戦後の第1世代は小型「170系」、中型「220系」、大型「300系」の3種で非常に分類ししやすかった。1953年完全な戦後型の第2世代になるとフェンダーが消え、「フルワイドボディ」となったが、まだ小型、中型、大型の区別ははっきりしていた。しかし1961年の「300SE」は「220」のボディに3 ℓのエンジンを載せたもので実質は「220」の強化版だから区分としてはどちらに入れるべきか迷う。後年のベンツの命名では「220SE 3.5」となるパターンだ。1963年からは「コンパクト」と「Sクラス」に大別され、中型は消滅してしまい、小さいボディに「200」「220」「230」「250」「280」とどんどん大きなエンジンを詰め込んでいったから、どう分類したら良いか困ってしまった。「メルセデス・ベンツ」は歴史も長いが、車種の多さも半端ない数で、「Mベース」のこのシリーズは126回目になるが区分けについては1番の難物だった。結局「コンパクト」と「Sクラス」に分けて戦後の全てのモデルを網羅し、写真のあるものはその間に挟み込むようにした。順を追って見ていただくと如何に多くのモデルがあったか実感できると思う。
・冒頭に「✓」が有るものは既に紹介済み。「*」が有るものは今回紹介するものです。
<コンパクト>
<戦後第1世代>
✓1946-50 「170V」
✓1950-52 「170Va」
✓1952-53 「170Vb」
✓1949-52 「170S」
✓1952-53 「170Sb」
✓1953-55 「170SV」
✓1949-50 「170D」
✓1950-52 「170Da」
✓1952-53 「170Db」
✓1952-53 「170DS」
✓1953-55 「170S-D」
<戦後第2世代>
** 1953-57 「180」 (W120Ⅰ) 1767cc (M136) 57ps/4000rpm
(写真01-1abc) 1953-57 Mercedes Brnz 180 (W120 Ⅰ) (1959年 静岡市内)-
戦前のモデルをそのまま引き継いだ暫定モデル「170シリーズ」の後継として、戦後型のニューモデル「180シリーズ」が1953年登場した。写真の車はその初代モデルで、通産省が性能試験の為輸入した「メルセデス300SL」と一緒に性能試験の為国道1号線を走って来た車だ。初期型には三角窓が無い。ナンバープレートが横1列の旧タイプに注目。
(写真01-2ab)1953~57 Mercedes Benz 180 (W120Ⅰ) (1959-04 銀座丁目・みゆき通り)
場所は銀座6丁目みゆき通りと並木通りが交差する辺りだ。横の看板には「米津凮月堂」とある。現在の「銀座風月堂」の前身で、明治時代に総本店の番頭だった米津松蔵が暖簾分けした分家が「米津凮月堂」を名乗ったものだ。この車にも三角窓が無く初期型の「180」だ。ボディは全く新しいフルワイズの凸型3ボックスとなったが、エンジンは旧「170」(後期型)と同じ「M136」1767cc 52ps/4000rpmがそのまま引き継がれている。
*1957~59 Mercedes Benz 180a (W120Ⅱ) 1897cc(M121 BⅣ) 65ps/4500rpm
(写真01-3a)1957~59 Mercedes Benz 180a (1959-04千代田区・丸の内/日比谷通り)
車は皇居のお堀端を新橋方面に向かって走っている。場所は日比谷交差点の少し手前で第一生命ビルの前あたりだ。このビルは戦後しばらくの間GHQ(占領軍総司令部)のあった場所だから、当時の総司令官「マッカーサー元帥」もこの景色は何度も見たことだろう。エンジンは排気量が増えて1897ccとなり「190」シリーズと同じ(M121)となったが、モデル名は「180」のまま変わらなかった。
1959~61 「180b」(W120Ⅲ) 1897cc (M121) 68ps/4400rpm
1956-59 「190」 (W121Ⅰ) 1897cc (M121 BⅠ) 75ps/4600rpm
*1959-61 「190b」 (W121Ⅲ) 1897cc (M121) 80ps/4800rpm(ひげ有り)
(写真01-4ab)1959~61 Mercedes Benz 190b (W121Ⅲ) (1960-11 千代田区内幸町)
「180」に1897ccのエンジンを載せたのが「190」だが、実は「180」にも1897ccのエンジンが積まれている。ただ圧縮比は「180」の7.0に対して8,5迄上げた結果、出力は68psから80psとなり、最高速度が10キロ上がって時速145キロとなった。総重量が10キロ増えた以外データは全く変わらなかった。値段はDM8700に対しDM9450と可成りの差がついていた。「180」と「190」の関係は実質は「スタンダード」と「デラックス」だから「190」と「190S」の方が実態を示しているように思う。外見上の違いも窓の周りにメッキラインが入りデラックス感を出している。ビルの垂れ幕には「NHKカラーテレビ受信公開」とある。カラー放送が始まったのは1960年9月10日で、この写真を撮影したのはその2ヵ月後だから、まだ一般家庭には普及していなかった。歩行者のファッションにも時代を感じる。
1961-62 「180c」 (W120Ⅳ) 1897cc (M121) 68ps/4400rpm
1954-59 「180D」 (W120Ⅰ) 1767cc(OM636) 40ps/3200rpm
1959-61 「180Db」 (W120Ⅱ) 1767cc(OM621) 43ps/3500rpm
1961-62 「180Dc」 (W120Ⅲ) 1988cc(OM621) 48ps/3800rpm
<戦後第3世代>
*1961-65 「190c」 (W110)1897cc (M121) 80ps/5000rpm(ひげ無し・羽根あり)
(写真02-1abc)1961~65 Mercedes Benz 190c (W110) (1962-03 港区・麻布龍土町)
第3世代になると、それまでの丸みのあるボディから直線を強調したスタイルに変身した。後年「ハネベン」と呼ばれたテールフィンを持つスタイルだが、1956年のクライスラーに端を発し世界的流行となったものの、61年を境に下火となっており、テールフィンの採用は流行とは関係なくデザインとして必要だったのだろうか。
1958-59 「190D」 (W121Ⅰ) 1897cc(OM621) 50ps/4000rpm
1959-61 「190Db」(W121Ⅱ) 1897cc (OM621) 50ps/4000rpm
1961-65 「190Dc」(W110) 1988cc (OM621) 55ps/4200rpm
<戦後第4世代>
1965-68 「200」1965~68 「200」(W110)1988cc (M121) 95ps/5200rpm
1965-68 「230」1965~68 「230」(W110) 2306cc (M180) 105ps/5200rpm
1965-68 「200D」1965~68 「200D」(W110)1988cc (OM621) 55ps/4200rpm
<1967年から「コンパクト・メルセデス」の名称が使われる>
*1967-76 「200」4気筒SOHC (M115) 2.0 ℓ
(写真02-2ab)1968Mercedes Benz 200 (1967-11 東京オートショー/晴海)
1967年にはフルモデルチェンジが行われ、同時に「コンパクト・メルセデス」と言う呼び名が使われ始めた。
*1967-76 「220」4気筒SOHC (M115) 2.2 ℓ
(写真02-3-2ab)1969 Mercedes Benz 220 (1968-11 東京オートショー/晴海)
このシリーズは「200」をベースに排気量の大きなエンジンを詰め込んだ、「200」「200D」「220」「220D」「230」「250」と多くの兄弟分が造られた。
1967-76 「200D」4気筒SOHC (OM615) 2.0 ℓ
*1967~ 「230」4気筒SOHC (M115) 2.3 ℓ
(写真02-4ab)1970 Mercedes Benz 230 (1969-11 東京オートショー/晴海)
*1967-72 「250」6気筒SOHC (M114) 2.5 ℓ
(写真02-5ab)1969 Mercedes Benz 250 (1968-11 東京オートショー/晴海)
1968-76 「250C」6気筒SOHC (M114) 2.5 ℓ
1968-76 「250CE」6気筒SOHC (M114) 2.5 ℓ
1972~ 「250」6気筒SOHC (M130) 2.8 ℓ
1972~ 「250C/250CE」6気筒 SOHC (M130) 2.8 ℓ
1972~ 「280」 6気筒 DOHC (M110) 2.8 ℓ
1972-76 「280C」 6気筒 DOHC (M110) 2.8 ℓ
1972~ 「280E 」6気筒 DOHC (M110) 2.8 ℓ
1972-76 「280CE」6気筒 DOHC (M110) 2.8 ℓ
1973-75 「230/4」4気筒 SOHC (M115) 2.3 ℓ
1973-76 「230/6」6気筒 SOHC (M180) 2.3 ℓ
*1973-76 「240D」4気筒 SOHC (OM616) 2.4 ℓ
(写真03-1ab)1974 Mercedes Benz 240 D 4dr Limousine (1973-11 東京オートショー/晴海)
1974-76 「240D 3.0」5気筒 SOHC (OM617) 3.0 ℓ
<123(コンパクト)・シリーズ>(1967フル・モデルチェンジ)「D」ディーゼル、「C」クーペ、「E」燃料噴射、
1976- 「200」
1976- 「230」
1976- 「250」
1976- 「280」
1976- 「280E」
1976- 「200D」
1976‐ 「220D」1967~「220D」4気筒SOHC 「OM615」 2.2 ℓ
1976- 「240D」
1976- 「300D」
1977- 「230C」
1977- 「280C」
1977- 「280CE」
1977- 「300CD」
1977-78 「230T」
1977-78 「240TD」
1977-78 「250T」
1977-78 「280TE」
1977- 78「300TD」
1980- 「300TD ターボ」
(02)< 旧Sクラス > *「E」の付くモデルは燃料噴射付きエンジン搭載
<戦後第1世代> (1951~54)
✓1951~54 「220」(W187) 2195cc (M180) 80ps/4850epm
<戦後第2世代> (1954~59)
*1954~56 「220a」(W180Ⅰ) 2195cc (M180Ⅱ) 85ps/4800rpm
(写真11-1abc) 1954~56 Mercedes Benz 220a (W180Ⅰ) (1958年 静岡市内)
静岡市内で何回も撮影したのがこの車で「220」は当時1台しか存在しなかったがよく出逢った。「す」ナンバーなのでどこかの社長さんの車だろうが詳細は不明。(面白いことに静岡の官公庁の車は、県庁、市役所、警察、消防署すべてが「アメ車」で、「ベンツ」は何処にもなかった)
*1956~59 「219」 (W105) 2195cc (M180Ⅱ) 85ps/4800rpm
(写真11-2a~d)1956~59 Mercedes Benz 219 (W105) (1959年 羽田空港)
「220」の廉価版が「219」で、その証拠に「220-1 = 219」となっている。新しく「220S」が誕生し、それまでの「220」の装備を簡素化し、クロームも少なくしたもので、エンジンは2195ccがそのまま使われている。写真の車は羽田空港で撮影したもので、ナンバープレートからどこかの大使館の車だ。大使の公用車は無理だが、通常の連絡用としては最適な車だ。
*1956~59 「220S」(W180Ⅱ) 2195cc (M180Ⅲ) 100ps/4800rpm
(写真11-3a~d)1956-59 Mercedes Benz 220S (W180Ⅱ) (1958-08 静岡市内)
この車は大阪ナンバーだが静岡市内で撮影されたものだ。場所は老舗旅館「中島屋」の前で、東名高速道路が出来る前は一般道路の国道1号(旧東海道)が利用されたから、静岡は中間の休憩ポイントとして他県ナンバーの車が良く見られた。エンジンの排気量、圧縮比は変わらないが、ツイン・キャブレターに変わったことで85psから100psまで上がり、最高時速も10キロ上がって時速160キロとなった。
(写真11-4abc)1958 Mercedes Benz 220S Cabriolet A (W180Ⅱ) (1990-07 アメリカン・ドリームカー・フェア/幕張他)
「220S]の登場に合わせて「クーペ」「カブリオレ」もニューモデルとなったが、ホイールベースは2700mmでリムジンよりは120mm短縮されていた。
1958~59 「220SE」(W128) 2195cc (M127) 115PS/4800rpm
<戦後第3世代> (1969~64)
1959~65 「220b」(W111-1) 2195cc (M180) 95ps/4800rpm (ハネベン)
*1959~65 「220Sb」(W111-2)2195cc (M180) 110ps/5000rpm
(写真11-5a~d)1959~65 Mercvedes Benz 220b (W111-1) (1960-01 有楽町駅・旧そごうデパート横)
第3世代は後年「ハネベン」と呼ばれた直線主体でテールフィンを持つスタイルに変身した。フロントグラスは側面まで回り込んだものとなり、ヘッドライトは「300SLロードスター」と同じような一体型変形ガラスが採用された。エンジンは110psまで上がって最高時速は165キロとなり、1963年からはフロントのディスク・ブレーキが標準装備となった。
・背景に写っているのはJR有楽町駅の一番東京駅より出口で、当時の「そごうデパート」(現ビックカメラ)の横に車は止まっている。
**1961~65 「220SEb」(W111-3) 2195cc (M127) 120ps/4800rpm (クーペ/カブリオレはハネなし)
(写真11-6ab)1961-65 Mercedes Benz 220 SEb Coupe (W111-3) (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンス)
(写真11-7a~f)1964 Mercedes Benz 220 Seb Cabriolet (W111-3) (1978-01 TACSミーティング/東京プリンス)
「ハネベン」と同時期に販売されていた兄弟分だが「クーペ」「カブリオレ」は全く別物で、ボディは社内のカロセリア「ジンデルフィンゲン」で入念に手造りされた特別仕様だ。これらに「ハネベン」は余計なデザインで採用されなかった。価格はリムジーネの約1.6倍だった。
1961-65 「300 SE」(W112/3 )2996cc (M189) 160-170ps/5000-5400rpm(ハネベン)220のボディに3ℓのエンジンを載せたもので220の強化版)
<戦後第4世代> (1964~79)
*1965~67 「300SE」(W108Ⅳ) 2996cc (M189) 170ps/5400rpm
(写真11-8ab)1967 Mercedes Benz 300SE Coupe (1984-01 TACSミーティング/明治公園)
名前から推定すれば「300シリーズ」だが、実質は「220SEb」に3ℓエンジンを積んだ220の強化版だ。
このあたりから同じボディーに色々な排気量のエンジンを搭載する手段が始まり、モデル名を見ても「素性」が判り難くなってきた。
1965~68 「230S」(W111-ⅠA)2306cc (M180) 120ps/5400rpm
*1965~69 「250/250S」1965~69 「250S」(W108Ⅱ) 2496cc (M108) 130ps/5400rpm
(写真11-10ab)1965-69 Mercedes Benz 250S (W108Ⅱ) (1966-04 原宿/表参道)
車の「素性」はもはや追いきれないが、中型車「220」の一連のシリーズは「250」「280」「300」がある。
・場所は表参道だが明治通りよりずっと原宿駅に近いところだ。
*1965~68 「250SE」(W111Ⅲ)2496cc(M129) 150PS/5500rpm (クーペ/カブリオレ)
(写真11-11ab)1967 Mercedes Benz 250SE Coupe (1985-09 大阪万博公園)
前項のリムジーネと同時期の「クーペ」バージョンがこの車で、大阪の万博公園で開催されたイベントで撮影した京都ナンバー付きだ。ヘッドライトはアメリカ仕様でシールドビームが上下2段に置かれている。
(03)<300シリーズ>
<戦後第1世代>
✓1951-54 「300」(W186) 2996cc (M186) 115ps/4600rpm
✓1954-55 「300b」(W186Ⅱ/Ⅲ) 2996cc (M186) 125ps/4500rpm
✓1955-57 「300c」(186Ⅳ) 2996cc (M186) 125ps/4500rpm
✓1957-62 「300d」(W189) 2996cc (M189) 160ps/5300rpm
✓1952-55 「300S」(W188) 2996cc (M189) 150ps/5000rpm
✓1955-58 「300Sc」(W188Ⅱ) 2996cc (M199) 175ps/5400rpm
<戦後第2世代>
*1962~65 「300SE long」(W112/3)2996cc (M189) 2996cc 160ps/5000rpm (ロング)
(写真11-12a~d)1963 Mercedes Benz 300 SE long (W112) (2019-04 オートモビル・カウンシル)
この車はハネベンシリーズの「300SE」のロングホイールベース版で、吉田茂元総理に納入されたとある。
1966~67「300SEL」(W109Ⅲ) 2996cc (M189) 170ps/5400rpm
*1968~72「300SEL 6.3」(W109) V8 6332cc (M100) 250ps/4000rpm
(写真11-13a~d)1972 Mercedes Benz 300SEL 6.3 (2008-01 ベンツ博物館)
1967年従来の3ℓエンジンが姿を消し、代わって新しい「2.8ℓ」エンジンが登場し、「280S」「280SE」「280SEL」「300SEL」の4兄弟が誕生した。「300SEL」は 「280SEL」のエアサスペンション版でエンジンは2.8ℓだった。しかしこのボディにグローサー用の6.3ℓエンジンを詰め込んでしまったのが写真の車「300SEL 6.3」だ。外見はオリジナルと全く変わらないから、追い越されてからトランクの後ろに大きく「6.3」と書かれているのを見て納得するのは、この車の存在を知っていればの話だ。写真の車はベンツ博物館の展示車だが、何故かアメリカ仕様のヘッドライトを付けている。
(280シリーズ)
1967~70 「300SEL」(W109E 28) 2778cc (M130) 170ps/5750rpm
*1968~72 「280S」 (W108V 28) 2778cc (M130) 140ps/5200rpm
(写真11-14abc)1969 Mercedes Benz 280S(M130) (1968-11 東京オートショー/晴海)
*1968~72 「280SE」(W111E 28)2778cc(M130)160ps/5500rpm
(写真11-15ab)1968-72 Mercedes Benz 280SE (1969-11 東京オートショー駐車場/晴海)-
1968~71 「280SEL」(W108E 28) 2778cc (M130) 160ps/5500rpm
*1970~72 「280SE 3.5」V8 SOHC 3.5 ℓ(M116) 「280」「300」は排気量ではなくグレードを表す
(写真11-16ab) 1970 Mercedes Benz 280SE 3.5 Cabriolet (2012-12 トヨタ・クラシックカーフェスタ/神宮)
「280」シリーズは2.8ℓエンジンを積んだ「280S」「280SE」「280SEL」「300SEL」の4つ車をベースに、それにV8 3.5ℓ /V8 4.5ℓ のエンジンを詰め込んだバリエーションが造られたから車種は非常に多いが、外見は見分けがつけにくい。
1970~72 「280SEL 3.5」1971~「280SEL 3.5」V8 SOHC 3.5 ℓ (M116)
1971~ 「300SEL 3.5」V8 SOHC 3.5 ℓ (M116)
1971~72 「280SE 4.5」1971~「280SE 4.5」V8 SOHC 4.5 ℓ (M117)
1971~72 「280SEL 4.5」1971~「280SEL 4.5」V8 SOHC 4.5 ℓ(M117)
1971~72 「300SEL 4.5」1971~「300SEL 4.5」V8 SOHC
<新Sクラス> (1967年からSクラスの名称を使い始める)
1972~79 「280S」6気筒DOHC 2.8 ℓ (M110)
1972~79 「280SE」6気筒DOHC 2.8 ℓ (M110)
1972~79 「350SE」V8 SOHC 3.5 ℓ (M116)
1973~79 「280SEL」6気筒 DOHC 2.8 ℓ (M110)
1973~79 「350SEL」V8 SOHC 3.5 ℓ (M116)
1973-79 「450SE」V8 SOHC 4.5 ℓ (M117)
1973-79 「450SEL」V8 SOHC 4.5 ℓ (M117)
*1975-79 「450 SEL 6.9」1975~「450SEL 6.9」V8 SOHC 6.9 ℓ (M100)
(写真11-17abc)1975-79 Mercedes Benz 450 SEL 6.9 (1979-05 TACSミーティング/筑波サーキット)
大排気量エンジンを無理やり詰め込むパターンの最後に登場するのがこの車だ。エンジンは遂に6.9ℓ 迄大きくなった結果、2トン近い車だが最高時速は225キロとされているモンスターだ。
1977- 「300SD」
<Sクラス・2代目> (1979年より)
1979- 「280S」
1979- 「280SE」6気筒DOHC 2.8 ℓ (M110)
1979- 「280SEL」6気筒 DOHC 2.8 ℓ (M110)
1979~ 「380SE」V8 SOHC 3.8 ℓ (M100)
1979~ 「380SEL」V8 SOHC 3.8 ℓ (M100)
1979- 「300SE」
1979- 「300SEL」
1979- 「500SE」V8 SOHC 5.0 ℓ (M100)
1979- 「500SEL」V8 SOHC 5.0 ℓ (M100)
*1986 「500 SEC」Coupe
(写真12-1abc)1986 Mercedes Benz 500SEC Coupe (1987-08 銀座2丁目)
街中で見かけることが多くなったが、写真に収めたのは一寸お洒落な「クーペ」だった。
*1986 (500 TE (改Special)
(写真12-2a~d)1986 Mecedes Benz 500TE(改) Special (2015-10 所さんのアメリカン・フェア)
この車はカタログ・モデルではない。車好きの「所ジョージ」さんが好みに合わせ、金に飽かして、何台もの高い車を部品取りにして組上げた「スペシャル」で、思い出したくないほど金がかかっているそうだ。
*1988 「560 SEL」
(写真12-3ab)1988 Mercedes Benz 560 SEL (2018-08 オートモビル・カウンシル/幕張)
この辺りになると、最早分類については僕の手に負えなくなってきた。幕張メッセで見た「大きなベンツ」です。
<グローサー・メルセデス 600シリーズ>
戦後のメルセデスは1951年登場した「300シリーズ」が当時の最高級車としてベンツの頂点にあった。しかしその存在感は戦前の「770」には遠く及ばず「グローサー」を名乗ることはなかった。「300」シリーズは「b」「c」「d」と発展し、1962年で生産を終了したが、その翌年1963年のフランクフルト・ショーで待望の「グローサー・メルセデス600」がベールを脱いだ。ボディは長短2種が用意され「6座リムジーネ」と「8座プルマン・リムジーネ」と大別されるが、細分すれば6種あった。①「バージョンA」6座リムジーネ、②「バージョンB」8座4扉2列シート向かい合い、③「バージョンC」8座6扉2列シート前向き、④「バージョンD」Bのルーフを後席のみオープンするランドレー、⑤「スペシャル・バージョンD(E)」Cのランドレー化、⑥「スペシャル・バージョンD(F)」客席部分全オープン化(カブリオレF)
・ホイールベースは3200mm/3900mm、全長は5540mm/6240mmで、それまでの「300SEL」の2850mm/5000mmと較べると可成り大きいのが判る。エンジンは新設計の「M100」で90°V8 SOHC 6332cc 250ps/4000rpm 最高速度は時速200キロを超えた。
**1963-81「600 Limousine」(W100)6332cc (M100)250ps/4000rpm
(写真13-1a~f)1972 Mercedes Benz 600 Limousine (2011-10 ジャパン・クラシック・オートモビル/日本橋)
この車は当時「メルセデス・ベンツ日本総代理店」だった「ヤナセ」の梁瀬次郎社長が愛用した車と説明されていた。短い方の「リムジーネ」で、ヤナセで大切に保管・管理されていたから新車当時と全く変わらない姿は50年経っているとは思えない。
(写真13-2ab)1963-66 Mercedes Benz 600 Limousine (1966-07 原宿/表参道)
表参道で写真を撮っていたら、突然駐車しようと寄ってきた車が「グローサー600」だったので、びっくりしてとっさに2枚撮影したのがこれだ。「ライオンズクラブ」のバッジが付いているから社会貢献をしている、然るべき社長の車だろう。動いているのを見たのはこの時だけだ。
*1963-81「600 Pullman」(W100) 6332cc (M100) 250ps/4000rpm
(写真13-3a~d)1969 Mercedes Benz 600 Pullman Limousine (2019-04 オートモビル・カウンシル/幕張)
この車は長い方の「プルマン・リムジン」で「ヤナセ(ウエスタン自動車)」が輸入した8台の内の1台とあった。
(写真13-4abc)1971 Mercedes Benz 600 Pullman limousine (1985-09 大阪万博公園)
大阪万博公園で開催されたイベントとで撮影した「グローサー600」で、横から見ると700mmも延長したその長さが実感できる。
(写真13-5a~d)1978 Mercedes Benz 600 Pullman Limousine (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード)
イギリスでは室内の様子も撮影した。8人乗りの「プルマン・リムジン」だ。3・2・3の座席配列となっており2列目は後ろ向きの対面シートだから「バージョンB」だ。
(写真13-6abc)1963~81 Mercedes Benz 600 Pullman Limousine 1981-06 TACSミーティング/筑波)
1枚目、スペースが十分ないと大き過ぎてここ迄しか入らない。2枚目、おーい!しっかり前まで一杯入れろよー!、3枚目、しっかり入れても、こんなに余ってしまいました。
(写真13-7a~e)1974 Mercedes Benz 600 Pullman Limousine Special D (1973-11 東京モーターショー)
たった1台だけ日本に輸入された「ランドレー」で、6扉のCバージョン(2列シート前向き)をランドレー化したものだ。条件が悪く写真に出来は全く見るに堪えないが珍品なのであえて採用した。正面に御料車の菊のご紋章のように堂々と据え付けられている大きなバッジは、僕には判らないが、会社ではなく何かの団体ではないかと推測した。後席をオープンにしてどんなパレードをしたのだろう。
<スポーツカー>
✓1954-57 「300SL」(W198Ⅰ) 2996cc (M198) 215ps/5800rpm
✓1957-63 「300SL-R」(W198Ⅱ)2996cc(M199) 215ps/5800rpm(ロードスター)
✓1955-63 「190SL」(W121Ⅱ) 1897cc (M121ⅡBⅡ) 105ps/5700rpm
*1963~67 「230SL」(W113) 2306cc (M127)150ps/5500rpm
(写真20-1a~d)1963-67 Mercedes Benz 230 SL Coupe (1966-07 本郷通・神田明神前)
1963年「190SL」に代わって登場したのが「230SL」で、この車が発表された時一番話題となったのはそのルーフの処理だった。中央が凹み両サイドが反りあがった、今までに見たことの無いスタイルは、東洋風の寺院をイメージするらしく「パゴダルーフ」と呼ばれた。この後この6気筒は「250SL」「280SL」と進化し、71年にはV8の「350SL」へとバトンタッチした。
・写真の車は本郷通の神田明神の近くに停まっている所を見つけて撮ったものだが、この日に限ってカメラを持っていなかった。そこで近くの神田神保町のディスカウントショップに飛び込んで2台目のアサヒペンタックスを購入し、とって返して撮影したのがこの写真だ。当時の僕にとってこの車はそれほどに貴重な存在だった。
(写真20-2a)1964 Mercedes Benz 230 SL Roadster (1963-11 東京オートショー)
日本のモーターショーに登場したこの車には「メルセデスベンツ230SL クーペ ロードスター」と紹介されている。展示車はオープンの「ロードスター」だが、左後方のスタンドにのっているのが「ハードトップ」でこれを付ければ「クーペ」となる2ウエイだ。
*1966~68 「250SL」(W113A)2436cc(M129)150ps/5500rpm
(写真20-3ab)1967 Mercedes Benz 250 SL Roadster (2014-11 トヨタクラシックカーフェスタ/神宮絵画館前)
「230SL」との外見上の相違点はヘッドライトで、むき出しだったのがガラスでカバーされ、ライトの上にオレンジ色のターンシグナルが付けられた。
*1968~71 「280SL」(W113E 28)2778cc(M130)170ps/5750rpm
(写真20-4ab)1970 Mercedes Benz 280 SL Coupe (2014-11 トヨタクラシックカーフェスタ/神宮絵画館前)
「250SL」との外見上の相違点は全く見当たらない。ボディサイドに「ターンシグナル」が付いているのが相違点だが、これがオリジナルなのかアメリカ仕様のオプションかは不明。
(写真20-5ab)1971 Mercedes Benz 350 SL Coupe (1973年 港区・赤坂溜池付近)-
セダン系にV8が採用されると、SLシリーズにも3.5ℓ V8エンジン付きのモデルが登場した。顔付きは中央に大きなスリー・ポインテッド・スターのシンボルマークを持つスポーツカー伝統的のイメージをそのままに、左右のヘッドライトは上下幅一杯の横長の四角い大きなものに変わりイメージが一変した。屋根は平で逆に反ってはいないが両端の縁が少し高く、一見凹んでいるようにも見える。2年後には兄貴分「450SL」が登場、さらに80年にはそれぞれ「380SL」「500SL」に発展したが外見はほとんど変わらない.
(写真20-6ab)1977 Mercedes Benz 500 SL (R107) (2019-04 ジャパン・オートモビル・カウンシル/幕張))
ヘッドライトがアメリカ仕様のシールドビーム4灯に変わっただけで、後ろのバッジ「500SL」を見なければ「350SL」と見分けは付かない。
(写真20-7a~e)2008-10 Mercedes Benz SL550 Coupe (2012-05 銀座7丁目/ビヤホールライオン横)
30年後のSLを街中で捉えたのでその進化をご覧いただきたい。
< SLK > (1997~2016)
「Cクラス」をベースにした軽量スポーツ・タイプとして1996年誕生したが、2代目に至ってはV8 5.4ℓ を積んだモデルまで誕生し、コンセプトの捉えようがない。3代目の2016年に「SLC」に引き継ぎ「SLK」は終了した。
(写真30-1ab)1997 Mercedes Benz SLK 230 Kompressor(R170) (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド
初代の「SLK」は直列4気筒DOHC スーパーチャージャー付き2.3ℓ エンジンで1997年スタートし、2000年からはV6 SOHC 3.2ℓ エンジンが登場した。この車の後には「SLK 230」のバッジしか見えないが、ボディサイドに「Kompressor」の文字が見える。-
(写真30-2a~d)1997-04 Mercedes Benz SLK230 Kompressor (2010-07 イギリス・ポーツマス市内)
この車も前項と同じ初代の「SLK230」で、こちらはトランクの右側に「Kompressor」とはっきり入っている。
・グッドウッドで開かれる「フェスティバル・オブ・スピード」に行く際は毎回ポーツマスに宿泊するが、朝食前にホテルの近くを一回りした際撮影したもので、英国仕様だから右ハンドルだ。
(写真30-3abc)2004-10 Mercedes Benz SLK 55 AMG (2015-10 アメリカン・ピクニック/お台場)
2004年に2代目となった「SLK」だが、4気筒は輸入されず、V8 SOHC 5.4 ℓ 「SLK55 AMG」と、V6 DOHC 3.5 ℓ 「SLK350」の2種でスタートし、2005年にはV6 DOHC 3.0 ℓ「SLK280」、2006年には直列4気筒 DOHC 1.8 ℓ 「SLK200コンプレッサー」が追加された。
・写真の車はスチール製のハードトップにキャンバスを貼り、一見ソフトトップに見えるように「改装」し,布の下に木骨を入れ幌を張った感じを出すなど、手の込んだ細工がしてある。
(写真30-4abc)2013 Mercedes Benz SLK 200 MT (2013-11 東京モーターショー/東京ビッグサイト)-
3代目は2011年から発売された。最初は1794ccの「SLK200」と、3498ccの「SLK350」でスタートし翌2012 年には5461ccの「AMG SLK 55」、2015年には1991ccの「SLK200 MT」が追加され、4種のエンジンで8種のモデルが造られた。
・写真の車は2013年のショーに登場した際撮影したものだが、発売されたのは2015年8月と記録されている。車名に「MT」とあるように、この車はベンツとしては21年振りの「マニュアル・シフト」車だ。
<マイクロバス/特殊車>
(写真50-1abc)1957 Mercedes Benz O319 MicroBus (1958年 羽田空港)
マイクロバスについてはVWの方がいろいろなバリエーションを持っているため有名だが、メルセデスにも昔から存在していた。場所は羽田空港でお客はこれからハワイに帰るご一行のようだ。このバスには東京都心のホテルや横浜のグランドホテルへ行くと書いてあった。ボディには「空港リムジン」とあるが、アメリカではこのタイプのマイクロバスや、ストレッチしてドアが3つも4つも付いた一度に大勢を送迎できる車を総称して「リムジン」と呼んでいるようで、パーテーション付きのリムジンとは全く別の使われ方をしているから、ハワイ旅行のパンフレットに「リムジン送迎付き」とあったのにマイクロバスだったとしても文句は言えない。僕もマイクロバスのお迎えは体験済みだが、ある時はストレッチしたバー付きの高級リムジンがホテルに迎えに来たことがあった。背が低く中を中腰で移動するのが大変で、移動手段としてはマイクロバスの方が上だと感じた経験がある。
(写真50-2abc)1965 Mercedes Benz L406 Panel Van (2008-01 ベンツ博物館)
前項のマイクロバス「O319」の貨物バージョンが「L319」で、その後継者がこの「L406」だ。ヨーロッパ仕様だから当然「左ハンドル」だが、不思議なことに荷室への扉は運転席側(左)には付いておらず、反対の右側についている。VWのパネルバンは国内で何回も出会っているが、メルセデスのバンは一度も見たことはなかった。
(写真50-3a~d)1980 Mercedes Benz 230G Papamobile (ローマ法王特別仕様)
ガラス屋さんがショーケースを運んでいるのではありません。この車は「ヨハネ・パウロ2世」がドイツを訪問された際、法王を風雨や暴徒から守るため造られた防弾ガラス製の特別仕様車だ。横や後には非常時に護衛官が外を囲むためのステップと取手が付けられている。ベースとなったのはクロスカントリー車(ゲレンデ・ヴァーゲン)で2台造られている。
(写真50-5abc)1960 Mercedes Benz 300(D) Messwagen (2008-01 ベンツ博物館)
1960年たった1台だけ造られたこの車のベースは1957~62年に造られた「300d」で、「試験部門」の為に造られた「測定車」だ。データ収集のため大きく重い測定装置を詰めるよう後部スペースは最後尾まで天井が高い。大きくてカーブした側面ガラスは、デザイン上特異な印象を与えるが、この窓が測定時にどんな役割を果たしていたのだろう。
(写真50-6ab)1975 Mercedes Benz 200D Hearse(霊柩車) ( ベンツ博物館)
全体のレイアウトは前項の車と似ているが、こちらは中が良く見えるように造られた「霊柩車」仕様だ。この頃の日本では屋根付きの「お宮さん」と呼ばれたものは姿を消し、アメ車にランドウジョイントを付けたタイプが殆どとなったが、国民性の相違か中が見えないものが多いようだ。
(写真50-7abc)1973 Mercedes Benz ESF22 (安全対策試作車) (ベンツ博物館)
見慣れないタイプでごつい感じだが市販車には全く反映された気配が無いのは目的が違うからだ。説明によるとメルセデスとしては3回目のこの実験では、自動車の安全基準の向上を目指しており、「エア・バッグ」と「ベルト・テンショナー」(シート・ベルト)のテストが行われ、時速40マイルで硬い壁に正面衝突した場合でも,乗員が生き残る可能性が十分確認されたとあった。この実験の目的に衝突した際受ける「車のダメージ」を測定し、弱点を見つけて今後の車体強化役立てる、と言う目的は入って居なかったのだろうか。もし「バック」と「ベルト」だけの実験だったら、こんな頑丈そうな車では意味がなく市販車で試すべきだ思うのだが。車は1台しか造られていないからぺちゃんこに潰れた車をここまで直したのは凄い。
<レコード・ブレーカー/ショーモデル/試作車>
(写真60-1abc)1938 Mercedes Benz W125 V12 国際B級(5001~8000cc) 記録車 (2008-01ベンツ博物館)
この車のルーツは1937年のグランプリ・マシン「W125」で、それはオープン・ホイールの標準型でも十分戦闘力を持った傑作車だった。シーズン開幕の「アヴスレンネン・サーキット」は2つの高速道路を繋いだ最高速度重視の楕円コースだが、このレースのため空気抵抗の少ないストリームライナーを開発した。エンジンは「DAB」と呼ばれるV12気筒DOHC 5570cc 625ps/5800rpmが開発されつつあった。レースには3台のストリームライナーがエントリーされたが、シャシーは旧型の「W25」が使用された。その理由は「W125」のシャシーはまだ数が揃わず次のGPレースに備えるため、改造に廻す余裕が無かったからだが、単純なコースにシャシー性能は旧型でも大丈夫と踏んだのだろう。V12気筒の「DAB」エンジンはこの時まだ1台しか完成しておらず、残り2台は既に完成していた「W125」用の8気筒 5660cc 600psが搭載された。決勝では.本命の「W25+DAB」はリタイヤし、慎重に走った「W25+M125」が優勝した。平均速度は260.17km/hだった。
・この結果を踏まえた速度記録車は「W125」のシャシーに「DAB」エンジン(736ps)を搭載し、より改良された「ストリームライナー」のボディを被せたものだ。速度記録は1938年1月「ルドルフ・カラッチオラ」のドライブで「フランクフルト」~「.ダルムシュタット」間の高速道路を使って行われた。「フライング・キロメーター」は助走をつけた中間1キロを往復して、平均したものが記録とされ、この日「時速432.69キロ」が記録されたが、この記録は公道を使ったものとしては2017年まで破られなかった。同じ日に同じ場所でライバルの「アウトウニオン」も記録挑戦を行ったが、ドライバー「ローゼマイヤー」は復路 突風に煽られてコントロールを失い、立ち木に激突して死亡している。
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(写真60-2abc)1939 Mercedes Benz T-80 地上速度記録車 (2008-01ベンツ博物館)
この車は「アドルフ・ヒットラー」の発案で、イギリス勢によって独占され続けている「地上速度記録」をドイツ国内でドイツの車によって打ち破り、「国威発揚」を図ろうと1937年企画されたのが発端だ。設計は「フェルデナント・ポルシェ」がおこなう事となり、製作は技術の高さを買われ「ダイムラー・ベンツ」に委嘱された。(ダイムラー社の意思で企画されたものではない)エンジンは航空機用「DB601」をベースに強化された「DB603」が使用された。ベースとなった「DB601」は液冷で倒立V12気筒 33,929cc 1050hp/2450rpmだが、このエンジンを搭載していたのが第2次大戦でドイツを代表する戦闘機「メッサーシュミットBf109」だった。このエンジンは日本でもライセンス生産が行われ、陸軍では3式戦「飛燕」(ハ40)、海軍では「彗星艦爆」(アツタ21)に搭載された。「T80 」に搭載されたエンジンは「DB601」の発展型「DB603」の試作3号機で、航空機用に開発されているエンジンから転用されたもので、この車の為に設計されたものではない。耐久性、稼働率が要求される軍用機と違って、速く走るためだけに性能を重視した仕様に仕上げられている。排気量は44,520ccで、出力は量産型の1750psに対して、2500ps(瞬間時3030ps)迄改良されている。エンジンはミッドシップに搭載され、6輪車のうしろ4輪を駆動する。タイヤはコンチネンタル製で時速700キロが保証された、7.00/32の大型のものが特製された。高速時の浮き上がりを防ぐため両脇にはマイナス仰角を持つ大きなフィンが付けられている。初期の目標は時速600キロ、フライングスタートで650キロ、最高の条件が整えば700キロを目指していた。因みに当時この速度は想像を絶する速さで、速いものの代表 戦闘機の「隼」515キロ(1938)、「ゼロ戦」533キロ(1940)をはるかに超えていた。ところがドイツにはこの車で記録に挑戦するためのコースが存在せず、設計者「ポルシェ」はアメリカの「ソルトレーク」に持ち込むつもりだったが、元々このプロジェクトが「ドイツ車」を「ドイツ国内で」が目的なので聞き入れられず、新たに幅18メートル、長さ10キロのコンクリート道路を造ってしまった。しかしそれでもまだ十分ではなく、1940年にテスト走行を行う予定にしていたところ1939年4月第2次世界大戦が始まり計画は中止、この車は記録を残すことなく「幻の車」となってしまった。
<C-111シリーズ>
(写真60-3a-d)1969 MercedesBenz C-111(3ローター)/1970 C111 4ローター
「C111」は往年の「300SL」のようなスーパースポーツを目指したコンセプトカーで、異なる種類のエンジンを搭載するテストのベースとして使用された。初代がデビューしたのは1969年のフランクフルト・ショーで、エンジンは「3ロータリー・エンジン」280psが搭載され、最高速度は260km/hだったが、翌年には「4ロータリー・エンジン」に強化され、350ps 最高速度は300km/hとなった。出力を上げる手段としては「ロータリー・エンジン」は手軽だったかもしれないが、当時開発途上だったこのエンジンは、燃費の悪さ、適切なシール材の開発など問題も多く、採用は見送られた。博物館の案内板の最後に「ここに展示されているモデルは1970年から更に発展したバージョンです」と書かれてあったので、初代の映像を探して新旧並んだ資料を見つけた。初代はボンネットのエア抜き穴が小さい。
(写真60-4a-d)1976 Mercedes benz C111-ⅡD
1973年「ロータリー・エンジン」の「C111」に代わって登場した「C111-Ⅱ」は「ガソリンエンジン」(M117)で、V8 3.5 ℓは200psは、市販の「350SL」と同じものだった。
・1976年には「ディーゼル・エンジン」を搭載した「C111-ⅡD」に発展した。エンジンの「OM617」は5気筒2998cc 190psのターボ付エンジンで最高速度は253km/h だった。この車はディーゼルエンジンンの開発に当たって性能の限界や信頼性に関して重要な役割を果たしただけでなく、1976年6月には南イタリアの「ナルド・サーキット」で「64時間」を「4人」で走る記録に挑戦し、「距離」と「タイム」で16の国際記録を達成している。
(写真60-5ab)1978 Merrcedes Benz C111-ⅢTurbo Diesel (ベンツ博物館)
「初代」と2代目「C111-Ⅱ」までは市販を視野に入れたスタイルの「プロトタイプ」ともいえたが、1978年登場した3代目「C111-Ⅲ」になると、見た目は最早「速度記録狙いの実験車」以外何者でもなくなってしまった。新旧2台が並んだ資料を見つけたので比較されたい。ボンネットが先端までのものと、ヘッドライトから先にスリットの入った2種がある。エンジンは5気筒2998cc 230ps/4200rpm 最高速度327kmで、市販の「300SDターボ・ディーゼル」用エンジンの開発も目的の一つとされたが、専ら速度記録更新に力が入ったのではないだろうか。1978年再びイタリアの「ナルド・サーキット」で記録に挑戦し、「距離」と「所要時間」の異なる9つの世界速度記録を樹立した。500キロの平均時速は200.1マイル(322km/h)だった。
(資料60-6a~e)1979 Mercedes Benz C111-Ⅳ
1979年には4代目「C111-Ⅳ」が登場した。この車に関しては、資料が殆どなく細かいデータは不明だが、V8なので「ガソリン車」で、4.8リッターには該当するエンジンはなく「500SE/SL」に使用されている4973cc(240ps) が最も近い。KKK製ツインターボで500馬力を出し、イタリアの「ナルド・サーキット」で時速400キロを記録した、これが知りうる情報の全てだ。ボディに関しては写真で見る通り、垂直尾翼を2枚持ち前後に大きな水平翼を付けた姿は「レコード・ブレーカー」そのものだ。
(資料60-7abc)1991 Mercedes Benz C112 Coupe
「C111」が誕生した当時は市販されたら真っ先に購入したい顧客から「白紙の小切手」が何通も送られてきたという伝説が残っているが、結局「C111」が市販されることはなかった。しかし市販を望む声は根強く、約20年後の1991年「フランクフルト・ショー」で「C112」となって姿を現した。しかしオイルショックの時期と重なり、残念ながら市販は見送られ「C112」はショウ・モデルで終わった。
(写真61-1abc)2001 Mercvedes Benz F400 Carving
(写真61-2a~d)2012 Mercedes Bnz F125 !
最後は2000年以降のモーターショーに現れた「コンセプトカー」で、見慣れないスタイルだが、今後の動静を予見するものとなるのだろうか。
――次回は「マクラーレン」「メッサーシュミット」他の予定です――