第23回 ミニバンの新しい方向性を求めて

2024年11月27日

2000年代に突入して小型車のトップメーカー、トヨタと日産の新車開発も自社の独自性を強調するようになり、バンおよびミニバン系の開発車両達も同様で、トヨタは「従来にない全く新しい形態車を」、日産は「従来モデルをベースにした新形態車を」をデビューさせてゆく。

1986年の3代目になったキャラバンE24型の登場時は乗用のシルクロード系がトップモデルだったが、2001年に4代目となるE25型になると、1および4ナンバー貨物、2ナンバーのマイクロバスのみに集約させての登場だった。しかし売れ筋の乗用モデルがないとセールスしにくいと、2003年5月にマイナーチェンジ。乗用車グレードに8人乗コーチ「シルクロード」を復活追加する。

E25型のシルクロード系は、撥水ラゲッジフロアやセカンドシート取り外し機能、セカンド/サードシートロングスライド機能などの多彩なアレンジを可能にし、レジャーに適した室内空間を演出していた。安全装備としてデュアルエアバッグ、ABS、ロードリミッター&プリテンショナー付きシートベルトなど装備しての登場となった。

ルノーとの提携で乗り込んできたカルロス・ゴーンによる日産リバイバルプラン(生産拠点集約化=リストラは)村山、座間工場閉鎖など話題に、その余波を受け戦前から航空機のプロペラ、戦後にダットサンピックアップなど担当した旧新日国工業(後の日産車体)の京都工場(オートワークス京都に社名変更)は、キャブオールのマイクロバス、キャラバンなども担当してきた。だが2001年3月末をもって、量産キャラバンの日産車体京都工場での製造を終了、湘南工場に移管されて独立路線をゆくことになる。

1982年に登場したミニバン系日産プレーリーにも終焉がみられた。初代プレーリーM10型はサニーB12型やバイオレットをベースに、まさに無骨ともいえる角形フォルムの新感覚ミニバンスタイルを提唱した進化型モデルだった。時代の要請により、1985年にはCA20S型エンジン搭載車を登場させた。人気も出だして、1988年9月にブルーバードをベースに、ウエッジシェイプスタイルの2代目プレーリー(後にプレーリージョイ)M11型に。1998年には一般的な乗用車的フォルムの3代目プレーリーリバティ M12型となり、パワートレインやサスペンションをW11型アベニールと共用、キャッチコピーは「パパママリバティ」となる。

2001年5月には直4 DOHC SR20DE型エンジンを搭載、車名からは「プレーリー」が消滅し、「リバティ」の単独ネームに変更。車名ロゴも「Liberty」から大文字の「LIBERTY」となった。

2004年5月にトヨタ店向け(大阪地区は大阪トヨペット)、かつ日本国内市場専用の“新生ミニバン”が登場。名称はアイシス……英語での意味は「古代エジプト豊穣の女神の名」のこと。トヨタでは「乗る人すべての心を豊かにするクルマ」という意味を持つと説明。生産は関東自動車東富士工場(後のトヨタ自動車東日本東富士工場)が担当した。

トヨタアイシス最大の特徴は助手席側に「パノラマオープンドア」を採用し、左側2つのドアの間にセンターピラーのない、前後幅1890mmの広い開口部が現れるのことだった。この特徴的な機構に合わせてか、1番目シートは助手席がタンブル(可倒)シート、2番目シートはチップアップ(座面跳ね上げ)機構付き、3番目シートは床下格納機構付きなど、用途に応じて多彩にアレンジできるように工夫されていた。

エンジンは可変バルブタイミングのDOHC直噴(D‐4)の2.0L(1AZ-FSE型)+無段変速機SuperCVT-i、1.8L(1ZZ-FE型)は4速ATの SuperECTで前輪駆動(FF)と4WDを設定。さらに2009年9月からエンジンを変更、バルブの開きではなく、リフト量を変えるバルブマチック付きエンジン(1.8Lの2ZR-FAE型、2.0L車は3ZR-FAE型)に換装し、燃費を向上+CO2削減+低燃費+出力1割アップを実現。加えて最高峰スポーティモデルのプラタナには7段シーケンシャルシフトを採用していた。

さらには「進行方向において障害物に接触する可能性がある場合に、ウォーニングで知らせる、世界初のステアリング感応式クリアランスソナー」をオプションで用意して、安全面で最も配慮しての登場だった。そして発売からなんと! 13年にわたりモデルチェンジされず、トヨタの乗用車ラインナップでは、単一車種としてロングランを続けたモデルとなった。

ドアにこだわり、2004年7月に登場した“新コンセプト”車がトヨタポルテであった。初代ヴィッツのプラットフォームをベースに、ホイールベースを230mm延長し2600mmに、車高1720mmのミニバンシルエットのボディの5人乗り。生産はトヨタ高岡工場とダイハツの京都工場で、搭載エンジンはガソリン1.3リッター(2NZ-FE型)と1.5リッター(1NZ-FE型)。発売当初は前輪駆動(FF)のみだったが、2005年12月に4WDが追加された。

ポルテ最大の特徴は、車体左側中央部に設けた間口の広い(1020mm)電動スライドドアと、ノンステップバスと同等の、地面から300mmと低いフロア高。PORTEはフランス語で「扉」「ドア」の意味……大開口ドアにちなんだ名称といえる。低くてフラットなフロアは人の乗り降り、荷物の積み下ろしも便利で、スライド幅750mmの助手席や、前席を引き起こしてフロアスペースを広げる後席のシートクッション、分割可倒式の後席シートバックなどにより、室内は用途に応じた多彩に使えた。

ポルテは福祉車両(ウェルキャブ=トヨタ福祉車両シリーズの名称)への適応性が高く、広いドアを活用したサイドアクセス車、助手席リフトアップシート車などを用意。前者は助手席位置に脱着シートまたは専用車いすで乗車可能。2006年9月には、ウェルキャブに、運転席がリモコン操作だけで助手席位置へ移動し、そのまま車外へ移動して降車することが可能な「ウェルドライブシート」仕様を設定。その後もウェルキャブに対する機能の充実を図った。ポルテは2012年7月に2代目となり、運転席側にリヤドアを設けて前後2ドアにしたことで、実用性が格段に向上した。

1998年6月登場の初代日産プレサージュ(PRESAGE)U30型は栃木工場で生産された。ルネッサをベースとしたため、やや高床フロアとなっていた。後ドアは前ヒンジドアを採用し、セドリックやグロリア等高級車から乗り換える50代から60代の中高年層もターゲットとしたとされる。プレサージュはN30型ルネッサをベースに「高級セダンから乗り換えても充分な満足感を得られる上質な車格感」をアピール。オデッセイの対抗車として設計されたもの。

プレサージュは、2003年7月に2代目 U31型にモデルチェンジ、九州工場で生産された。ティアナなどのセダンにも用いたFF-L低床プラットフォームを採用した。オデッセイの対抗とし後ドアにようやく両側スライドドア採用、リヤゲートにはガラスハッチを採用。2列目助手席側のシートは横へスライドさせることができ、キャプテンシート2人掛けとベンチシート3人掛けとを使い分けることができた。

月間販売目標台数は5000台とされ、エンジンはV6の 3.5L VQ35DE型+エクストロニックCVTと、直4は 2.5L QR25DE型+4速AT。当時日産製RVに多かった、前輪のみベンチレーテッドディスクブレーキ仕様が、全輪ディスクブレーキ仕様にグレードアップされたのも大きな進化だった。2004年10月に日産は、プレサージュ全グレードの内装および装備を変更。フロントグリルのメッキ化など、ハイウェイスターの外装を一部変更したほか、オーテックジャパンによる特別仕様車「ライダーS」を追加設定する。

ここで紹介するプレサージュのカタログは2004年10月発行のもの。この後2006年5月のマイナーチェンジで、エンジンの静寂性が向上、初の海外販売として香港に輸出が行なわれ、追ってシンガポールへも輸出が開始された。

こうして、2000年代初頭のトヨタと日産のバン系の歩みを見てきたが、“自由な感じの前者”と“諸条件に苦しめられた後者”の動きがよくわかる開発の時代といえた。

8人乗り最上級グレードのシルクロードは、2代目日産キャラバン以降に乗用車モデルの上級グレードとして販売されてきたが、2003年5月の4代目キャラバンのマイナーチェンジ後に再登場、再レギュラーモデルになる。
シルクロードのシート配列。カタログ上の乗車定員は前から2+3+3=8名になっていたが、1−2列目は50:50にセパレートしており……実用的には2+2+2=6名か、3列目が3座の7名乗車がせいぜいだろう。2-3列シートで対座仕様(2列目シートの脱着による)とすることもできた。
ラインナップは乗用コーチ系のシルクロードがVXおよびGX、商用バン系の2/5名、2/5/7名乗りGX、前席も3名乗りにした3/6名、3/6/8および3/6/9名乗りのバン系を生産。乗用系はオーテックジャパンが幼稚園児バスに仕立てて5ナンバーを取得していたこともあった。
キャラバンは2007年11月に、バンのGXに「スーパー」を冠した特別仕様「スーパーGX」を加えた。5人乗りの2-3座の2列シート、両側スライドドア車でサイドウォークスルーが可能なコラム式4AT、2WD/4WDを用意。依然として1および4ナンバーのバン型車主体で推移してゆくが、装備的にワゴンに匹敵してゆく。
日産リバティは、2004年5月登場の特別仕様車でキセノンヘッドランプ、専用シートなどを装備した「L-Edition」なども発売するが、2004年11月のオーダーストップに伴い生産終了。在庫対応分のみの販売となる。2004年12月に後継モデルとなるラフェスタが登場、プリンス設計陣が生んだプレーリー系22年の歴史に終止符が打たれた。
リバティのカタログは随分と豪華なもので、グラフィックな画像処理が多用されたレイアウトであった。このページでは当時として容量の大きいDVDナビの採用、加えてバックモニターも併用という使い勝手を考慮した内容であったことが窺える。
左ぺージの左右分割シートは当然として、それぞれスライド可能で3列目シートへの乗降をしやすくしていた。後部両側にスライドドア採用するが、助手席側をリモコン作動のオートドア方式にして利便性をアップ、オートスライドの作動は運転席のオープンスイッチ、リモコンメインキー、ドアハンドルと多様に選択が可能だった。
左ページは、買い物時に両手がふさがっている際の使い勝手を強調、スライドドアが瞬時に開閉できることを訴求している。右ページは、3列シートの多様なアレンジ方法を解説。乗車定員は前から2-3-2名の7名になっている。この写真では2列目シートの左側がたたまれているので、2-1-2名の5人が座れる計算になる。
左ページは、排出ガス車適合など“エコロジー”についてページが割かれている。ラインナップ右上のスポーツパッケージは、ナビゲーション装着車の高級グレードであり、さらにキセノンHIDの出始めの頃で……ロービームのみ適用、外装も各種スポイラー装備で目立っていた。
全国のトヨタ店(大阪のみトヨペット店)から2004年9月末に発売された“次世代ミ二バン”がトヨタアイシス。英語で「古代エジプト豊穣の女神の名」という意味で、「乗る人すべての心を豊かにするクルマ」……とトヨタの弁。乗降性、積載性、柔軟な室内空間など、画期的なユーティリティを実現したという。
「アクセスとスペースの革新」を目指して開発され、最大の特徴は「パノラマオープンドア」で、助手席側ドア内にセンターピラーを内蔵、後部スライドドアまでなんと1890mmの大きい開口部を持たせたのが特徴。写真のように荷物を抱えたまま車外に出られ、このあたりは日産リバティと同種の考え方があったことが窺える。
アイシスが目指したのは「一瞬で人をいざなえる気持ちのいいデザイン」だという。「ユーティリティを徹底的に追求」し、「先進技術の採用による快適で安心感のある走りを」を目指し、「これからのミニバンのあり方を提示している」……と解説されている。
G系とL系の内装色は、フォーン=英語で「子鹿」という意味で、子鹿のような黄色の毛色が名前の由来。中央下はエアロフォルム車プラタナに設定されたダークグレー・インテリア。
ボディカラーのうち、ホワイトパールクリスタルシャインはメーカーオプション。右ページでは、アイシスの特徴あるシートアレンジメントを展開。助手席の折りたたみ機能付きのタンブルシートを大きくみせ、その下にアレンジの各モードを紹介している。3列目シートは半分ずつ折りたため、長尺物も収納可能にしていた。
アイシスが“リラックスできる空間”になると解説していたカタログ。右側ページでSafety=安全対策、Ecology=経済性を解説。ドアの端部に内蔵ピラーを収納して剛性を確保。エコロジーでは低燃向上からリサイクル素材の採用など、全般にわたって解説がしてあった。
左のページでは「それでは良い週末を。」とのキャッチコピーが付く。いまだにカーキャンプサイトは日本国中で流行をみせているが、テントなどは大型化のきざしがある。右ページはフルラインナップで、1.8リッターも揃えていた。2009年9月にはバルブマチックエンジンを搭載、2017年まで生産されてゆく。
トヨタポルテは2004年7月発売の“新コンセプト”車。ヴィッツをベースに、ホイールベースを230mm延長した2600mm、その上に車高1720mmのミニバンシルエットのボディを載せた、5人乗り乗用車として誕生したもの。生産は高岡工場、2006年3月からダイハツ工業京都工場に移管された。
PORTE(ポルテ)は、フランス語で「扉」「ドア」の意味を持ち、車両の特徴である、大開口スライドドアにちなんだ名称であるという。その由来の通り、最大の特徴は左中央部に設けた間口の広い(1020mm)電動スライドドアと、ノンステップバスと同等の、地面から300mmと低いフロアであり、福祉車両への適応性が高かった。
トヨタのデザインのフイロソフィ「VIBRANT CLATITY(活き活き・明快)」に基づく「スマート・モダン」がデザインテーマ。外観は「シンプルでさわやかな存在感」が目指された。カタログも細部のデザインポイントを強調していた。
スライドドア開口部は幅1020mm、高さ1265mmのため、傘を開きつつクルマから乗降できるという様子を展開した場面。楽器のコントラバスも大きなドアなので楽々積めることを図説している、とにかく当時としてはユニーク設計といえる。2005年12月は4WDが追加された。
リラクゼーションタイムを家族、友人、愛犬と、ゆったりと過ごせるポルテ……とシーンを演出。UVカット&プライバシーガラス採用のもアピールされていた。小柄なボディの割には、ルーミな室内であることが強調されていた。
ポルテの当初のカタログはなんと32ページもあった。2010年版では36ページと上級車なみの厚さになってゆく。当初はこのようにデザイン&スタイルなど、イメージを強調したものであったが、次第に機能の解説が多くなってゆく。月販4000台の予定が受注1万6000台と、目標の4倍にもなる人気車だった。
大きいドアで乗降しやすいこと、すぐにシートに座れることなど、ポルテ独自の設計が人気を得てゆく。2012年7月には2代目となり、姉妹車スペイドも加わった。生産はトヨタ東日本東富士工場となり、2021年1月まで販売された。通算16年間にわたるロングセラー車となった。
円形メーターパネルを採用したコクピット部には半円形のタコ&スピードメーターがダッシュ中央部に装備され、インテリアは造形的にも「ユニセックスでフレッシュ」なポップなデザインがなされた。2DINサイズのオーディオ部分には、オプションでカーナビゲーションが装着される。
搭載エンジンは最新のVVT-i=Variable Valve Timing-intelligent=連続可変バルブタイミング機構採用の1298cc、87ps/6000rpm、16.4km/Lおよび1496cc、109ps/6000rpm、16.0km/L。登降坂変速制御付き4速オートマチックでイージードライブを目指した。8色ものカラフルなボディカラーの設定“も人気の要因となった。
2003年7月登場の2代目日産プレサージュ(フランス語で“予感”の意味。初代モデルのリリースでは、「新時代の生活・シーンなどを“予感”させるミニバンであることを表現」とある)で、カタログには「そのフォルムを見ただけで、運転する楽しさが伝わってくる」と解説していた。
“目的地に到着することよりも、目的地に向かって走る時間が楽しい、ロングツーリングがもっともっと楽しくなる”。当時の最新DVDナビゲーション+バックビューモニターなどのメーカーオプションを標準装備していることを説明して、カタログ解説がされていた。
当時の流行であろうか? トヨタのポルテと同様に中央配置のメーターパネルを持つプレサージュ。乗車定員については、トヨタのアイシスが2+3+2の7名であったのに対し、プレサージュは2+3+3の8名で、2列目シートはアームレストをたたみ中央部を左右に動かせ3名座りにできるようになっていた。
インテリジェントキーは、3列目シートへの乗降性向上のため、2列目の左側シートが乗車時に前方に移動する「セカンドシートリモコンウォークイン」スイッチを装備、各種ドアロック機構、エンジン始動用のリモコン機能を持たせて登場。エンジンは直4の2.4リッターまたはV6の3.5リッターで、車体も小型車枠を超えた3ナンバー車であった。
ラインナップは日産おなじみの「ハイウェイスター」を設定。価格はトヨタの小型車枠のアイシスに揃えた“お得な設定”といえたが、ボディサイズがやや大きく、購入検討者の住宅事情がひとつの選択肢になったかもしれない。なお中央配置メーターは、2006年5月のマイナーチェンジ時に廃止された。
^