第11回M-BASEブログは、映画の中のミニカーその5邦画編です。
今回は邦画で登場した味わい深いクルマのミニカーを特集したいと思います。
邦画でも、クルマを題材にした映画はたくさんつくられています!
その中でも、いわゆるカルト的な映画で活躍した名車をご紹介できればと思っています。
■日本の映画とクルマ
まずご紹介するのはTOYOTA 2000GTが登場する映画「ヘアピンサーカス」(1972年/東宝)です。
原作は五木寛之氏の小説で、文藝春秋から1971年7月に刊行された短編集『四月の海賊たち』のなかに収録されています。
本の赤帯には“車と死に憑かれた可憐な少女への挽歌〈ヘアピンサーカス〉と書かれています。
今から53年前の上製本のこの単行本は560円でした。
映画の内容は、1970年代のサイケデリックな若者のファッションや漠然とした社会への反発や抵抗がカーアクションとともに語られています。筆者は、この映画のことをTOYOTA 2000GT関連の記事の中で見つけて、この美しいクルマが走っている姿が見られると思い、早速DVDを手に入れて鑑賞しました。最初はストーリーの意味が分かりませんでしたが、当時の筆者にとってこの映画の最大の目的であるTOYOTA 2000GTの走行シーンは、想像以上にスパルタンであり、楽しく観ることができました。現在は“超”がつくほど貴重になってしまったTOYOTA 2000GTをこんなに酷使して走らせるなど、今ではとてもできない芸当です。そして・・・ 映画の最期には恐ろしい結末が……。
今回、ミニカー概論を書くにあたって、しばらくぶりに引っ張り出して観かえしましたが、当時は走行シーンしか興味が無かったので、ストーリーをすっかり忘れていましたが、かなりハードな内容でナーバスになってしまいました。
1970年代はアメリカンニューシネマもそうでしたが、アウトローが主役だったり、暴力描写を扱ったり、ハッピーエンドとはほど遠い、救いようがない映画が多かったと子どもながらに記憶しています。映画「ヘアピンサーカス」も昭和の時代を象徴するバイオレンス満載なので、現代の感覚で観ると“不適切だらけ”です。
しかし見方を変えると“本気のカーアクション”は素晴らしく格好良く撮影されています。劇中でホンモノのTOYOTA 2000GTがまさにカッ飛んでいるのですから、そこは映画のスタッフが質の高い仕事をしたんだなと感じます。
まず映画の冒頭から“ドライバー目線から撮影している首都高速での2000GTのポテンシャルを存分に出すカット”は圧巻で思わず息を止めて観入ってしまいました。不適切な行為には目をつぶって観ました。それもそのはず、ホンモノのレーシングチームがカーアクションを担当しているのですから。メイキングの逸話の付録映像があるのですが、当時、この撮影は行政の許可なく行われたとのことで、今では絶対にできないと思います。首都高速や一般道を猛スピードで駆け抜ける命知らずのスタント(元レーサー)の運転技術が凄くて驚かされます。カーチェイスは夜の走行シーンが多いので、ドキドキハラハラが止まりません。
キャストも驚くほど豪華でした。当時の現役レーシングドライバーの見崎清志氏が元レーサーの教習所の講師役、TOMSを創設した舘信秀氏、カーアクションは元チームトヨタの大坪善男氏が担当していました。ヒロインはレースクイーンだった江夏夕子さん。
TOYOTA 2000GTの他、サバンナRX3やダルマセリカ、段付きアルファロメオGTやカワサキのナナハンなどが絡んでの“カーアクション”は見応えがあります。
劇中でヒロインが、2000GT を駆って繰り広げる街の走り屋との公道レースに勝つと、ドアサイドに“菊の紋章型撃墜マーク”を刻んで行くくだりは、後の“サーキットの狼”に繋がっていると推測します。
現在は、YouTubeでも観ることができるようです。
過去のブログでも書きましたが、スピード感ある漫画で大ヒットを遂げた『サーキットの狼』を再現した実写版映画がつくられましたが・・・こちらは鳴かず飛ばず・・・ 走るクルマを劇的に撮影する難しさがあったのでしょう。しかし見事に疾走するクルマを魅力的に映像化したのがこの「ヘアピンサーカス」でした。ストーリーは賛否の否の方が多いかもしれませんがカーアクションだけでも観る価値はあります。
なんと言ってもカメラワークが秀逸で見事なのです。先述した冒頭の映画が始まるシーンのカメラワークや撮影用にルーフをカットしてサンルーフにしてしまう改造を実施してルーフにセットしたカメラを使っての走行シーンの臨場感が素晴らしいです。
撮影のために貴重なTOYOTA 2000GTのルーフに穴をあけてしまったことは驚きですが、それができたのは当時のワークス(自動車メーカーが持っている)自動車レース活動をサポートしてきた大坪善男氏の会社とスタッフが、この映画の車両提供やスタントアクションを担当していたからでしょう。劇中で首都高や街中を疾走するコノTOYOTA 2000GTは、レースで過酷に使われてきた実用本位の車両だったので、スタントのためにこのような大胆な改造が実行できたのだと思います。本当に今では考えられません。ビデオの巻末にある大坪善男氏のインタビューでスタントアクションについての面白い話がたくさん語られます。
そしてこの映画の恐ろしさは、最後にTOYOTA 2000GTをクラッシュさせてしまうことです。本物の2000GTをクラッシュで横転させているのです。最初に観た時「え~っ」と声をあげてしまいました。
映像をスクリーンショットで撮ってみると、ひっくり返ったシャシから見えるオイルカバーは、“ミニカーで再現され見慣れているエンジン”であり本物です。たぶん貴重な本物の3M-DOHCではないSOHCヘッドの3M型のベースとなったクラウンのM型エンジンだと思いますが、こんなところでも、ミニカーを舐めまわすように見て楽しんでいる経験が生きています。
このシーンを観るたびに、心の底から「もったいない~!」叫ばずにはいられません。
後日談ですが、このTOYOTA 2000GTの廃車体らしきモノが1975年頃杉並の環七沿いの解体屋にあったそうです。情報を確認するとドラマ「俺たちの旅」のワンシーンで写っていました。
主役の皆さんが解体屋の車両に乗って遊んでいる後ろに見える黄色い車両!これは紛れもなく“ヘアピンサーカス劇中車”です。
偶然、このシーンに写り込んでいたようです。解体されてしまったのは、このしばらく後だったとか・・・。つくづくもったいないです。
映画に登場した 同じ2000GT でも007の劇中車は世界中で話題になりましたが、ヘアピンサーカスの車両はさほど話題にはなっていません。元レース車両のアルミボディ車なんて、もし現存し残っていれば希少だったでしょう。
劇場ではヒットしなかった映画ですが、トミカからこの映画のミニカーが出ていました。これには大変驚いて手に入れました(ミニカーにはサンルーフは空いていませんが・・・)。
■若者の心を掴んだ映画のワンシーンを彩ったクルマ
原田知世さん主演の「私をスキーに連れてって」(1987年)では、セリカGT-FOURが格好良く映画を盛り上げてくれました。
「私をスキーに連れてって」を観た当時の若者は大いに影響を受けました。アクティブな活動が流行であり、週末のスキーのために仕事しているという若者もいた時代です。異性にモテたい願望が若者を駆り立てていたということもあったと思います。
劇中ではセリカGT-FOURがスキー場を滑降します。その白いセリカが格好良かったのです。ユーミンの挿入歌にも心躍らせ、白いスキーウェアを身にまとった原田知世さんも最高に可愛かったです。
この連載を読んでくださっている方も、まさに青春をこの映画の真似をして謳歌していた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 筆者も職場が群馬だったこともあり、1時間ほどでスキー場に行けるのでよくスキーに行きました。
実はこの4代目セリカで、スポーツカーの代名詞であったFRシャシからFFシャシになってしまい、当時、筆者を含めたクルマ好きの若者は非常に落胆しました。
1986年満を持して登場したのが、フルタイム4WDのセリカGT FOURでした。この映画での活躍だけではなく、1988年にはラリーに登場し、筆者も心躍りました。1990年にはカルロス・サインツがドライバーズタイトルを獲得し日本車がWRCラリーで暴れまわるスタートになりました。ちなみにSUBARUインプレッサWRXは1995年、1996年1997年と3年連続マニュファクチャラーズチャンピオンに輝きました。1995年はコリン・マクレーがドライバーズチャンピオンも獲得しダブルタイトル獲得でした。
セリカは登場以来“TOYOTAデザインのトレンドセッター”という役割を担っていました。デザイントレンドの大きな変化はセリカがトップバッターで登場しました。この1985年発表の4代目セリカのデザインは、それまでの四角くパキパキだったエクステリアデザインを大胆にチェンジさせる“流面形”と名づけられた素晴らしく魅力的なフォルムで登場しました。ちょうど筆者は大学4年生で、このデザインに衝撃を受けました。そしてフォルムだけでなく、この魅力的な造語“流面形”にもハートを射抜かれました。意味は「なめらかな岩の周囲を流れる水流のように、外板面をスムーズでダイナミックな面で構成したスタイルのことで、空力特性の追求から生まれたまったく新しいデザインコンセプト」と当時語られていました。リトラクダブル式ヘッドランプを採用した空力処理はフラッシュサーフェイス化の効果でCD0.31を誇りました。
流面形の特徴を一番表現したのは、フロントとリアのフェンダーデザインで“ねじれ面”が使われ動きを出していました。コロナクーペにも流面形が採用されスタイリッシュな兄弟が生まれます。セリカはハッチバックとリトラクタブル式ヘッドライトを採用して若々しいデザイン、コロナは2ドアクーペで固定式ヘッドランプを採用して大人の雰囲気を醸し出し、差別化されました。
そして、前述したとおり、この4代目セリカからFFシャシが採用されます。数多くスポーツカーを生産していた欧州のプレミアムカーはFRが定番であり、86カローラレビンが名機4AGエンジンとともにドリフトカーとして若者の心を掴んでいた時代でもあり、TOYOTAのスポーツカーの代名詞であるセリカが大衆車と同じ横置きエンジンのFFになってしまったことは当時衝撃的な出来事でした。デザインは素晴らしく格好良いのですが・・・。
そのような背景の中、満を持して翌年1986年に、FFにドライブシャフトを加えたフルタイム4WDが登場!“セリカGT-FOUR”とネーミングされ、「私をスキーに連れてって」に登場し、映画の大ヒットとともに販売も大成功します。
雪や悪路に強いGT-FOURは、1988年ツールドコルサでグループAラリーに参戦し、1989年オーストラリアで、ユハ・カンクネンが初優勝。その後はカルロス・サインツが活躍します。流面形のエレガントなデザインがラリー化で武装された姿も魅力的でした。
■「蘇る金狼」に登場したのは世界に3台しかないウォルターウルフのカウンタック1号車
「蘇る金狼」は“松田優作”の人気絶頂時に作成されたハードボイルド映画。この中で松田優作はカウンタックに乗っています。神宮外苑を走るシーンはドキドキします。登場する深紅のカウンタックは、当時人気だった僧侶でタレントの織田無道氏のクルマだったとのこと。
■第74回カンヌ国際映画賞を受賞した「ドライブマイカー」のサーブ900ターボ
第74回カンヌ国際映画賞の他、第94回アカデミー賞では国際長編映画賞を受賞した「ドライブマイカー」では、サーブ900ターボがストーリーの中で良い味を出していました。原作は村上春樹氏の短編です。映画の監督・脚本は濱口竜介氏で、主演は“西島秀俊”。原作は読まずに映画を観たのですが、ストーリーは面白くあっという間の3時間でした。サーブ900ターボに話を戻すと、映画では赤の2ドアクーペ。西島秀俊がリヤシートに乗るのですがフロントシートを倒して乗り込みます。なぜ4ドアにしなかったのか?やはりサーブの2ドアクーペのリヤガラスからヒップにかけてのデザインの美しさに監督がこだわったのだと思っています。
原作もサーブなのですが、黄色のコンバーチブルなのです。クルマの中でタバコをくゆらせるのですがサンルーフを開けて煙草を上に突き出す映像が結構印象に残るので、コンバーチブルではオープン過ぎてそれができないので2ドアクーペにしたのかとも思ってしまいました。
村上春樹さんもクルマ好きで小説の中に様々なクルマが登場します。『騎士団長殺し』ではナント、“白いフォレスターの男”が登場します。これはメタファー(主人公の意識の中に存在する偶像)的な存在であり、『ノルウェーの森』のヒツジ男の生まれ変わりです。前述の白いフォレスターの男のフォレスターは、リヤドアにスペアタイヤを背負っていると言う設定なのですが、そのようなフォレスターは存在しないのです。夢の中なので何でもありなのでしょうか?気になってちょっと調べてみたら、村上春樹氏のインタビューの中で「米国旅行中にこの仕様のフォレスターを見たんだ」と言っていました。アメリカ人だとワンオフでつくっていそうなので、あながち空想の産物ではないかも知れないと思った次第です。
筆者の場合、映画の内容よりつい素晴らしい活躍をするクルマたちが心に残ります。映画を観たあと、パンフレットではなくミニカーが欲しくなってしまうのは、きっと筆者だけではないと思っています。