときわ重要な市場のはずだ。
日本車も路上で多く見受けたが、トヨタとホンダの存在感が強く、セダンの比率がブランドに関わらず圧倒的に高いため、トヨタでいえばカムリとカローラ、ホンダの場合はアコードが多く存在し、またかなりな数のマツダ6も見かけた。プジョー・シトロエンにとっても中国市場は非常に重要なマーケットで、207や307のセダン(中国専用?)の数は半端ではない。韓国車もかなりな数であった。
中国市場は富の二極化に加えて、北京、上海、広州などの大都市において急速にクルマが普及する一方で、地方都市における普及はまだまだこれからのようだ。保有台数は1997年に1000万台、10年後の2006年には3700万台を突破、今では5000万台近いはずだが、13億人の人口に対する普及率としてはわずかなものと言える。所得水準の向上、中間層の拡大、地方都市の台頭、2輪から4輪への転換、ローンの普及、中古車市場の整備などを考えると中国自動車市場の拡大はまだまだ続くだろう。また既にアメリカに次ぐ、高速道路網が展開されていることは、日本では余り知られていない。
その中国における自動車産業地図は複雑だ。中小合わせると100社を超えるメーカーが存在するというが、外資系メーカーの中国進出には中国メーカーとの合弁が必要条件で、有力中国メーカーは自社ブランドに加えて複数の外資系ブランドの生産、販売も行なっている。また多くの外資系メーカーは複数の中国メーカーと合弁しており、スズキは長安汽車のみだが、ニッサンは東風汽車と鄭州汽車、トヨタは第一汽車と広州汽車、ホンダは東風汽車と広州汽車、三菱は東南汽車と長豊汽車、マツダは第一汽車に加えて、フォードと組んで長安汽車という具合だ。外資系メーカーとの合弁によるノウハウの習得は中国メーカーにとってメリットが大きいはずだ。
一般的に、これまでは外資系ブランドは生産性が高く、付加価値も高いのに対して、中国系ブランドは生産性が低く、付加価値も低かったようだ。また外資系ブランドが大都市を中心に販売を拡大してきたのに対して、中国系ブランドは地方都市を中心と住み分けが行なわれてきたらしいが、この住み分けが現在急速に変化しつつあるという。100社を超えるメーカーが遠からず4大、4小に集約される、あるいは年産200万台を超える2〜3社と、年産100万台を超える4〜5社に集約されるなどの見方があり、いずれにしても中国の自動車産業地図は急速に塗り替えられてゆきそうだ。
オート上海の会場、上海国際展示場は、市の中心部からバスで30分もかからない至近距離にある。V字型の常設館だけでも幕張とは比較にならない面積だが、そこに中国、欧州、アメリカ、韓国、そして日本の各ブランドが軒を連ねてブースを開設、常設館をはさむ広大な三角のスペースにはいくつもの大型テントが張られて、商用車、更には1500社とも言われる各種部品メーカーの展示場となっていた。これだけ大きな会場だがモーターショーの期間はプレス&VIPが2日間、続く2日間は業界関係者、一般入場者への解放はその後の5日間と意外に短く、多分に業界関係者に焦点をあてたショーということが言えそうだ
このショーで特に目についたのが欧州メーカーの力の入れ方だ。中国や日本のブランドの展示に比較して、展示それ自体が総じてはるかに垢抜けている上に、デトロイトショーには不参加だったポルシェがパナメーラの世界デビューを上海で行ない、ロールスロイスが未発売の次期ゴーストを展示、フェラーリやベントレーのブースの広さと展示車両の多さは幕張やアメリカのショーとは比較にならないスケールだ。
VW・アウディのブースの広さとその展示台数の多さにも驚いた。新型ゴルフ、シロッコもデビューするとともに、VWのほとんど全てのモデルに加えて、ラヴィータという中国専用セダンも展示されていた。アウディにとっての中国市場の重要性はすでに述べたが、今回日本より早くQ5も登場、同じくVWグループの一員で、急速にシェアーを伸ばしつつあるチェコのシュコダの展示にも力が入っていた。プジョー・シトロエンにとっても中国市場は非常に重要なマーケットゆえ、必然的にショーにも力が入っていた。ベンツとBMWは進出して日が浅いため、販売はまだそれほどの勢いを得てはいないが、今後の動向は注目に値しよう。
日本メーカー各社も近年中国市場の位置づけを大幅に見直しているのは事実だし、それゆえに近年急速にシェアーを伸ばしてはいるが、今回のオート上海に対する日本メーカーの対応に限れば、いささか心配なものがあった。展示ブースへの投資とスマートさは欧州メーカーとは比較にならず、プレスに対する対応面でも欧州メーカーとはあまりにも対照的だった。また日本メーカーの中でトップが出席したのはトヨタだけではないかと推察するが、中国市場が日本メーカーにとってかつての米国市場なみに重要になりつつあり今、いくら緊縮財政下とはいえ、経営トップが中国市場戦略を熟慮する上で絶好のチャンスをみすみす逃しているように私には感じられた。
中国メーカーで独自ブランドの商品を出品していたのは16社だったが、「コピー商品の氾濫」といわんばかりの日本国内におけるオート上海関連の報道にはうんざりする。類似商品が多く見られたのは事実だし、コピーを問題なしなどというつもりは全く無いが、中国メーカーから展示されていたクルマの中には、写真のブリリアンスのFSV、東南汽車のV4、BYD のe6などのように、なかなか魅力的かつ日本車を上回る新鮮なデザインのものもかなりあり、技術面でも新ジャンル、中でも彼らの言う「新エネルギー車両」への挑戦に積極的で、多くの中国メーカーがハイブリッド車や電気自動車を出品していた。
世界市場における日本車の相対優位性が急速に縮小していることや、50年もさかのぼれば日本にも多くの模倣が存在したこと、中国車と日本車とのギャップは急速に縮小されつつあることなど、はたして今日の新聞やテレビ報道に携わる人たちはどのくらい認識しているのだろうか? 日中の自動車産業政策の落差などにももっと関心を持つべきだろう。
もちろん中国の自動車技術が、世界のトップレベルと肩を並べるにはまだかなりな時間を要することは間違いない。ある中国人の学者の言葉を借りれば「10年〜15年のギャップ」ということになる。しかし注目すべきは進化のスピードだ。現在多くの中国メーカーは欧州、日本、韓国、アメリカなどのメーカーとの合弁事業を通じてクルマづくりのノウハウを着々と自分のものにしつつあるし、世界の多くの自動車部品メーカーも中国への進出に積極的だ。一方で大学における人材教育は日本の大学よりはるかに実践的なもののようだし、若者のクルマづくりに対する情熱も日本よりはるかに高いようだ。これらの視点からみただけでも、10年も待たずに現在のギャップの大半が解消されるだろう。
輸出も目下は開発途上国がメインだが、先進国への輸出にも並々ならぬ意欲を示していることは、昨年のデトロイトモーターショーへの中国メーカーの注力の度合いからも容易に推察できた。もちろん先進国への輸出拡大にあたっては、商品力や、デザインの更なる進化はもちろんのこと、安全、環境問題への対応、製造品質や耐久信頼性の向上など、多岐にわたる努力が必須であることはいうまでもないが、それらはいずれも日本車も、韓国車もたどってきた道であり、遠からず中国車が日本車や韓国車の仲間入りをして「アジアンカー」と呼ばれるようになることは間違いない。
日中政府の自動車産業に対する問題意識と対応に非常に大きなギャップを感じると述べたが、中国政府は去る3月末に「自動車産業の活性化プラン」を発表した。その3つの柱は@個別ブランドの確立、A新エネルギー車両の積極開発、B既存キャパシティーの有効活用にあり、これらによって中国自動車産業構造の再構築を行なおうというもので、国家経済に対する自動車産業の役割の大きさを認識している政府指導者たちの意思が色濃く反映されているはずだ。
個別ブランドの確立には革新技術の開発が不可欠であるとし、新エネルギー車両(ハイブリッド、プラグイン、電気自動車、燃料電池車)の積極的な開発にむけて大型の国家予算が投入されるという。新エネルギー車両の積極開発により、世界の自動車界をリードすることも視野に入れているようだ。また個別ブランドとは外資系メーカーによる中国における現地生産車ではなく、中国を起点とする新規ブランドであることが求められている。さらに今後の新規投資は抑えられ、既存設備の有効活用による中国自動車産業構造の再構築が課題として取り上げている。
デトロイト3が苦境に追い込まれた直接の引き金は経済危機にあるにしても、メーカートップの経営責任に加えて、もしもはるか以前からアメリカ政府が今日を予測することが出来たならば、企業平均燃費規制も含めてアメリカ企業の国際競争力保全のための、より有効な戦略がたてられていたはずであり、アメリカ政府の自動車産業政策の貧困さも要因のひとつと見ることができるだろう。
同様な視点から見た場合、現在の日本政府の税制、教育、インフラ、自動車文化の定着や拡大にブレーキをかける各種の社会規範への対応なども含めた自動車産業政策は無いに等しく、このままでは21世紀の後半まで自動車産業が日本の基幹産業として生き残っていけるか否かは、はなはだ疑わしいといわざるを得ない。今回のオート上海をみての感想を一言でいうなら、この点に集約することができるし、そうした前提に立った各種の対策が必須であり、この点に関しても今後もこのコラムを通じて考察を加えてゆきたい。