R33型のラストイヤーとなった1998年の全日本GT選手権(JGTC)で猛威を発揮したニッサン勢は、23号車のエリック・コマス/影山正美がドライバー部門でタイトルを獲得したほか、2台のGT-Rでポイントを重ねたNISMOが初めてチーム部門でチャンピオンに輝いた。そして、その勢いは1999年も衰えることはなかった。
ニッサンのフラッグシップスポーツカー、スカイラインGT-Rは1999年1月にモデルチェンジを果たし、R34型がリリースされていたが、それに合わせてJGTCの参戦モデルもR33型からR34型へスイッチ。4台中3台が開幕戦に合わせてR34型のGTカーを投入していた。
R34型モデルにおける最大の特徴がコンパクトなボディで、R33型と比較して全長およびホイールベースが短縮されていた。同時にボディ剛性が向上したほか、ドラッグも低減されており、これまで弱点とされていたストレートでのスピード不足も、ライバル車両を凌駕するほどのレベルに達していた。
さらにR34型の1999年モデルでは、それまでトランクにマウントされていた燃料タンクをキャビン内へレイアウトしたことで、燃料残量による重量配分の変化が抑制された。これにより、GT-Rは予選だけでなく、決勝レースでも強さを発揮することになったのである。
事実、1999年のJGTCではニッサン勢が猛威を振るった。開幕戦の鈴鹿サーキットで、NISMOの1号車「ペンズオイル・ニスモGTR」を駆るエリック・コマス/本山哲が予選で2位につけたほか、決勝でも2位で表彰台を獲得。続く第2戦の富士スピードウェイでは、予選で14位に留まっていた12号車「カルソニックスカイライン」の星野一義/影山正美が決勝で脅威の追走を披露、3位で表彰台を獲得するなど、R34型GT-Rのパフォーマンスの高さを証明した。
第3戦のスポーツランドSUGOでは、12号車の星野一義/影山正美による5位入賞がニッサン勢の最上位となったが、第4戦のセントラルパークMINEでは1号車のエリック・コマス/本山哲が躍進。予選は8位と出遅れたものの、決勝では猛追を見せており、奇跡の逆転でシーズン初優勝およびR34型GT-Rでの初優勝を獲得したのである。
その後も1号車「ペンズオイル・ニスモGTR」を駆るエリック・コマス/本山哲が第5戦の富士スピードウェイで3位に、第6戦のTIサーキット英田ではNISMOの2号車「ARTAゼクセルスカイライン」をドライビングする鈴木亜久里/ミハエル・クルムが2位にそれぞれ入賞。さらに、最終戦となる第7戦のツインリンクもてぎでは、2号車「ARTAゼクセルスカイライン」の鈴木亜久里/ミハエル・クルムが2位、1号車「ペンズオイル・ニスモGTR」のエリック・コマス/本山哲が3位で表彰台を獲得するなど、ニッサン勢は最後まで安定した走りを披露していた。
その結果、1号車「ペンズオイル・ニスモGTR」のエリック・コマスがドライバー部門で2連覇を達成。ル・マン24時間レースの予備予選に出場するために第2戦の富士を欠場した本山哲も、同部門で3位を獲得するなど、R34型GT-Rはデビューイヤーから素晴らしいパフォーマンスを見せていたのである。