第7回 2005年/スーパーGT開催 チーム部門でNISMOが3連覇

2024年12月27日

1993年に全日本GT選手権レースとして開催され、1994年からは全日本GT選手権(JGTC)として正式にスタート。以来、JGTCは開催ラウンドや参戦メーカー、参戦チームを増やしながら独自の発展を遂げてきたのだが、2005年はシリーズを一新、国際レースシリーズのスーパーGTとして開催されることとなった。
2004年に合わせてニューマシンのZ33型フェアレディZを投入し、ドライバー部門(本山哲/リチャード・ライアン)およびチーム部門(NISMO)で2連覇を果たしたニッサンは、2005年のスーパーGTで3連覇を果たすべく、主力モデルであるフェアレディZのアップデートを実施していた。
具体的には前後のフェンダー形状を改良し、ドラッグの低減を図ることで最高速度が向上。さらに、フロントストラクチャーの形状を見直すことで耐衝撃性能を高めるともに、軽量化を推し進めたことも2005年型モデルの特徴といえるだろう。
2005年も引き続きNISMOの1号車「ザナヴィニスモZ」および22号車「モチュールピットワークZ」に加えて、ハセミモータースポーツの3号車「G’ZOX・HASEMI・Z」、TEAM IMPULの12号車「カルソニックインパルZ」と計4台のフェアレディZがGT500クラスにエントリーしており、シーズン序盤から素晴らしいパフォーマンスを披露していた。

2005年もスーパーGTは岡山国際サーキットで開幕したが、ここで抜群のスピードを見せたのがNISMOの2台で、22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝が予選でトップタイムをマーク。1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンが予選で2番手タイムをマークするなど、フェアレディZが決勝のフロントローに並んだ。
残念ながら22号車「モチュールピットワークZ」はオープニングラップでスピンを喫し、大きくポジションを落としたほか、終盤までトップ争いを繰り広げた1号車「ザナヴィニスモZ」もマシントラブルでリタイアすることとなったが、予選で9番手に出遅れていた3号車「G’ZOX・HASEMI・Z」の金石年弘/エリック・コマスが3位入賞を果たし、表彰台の一角を獲得した。
続く第2戦の富士スピードウェイでも22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝が予選で3番手タイムをマークするほか、決勝でも2位入賞を果たし、シーズン初の表彰台を獲得した。
さらに第3戦のセパンサーキットでは1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンが躍進しており、予選こそ4番手に終わったが、決勝では激しいバトルの末に1号車「ザナヴィニスモZ」がシーズン初優勝を獲得した。
この勢いは第4戦のスポーツラウンドSUGOでも衰えることはなく、12号車「カルソニックインパルZ」のブノワ・トレルイエ/井出有治が予選でトップタイムをマークするほか、22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝が3番手タイムをマークした。それだけに決勝でもニッサン勢の躍進が期待されていたのだが、12号車「カルソニックインパルZ」はレース序盤で他車と接触して5位に留まったほか、22号車「モチュールピットワークZ」もペースが上がらず7位に沈むこととなったのである。

それでも第5戦のツインリンクもてぎでは、予選6番手の12号車「カルソニックインパルZ」のブノワ・トレルイエ/井出有治が3位で表彰台を獲得したほか、予選7番手の22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝が4位に入賞。第6戦の富士スピードウェイでは残念ながらポディウムフィニッシュを果たせなかったが、予選で8番手に出遅れた3号車「G’ZOX・HASEMI・Z」の金石年弘/エリック・コマスが粘り強い走りを披露し、4位入賞を果たした。
そして第7戦のオートポリスでは、予選で2番手につけていた22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝が2位で表彰台を獲得、予選5番手の3号車「G’ZOX・HASEMI・Z」、金石年弘/エリック・コマスが3位でポディウムフィニッシュを達成。さらに予選6番手の12号車「カルソニックインパルZ」のブノワ・トレルイエ/井出有治が4位入賞を果たすなど、優勝には届かなかったものの、常にフェアレディZがポディウム争いを展開していた。
この結果、22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝がドライバー部門でランキング2位につけたほか、3連覇を狙う1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンがランキング5位で追う状態のなか、最終戦となる第8戦が鈴鹿サーキットを舞台に開催された。

しかし、この最終ラウンドでニッサン勢は苦戦を強いられており、1号車「ザナヴィニスモZ」が予選で9番手に出遅れたほか、22号車「モチュールピットワークZ」も予選は10番手でフィニッシュ。同大会におけるフェアレディZの予選最上位は3号車「G’ZOX・HASEMI・Z」の金石年弘/エリック・コマスによる7番手でニッサン勢は大きく出遅れることとなったのである。
とはいえ、雨の影響により週回数を減らして争われた決勝では1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンが巧みなピット戦略でジャンプアップに成功。レース終盤では2番手まで浮上していた。そのまま逆転で優勝を果たせば、1号車「ザナヴィニスモZ」の3連覇が決する状況だったが、わずかに届かずに2位でチェッカー。それでも1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンがドライバー部門でニッサン勢の最上位となるランキング3位でシーズンを終えたほか、チーム部門ではNISMOが3連覇を達成するなど、フェアレディZが速さと強さを見せたシーズンとなった。

2005年より全日本GT選手権(JGTC)は国際格式シリーズのスーパーGTとして開催。それに合わせてニッサン勢は、前後のフェンダーの形状変更で空力性能を高めた2005年型モデルを投入した。開幕戦の岡山で3号車「G’ZOX・HASEMI・Z」の金石年弘/エリック・コマスが9番手グリッドから3位に入賞した。  
空力および軽量化などのアップデートで2005年型モデルは開幕戦の岡山から素晴らしい走りを披露。22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム(左から2人目)/柳田真孝(左から1人目)が予選でトップタイム、1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲(右から2人目)/リチャード・ライアン(右から1人目)が2番手タイムをマークした。    
第2戦の富士スピードウェイでは22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝が予選で3番手タイムをマーク。500kmレースの決勝でも猛追、2位でシーズン初の表彰台を獲得した。  
第2戦、富士スピードウェイの決勝では1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンも素晴らしいパフォーマンスを見せた。予選こそ11番手に出遅れたものの、決勝では粘りの走りで4位入賞した。  
第3戦のセパンサーキットで主役を演じたのは1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンだった。予選こそ4番手に終わったが、決勝では激しいバトルの末にシーズン初優勝に輝いた。  
第4戦のスポーツランドSUGOでは、12号車「カルソニックインパルZ」のブノワ・トレルイエ/井出有治が予選でトップタイムをマーク。決勝は他車の炎上により赤旗中断となるなど波乱の展開となるなか、12号車「カルソニックインパルZ」も他車と接触し、大きく後退。それでもニッサン勢の最上位となる5位でチェッカーを受けた。  
第4戦のスポーツランドSUGOでは、12号車「カルソニックインパルZ」のブノワ・トレルイエ(右)/井出有治(左)が予選でトップタイムをマーク。決勝は他車の炎上により赤旗中断となるなど波乱の展開となるなか、12号車「カルソニックインパルZ」も他車と接触し、大きく後退。それでもニッサン勢の最上位となる5位でチェッカーを受けた。  
第6戦の富士スピードウェイでニッサン勢は苦戦の展開。予選8番手の3号車「G’ZOX・HASEMI・Z」、金石年弘/エリック・コマスがニッサン勢の最上位となる4位でチェッカーを受けた。  
第7戦のオートポリスでは22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝が躍進。予選で2番手タイムをマークすると決勝でもコンスタントな走りで、2位入賞でシーズン2度目の表彰台を獲得。予選5番手の3号車「G’ZOX・HASEMI・Z」の金石年弘(右から1人目)/エリック・コマス(右から2人目)が3位でシーズン2度目のポディウムフィニッシュを達成した。  
最終戦の鈴鹿サーキットではドライバー部門でランキング5位につける1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンが躍進。ドライの予選では9番手に留まったものの、ウエットの決勝では猛追を披露していた。わずか1.5秒差の2位に惜敗し、3連覇を果たせなかったが、ニッサン勢の最上位となるランキング3位で2005年のシーズンを終了した。  
最終戦の鈴鹿サーキットでは1号車「ザナヴィニスモZ」の本山哲/リチャード・ライアンは2位に入賞しほか、22号車「モチュールピットワークZ」のミハエル・クルム/柳田真孝が8位でポイントを獲得。その結果、NISMOがチーム部門で3連覇を達成した。
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