第139回 N項-6「日産・4」ブルーバード出現後の乗用車

2025年1月27日

1990 President Sovereign

*1959年「ブルーバード」が誕生したが、翌1960年の日産乗用車のラインアップは「ブルーバード」(988cc、1189cc)と「セドリック」(1500cc、1900cc) の2種、4モデルのみだった。

サニー

(参考01-1a)1966 Datsun Sunny 1000 (B-10)

(写真01-2a~d)1966 Datsun Sunny 1000 2dr Sedan (B-10)  (2007-04 トヨタ自動車博物館)

1964年9月「ブルーバード」の1000ccモデルが廃止されたため、その後を埋めるため誕生したのが「サニー1000」だった。当時ライバルのトヨタ「パブリカ」が697cc(空冷水平対向2気筒)だったのを踏まえ、それを上回る988ccが採用された。この選択は正解で、折からのファミリーカー・ブームの波に乗って「ブルーバード」と共にベストセラーを続け日産を支えた。

(写真01-3abc)1966 Datsun Sunny 1000 Deluxe(B-10)  (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)

「サニー」と言う車名は公募され、約80万通の応募の中から選ばれたものだ。発売当初は「2ドア・セダン」のみで、価格は41万円だったから、360ccの軽自動車(30万円台)、697ccの「パブリカ」(38万9千円)に較べれば格安と言える。

(写真01-4a~d)1966 Datsun Sunny 1000 2dr Lightvan (VB-10)  (2010-04 銀座3丁目)

「2ドアセダン」のみでスタートした「サニー」は、その後「4ドア・セダン」「2ドア・クーペ」「ピックアップ・トラック」「2ドア・ライトバン」「3ドア・クーペ」「4ドア・ライトバン」「ステーションワゴン」「3ドア・ハッチバック」と次々とバリエーションを増やし、あらゆる用途に対応し益々人気を高めていった。写真の車はバンパーが外されており少々改造されている様だ。「Sports」のバッジが付いているがそれは「4速フロアシフト仕様」を示している。。

(写真01-5ab)1970 Datsun Sunny 1200 Deluxe 4dr Sedan (B-110)  (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)

(写真01-6ab)1979 Datsun Sunny 1400SCL 4dr Sedan(HB-310) (2015-07) 日産ヘリテージ・コレクション/座間)

1966年11月、ライバルのトヨタ「カローラ」が988ccの「サニー」に差をつけるため予定を変更して1077ccのエンジン備え「プラス100ccの余裕」と言う、許し難いキャッチフレーズで登場した。「カローラ」はその後も1200cc、1400cc、1600ccと続き、それに対抗して「サニー」も次々と排気量をあげ、1973年3代目(B210)では1595ccまで到達した。ライバルに負けじと徐々に高性能化した結果1ランク上のカテゴリーの車となってしまった。

チェリー

(参考02-1a)1970 Nissan Cherry (E-10)

(写真02-2abc)1970 Nissan Cherry X-1 1200 4dr  (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)

1000ccでスタートした「ブルーバード」が排気量を増やして上にあがり、その後を埋めた「サニー」も同じ道をたどって「1000ccクラス」が空きになると、その後を埋めたのが「チェリー」だ。元々は旧「プリンス」が次世代の車として開発していたもので、日産初の「前輪駆動車」となった。

(写真02-3abc)1971 Nissan Cherry Coupe 1200 GL (1976-03 CCCJ トライアル/富士ピードウエイ)

セダンでもなだらかな傾斜を持つリアスタイルはクーペでは更に強調された。真っ白な富士山をバックにした写真の車は富士スピードウエイの駐車場で撮影した。

<大型車・戦前>

(写真03-1a~d)1938 Nissan Type 70 Sedan  (1988-01 TACSミーティング/明治公園)

「日産70」に変身したアメリカ車「1935 Graham Paige 74」

戦前の日産は「ダットサン」で代表される小型車が主力だったが、大型車も少数生産されていた。しかしこれらは自社開発したものではなく、毎年モデルチェンジするアメリカ車の役目を終えた生産施設をそっくり購入して生産されたものだった。対象となったのは「グラハム」社の1935年型「グラハム・ペイジ74型」で、1937~40年これを「ニッサン70/73」として生産・販売した。実質は「ノックダウン」に近いものだった。エンジンは6気筒V 3670cc 80hp/3400rpmで、大型乗用車は合計で5,496台造られたが、日産の大型車の主力は「トラック」だった。

(写真03-2a~e)1938 Nissan Type70 Pheaton  (2007-04 トヨタ自動車博物館)

当初は「セダン」だけだったが、軍用目的で7人乗りの「フェートン」が少数造られた。

  <大型車・戦後>

(写真04-1abc)1960 Nissan Cedric 1500 4dr Sedan (Type30)(1960-04 新車発表会/静岡・駿府公園)

戦後の日産は小型の「ブルーバード」と中型の「セドリック」の2本柱で60代に入った。1960年4月誕生した「セドリック」は当初「1500cc」でスタートした。外見の大きな特徴は「縦4つ目のヘッドライト」、サイド迄回り込んだ「ラップアラウンド・フロントガラス」だ。写真は静岡市内で開かれた新車発表会の際撮影したものだ。初代の車は僕の勤務先でも購入していた。

(写真04-2a~d)1961 Nissan Cedric 1900 Custom(TypeG30)

1960年9月から小型車の枠が1500ccから2000cc 以下に引き上げられるのを踏まえて、1960年11月登場したのが排気量を増やし、ホイールベースと全長を100mm延長した「1900カスタム」(G30)だ。当然小型車枠なので「5」ナンバーだった。

(写真04-3ab)1963 Nissann Cedric 1900 Deluxe (2011-11 トヨタクラシックカーフェスタ/絵画館前)

1962年10月のマイナーチェンジでヘッドライトが縦から横並びに変更された。

(写真04-4a~d)1964 Nisssan Cedric 1900 Custom (2011-10 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

1963年9月のマイナーチェンジでフロントグリルのパターンが変更された。ここまでエンジンに変化は見られない。

(写真04-5a~e)1964 Nissan Cedric 2800 Special (Type50) (2018-08 オートモビルカウンシル/幕張)

初代最後の年となった1964年は「東京オリンピック」が開催された年でもあった。写真の車はその「聖火」を運んだ記念車だ。写真の車は1964年型だが、このモデルは1963年2月登場した「スペシャル」(Type50)で、小型車の枠を超えた6気筒2800ccのエンジンを備え、カスタムよりホイールベースを205mm、全長を345mm 延長した立派な大型車で、当然「3」ナンバーで,後年「プレジデント」に繋がるモデルである。

(写真04-6ab)1965 Nissan Cedric 2000 Custom 6 (Type130)  (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)

1965年から2代目となった「セドリック」は「ピニンファリナ」がデザインを担当した。130型系は、市販車すべてが2リッターの「5」ナンバーだった。

(写真04-7abc) 1966 Nissan Cedric 2000 Wagon 6 (WP130)  (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)   

「セドリック・ワゴン」には2種のエンジンがあり、この車は6気筒2000ccだが、他に4気筒もあった。当時最大のワゴン車で8人乗り仕様だった。

 

<プレジデント>

(写真05-1ab)1965 Nissan President A (Type150) (2017-10 日本自動車博物館/小松市)

「プレジデント」は英語では「大統領」の他「社長」「頭取」「総統」など、組織を統括する人を表す言葉だ。その名の通り1965年12月の誕生から2010年姿を消すまで、日産のフラッグ・シップとして45年の長きにわたってその地位を守り続けた。それまでの最上位にあった「セドリック」は最終的には3リッター迄拡大したものの、スタートは4気筒1500ccの小型車から始まったものを発展させたものだから、最上位の高級車としては限界にあった。「プレジデント」は最初から大型乗用車(フルサイズカー)として、計画され、エンジンは3988cc V8 OHV(Y40型)を備え、発売当時は車体、エンジン共に国内最大を誇った。ライバルのトヨタ「センチュリー」は約2年遅れの1967年9月に誕生するが、それまでは「プレジデント」の独壇場であった。

(参考05-2ab)1956 Nissan President C

「プレジデント」には4つのグレードが用意されていた。下から「A」「B」(H30 直6 OHV 2974cc) 「C」「D」(Y40 V8 OHV 3988cc)だった。

(参考05-3abc)1965 Nissabn President D (Type150)

初代の最上位が「Dグレード」だが、こんな高級車は街中ではめったにお目にかかれず、僕は一度も写真を撮る機会はなかった。1966年5月には当時の佐藤総理の下に1台納入されたと記録されているが、当時公用車はトヨタの「クラウンエイト(VG10)」「センチュリー(VG20)」(防弾仕様・特装車)が使用されているので、プライベートで購入されたものと思われる。公用車の場合は予備を含め複数購入される筈だからだ。D仕様の価格は300万円と当時としては破格の高値だった。

(写真05-4abc)1982 Nissan President Soverign (2017-10 日本自動車博物館/小松市)

2代目(Type250)は1973年から90年まで続いたが、1977年8月最高級グレード「ソブリン」が誕生した。エンジンはY44型V8 OHV 4414ccと更に大きくなったが、価格は574万3千円とうなぎ上りに上昇している。

(写真05-5ab)1990 Nissan President Sovereign (JHG50) (2015-07 日産ヘリテージ・コレクション/座間)

(写真05-6abc)1990 Nissan President Sovereign (JG50)  (2011-10 千葉鑑定団駐車場/幕張)

1990年3代目となったプレジデントは、北米向けを目的に開発された新時代の高級車「インフィニティ・Q45」をベースに開発された。エンジンはVH45DE V8 DOHC 4494ccが搭載されている。年式的には1990年は対象外だが、折角貴重な高級車を街中で撮影したこの写真はあえて例外で搭載した。

         ― 次回はスポーツカーの予定です ―

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