2000年代に突入して小型車のトップメーカー、トヨタと日産の新車開発も自社の独自性を強調するようになり、バンおよびミニバン系の開発車両達も同様で、トヨタは「従来にない全く新しい形態車を」、日産は「従来モデルをベースにした新形態車を」をデビューさせてゆく。
1986年の3代目になったキャラバンE24型の登場時は乗用のシルクロード系がトップモデルだったが、2001年に4代目となるE25型になると、1および4ナンバー貨物、2ナンバーのマイクロバスのみに集約させての登場だった。しかし売れ筋の乗用モデルがないとセールスしにくいと、2003年5月にマイナーチェンジ。乗用車グレードに8人乗コーチ「シルクロード」を復活追加する。
E25型のシルクロード系は、撥水ラゲッジフロアやセカンドシート取り外し機能、セカンド/サードシートロングスライド機能などの多彩なアレンジを可能にし、レジャーに適した室内空間を演出していた。安全装備としてデュアルエアバッグ、ABS、ロードリミッター&プリテンショナー付きシートベルトなど装備しての登場となった。
ルノーとの提携で乗り込んできたカルロス・ゴーンによる日産リバイバルプラン(生産拠点集約化=リストラは)村山、座間工場閉鎖など話題に、その余波を受け戦前から航空機のプロペラ、戦後にダットサンピックアップなど担当した旧新日国工業(後の日産車体)の京都工場(オートワークス京都に社名変更)は、キャブオールのマイクロバス、キャラバンなども担当してきた。だが2001年3月末をもって、量産キャラバンの日産車体京都工場での製造を終了、湘南工場に移管されて独立路線をゆくことになる。
1982年に登場したミニバン系日産プレーリーにも終焉がみられた。初代プレーリーM10型はサニーB12型やバイオレットをベースに、まさに無骨ともいえる角形フォルムの新感覚ミニバンスタイルを提唱した進化型モデルだった。時代の要請により、1985年にはCA20S型エンジン搭載車を登場させた。人気も出だして、1988年9月にブルーバードをベースに、ウエッジシェイプスタイルの2代目プレーリー(後にプレーリージョイ)M11型に。1998年には一般的な乗用車的フォルムの3代目プレーリーリバティ M12型となり、パワートレインやサスペンションをW11型アベニールと共用、キャッチコピーは「パパママリバティ」となる。
2001年5月には直4 DOHC SR20DE型エンジンを搭載、車名からは「プレーリー」が消滅し、「リバティ」の単独ネームに変更。車名ロゴも「Liberty」から大文字の「LIBERTY」となった。
2004年5月にトヨタ店向け(大阪地区は大阪トヨペット)、かつ日本国内市場専用の“新生ミニバン”が登場。名称はアイシス……英語での意味は「古代エジプト豊穣の女神の名」のこと。トヨタでは「乗る人すべての心を豊かにするクルマ」という意味を持つと説明。生産は関東自動車東富士工場(後のトヨタ自動車東日本東富士工場)が担当した。
トヨタアイシス最大の特徴は助手席側に「パノラマオープンドア」を採用し、左側2つのドアの間にセンターピラーのない、前後幅1890mmの広い開口部が現れるのことだった。この特徴的な機構に合わせてか、1番目シートは助手席がタンブル(可倒)シート、2番目シートはチップアップ(座面跳ね上げ)機構付き、3番目シートは床下格納機構付きなど、用途に応じて多彩にアレンジできるように工夫されていた。
エンジンは可変バルブタイミングのDOHC直噴(D‐4)の2.0L(1AZ-FSE型)+無段変速機SuperCVT-i、1.8L(1ZZ-FE型)は4速ATの SuperECTで前輪駆動(FF)と4WDを設定。さらに2009年9月からエンジンを変更、バルブの開きではなく、リフト量を変えるバルブマチック付きエンジン(1.8Lの2ZR-FAE型、2.0L車は3ZR-FAE型)に換装し、燃費を向上+CO2削減+低燃費+出力1割アップを実現。加えて最高峰スポーティモデルのプラタナには7段シーケンシャルシフトを採用していた。
さらには「進行方向において障害物に接触する可能性がある場合に、ウォーニングで知らせる、世界初のステアリング感応式クリアランスソナー」をオプションで用意して、安全面で最も配慮しての登場だった。そして発売からなんと! 13年にわたりモデルチェンジされず、トヨタの乗用車ラインナップでは、単一車種としてロングランを続けたモデルとなった。
ドアにこだわり、2004年7月に登場した“新コンセプト”車がトヨタポルテであった。初代ヴィッツのプラットフォームをベースに、ホイールベースを230mm延長し2600mmに、車高1720mmのミニバンシルエットのボディの5人乗り。生産はトヨタ高岡工場とダイハツの京都工場で、搭載エンジンはガソリン1.3リッター(2NZ-FE型)と1.5リッター(1NZ-FE型)。発売当初は前輪駆動(FF)のみだったが、2005年12月に4WDが追加された。
ポルテ最大の特徴は、車体左側中央部に設けた間口の広い(1020mm)電動スライドドアと、ノンステップバスと同等の、地面から300mmと低いフロア高。PORTEはフランス語で「扉」「ドア」の意味……大開口ドアにちなんだ名称といえる。低くてフラットなフロアは人の乗り降り、荷物の積み下ろしも便利で、スライド幅750mmの助手席や、前席を引き起こしてフロアスペースを広げる後席のシートクッション、分割可倒式の後席シートバックなどにより、室内は用途に応じた多彩に使えた。
ポルテは福祉車両(ウェルキャブ=トヨタ福祉車両シリーズの名称)への適応性が高く、広いドアを活用したサイドアクセス車、助手席リフトアップシート車などを用意。前者は助手席位置に脱着シートまたは専用車いすで乗車可能。2006年9月には、ウェルキャブに、運転席がリモコン操作だけで助手席位置へ移動し、そのまま車外へ移動して降車することが可能な「ウェルドライブシート」仕様を設定。その後もウェルキャブに対する機能の充実を図った。ポルテは2012年7月に2代目となり、運転席側にリヤドアを設けて前後2ドアにしたことで、実用性が格段に向上した。
1998年6月登場の初代日産プレサージュ(PRESAGE)U30型は栃木工場で生産された。ルネッサをベースとしたため、やや高床フロアとなっていた。後ドアは前ヒンジドアを採用し、セドリックやグロリア等高級車から乗り換える50代から60代の中高年層もターゲットとしたとされる。プレサージュはN30型ルネッサをベースに「高級セダンから乗り換えても充分な満足感を得られる上質な車格感」をアピール。オデッセイの対抗車として設計されたもの。
プレサージュは、2003年7月に2代目 U31型にモデルチェンジ、九州工場で生産された。ティアナなどのセダンにも用いたFF-L低床プラットフォームを採用した。オデッセイの対抗とし後ドアにようやく両側スライドドア採用、リヤゲートにはガラスハッチを採用。2列目助手席側のシートは横へスライドさせることができ、キャプテンシート2人掛けとベンチシート3人掛けとを使い分けることができた。
月間販売目標台数は5000台とされ、エンジンはV6の 3.5L VQ35DE型+エクストロニックCVTと、直4は 2.5L QR25DE型+4速AT。当時日産製RVに多かった、前輪のみベンチレーテッドディスクブレーキ仕様が、全輪ディスクブレーキ仕様にグレードアップされたのも大きな進化だった。2004年10月に日産は、プレサージュ全グレードの内装および装備を変更。フロントグリルのメッキ化など、ハイウェイスターの外装を一部変更したほか、オーテックジャパンによる特別仕様車「ライダーS」を追加設定する。
ここで紹介するプレサージュのカタログは2004年10月発行のもの。この後2006年5月のマイナーチェンジで、エンジンの静寂性が向上、初の海外販売として香港に輸出が行なわれ、追ってシンガポールへも輸出が開始された。
こうして、2000年代初頭のトヨタと日産のバン系の歩みを見てきたが、“自由な感じの前者”と“諸条件に苦しめられた後者”の動きがよくわかる開発の時代といえた。