第1回 1994年/全日本GT選手権(JGTC)開催初年度からR32型GT-Rが活躍

2024年5月27日

1993年に「全日本GT選手権レース」としてスタートし、1994年からは「全日本GT選手権」(JGTC)と名称を変更、2005年からはFIA公認の国際シリーズ「スーパーGT」として開催されるなど、日本発の“GTレース”は国内最大級の人気カテゴリーとして独自の発展を遂げてきたのだが、このシリーズに黎明期から関わってきたチームがある。
そのチームは、1984年にニッサンの関連子会社として設立された「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社」、通称「NISMO」で、その名称のとおり、ニッサンのモータースポーツ活動の統括を目的としている。設立以来、ル・マン24時間レース、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)など国内外のスポーツカーレースのほか、全日本ツーリングカー選手権(JTC)で活動するなど、ワークスチームとして最前線に参戦、さらにカスタマーチームのサポートを行ってきた。そのNISMOは、日本発のGTレースにもいち早く参戦していたのである。
1993年に開催された全日本GT選手権レースは参加台数が少なく、成立したレースもわずか3戦と少ないものだったが、それでもニッサン勢が躍進しており、スカイラインGT-Rを駆る影山正彦が3勝をマーク、チャンピオンに輝いていた。

その勢いは1994年に新レギュレーションのもと正式にスタートした、全日本GT選手権でも衰えることなく、シーズン序盤からスカイラインGT-Rがトップ争いの主導権を握っていた。
開幕戦の舞台となったのは富士スピードウェイで、計7台のスカイラインGT-R(BNR32)、1台のシルビア(S13)、1台のZ(Z32)がGT1クラスにエントリー。1号車「カルソニックスカイライン」の影山正彦が予選2位、2号車「ZEXELスカイライン」の鈴木利男が同3位、3号車「ユニシアジェックススカライン」の長谷見昌弘が同4位につけたほか、決勝でも1号車の影山正彦が逆転優勝を果たし、開幕ウインを達成している。そのほか、予選で5位につけていた24号車「コクピット館林GT-R」の袖山誠一/山路慎一が2位で表彰台を獲得したことでスカイラインが1-2フィニッシュを達成。一方、GT2クラスでも70号車「欧州車販売の外国屋スカイライン」の石橋義三/青柳裕易が2位につけるなどニッサン勢が猛威を振るっていた。

続く第2戦の仙台ハイランドレースウェイでも3号車の長谷見昌弘が予選1位、1号車の影山正彦が同2位、2号車の鈴木利男が同3位につけたほか、決勝では3号車の長谷見昌弘がポール・トウ・ウインを獲得している。さらに1号車の影山正彦が2位入賞を果たすなど、2戦連続でGT-Rが1-2フィニッシュを達成したのである。

シーズン2度目のハイスピード決戦となる第3戦の富士スピードウェイでは、3号車の長谷見昌弘が予選3位、1号車の影山正彦が同4位に止まり、決勝でもニッサン勢は勝利を逃した。しかし、それでも1号車の影山正彦が2位入賞した。

さらに第4戦のスポーツランドSUGOでも10号車「ジョンソンスカイライン」の飯田章がニッサン勢の最上位となる4位にとどまるなど予選から苦戦の展開。決勝もニッサン勢は未勝利に終わったが、2号車の鈴木利男が2位、3号車の長谷見昌弘が3位で表彰台を獲得していた。

そして、最終戦のセントラルパークMINEサーキットにおいてもニッサン勢は苦戦を強いられていた。予選の最上位は10号車の飯田章による4位に止まったほか、決勝でも1号車の影山正彦による4位がニッサン勢の最上位となり、ポディウムフィニッシュを果たすことができなかったが、それでも開幕戦の優勝のほか、2度の2位入賞を果たした1号車の影山正彦がドライバー部門でチャンピオンに輝いた。

「1992年にグループCが終わって、価格が抑えられるということで1993年からGTカーによるレースが始まり、僕はHOSHINO RACINGから参戦していました。GTカーの印象は、グループAよりもエアロパーツが派手に見えるくらいのものでした。当時は一人で300kmを走っていたので大変でした。その頃はニッサン勢しか国内メーカーは本格的に参戦していなかったけれど、長谷見さんや鈴木利男さんなどの速いドライバーがいたから、本当に激しいバトルでした。僕は若手だったので結果を残さなければいけなかったし、長谷見さんもニッサンのエースだったからね。鈴木利男さんもバリバリだったから厳しかったけど、その戦いのなかでドライバーとして成長できたと思います」
そう当時を懐かしむのは、初代チャンピオンに輝いた影山正彦である。

これに続いて3号車の長谷見昌弘がランキング2位、24号車の袖山誠一/山路慎一がランキング3位につけるなどGT-Rユーザーが上位を独占した。
さらにチーム部門に目を向けると1号車のカルソニックスカイランを投入したHOSHINO RACINGがチャンピオンを獲得したことでニッサン勢が2冠を達成。3号車のユニシアジェックススカイラインを投入したハセミモータースポーツが同部門でランキング3位となるなど、ニッサン勢は全日本GT選手権の初年度からトップ争いを支配していた。

1994年にスタートした全日本GT選手権には6台前後のR32型GT-Rがエントリー。1号車「カルソニックスカイライン」を駆る影山正彦(写真・最前列)がタイトルを獲得した。1993年の全日本GT選手権レースを含めると2連覇を達成したことになる。ちなみに24号車「コクピット館林GT-R」は袖山誠一/山路慎一、10号車「ジョンソンスカイライン」は飯田章がステアリングを握っていた。
ニッサンの有力チームが全日本GT選手権に参戦。10号車「ジョンソンスカイライン」は飯田章(左)、2号車「ZEXELスカイライン」で鈴木利男(右)が参戦するなど豪華なメンバーが顔を揃えていた。
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