第2回 1995年/NISMO開発のニューマシン「R33 GT-R」を投入

2024年6月27日

1994年に開幕した全日本GT選手権(JGTC)では、影山正彦がR32 GT-Rを武器にドライバー部門で初代チャンピオンに輝き、同じく影山正彦の1号車「カルソニックスカイラン」を投入したHOSHINO RACINGがチーム部門でチャンピオンを獲得するなど、まさにNISMOがサポートするニッサン勢が国内のGTレースで猛威を発揮していた。そして、翌1995年の同シリーズでもタイトル争いの主導権を握ったのはニッサン勢だった。

設立2年目を迎えた全日本GT選手権には、1993年の全日本GT選手権レースより活動を行ってきたニッサン勢に加えて、TOYOTA TEAM TOM’Sやトヨタチームサード、TOYOTA TEAM CERUMOなど、トヨタ系の主力チームがトヨタ・スープラ(JZA80)で正式参戦を開始した。さらに国内の名門チームがフェラーリF40、ポルシェ911GT2を投入するなど、より激しい競争が予想されていたことも影響したのだろう。このハイレベルな戦いに備えて、ニッサンのワークス活動を担うNISMOはニューマシンを開発。開幕戦に合わせてスカイラインR33型のGT-Rをベースとした「R33 GT-R」を投入していた。
前年までの「R32 GT-R」は、グループAと同一の4WD仕様に加えてFR仕様がラインナップされており、R33 GT-RにNISMOがFR仕様のマシンを開発。エンジンはR32 GT-Rと同様に直列6気筒のRB26DETTが搭載され、独自のチューニングが施されていた。さらに、スペンションもマルチリンクからダブルウィッシュボーンに変更されるなど大幅なアップデートが行われていた。

同マシンのデビュー戦となったのは開幕戦の鈴鹿サーキットで、NISMOがいち早く55号車「JOMO R33」を投入。あいにくデビューウインこそ逃したが、55号車の鈴木利男/飯田章が予選で2位につけたほか、決勝でも2位入賞を果たし、表彰台を獲得した。
ちなみに開幕戦の鈴鹿ラウンドを制したのはHOSHINO RACINGの1号車「カルソニックスカイライン」の影山正彦で、ハセミモータースポーツの3号車「ユニシアジェックススカイライン」の長谷見昌弘も予選で1位につけるなど、R32 GT-Rも猛威を振るっていた。

第2戦の富士スピードウェイではハセミモータースポーツ、HOSHINO RACINGもR33 GT-Rにスイッチしており、予選で8位に出遅れた3号車の長谷見昌弘が2位、予選で11位に出遅れた55号車の鈴木利男/飯田章が4位に入賞。さらに第3戦の仙台ハイランドレースウェイでは3号車の長谷見昌弘が予選で2位につけたほか、決勝では1号車の星野一義/影山正彦が2位入賞を果たすものの、R33 GT-Rの初優勝はお預けとなっていた。

R33 GT-Rにとって歓喜の瞬間が訪れたのは、第4戦の富士スピードウェイだった。この夏の高速バトルではR33 GT-Rが本領を発揮。予選の最上位は3号車の長谷見昌弘の4位に留まっていたのだが、決勝では長谷見昌弘がR33 GT-Rでの初優勝を獲得した。さらに55号車の鈴木利男が2位に入賞したほか、NISMOの10号車「ジョンソンスカイライン」を駆る飯田章が3位入賞を果たすなど、R33 GT-Rが表彰台を独占した。

こうしてパフォーマンスを証明したR33 GT-Rは第5戦のスポーツランドSUGOでも上位争いを展開していた。1号車の星野一義/影山正彦が予選で2位、決勝でも2位に入賞している。さらに最終戦となる第6戦のセントラルパークMINEサーキットでもR33 GT-Rはトップ争いを左右しており、予選で3号車の長谷見昌弘がトップタイムをマークしたほか、決勝では1号車の星野一義/影山正彦が3位で表彰台を獲得した。

この結果、開幕戦の鈴鹿サーキットを制した影山正彦がドライバーズ部門で2連覇を達成。「R33 GT-Rはボディがちょっと大きくなって、ホイールベースも長くなったので、ドライビングは難しかった印象がありますね。俊敏性が落ちて曲がりづらくなったので苦労しました。それにトヨタからスープラが出てきて厳しかったけれど、なんとかアジャストすることができて、タイトルを獲得することができました」と影山正彦は当時を振り返る。さらに長谷見昌弘がランキング2位、鈴木利男がランキング3位につけるなどニッサン勢のドライバーが上位に名を連ねた。 チーム部門では惜しくもタイトル獲得を果たせなかったが、それでもHOSHINO RACINGがランキング2位、ハセミモータースポーツが同3位、NISMOが同4位につけるなどニッサンの主力チームが相次いで上位でフィニッシュしていた。

1995年に全日本GT選手権に合わせてNISMOはR33 GT-Rを開発。市販車と同じモノコックを使用しながらも、前後のサブフレームの最適化や足回りの構造変更など大胆なモディファイが実施されていた。開幕戦の鈴鹿でいち早くR33 GT-Rを投入した55号車の鈴木利男/飯田章が2位に入賞。  
開幕戦の鈴鹿では熟成を極めたR32 GT-Rも躍進している。3号車「ユニシアジェックススカイライン」の長谷見昌弘が予選でトップタイムをマークしたほか、決勝では1号車「カルソニックスカイライン」の影山正彦(写真)が優勝。この時の20ポイントがドライバー部門の2連覇に繋がった。  
NISMOは第4戦の富士スピードウェイより2台体制に拡大。55号車「JOMO R33」にベテランの鈴木利男、10号車「ジョンソンスカイライン」は若手の飯田章を起用するなど豪華なメンバーにR33 GT-Rを託した。  
NISMOの開発したR33 GT-Rは開幕戦の鈴鹿から素晴らしい走りを披露。そのスピードがリザルトにつながったのが、第4戦の富士スピードウェイで、3号車「ユニシアジェックススカイライン」の長谷見昌弘(写真中央)が初優勝を獲得。55号車「JOMO R33」の鈴木利男(左)が2位、10号車「ジョンソンスカイライン」の飯田章(右)が3位で、R33 GT-Rが表彰台を独占した。
第6戦のMINEラウンドでは1号車「カルソニックスカイライン」の星野一義/影山正彦が3位に入賞した。この結果、影山正彦がドライバー部門で2連覇を達成。HOSHINO RACINGがチーム部門において、ランキング2位でフィニッシュした。  
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