第143回 三菱スタリオン – 3

2024年8月27日

 今回はスタリオンの最終回として、クライスラー社で「コンクエスト(Conquest:征服)」の名前で販売されたスタリオンについて紹介する。

 1970~1980年代にかけてギャラン、ランサー、ランサーセレステ、ミラージュ、シャリオ、スタリオン、GTOなど、多くの三菱車が別名を与えられてクライスラー社の販売網で販売されたが、そのいきさつについて振り返ってみよう。

 1964年にわが国がIMF(国際通貨基金)8条国(IMF協定第8条に基づき、経常取引における支払い制限の回避、差別的通貨措置の回避、他国保有の自国通貨残高の交換性維持を受託した国)に移行し、続いて、OECD(経済協力開発機構)に加盟して開放体制に入り、自動車の資本自由化も時間の問題となったことから、米国のビッグ3による日本市場への進出を企図した活動が活発となった。

 国内では、乗用車市場で日本進出が予想されるビッグ3に対抗するには、トヨタ自動車工業、日産自動車の各系列を柱に体制固めをする二大系列構想が流布されるようになり、三菱としては、座してその推移に身をゆだねるのではなく、量産体制の確立や技術開発力の強化に努めた。

 さらに、受注品中心の多角経営を行う三菱重工業の中で、典型的な見込み製品である自動車事業を将来とも伸長させるには、自動車部門を分離・独立させ、強化する必要ありとの結論に達し、100%子会社化による分離独立方式により1970年4月22日、資本金299億円の三菱自動車工業が設立された。

 1969年には三菱自動車工業に対して米国クライスラー社の積極的なアプローチがあり、その結果、資本参加が決まり、1971年6月11日に認可され、同年9月10日、第三者割当増資の形で新株式を発行し、三菱重工業85%、クライスラー社15%(当初35%の予定であったが、クライスラー社の事情により変更された)のシェアを持つ日米合弁会社となった。

 一方、合弁会社の成立に先行して、クライスラー社の販売網を通した北米等への輸出が具体化した。1970年10月1日、クライスラー社と「合衆国流通契約(USDA:United States Distribution Agreement)」に調印。続いて動燃12月8日にはクライスラー・カナダ社と「カナダ流通契約」に調印。販売車種の第一陣として、新開発されたコルトギャランの北米仕様車が10月28日に米国に向けて400台、12月21日にカナダに向けて250第出荷され、1971年1月4日から「ダッジコルト」の名前でまず西海岸地域から販売を開始した。 

上の2点は、1970年12月にクライスラー社で発行されたダッジコルトのカタログ。裏表紙には「Dodge Colt is now available through selected Dodge Dealers in Western United States. Made for Chrysler Motors Corporation by Mitsubishi Motors Corporation in Japan.」とある。1.6リッター100馬力エンジン+4速MTを積み、オプションで3速ATも選択できた。モデルは4ドアセダン、2ドアハードトップ、2ドアクーペ、ステーションワゴンがラインアップされていた。国内に先行して4灯式ヘッドランプが採用されている。非常に好評で1971年に5万983台出荷された。

1983年8月、クライスラー社で発行された1984年型Dodge/Plymouth Conquestのカタログ

上の2点は1984年型Plymouth Conquest(上)とDodge Conquest(下)のカタログ表紙と裏表紙。PlymouthとDodgeの名前が載っているのはこの2頁のみで、他の頁は共用している。この2点はConquest最初のカタログ。

Dodge/Plymouth Conquestのカタログ。2.6L直列4気筒OHC MCA-JETターボ145hp/5000rpm(SAE net)、25.6kg-m/2500rpmエンジン+5速MTを積む。モデルイヤー途中から4速ATがオプション設定された。

1985年8月に発行された1986年型Plymouth Conquest/Colt/Vistaのカタログ

1984年型から1986年型までConquestはプリムスとダッジのディーラー経由で販売された。カタログの裏表紙には「このカタログについて:本カタログに掲載されている情報は、印刷時点から更新されている場合があります。詳しくは販売店にお尋ねください。」とある。

 カタログに併記されているColt(コルト)は日本名ミラージュ。ミラージュ開発にあたっては、同時期にクライスラー社でもサブコンパクトの「L car(Dodge Omni/Plymouth Horizon)」を開発しており、来日したクライスラー社幹部が、競合することを問題視したため、話し合いの結果、ミラージュの全幅・トレッドを1~2インチ詰めて若干小さくして競合を避けるというハプニングもあったという。1978年7月から北米輸出を開始した。

 もう1台併記されているColt Vista(コルトビスタ)は日本名シャリオ。小型で3列シートを持つ、後にミニバンと呼ばれるモデルで、国内では1982年8月に発売された日産プレーリーより約6カ月後の1983年2月に発売された。米国では1984年型として発売された。シャリオより少し大きな、クライスラーの傑作ミニバン、ダッジ・キャラバン(Dodge Caravan)/プリムス・ボイジャー(Plymouth Voyager)は1983年11月に発売されている。

上の3点は1986年型Plymouth Conquestのカタログ。スペックは1984年型と大差なし。レザーシートはオプションであった。

1986年8月、クライスラー社で発行された1987年型Conquestのカタログ

 1987年型から1989年型までConquestはクライスラーのディーラーで販売された。

上の2点はハイグレードのConquest TSiで、2.6L直列4気筒OHC MCA-JETインタークーラー・ターボ176hp/5000rpm(SAE net)、30.8kg-m/2500rpmエンジン+5速MTを積む。ブリスターフェンダーを持ち、サイズは全長4399mm、全幅1735mm、全高1316mm、ホイールベース2435mm、トレッド前/後1466/1455mm、車両重量1373kg。タイヤは前後ともP215/60HR15スチールラジアルを履く。表紙にはChryslerの名前はなく「‘87 CONQUEST IMPORTED FROM JAPAN」とある。

基本グレードのConquestで、2.6L直列4気筒OHC MCA-JETターボ145hp/5000rpm(SAE net)、25.6kg-m/2500rpmエンジン+5速MTを積み、オプションで4速MTも選択可能であった。サイズでTSiと異なるのは全幅1684mm、トレッド前/後1410/1400mm、車両重量1325kg。タイヤは前後ともTSiと同じP215/60HR15スチールラジアルを履く。

Conquestの室内。レザーシートとトリムはオプション。前席には電動ショルダーベルト付きオートマチック・パッシブ・レストレイント・システムが採用されており、ドアを閉め、イグニッションをオンにすると、ショルダーベルトは自動的に後方へスライドして作動する。イグニッションをオフにしてドアを開けると、システムは解除される。腰ベルトは通常通り固定・解除を行う。

1988年9月、クライスラー社で発行された1989年型Conquestのカタログ

Conquest最後のカタログで、表紙には「CHRYSLER Conquest TSi」とある。ブリスターフェンダーを持つTSiグレードのみの設定で、2.6L直列4気筒OHC MCA-JETインタークーラー・ターボ188hp/5000rpm(SAE net)、32.4kg-m/2500rpmエンジン+5速MTを積む。オプションでオンデマンド・プッシュボタン・オーバードライブ付き4速ATが選択できた。

 今回でスタリオンの紹介を終える。スタリオンの販売によって三菱のスポーティーカーに対する評価は高くなっていたが、三菱自動車とクライスラー社が1985年10月に折半出資で設立した現地生産会社、ダイヤモンド・スター・モーターズ社(Diamond-Star Motors Corp.)で、米国スポーツカー市場の実態にも肌身で触れながら、クライスラー社と共同で生み出した「エクリプス(Eclipse)」の開発を通して、三菱のスポーツカーに対する開発力はさらにレベルアップされたという。その開発力を縦横に駆使して、スタリオンを超える新時代のスーパー4WDスポーツカーとして誕生したのが三菱「GTO」(海外向けは3000GT、クライスラー社ではDodge Stealth)である。次回は「GTO」を紹介する。

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