■アメリカの自動車文化
ハリウッドでつくられるアメリカ映画で活躍するクルマたちはみな魅力的でした。
前回は、映画で活躍したワンオフのクルマについてミニカー談義を交えて解説してきました。
今回はハリウッド作品の派手なカーチェイスアクションで活躍したクルマについて考察していきたいと思います。
アメリカ人は老若男女、皆さんクルマが大好きです。筆者がアメリカ・カリフォルニア州に駐在していたとき、毎週末の早朝に色々な場所で、クルマ好きたちが集まってミーティングを開いていました。そこには子供から大人、老婦人まで集合し、楽しんでいました。気さくな老婦人と話すと「このクルマは〇〇年式のマスタングだよ。そっちは〇〇年式のダッジ・チャレンジャー。私は若い時、ボーイフレンド達が競うゼロヨンスタート合図の旗振りを、スタート地点に並んだ2台の真ん中でやったのよ!」と、なんと年式まで言い当てて、映画のワンシーンのような昔話をしてくれるのです。
1950~70年当時(オイルショック前)、アメリカ車はフェイスリフトという年次改良を毎年施していました。デザイナーの仕事がたくさんあり、忙しかった時代です。 つまり、老婦人はその年次改良のフロントフェイスやわずかな部品の違いを全部覚えていて、言い当てているということなのです。これには驚くとともに脱帽でした。それはこの老婦人だけでなく、老紳士も淑女も子供までもがそのクルマを語るときに、必ずまず年式を枕詞においてから、ブランド名と車種名を言うのです。この体験で得られたことは、まさしく“アメリカ人は老若男女問わずクルマ好きだ”ということでした。このような方々は、クルマに関して見る眼は玄人なので、「“SUBARUのクルマつくり”をしっかりやらねば! 見破られてしまう」と痛感しました。
カリフォルニアは日本のように電車やバスなどの公共交通機関があまりないので、移動はほぼクルマです。クルマは彼らにとって無くてはならない大切な道具なのです。そして、毎日たくさんのクルマを見ているので自然と覚えてしまうし、好きだからこそわずかな違いも感じ取れて“分かってしまう”のだと思います。
そういう背景もあり“名脇役”としてクルマがスクリーンに登場する映画がたくさんつくられているのでしょう。
最近の映画では、『ワイルドスピード』がシリーズ化して大人気です。カーアクションも素晴らしく、手に汗を握りながらハラハラドキドキ観ることができます。この映画の影響で、日本の旧車が大人気になっています。アメリカには25年ルールというのがあり、25年経てば厳しい輸入の規制が適応されなくなります。ですので、近年、25年前のたくさんの日本車が海を渡ってアメリカに上陸しています。
さて、それでは今回のテーマである「映画で活躍したクルマのミニカー概論」を始めたいと思います。今回は新しい映画ではなく、少し懐かしい映画の中で活躍したクルマたちをミニカーとともに振り返って解説したいと思います。
■大陸横断レース/“キャノンボール”と“激走5000キロ”に観る辛口なアメリカンジョーク
まず、いかにもハリウッドらしい派手なカーチェイスがあり、観ていて楽しい娯楽映画の代表格『キャノンボール(原題:The Cannonball Run)』を解説します。バート・レイノルズ(敬称略)を筆頭に有名な俳優たちが多数登場してヒットを飛ばし、シリーズ化されました。たくさんの個性的なクルマが登場します。過去の映画のパロディもあり、観ていて本当に楽しいオールスター映画です。主人公バート・レイノルズも勝つためには手段を択ばず、最後は救急車に乗って街中の信号を無視して突き進み勝とうとします。…さて勝者は誰なのでしょうか?
映画が始まってすぐに精悍なブラックのカウンタックが登場して直線フリーウェイを爆走します。そして、つなぎ姿のタラ・バックマンがカウンタックから降り、55mph(88.5km/h)の速度標識にスプレー塗料でバツ印を付けるのですが、これは「スピードリミット無し!」というサインです。
映画冒頭のこのシーンは、交通規制を厳格化する新しい法律への抗議の意味が込められていました。石油危機を受けてアメリカ全土で1974年に発令された“55マイル規制”は、当初12ヵ月で撤廃される予定でしたが、その後も続いてしまいます。やっと近年この規制が緩みました。
この映画の元になったのは、『Car & Driver』誌の有名なモータージャーナリスト、ブロック・イェーツが酒の席で、アメリカを横断する企画「キャノンボール・ベイカー・シー・トゥ・シャイニング・シー・メモリアル・トロフィー・ダッシュ」を提唱し、自ら実践したことが始まりと聞いています。なんとその記録は、1971年にNYを出発したイェーツが駆るフェラーリ・デイトナが35時間54分、平均速度およそ80mph(約130km/h)でゴール! こうしてキャノンボールは伝説になりました。ですので、55マイル規制は、クルマとスピードを愛する人たちにとっては厳しいものだったのだと感じます。街中では規制が重要だと痛感しますが、筆者もカリフォルニアからネバダ州のラスベガスまで、砂漠の中で蜃気楼にかすむどこまでも続く直線でクルマを走らせた経験があります。1993年当時でも55マイルの速度規制を守っているクルマは少なかったのを覚えています。アメリカにはこのような道がたくさんありますから、場所によっては解除されても良いかと思いました。1995年アメリカ合衆国の州間高速道路網全体の速度制限は撤廃されました。
映画『キャノンボール』は、このような背景の中で脚本がイェーツ、監督はハル・ニーダムのコンビで生まれました。ニーダムはスタントマン出身の映画監督で、友人のバート・レイノルズと『トランザム7000』をキャノンボールの前にヒットさせています。
映画のクライマックス近くでこのカウンタックはまたパトカーに追いかけられて捕まってしまいます。シザーズドアが開いて出てきたのは、セクシーな脚…ドライブしていたのは美女タラ・バックマンとその相棒。お色気で警官をメロメロにして許してもらおうと企むのですが…そこに立っていたのは、婦人警官というオチで、伏線回収! 思わずクスっと笑ってしまいました。この映画を観ていると、本当にアメリカ人はクルマが大好きなスピード狂なのだと分かります。
この映画の中で日本車代表として「SUBARU」もジャッキー・チェンが“レオーネ・スイングバック”にハイテク装備を積んで活躍しましたが、最後は爆発してしまいました。 SUBARU関係者としては心苦しいですが、スイングバックは重要な役割を担っていました。当時1970年代の日本のイメージが伝統と最新技術の融合をした国=“ハイテク”だったのでそんなシナリオになったのだと思います。当時、乗用車の4輪駆動は無い状況で、クルマは欧米ではクロスカントリーカー以外それほど普及しておらず、このクルマのような乗用4WDは極めて珍しく、日本の先進技術の象徴の一つでした。このため、初登場シーンではジャッキーが「このクルマは4輪駆動で……」と言っています。今北米で一番人気があるカテゴリーのSUVはこの映画の後、1980年代にJEEP XJチェロキーが登場してからになります。
『激走5000キロ』も、『キャノンボール』と同じでアメリカ大陸横断のスピードをかけて激走するカーアクション映画でした。主人公のマイケル・サラザンが操るのは、427コブラ。対する女好きなライバルは、オープンのフェラーリ・デイトナでした。正式名称は365GTS/4ですが、1967年デイトナ24時間耐久レースでフェラーリ330P4が1位から3位まで独占したことを記念して“デイトナ”の愛称がネーミングされました。
撮影のためなのかわかりませんが両車ともにオープンカーで、ニューヨークからロサンゼルスまでの5000キロに雨に降られなければ良いのだけれど…と考えてします。アメリカ人はオープンカーが大好きですからヘッチャラなのかもしれません。
優勝者には、駄菓子屋やトイザらスの入り口に置いてあった10円を入れるとガムボール(球形のガム)が出てくるマシーン、いわゆる“ガチャガチャ”、正式な名称はガムボールマシーンと言いますが、その大きなガムボールマシーンがトロフィーとして渡されます。映画の題名は日本では『激走5000キロ』でしたが、原題は、『The Gumball Rally (ザ・ガムボール・ラリー)』になっています。
■1980年代のアメリカの若者のエネルギー発散はクルマでの命がけのスピードバトル
筆者が好きな映画に、『マルホランド・ラン/王者の道(原題:King of the Mountain)』(1981年)があります。主役が操るポルシェ356スピードスター、バトルするのは、デニス・ホッパー演じるクレイジー・カルが改造に改造を重ねたコルベット。この映画もストーリーよりも、クレイジー・カルのボロボロの1967年式C2コルベットが疾走するシーンと最後が瞼に焼き付いています。室内ミラーにストップウォッチをテープで貼り付けているのも泣かせます。
もちろん主人公が操る超ワイドフェンダーのポルシェ356スピードスターが猛烈に格好良く、可愛らしい356をベースにした改造は、427コブラを彷彿させドキドキでした。
アメリカ・カリフォルニア駐在時代には、“SUBARU車=SVX”で マルホランド道を走りに行きました。実際にこのレースのメッカ、ジェームス・ディーンがこよなく愛した“ハリウッドヒルズ”のワインディングロードがあるのです。主人公がポルシェスピードスターを操っているのは、ジェームス・ディーンの550スパイダーのリスペクトでしょうか?
“スパイダー”という名称の意味は、蜘蛛のように地面に張り付いて早く動くから名付けられました。イタリアのオープンカーに多くネーミングされています。スピードスターはポルシェ独自のオープンカーの呼び名です。ポルシェのボクスターは、BOXERエンジン(水平対向エンジン)と、スピードスターの合成語だというのは有名な話です。その他、オープンカーには、“カブリオレ”“コンバーチブル”“ロードスター”“バルケッタ”という名称があります。ベースの屋根付き車があって、オープンカーがつくられたものが、“カブリオレ(フランスと、ドイツ)”と“コンバーチブル(英国と米国)”になり、オープンカー専用車が、もともと屋根無し馬車の意味だった“ロードスター”と呼ばれます。イタリアでは小舟の意味の“バルケッタ”という呼び名もあります。欧米人がオープンカー好きなことも、このように名称がたくさんあり、それぞれ意味するところが違うことにも現れています。
■ハリウッドの本格レース映画
クルマ好きで有名だった スティーブ・マックイーン主演の映画にはたくさんの贅沢なクルマが登場します。
『栄光のル・マン(原題:Le Mans)』では、ポルシェ911やレースカー917Kが実際に使われました。レーサー役の主人公が普段乗っている深緑の911ナローポルシェは、マックイーン自身のクルマでした。映画撮影のために長期滞在していたフランスで購入し、撮影終了後は911を北米に持って帰ったそうです。アメリカでも素晴らしいオーディオを組み込んだ911を特注していたようです。
レースのクラッシュシーンは大迫力で、どうやって撮影したのかドキドキしてしまいます。CGなどの特殊映像は無い時代なのでリアルでクラッシュさせていたのだと思いますが、スタントも命がけです。
2020年に公開された『フォードvsフェラーリ』もワクワク胸躍る自動車レース映画でした。
人間模様が中心の映画でしたが、レースのシーンも迫力ある展開が観られました。
観ている間、クルマを愛し、スピードに命を懸けた主人公たちの活躍を心から応援していました。この映画ではレースに勝つための技術の進歩も克明に描かれています。トライ&エラーで開発を進めるチームの結束。エンジニアリングが分かるレーシングドライバーが欠点を見つけ出しそれを克服する技術者の葛藤に心打たれました。速く走ることは独りではできないし、お金だけでは解決できない価値=“レースに懸ける熱い想い”が描かれています。レーシングカーの開発は短時間で成果をあげなければなりませんが、市販車の開発も同じなのです。エンジニア、研究実験部隊のドライバー、デザイナーが皆ベクトルを合わせて目標に向かって切磋琢磨しています。
■SUBARU車が登場する映画
2017年上映された『ベイビードライバー』の冒頭で 鮮烈なレッドのインプレッサWRX(鷹目)が活躍します。6分間にもおよぶカーアクションがとにかく素晴らしく、最後はヘリコプターの追撃を立体交差のフリーウェイで巻くのですが、ハラハラドキドキの没入感がありました。
ド派手なカーアクションですが、ほぼCGは使われていません。クルマ、場所、俳優に至るまで実物にこだわって映像がつくられています。それをプロ中のプロのスタントマンが実演しています。主役のベイビー役のアンセル・エルゴートもスタントを学んで演技をしたとのこと。ドリフトをするときの目線や手足の動きが、本当にサマになっていました。
撮影に使われたインプレッサWRXですが、数台用意されカーアクションシーンによって使い分けていたとのこと。スピンターンしやすいように、なんとFRに仕立てられたクルマもあったようです。本来はAWDです。インプレッサWRXの他にも、たくさんのクルマでのカーチェイスが繰り広げられる愉しい映画です。
映画の内容より素晴らしい活躍をするクルマたちが心に残ってしまった時、映画を観たあと、パンフレットではなくミニカーが欲しくなってしまうのは、筆者だけでしょうか?
「映画って本当に良いモノですね!(水野晴郎口調で)」