第3回は、このブログのテーマであるTOYOTA 2000GTのミニカーの紹介です。
前回はミニカーのスケールの不思議について筆者の考察を交えて解説しましたが、今回はそれらのスケールモデルを実際にTOYOTA 2000GTミニカーでご紹介していくとともに、“お国柄”が自然に出てしまう海外メーカーのカーデザインとミニカーのデフォルメの特徴を解説していきたいと思います。
■TOYOTA2000GTの海外製ミニカーの不思議
第1回のブログでご紹介しましたが、全世界でTOYOTA 2000GTのミニカーはたくさん発売されています。1967~1970年まで、わずか3年間、337台の実車しか生産されず、日本市場がメインでほとんど輸出されていなかったこのクルマがなぜ……? 当時はまだ自動車後進国だった日本のクルマがなぜ……? 海外(欧州)でミニカーのベースとして採用されたのか……? いくつも疑問が浮かび、不思議で仕方ありませんでした。
※参考:わずか62台つくられた左ハンドル車は北米に輸出されましたが、欧州には輸出されていません。
事実、1968~1970年の間に、イタリアはメーベトーイ、イギリスはコーギーとロンスター・フライヤーズ、デンマークはテクノ、ドイツはシュコーからTOYOTA 2000GTのミニカーが登場しています。
この不思議の“理由”を自分なりに考察した結果、ひとつの結論として映画『007』とファッションモデルのツイッギー(敬称略)に行き着きました。突拍子もない意見だと思われるかもしれませんが、筆者なりの真剣な考察ですのでぜひ読み進めてください。
『007』はもちろん“世界一有名な諜報部員ジェームスボンド”の映画です(スパイなのに誰もが知っているとはこれ如何に!?)。
当時18歳のツイッギーもミニスカートで一世を風靡し、 欧州(イギリス)で、1年で1000万ドル(36億円)を稼ぎ出す超売れっ子ファッションモデル、今で言うファッションリーダーです。ミニスカートから覗く“小枝”(twig)のような華奢な脚から“ツイッギー”という愛称が定着しました。日本でも“ミニの女王”として若い女性の憧れの的になりました。
■ミニカーにしたいと思わせるデザイン
映画の『007』が関係しているという考察の解説ですが、大ヒット映画シリーズの第5作目『007は二度死ぬ(邦題)』に、TOYOTA 2000GTが登場しました。1967年上映されたこの映画に使われたことにより、TOYOTA 2000GTのカッコ良さが世界中に認知されたのだと思います。
映画ではオープンカーに改造されています。このオープンカーのミニカーは当時イギリスのコーギー社から映画の上映と同時に配給のある全世界で発売されたのです。当時はコーギーが“販売の権利”を独占していたので、他の欧州ミニカー会社はオープンカーがつくれず、ノーマルのミニカーをつくったという背景があります(この2000GTのオープンカーは第6回“映画の中で活躍したミニカー編”で詳しく解説しますのでご期待ください)。
TOYOTA 2000GTの量産車が発表された1967年、第14回東京モーターショーのTOYOTAブースにツイッギーが訪れています。この年、TOYOTAと東京レーヨン、森永の3社がツイッギーを日本に招待して各種のイベント出演やCM撮影等を依頼しました。そのイベントのひとつに東京モーターショーのTOYOTAブースで発表された“ゴールドのTOYOTA 2000GT”と一緒に わずか5分間だけですがメディア対応しています(実際はトヨペット・コロナのCMに出演するのでそのプロモーションだった)。
後日、このゴールドのクルマはツイッギーにプレゼントされてイギリスに渡り(ちょうど右ハンドル)、1968年2月に贈呈式とプレスリリースをしています。TOYOTA車を欧州で販売するための戦略のひとつとして宣伝(プロモーション)したのだと思います。イギリスでは、免許の無かったツイッギーの代わりに恋人のマネージャーが運転していました。欧州でも大人気で影響力のあるツイッギーが乗っている“日本からのスポーツカー!”ということで、ミニカーがつくられたのだと考えます。このクルマは現在、北米TOYOTAが入手してレストアを施し展示しています。
欧州では実車が発売されていないTOYOTA 2000GTが当時ミニカーに起用された理由は、『007』の映画に登場したから、当時のファッション界のトレンドセッター・ツイッギーが乗っているクルマとして話題になったから、と考察したわけですが、最終的に「ミニカーをつくろう」と欧州メーカーを動かしたのは、TOYOTA 2000GTの魅力的なデザインだったと思います。
ロングノーズ、ファストバッククーペのシルエットは、ジャガーEタイプに似ていると言われたりしていますが、TOYOTA 2000GT独自の洗練された流麗なフォルムは、日本の伝統と技術の結晶だと信じています。ダイナミックな塊感で流麗なフォルムを持つジャガーEタイプに対して、TOYOTA 2000GT は非常に繊細な曲面とそれを強調する緊張感あるエッジ使いで流麗なフォルムをカタチづくっています。これは手づくりだからこそ表現できた日本の美=日本のデザインであり、それは欧州の人たちにも理解して頂けたと思うのです。そしてその魅力的なクルマをミニカーとして再現したいと思わせたのでしょう。フロントフェイスは、透明なプラスチックカバーでおおわれた大きなフォグランプが強調され、メッキバンパーの無いオーバーライダーだけでつくられた、どことなく愛くるしい顔がデザインされていました。2年前の1965年に発売されていたTOYOTA スポーツ800との共通性はありますが、当時のどの国のクルマとも似ていない日本独自の美意識でデザインされていると感じます。筆者がこの2台を幼少の頃から大好きなのは“日本車らしいデザイン”が感じ取れるからです。
日本らしいデザインを感じる“美意識”はルース・ベネディクトの著書『菊と刀』で表されたように、国民性や土地固有の歴史や習慣などのルーツがあって、日本人の中に形成されたのだと思います。そして、同じように諸外国でもそれぞれの美意識が芸術やデザインの歴史の中で形成され、それが日常の生活の中で体験されて蓄積されました。
筆者の個人的な意見ですが、クルマのデザインにもそれぞれ生産地のお国柄が出ていると感じるのです。ドイツ車は質実剛健で硬質で真面目な作法、イタリア車は陽気で官能的な作法、イギリスは優雅で伝統を感じるのですがどことなくユニークな作法、フランス車はエレガントでお洒落なのですがドラマチックな要素を多く入れ過ぎて複雑怪奇になる作法、アメリカは大陸的でおおらかでダイナミックな作法、日本は精密で繊細正確なのですが、洒落を入れて愛くるしくする作法、という具合です。
そのお国柄が“デフォルメ”としてミニカーのデザイン造形に表れてくるのです。
写真の1/43スケールミニカーは、海外で生産された最初のTOYOTA 2000GTミニカー、イタリアのメーベトイズ製です。このミニカーですが、イタリア人の造形力はさすがに素晴らしく、この小さな標準サイズの1/43スケールの中で実車の特徴を良く捉えています。特にフロントフェイスの大きなフォグランプがデフォルメされ強調されています。部品が分けられて凝ったつくりになっているのがその証拠です。
そして、なんと実車が発表された翌年の1968年に発売されたのです。ちょうどイギリスで同年2月にツイッギーに贈呈されたゴールドのTOYOTA 2000GTがプレスリリースされた後です。このミニカーの色も同じゴールドに塗装されています。大いに関連があると感じざるを得ません。
ドイツからは、シュコーの1/24スケールでTOYOTA 2000GTのミニカーが出ています。造形はドイツらしく骨太で武骨な2000GTになっています。ここでも自然に出てしまうお国柄が見てとれます。
ノーマル仕様と、レーシング仕様があり、レーシング仕様にはドライバーが乗っています。レースが盛んで大好きな欧州メーカーらしいラインナップです。
SUBARUもWRCマニュファクチャラーズチャンピオンを1996年から3年連続で獲得した時、欧州での認知度と人気が爆発的に上がりました。欧州では、「自動車の歴史はレースの歴史」ということを痛感したことを覚えています。
イギリスは、コーギーのボンドカーの他に、ロンスター(LONE STAR)からもTOYOTA 2000GT が1970年末にモデル化されています。トミカ(1/60)と同じ3インチミニカーですが、フードが開きエンジンがモールドされていて驚きます。ロンスターのミニカーは、イギリス内で競合していたマッチボックスに対してディティールの再現やドアだけでなくフードやリヤトランクの開閉ギミックを売りにして高価な価格設定をしていました。部品分割も巧妙に考えられていて、このTOYOTA 2000GT はロアパーツのシャシーでヘッドランプがつくられて、ボディ色と区別されています。部品分割もチリが合っていて素晴らしい出来栄えです。ロンスターはこのTOYOTA 2000GTからメタリック塗装(カラーメッキ仕上げと当時のカタログには記述されている)にチャレンジしています。
調べてみると、ロンスターは1969年にニューヨークのおもちゃ見本市に出品して、アメリカと日本市場にミニカーを売る決断をしたようです。ラインナップにアメリカ車が多いのもその理由だと思われます。
■TOYOTA 2000GT現役当時の日本製ミニカーの魅力
TOYOTA 2000GTが現役だった1967~70年代に発売された欧州のミニカーを紹介してきましたが、当時の日本製ミニカーにも素晴らしいモデルがあります。
まず紹介したいのは永大グリップテクニカのミニカーです。全体のフォルムは実車の特徴をバランス良く再現し、格好良くシャープにできていて驚きます。スケールは珍しい1/28と大きめで迫力があります。筆者は、このスケールには訳があると思っています。永大グリップテクニカのミニカーの特徴のひとつである様々なギミックを再現するのに、この大きさが必要だったのだと思います。思わず目を見張るのは、ドアを開けて助手席の前にあるレバーを押すことで実車と同じようにリトラクタブルのヘッドランプが上がってダイヤモンドカットのランプが現れる(!)ギミックが織り込まれています。もちろんドアやフード、トランクも開閉できます。このミニカーに出会った幼少の筆者は完全にノックアウトされてしまいました。今でも“永大グリップ1/28ミニカー”のファンです。
しかし残念ながら1980年代にこの会社は無くなってしまいました。
日本のミニカーの歴史は、1959年に日本初のダイキャストミニカー“モデルペット”がアサヒ玩具から発売されます。続いて1961年に大盛屋がアンチモニー製の“ミクロペット(インテリアを省略して走らせるモデル)”、さらにインテリアを再現した“チェリカ・フェニックス”を発売しました。筆者は持っていませんが、現在、コレクターたちの間で高額で取引されるミニカーになっています。その後、ヨネザワがダイヤペットブランドでミニカーを発売します。
写真は、筆者が持っているヨネザワ・ダイヤペットのTOYOTA 2000GT。なんと3種類出ています。
第3回は、日本国内や外国でつくられたTOYOTA 2000GTのミニカー・アラカルトを紹介し、実車と同じように、その造形にはクルマのデザインと同じ“お国柄”が出てくることを解説しました。
今回ご紹介した個性的なミニカーをつくっていたメーカーのほとんどが、すでに会社が無くなっていて現存していません。非常に残念なことです。
次回はトミカサイズの3インチミニカーの世界を紹介しながら“デフォルメ”の味わい方について解説します。