ミニカー概論第6回は、映画や漫画で活躍したクルマのミニカーをお届けいたします。
映画や漫画で活躍したクルマのミニカーについてしたためていたら、皆さんにお伝えしたいことが山のように出てきてしまいました。そのため数回にわたりこのテーマでご紹介したいと思います。
最初は筆者をカーマニアにしたクルマの漫画(アニメも含む)、次回から国内外の映画の中で活躍した魅力的なクルマについて、関連するミニカーを概論しながら語っていきたいと思います。
劇中に格好良いクルマが出てくれば目を惹き、主役やストーリーを引き立ててくれますし、可愛いクルマが出てくれば和ませてくれます。映画や漫画、アニメの中で登場したクルマの影響力は計り知れないと思います。
皆さんと一緒に、ミニカーを通して、映画や漫画で登場したクルマにワクワクした懐かしい思い出に浸ることができればと思います。
■漫画やアニメの中で活躍したクルマ
漫画の中で登場したクルマが、主人公との活躍もあいまって読者の“あこがれ”になる場合があります。
1975年、今から半世紀近く前に日本中の子供から大人を虜にして一世を風靡した“スーパーカーブーム”はひとつの漫画から始まりました。
それは社会現象にもなり、当時、日本で最もヒートアップした『サーキットの狼』です。
少年週刊誌での連載でしたが、大人も巻き込んでスーパーカーの熱狂的ブームが日本で展開されました。
免許のない少年達が読者である週刊漫画誌での連載は、なかなか勇気が必要だったと思います。いろいろ当時の逸話を読むと、最初の企画段階では編集部は連載を渋っていたようです。しかし結果は大成功!日本中がスーパーカーブームに飲み込まれ、子供達のみならず大人達をも夢中にしました。
この時、筆者はちょうど中学生でしたが、ご多分に漏れず、すっかりスーパーカーの虜になり、その後の人生に大きな影響を与えました。
ブームの最中、晴海の東京モーターショーを同級生と二人で見に行きました。父親からカメラを借りてお気に入りのクルマをパチリ! また晴海の周りの道を滑走するスポーツカーに目を奪われてパチリ!駅から晴海までの道沿いにあるスーパーカーディーラーでもパチリ! すぐにフィルムが足りなくなりました。
その撮影結果はというと、残念なことに写真はブレブレで輪郭がハッキリしない、スーパーカーらしきモノ……が写っていました。カメラ店に持って行き、現像ができ上がるのをワクワクして待っていましたが、カメラ初心者にはショー会場での露出設定はハードル高かったようです。くやしくて本当に泣いてしまいました。しかし、こころの中の映像は鮮明に輝いています。
肝心の東京モーターショーですが、1970年(昭和45年)に北米のマスキー法対応で、日本の排ガス規制が厳しくなっており、それまでイケイケだったエンジンパワー戦争は終焉を迎え、華やかであるはずのモーターショーにも変化が訪れた時代でした。
お目当ての『サーキットの狼』に出ていたスーパーカーはほとんどなく、ひどくがっかりしました。
しかし、「クルマのことをもっと知りたい!」という衝動にかられた筆者は、会場入り口で購入した分厚い『自動車ガイドブック』を 毎日目を皿のようにして見ていました。そのおかげで、ほとんどのクルマを覚えてしまいました。さらに自動車のことをもっと知りたくて、複数の雑誌をお小遣いの中から定期購読するようになったのも中学生の頃からでした。当時は『モーターファン』と『モーターマガジン』がお気に入りの月刊誌でした。とじ込みのスーパーカーのカタログを大切に切り取り保管しました。
もちろん、2次元に飽き足らず、立体のモノを手に入れたくて、好きなクルマのミニカーやプラモデルを購入して悦に浸っていました。これらを撫でまわし、自動車の立体としての構築も自然と身に付いたと思います。それが現在の仕事に役に立っています。
当時は好きなことをしているだけで、将来のことなど考えてもいませんでしたが、神様に感謝です。
連載されていた『サーキットの狼』のストーリーは、主人公の青年(風吹裕也:ちょっと不良)がクルマに魅了され、性能が低いクルマと一緒に“運転のテクニック”と“野生の直感”で排気量の大きなクルマ達に勝利していき、成長していくという物語です。公道でのレース(今では大問題です)で優勝し、舞台はサーキットへ移行します。風吹裕也は高度なハンドリングテクニックが勝ち技なので “多角形コーナーリング” というスペシャルな技を繰り出し難しいコーナーでどんどんライバルを抜いていきます。しかしエンジンパワーでまさるライバルに直線でいとも簡単に抜かれてしまいます。「柔よく剛を制す!」当時、筆者は小排気量で大排気量のライバルを抜いていく主人公をドキドキしながら応援していました。
スーパーカーは免許のない子供たちにとっては、街で見る日本製実用車とはまったく違うカッコよさが魅力であり、さらにはこの漫画のストーリーにも刺激され虜になりました。
何といってもスーパーカーは流線型やウエッジシェイプデザインで、四角い箱が3つ連なったスリーBOXと言われるセダンとは大違いで、今まで見たことのない斬新なカタチでした。見るからに速そうで格好良く感じますから、これを手に入れたいと思う子供たち、そして大人も巻き込みミニカーが売れまくりました。実車は高価すぎて手に入りませんが、ミニカーなら何台も買えますから。
玩具メーカー各社も一攫千金のチャンスですから、どんどんスーパーカー(フェラーリやランボルギーニ)を売り出しました。筆者もお小遣いで気に入ったミニカーを何台も購入していました。当時からギミックがあり大きく迫力あるミニカーが欲しかったのですが、なかなか高価で買えませんでした。
今は、大人になって使えるお金の額が増えたので、その当時の反動で、好きだったクルマのミニカーをたくさん買い集めてしまっているのかも知れません。
漫画の中でスピード感と迫力あるカーアクションを届けてくれ、大ヒットとなった『サーキットの狼』ですが、実写版映画もつくられました。しかしこちらは、漫画ほどヒットはしませんでした。
走るクルマを劇的に撮影する難しさがあったのでしょうが、高価なスーパーカーが実際のサーキットで滑走する映像はドキドキしました。筆者にとっては、それだけでも見ごたえがありました。
映画における魅力的なクルマの映像については次回話をさせて下さい。
続いて漫画アニメの代表作を紹介します。日本で最初に放映されたクルマのアニメは1967年の『マッハGoGoGo』でした。55年以上も前ですが、このドリームカー(夢のようなクルマ)が白黒からカラーになったTV画面の中で土煙をあげて迫力いっぱいに走るのは、今まで見たこともない映像でした。
『マッハGoGoGo』は、『サーキットの狼』が始まる8年も前に放映されたタツノコプロのアニメです。筆者はリアルタイムで観ていました。オープニングの映像は今も脳裏に焼き付いています。恐竜の肋骨の中を走ったり、サファリで動物たちと走ったりと、クルマの滑走シーンとTV動画の相性の良さが際立ちました。その後、他のクルマが登場する作品に大きな影響を与え、また、なんといっても自動車の愉しさと夢を当時の子供たちに与えてくれた素晴らしいアニメ作品だと思います。
『マッハGoGoGo』主題歌が始まると胸がワクワクしてTVの前に飛んで行ったものです。
日本の漫画やアニメは海外にも輸出され人気になりました。『マッハGoGoGo』もアメリカでは『スピードレーサー』というタイトルになり人気を博します。その後、実写版映画(2008年)も作成されました。
マッハ号はミニカーだけでなく実車も多数存在します。“実車=フルサイズミニカー”といえるかもしれません。
アメリカでは、ハリウッド映画で1999年上映された『スピードレーサー』でランニングプロトがつくられました。ちょうどカリフォルニアを訪れた際、ピーターセンミュージアムに展示されていました。
日本でもつくられていて、筆者が群馬県立博物館長とのトークイベントに出た時にお目にかかった、前橋市の福田モータースの福田さんがマッハ号の実車をつくっています。その他、フルサイズミニカー(実車)は、人気もあり多数存在するようです。夢のクルマを追いかけている人が多いのでしょう。それほど漫画やアニメの影響は大きいのだと思います。筆者はSUBARUのコンセプトカーをたくさんつくってきており、実車をつくる労力がとても大変なことをよく知っていますから、福田さんを筆頭にその熱い想いには頭が下がります。
幼少の頃、ワクワクしながら読んだ漫画の中のヒーローたちは、スポーツカーに乗っていました。
『巨人の星』の主人公、星飛雄馬の永遠のライバルである花形満は、自動車メーカーの御曹司でありブラックシャドウーズという不良野球チームのキャプテン。なんと、無免許で10歳から自社のスポーツカーを運転していました。もちろん、倫理的に絶対NGですね……。
そのスポーツカーが“ミツルハナガタ2000”です。このミニカーが出ていました。思わずこのブログで紹介したくて入手しましたので紹介します。
『タイガーマスク』も1970年代の代表的なスポ根漫画です。原作は『巨人の星』や『あしたのジョー』と同じ梶原一騎氏。現代ではコンプライアンス違反になってしまうようなパワハラが話の中に吹き荒れていますが、筆者も含め当時の少年たちは感動しまくっていました。
『タイガーマスク』はリングの外では、「ちびっこハウス」という孤児院で育った伊達直人という青年。伊達直人はタイガーマスクとして稼いだファイトマネーを孤児院へ寄付しています。その孤児院へ行く時に乗っていたのが、深紅のスポーツカーでした。
『週刊マガジン』連載の漫画の中では、ジャガーEタイプやコスモスポーツが出てきましたが、テレビアニメでは、ジャガー・ピラーナやガルウィングのスポーツカーが登場します。ジャガー・ピラーナとランボルギーニ・エスパーダは、よく似ているので、当時「どっち!?」という議論がよく聞かれました。
さらに、タイガーマスクがガルウィングから降りるシーンがあるのですが、これはランボルギーニ・マルツァルである可能性が高いです。空想の世界なので当然アレンジされているのですが……。
この3台はベルト―ネのチーフデザイナー:ガンディーニがデザインしています。同時期に立て続けにデビューしているので3台ともよく似ています。リヤクオータ等を比較するとピラーナとエスパーダはほとんど兄弟車です。
1967年3月のジュネーブショーでマルツァルを発表したベルトーネは、立て続けに同年のロンドンオートショーに、ジャガーEタイプのシャーシにクーペボディを架装したジャガー・ピラーナを発表しました。そして、その数カ月後には、ランボルギーニ・エスパーダが発表されています。
リアフェンダーを飾る車名の装飾にも、同一のフォントが用いられるなど明らかに酷似した点がいくつも見て取れるデザインだったそうです。瓜二つの双子のようなクルマになっています。ジャガーのコンセプトカー(ピラーナ)を短期間で仕上げる必要のあったベルトーネが、完成しつつあった“エスパーダ”のデザインを流用したという説が今では有力となっているそうです。
梶原一騎氏の原作ですが、本名である高森朝雄を一字変えたペンネームで書かれた漫画、『あしたのジョー』で、主人公の矢吹丈は日本では免許を持っていないので、主人公との絡みでは特別なクルマは出てきません。しかし、ハワイで運転してレンタカーを思い切りぶつけているシーンがありました。ヒロインである白木葉子が運転しているクルマがアニメ版ではロータスヨーロッパやスーパーセブンでした。
『ルパン三世』も、クルマがたくさん登場します。メルセデス・ベンツSSK、チンクエチェント:フィアット500、トライアンフT4、ジャガーEタイプ、など。クルマ好きの筆者は観るのが楽しみでした。
第1話「ルパンは燃えているか」では、F1を駆ってレースに出場していました。A級ライセンスを持つルパンが駆るのは、フェラーリ312B。312とは、3000cc12気筒という記号の意味で、Bはボクサーエンジン(水平対向エンジン)。『ルパン3世』のオープニングで派手に登場する愛車メルセデス・ベンツSSKはフェラーリV型12気筒エンジンに換装しています。オリジナルのメルセデス・ベンツSSKは7.1Lのスーパーチャージャーエンジンを搭載。当時ダイムラー・ベンツの設計者だったフェルディナンド・ポルシェ博士の最後のメルセデスといわれ、ポルシェ博士は1931年にはダイムラー・ベンツを去り、ポルシェ事務所を設立します。SSKはSuper Sport Kurzの頭文字。Kurz(クルツ)は、短いという意味。ホィールベースを短くして運動性能を高めた当時の最高級スポーツカーが、このメルセデス・ベンツSSKなのです。
日本以外でも、漫画の中にクルマが活躍するものがあります。ベルギーの漫画『タンタンの冒険』です。
ベルギーの漫画家エルジェ氏が1929年から24話を、「20世紀新聞」の付録についていた20世紀子ども新聞に毎週連載していました。世界中で人気の漫画(絵本)です。数年前には実写映画化されました。
この『タンタンの冒険』のミニカーの特徴は、ジオラマ仕立てというところです。物語ごとにたくさんの種類のミニカーが出てきます。そのミニカーにストーリーの中身を重ね合わせて再現しています。
ミニカーは、自分の思い出を大切に残すための“宝もの”だと思っています。
次回は、映画の中で活躍したクルマのミニカーについて語りたいと思います。