1937 Datsun Type 16 Sedan
<日産自動車・2>(続・戦前のダットサンType15~17)
戦前のダットサンのタイプは、①1931~33「10~12型」(平面ラジエター)、②1934~35「13~14型」(ハート型ラジエター)、③1936~38「15~17型」(縦型ダットサン式)の3つに大別される。1935年(14型)からは横浜新子安に新工場が完成し「ベルト・コンベア」による量産が可能となった。僕が戦前から戦後にかけて、実際に街中で実用車として見たものは、生産量の多かった1936~38年の「15~17型」だった。
(参考08-a~g)1936 Type15の特徴
・「グリル」の基本形は3年間同じだが「15型」と「16型」は全く同じで中央の縦の支柱が非常に細く「17型」は縦の支柱が太くなる。「15型」のみ向かって右上に白いバッジがある。
・「15型」のマスコットは単純化され横一本棒に見える。「16,17型」は全く同じで、長い耳が後ろになびいているもの。
・サイドルーバーの2本のクロームラインが、内側に寄っているのは「15型」と「17型」で、「16型」は外側に開いている。
・これらを組み合わせて年式を判定するのだが、「15,16型」は縦の支柱が細く、クランクでエンジンをかける際破損しやすかったようで、支柱の太い「17型」や「トラック」から転装されているケースが多い。
(写真08-1a~d)1936 Datsun Type 15 Srdan (1957年 静岡市紺屋町/中島屋旅館横)
(参考)転用された1938年「Type17」のオリジナル・グリル
オリジナルのまま実用で大切に使われてきた「オールド・ダットサン」の現役時代最後の姿だ。僕が子供のころ同じ町内のお医者さんに有ったのと同じ黒いセダンだが、その車は空襲で焼けてしまった。当時は車には運転手さんが必要で、いつでも往診できるようガレージの横には運転手さん一家が住んでいた。写真の車のラジエターグリルは中央の縦の支柱が太いのは「17型」(1938)で、サイドルーバーのクロームラインが内側寄りなのは「15型」「17型」共通、マスコットは「15型」が付いている。この中で一番取り換えにくい部品はマスコットだと思うので、グリルが改装された「15型」と判定した。ホイールキャップのオリジナルは3段段付きだが、段の無い戦後型が付けられている。
(写真08-2a)1936 Datsun Type 15 Sedan (1958年 静岡市内)
この車は既に車検は取っておらず、仮ナンバーが付いているから実用車としては最晩年の姿だろう。可成り疲れた姿だが立派に実用車の役を果たしている。昭和30年代の初め頃は国産車の進出が始まり、急速に古い車が姿を消していった。
(写真08-3a~e)1936 Datsun Type15 Sedan (1970-04 CCCJコンコール・デレガンス/東京プリンスホテル)
ここからは趣味の対象として大切に保管された車が登場する。この車のマスコットは「16-17型」、サイドルーバーは「16型」で、グリルが「17型」なので、グリルを変えた「16型」としたいところだが、本人の申告が「15型」とあるのでそれに従った。
(参考08-4)1936 Datsun Type15 Phaetom (オリジナル )
(写真08-5a)1936 Datsun Type15 Phaeton (2001-08 河口湖自動車博物館)
「Type15,16,17」のフェートンは非常に似ている。識別ポイント「通風孔」の内側寄りは「15,17」共通だが、「ドア」は前ヒンジの「16,17」に対して、この車は後ヒンジなので「15型」と判定した。
(写真08-6abc)1936 Datsun Type15 Phaeton (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)
「日産ヘリテージ・コレクション」に展示されていたこのくるまの案内版には1936年「ダットサン15型フェートン」とあった。しかもグリルについては「左上に四角いバッヂが付いたのが15型の特徴」とわざわざ説明しているがこの車にはそれは見えない。もしかするとこの時はオリジナルの代わりにこの車が入っていたのかと疑いたくなる。サイドルーバーは「15、17型」、マスコットは「16、17型」、グリルは中央の縦ラインが太いので「17型」と言いたいが、バッヂが縦長なので戦後のトラック「T20」か、1952「スポーツDC-3」に似ている。メーカーが公式に展示するものは、見学者としては「オリジナル」と信じたいので、改造されたものは展示しないか、改造箇所を明示してもらえるとありがたい。
(写真08-7ab)1936 Datsun Type15 Phaeton (1977-08 千葉クラシックカークラブ・パレード/千葉市内)
この車は色々なイベントでよく見かけたオールド・ダットサンで、プレートには「B15形ダットサン1930年」とあるが、TACSミーティングでの本人の申告による年式を手元のリストで確認したところ、1977、78、80年は「1930」、1986年は「1933」、1981、82年は「1935」、1979、84、85、87年は「1937」とあり、年式が定まっていない。1938年式のグリル付ではあるが「B15型」「722cc」のデータを信じ、サイドルーバーと前開きのドアであることから、本人の申告には無かったが「1936年型」と判定した。
(参考08-8a) 1936 Datsun Type15 Roadster (オリジナル)
(写真08-9a~d)1936 Datsun Type15 Roadster 102015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)
この車も「日産ヘリテージ・コレクション」の展示車で、「1936年ダットサン15型ロードスター」と説明されているが、「15型」ならグリルの中央の縦バーは細く、向かって右上に四角いバッヂがある筈だ。太い縦バーは1938年「17型」ではないかと思われる。マスコットは見たことの無い形で、1952年「T20」トラックに似たものを発見したが、1939年のパーツリストにスケッチがあるので戦前から存在していたことは確かだ。オリジナルかどうかは不明。
(参考08-10a~d)1936 Datsun Type15 Coupe
「Type15」のクーペは戦後撮影された写真は見たことが無いので、多分実物は現存していないのだろう。資料では確認していたが映像の確認がなかなかできず、やっと見つけたのがこの4枚の写真だ。ドアが前開きで、フェンダーからステップにかけてはセダンと共通のように見えるので、よく知られた「Type16」とは全く別物と思われる。
(参考09-0ab)1937 Datsun Type 16 グリル、マスコット
グリルは「15型」と変わらず中央の縦バーが細い華奢なタイプだが、向かって右上にあった四角いバッヂは無くなった。マスコットは「16、17型」共通の長い耳が後ろに流れたものに変わった。
(写真09-1a~f)1937 Datsun Type16 Sedan (2007-04 トヨタ自動車博物館/名古屋)
「トヨタ自動車博物館」に展示されていた「16型」セダンで、一点非の打ちどころが無い完璧な姿だ。
(写真09-2abc)1937 Datsun Type16 Sedan (2004-02 東銀座/日産本社・当時)
こちらは「日産本社」ショールームの「15型」セダンで、こちらもほぼ完璧な姿だが、前後ともバンパーガードが付いていない。
(写真09-3a~d)1937 Datsun Type16 Sedan (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンスホテル)
3番目に登場するこの車は個人の所有する車だが、オリジナルとしては「日産本社」の車より良いかもしれない。残念なのはマスコットの兎の耳が折損しており、スペアタイヤのキャップが別物だが、それ以外はバンパーガードにいたるまで、全てオリジナルが保たれている。ピカピカにレストアされた感じではないので、大事に使われた車を綺麗に磨いたという印象だ。特に感心したのは繊細なグリルが1本も曲がっていないことだ。
(写真09-5ab)1937 Datsun Typr16 Phaeton (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンスホテル)
本人申告は1937年となっており、グリルが1938年「17型」に変っている以外は、1937年「16型」のオリジナルが良く保たれている。
(写真09-7a~d)1937 Datsun Type 16 Roadster (1957年静岡市内/青葉公園)
昭和30年代前半は、古いダットサンも趣味の対象としてよりも、実用車としてお役目を果たしていた。しかしそれは「セダン」と「トラック」に関してのことで、「ロードスター」は新車当時から趣味性の高い、滅多に見られない車だから戦災を逃れたこの車も大切に保管されてきたと思われる。
(写真09-8a)1937 Datsun Type16 Roadster (2001-08 河口湖自動車博物館)
繊細なグリルが全くオリジナルに保たれ、全体に非常に良いコンディションだ。
<1965~2016 長島子之吉さんの車を追って53年>
「5む1244」のナンバーを持ち続けるこの車に最初に出会ったのは1965年の事だったから、今から59年も前の事だ。最後に撮影したのは2018年で、その間14回も写真を撮った。基本的には良好なコンディションを維持され続けているが、気を付けてみると、細かい点に変化がみられるので、同じような写真の羅列に見えるがどこが変わったか探してみてください。
(写真09-9a~n)1937 Datsun Type16 Roadster
①(写真09-9ab)最初に出会ったのが1965年11月のこのイベントだった。「日本クラシックカークラブ」主催のコンクール・デレガンスで、池袋の「西部百貨店本店」の屋上で開催された。
②(写真09-9cde)次は3か月後の1966年2月、テレビ局の「なんでも100年」と言う番組で、世田谷区の駒沢公園に集められたクラシックカーは、戦後日本に来た「ベンツ」「ロールス・ロイス」「ブガッティ」の3台を除いては戦前から日本にあって戦火を逃れて生き延びた車たちだ。
③(写真09-9f~j)1970年4月「CCCJ」(日本クラシックカー・クラブ)が東京プリンスホテルの駐車場で開催した「コンクール・デレガンス」に参加した際撮影した。「ダットサン・タイプ16」のグリルは繊細で壊れやすく、この車も「タイプ17」のものと変えられているようだ。正面写真の右側に写っている「セダン」のグリルがオリジナルだ。①と較べるとグリル中央の縦バーににあった「バッジ」が見あたらない。
④(写真09-9k)4回目は1979年1月「TACS」(東京自動車クラブ)が主催した第6回クラシックカーフェスティバルで、東京タワー近くの「東京プリンスホテル」で開催された。フル・オープンの車に乗っている人物が誰かは僕には判らない。
⑤(写真09-9lm)1981-01 第10回「TACS・ニューイヤー・ミーティング」
1976年からはカラーフィルムを併用し始めたが、コストの関係もあり全面的に切り替えたのは1980年からだ。カラーになったお陰でこの車の色がわかる。グリル縦バーのバッジは戻った。
⑥(写真09-9no)1982-01 第13回「TACS・ニュユーイヤー・ミーティング」
この車の案内板に「定員3名」とあった。+1名は後のトランクを開けると「ランブルシート」と呼ばれる予備シートが現れる。荷物を積むトランクの場合は前ヒンジで開くが、ランブルシートの場合はその反対なので、シートが開いていない場合でも見分ける手掛かりとなる。写真の角度では見えないが、左後フェンダーに乗り込むためのステップが付いている。
⑦(写真09-9pq)1984-01 第18回「TACS・ミーティング」で、明治神宮絵画館前の会場から外へ出て、都内のパレード走行に参加中。
⑧(写真09-9r~u)1987-01 第27回「TACS・ミーティング」では、グリルの向かって右上に白い四角のバッジが付いた。これは1936年「タイプ15」のスタイルで、「タイプ16」のオリジナルには反する。このオールド・ダットサンは、前年の1986年「グレート・アメリカン・レース」と言う「カリフォルニア」から「ニューヨーク」までの大陸横断レースに挑戦した。長距離移動が前提で造られ余裕で走る欧米の車に対して、頑張っても高速道路の最低速度が精一杯の「ダットサン」にとってはあまりにも過酷で、途中で左後輪のリーフスプリングが折損し、針金で補強してみたが残念ながらリタイヤした。しかし正面グリル下の「バッジ」と、リアに張られた「ステッカー」はレース参加の証だ。
⑨(写真09-9v)2010-07 第4回「東京コンクール・デレガンス」がお台場の「塩浜公園」で開かれた。前回撮影してから23年経過した。この間に2004年からはカメラは完全に「デジタル」に変っている。長い間この車を撮影してなかった理由を調べてみたら、前回撮影した翌年の1988年から89,90,91の4年間は、車は「TACS」イベントに参加していたが、この車は毎回撮影しているので僕の関心が薄れたようで対象外だった。88,89年は別の車の隣に写っていたが、90,91年はプログラムで確認したのみで写真は見付からなかった。1994年からは僕が海外のイベントに重点を置いたため、国内ではモーターショーのほか撮影していなかった。そして、クラシックカーを展示する場も形を変え新しく色々な主催者が出始め、数少ないイベントだった「TACS」はいつの間にか消えてしまった。そんな訳で次に現れたのがこのイベントだった。外見では橙色のターンシグナルが前後に追加されたのは、オリジナルではないが安全運転のための必要措置としてはやむを得ないだろう。戦前の車は曲がるときには「腕木式方向指示器」(セマホー)で意思表示をした。点灯した赤いバーが水平に出て知らせる方式だ。僕らが子供の頃は「アポロ」と呼んでいたが、実はメーカーの名前とは知らなかった。点滅しないので目立たないこともあるが、現代の若者がこれの存在すら知らない場合は役目を果たさないから、現代風の「点滅式方向指示器」が必要なのだろう。この車は1986年に続いて、翌87年再度「グレート・アメリカン・レース」に挑戦した。この時も途中でアクシデント(確か冷却ファンが吹っ飛んだ)に見舞われたが、時間切れながら何とかゴールインしたように記憶している。後のステッカーは殆ど同じに見えるが「1986」が「1987」に変わっているので新しい物と張り替えてある。
⑩(写真09-9w)2011-10
⑪(写真09-9x)2014-04
⑫(写真09-9y)2015-04
⑬(写真09-9z)2016-04
⑭(写真09-9z2)2018-04
この5枚の写真は2011年から始まった「ジャパン・クラシック・オートモビル」と名付けられたイベントで撮影されてもので、「日本銀行旧舘前」から「三越本店横」(江戸桜通り)にかけて展示される、「日本クラシックカー・クラブ」が選定した本格的なクラシックカーの集まりだ。「5む1244」のロードスターは既に「完成」の域に達したのか外観の変化は見付からない。
(参考09-10)1937 Datsun Type 16 Coupe (オリジナル)
(写真09-10abc)1937 Datsun Type16 Coupe (1981-01 TACSミーティング/神宮絵画館前)
戦前の「ダットサン・クーペ」で最も有名なのがこの車だ。初登場した時、インスタント・ラーメンを連想する「札幌いちばん」のナンバープレートが話題を呼んだ。戦前のダットサンと言えば「黒塗りのセダン」しかイメージ出来なかったから、この小洒落た「クーペ」は衝撃的だった。スペアタイヤに書かれている「1938年17型」は誤りで、38年型クーペは存在しない。グリルの白いバッジはノンオリジナルだ。
(写真09-11a)1937-Datsun Type 16 Coupe (2001-08 河口湖自動車博物館)
河口湖自動車博物館に展示されていたこの車は、残念ながら展示の都合で後姿が撮影できなかったが、素晴らしいコンディションでオリジナルを保っている。「白」と「ブルー」の2トーンが市販されたかは定かではないが、オーダーは可能だったようだ。
写真09-12a~e)1937 Datsun Type16 Coupe (2015-04 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)
日産自動車が所有するこの車は完璧にオリジナルに修復されていると見て良いだろう。戦後ノン・オリジナル・パーツを使って生き延びてきた車たちを、オリジナルに戻す作業を行っている、と何かで読んだ記憶があり、この車もその1台だろう。日産に在籍したデザイナー「富谷龍一氏」は1908年生まれだから当時は30歳前だったが、他の市販車とは全く異なったモダンなスタイルは「ステップ」が嫌いだった富谷氏のデザインだろう。この車はガソリンの給油口が高い位置にあり、「札幌いちばん」とは別の車だ。
(参考10-1a)1938 Datsun Type17 Sedan (オリジナル)
(写真10-2a)1938 Datsun Type17 Sedan (1957年 静岡市内)
僕らが子供の頃街で見た「サットサン」と言えば、すべてがこのクルマのような黒塗りの箱型だったからこの写真にはとても親しみを感じる。当時はグリーンやブルーや赤に塗られた「ダットサン」があるとは思わなかったし、ましてやクーペやロードスターなんぞと言う洒落た兄弟があるとは考えもしなかった。戦前、子供の知識は自分の目で見たものがすべてだった。既に仮ナンバーで現役としては残り少ない最後の姿だが、車としては良い外観を保っている。
(写真10-3a~e)1938 Datsun Type 17 Sedan (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンスホテル)
(写真10-4abc)1938 Datsun Type17 Sedan (1984-01 TACSミーティング/明治公園)
(写真10-5ab)1938 Datsun Type17 Sedan (1985-01 TACSミーティング/明治公園)
この3台はクラシックカー・イベントに参加した車で、既に趣味の対象として大切にされているものだから、良いコンディションが保たれている。「Type17」のグリルは華奢で壊れやすかった「15,16」と違って中央部の縦バーが太く丈夫になったから、何れもオリジナルが保たれている。「ライトグレー」の塗装は特に好ましい。
(写真10-6ab)1938 Datsun Type17 Sedan (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)
日産の「ヘリテージ・コレクション」に展示されているこの車も完全にオリジナルの状態だ。僕が子供の頃町内のお医者さんにあったのも黒いセダンだったから懐かしい。
(写真10-7ab)1938 Datsun Type17 Sedan (2019-05 林コレクター収蔵庫/大宮)
この車は個人コレクターが保管中のレストア待ちの車だ。2トーンでドア、屋根、通風孔のみオリジナルの「ライトブルー」だが、その他の「茶色」の部分は塗装のための下塗りと思われる。グリルはトラックから転用した物かもしれない。
(参考10-8a)1938 Datsun Type17 Phaeton (オリジナル)
(写真10-9ab)1938 Datsun Type17 Phaeton (1959-08 静岡市役所前)
既に「ダットサン」が走っていることが信じられない昭和34年夏、静岡市内で偶然見つけたのがこの車だ。ボディには「日本一周のツモリ」と書いてあり、これまでに東京-横浜-小田原-清水-静岡と走破している。高速道路ができる以前だから国道1号線(旧東海道)を延々と走って来るわけで、当然箱根峠も超えているだろうが、車検付きだからそれなりのコンディションの筈だ。後ろのスペアタイヤには「お先にどうぞ!!」とあり、老骨をいたわりつつ、のんびりと東海道を西に向かった筈だ。
(写真10-10a~d)1938 Datsun Type17 Phaeton (1962-03 六本木付近)
実用車として街で見かけた最後の「ダットサン」だ。まだ車検付きで、ライト類の追加は別として、全体は良い状態だ。冬場の寒い時期なので屋根の他に防寒用の窓も付いているのは珍しい。(ビニール製のようなので戦後造られた物だろう)
(写真10-12a~d)1938 Datsun Type17 Phaeton (2005-03 東銀座/日産本社ギャラリー・当時)
この車の説明では「クーペ」も造られたように書いてあるがダットサン全般の話で、「type17」にクーペは無かったと思われる。資料も写真も全く見つからなかったからだ。戦前のダットサンは1938年(昭和13年)を最後に乗用車の生産は終了している。(前年から日中戦争が始まっている)写真の車は追加された「フォグランプ」と「ホワイトタイヤ」がオリジナルではないが、もう一つ「ラジエターグリル」の中央バーは、オリジナルはボディと同色で塗装されている(前出セダン参照)ので、メッキのこのグリルは1952(T20)トラックのものかもしれない。
(写真10-13ab)1938 Datsun Type17 Phaeton (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)
この車もグリルの中央バーがメッキされておりオリジナルではない。バッジが丸型で前項の物とは異なるところから1936~39年の「T15」トラックの可能性もあるが確証はない。ナンバー付きで旧所有者は「成城大学自動車部」とあった。
(写真10-14abc)1938 Datsun Type17 Phaeton (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)
この車は案内書の記載に従って1938「Type17」のところに嵌めてしまったが「グリルの細い中央バー」「通風孔のメッキラインが外寄り」「ドアが前ヒンジ」と、全てが1937「Type16」の特徴を満たしており、案内が記載相違か車の入れ違いのどちらかだ。
(参考10-15a)1938 Datsun Type17 Roadster (オリジナル)
(写真10-16a)1938 Datsun Type17 Roadster (1958年静岡市江川町通り/とんかつ蝶屋前)
既に仮ナンバーではあるが立派に実用車として街を走っている。コンディションとしてはまずまずの状態だったがホイールキャップはオリジナルではない。背景の店は静岡に初めて出現した「とんかつ屋」で、出来たばかりの頃学生だった僕は兄貴に連れて行ってもらったことを懐かしく思い出す。
(写真10-17abc)1938 Datsun Type17 Roadster (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)
この車も日産が所有している車だが、「グリル」がオリジナルではないようだ。戦後のトラック系と似ている様だがバッジが違うので確証はない。「17型」のグリルは、戦前のダットサンとしては一番多く残っていると思うのだが、なぜ展示車をオリジナルに近づける努力をしてくれないのだろう。
(写真10-18 abc)1938 Datsun Type17 Roadster (2017-10 日本自動車博物館/小松市)
ボディと共色で塗装されたグリルの縦バーがオリジナルだ。
(写真10-19abc)1938 Datsun Type17 Roadster (2019-05 林コレクター収蔵庫/大宮)
コレクターのバックヤードでレストアを待つ「ロードスター」。コンディションは別として、ホイールキャップ以外は完全にオリジナルを備えており、修復後が楽しみだ。ホイールキャップは走行中に紛失してしまう事が多いようで、オリジナルを備えている方が少ない。
< トラック >
(参考11-1ab)1935 Datsun Type 14TA/14TB Truck(オリジナル)
「Type14T」トラックには2種のボディがあり「A」はドアのみでガラスなし、「B」はガラス付きドアだった。トラックのボディは「エンジン・ルーム」と「フロント・ガラス」の間に殆どスペースがとられていないから、運転席の足元は非常に狭かった。
(写真11-2abc)1936 Datsun Type14TB Truck (2017-11 日本自動車博物館/小松市)
トラックは実用的な「道具」として扱われて使い捨てにされ、趣味の対象として保存されることは殆どない。だから戦前のトラックで現存するのは極めてまれだ。物置の奥に忘れられていたものが発見されるくらいではないか。写真の車は戦前の「ダットサン・トラック」としては現存する最古のものだろう。
(写真11-3a~e)1937 Datsun Type16T Van (1977,78-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
(参考)ステップ・レスの似たようなライトバン
戦前のライトバンはシャシーで販売され、ボディは購入者の指示によって下請け業者によって架装された。それらは「動く看板」としての役割も持っていたから、独自の形を注文することも可能だった。写真の車も乗用車では裾を引いてステップをもつフェンダーが、「クーペ」と同じようにステップ・レスになっている。「日本自動車中野工場」で造られたらしく他にも何台かの「ステップ・レス」の写真が見つかった。
(参考11-4a)1936~9 Datsun Typew15T Truck(オリジナル)
(写真11-5a)1937 Datsun Type17T Truck (1991-01 JCCAミーティング/汐留)
トラックについては資料が少なく外見は参考の「15T」と変るところはないが、年式・型式は本人申告に従った。
(写真11-6a)1938 Datsun Type17T Truck (1988-01 TACSミーティング/明治公園)
乗用車は1938年(昭和13)で生産が終了したが、トラックについては引き続き1939年間まで生産された。写真の車のグリルは戦後の「1952年」のものだが、ボンネットサイドの通風孔が戦前型なので、これも年式・型式は本人申告に従った。
< 改造車 >
(写真12-1abc)年式不明 Datsan(改) MG TD風 (1962-01 渋谷駅付近)
1960年代中頃街中で見かける憧れのスポーツカーは「MG」で、格好いい車は子供にとっては全て「エムジー!」だった。この車を改造した人も「MG」に憧れた一人だったのだろう。性能はともかく見た目はダットサン・ベースでよくここまでやったと称賛したい。特に後ろ姿は満点だ。ラジエター・グリルの幅がもう少し細く出来なかったかと残念だ。
(写真12-2a~d)1937 Datsun Type16 (改) Phaeton (1966年 北区王子5丁目/庚申通り)
外国製のスポーツカのように見えるこのクルマは、よく見ると「ダットサン」だ。前ヒンジの「フェートン」は37年と38年だけだが、グリルの中央の縦棒が細いので37年と推定した。前後フェンダー、リア・トランク周りが改造され全長が少し伸ばされている様だ。
―― 次回は「戦後からブルーバード迄」を予定しています ――