1995年の全日本GT選手権(JGTC)で、HOSHINO RACINGの影山正彦がドライバー部門で2連覇を達成。GT-Rを武器に黎明期より活躍してきたニッサン勢は、その後も国内最高峰のGTレースで躍進していた。
1996年のJGTCではマクラーレンF1 GTRが猛威を振るい、61号車で第2戦の富士スピードウェイを制したデビッド・ブラバム/ジョン・ニールセンがドライバー部門、チーム・ラーク・マクラーレンGTRがチーム部門を制したが、そのなかにおいてもニッサン勢が活躍。R33 GT-Rの1号車「カルソニックスカイライン」で第4戦の富士スピードウェイを制した星野一義/影山正彦が、ニッサン勢の最上位となるランキング4位を獲得していた。
さらに1997年は、R33 GT-Rを投入するニッサン、スープラを投入するトヨタに加えて、ホンダがNSXで正式参戦を開始したことで、GT500クラスはより競争の激しいカテゴリーとなった。NISMOの2号車「ZEXEL SKYLINE」で開幕戦の鈴鹿サーキットを制した鈴木亜久里がランキング4位でフィニッシュするなど、ニッサン勢が最前線で活躍していた。その勢いは1998年も健在で、再びニッサン勢がタイトル争いの主導権を握ることとなったのである。
1995年のJGTCにデビューして以来、R33 GT-Rはイヤーモデルが開発され、年次改良が実施されてきた。R33型のラストイヤーとなる1998年型モデルは、エンジンを下方かつ後方にマウントするなど低重進化を追求。同時にエンジン排気量も140ccアップした、1995年~1996年のル・マン24時間レース用エンジンの改良版に変更されて、トルクが向上していた。
このアップデートが功を奏したのか、ニッサン勢がシーズン序盤から躍進し、NISMOの23号車「ペンズオイル・ニスモGTR」を駆るエリック・コマス/影山正美が開幕戦の鈴鹿サーキットを制覇。第2戦の富士スピードウェイはレース中のアクシデントにより中止となったが、第3戦の仙台ハイランドレースウェイで23号車が2連勝を達成。さらにNISMOの2号車「ZEXELスカイライン」の鈴木亜久里/影山正彦が2位につけ、NISMO勢が初めて1-2フィニッシュを達成した。
第4戦以降はNSXを投入するホンダ勢が飛躍することとなったが、それでも第4戦の富士スピードウェイでハセミ・モータースポーツの3号車「ユニシアジェックススカイライン」の長谷見昌弘/田中哲也が2位、TEAM IMPULの12号車「カルソニックスカイライン」の星野一義/黒澤琢弥が3位で表彰台を獲得。第5戦のツインリンクもてぎでも12号車の星野一義/黒澤琢弥が2位につけるなど、ニッサン勢がポディウムフィニッシュを達成していた。
残念ながら第6戦のセントラルパークMINEサーキット、第7戦のスポーツランドSUGOでニッサン勢が表彰台に立つことはなかったが、それでも2勝を含めて全てのレースでポイントを獲得した23号車のエリック・コマス/影山正美が、ドライバー部門を制したほか、2台のGT-Rでポイントを重ねたNISMOが初めてチーム部門でチャンピオンに輝いた。