スバルの語源となったプレアデス星団のなかで、ひときわ明るく輝く星の名を冠したスペシャリティカー「アルシオーネ」。カタログの冒頭で「星は舞い降りた」と語られたように、このクルマはまさに期待の星であった。
アルシオーネの開発がスタートした1980(昭和55)年、国内のみならず全世界的に第2次石油ショック後の景気低迷が続いていた。この時代、低燃費であることが特に求められていたが、一方では、省資源とあわせて新しい時代に向けた高性能化・個性化の方向も求められていた。乗用車メーカー各社が需要拡大策としてスペシャリティカーやスタイリッシュなセダンを投入するなかで、「世界に通用するスバルらしい独創的なスペシャリティカーをつくろう」という機運を背景に造られたのがアルシオーネであった。
このクルマは乗用車対米輸出自主規制が始まるなかでスバルの高付加価値戦略を担い、対米輸出に重点が置かれた。国内に先立って、1985年2月に米国への輸出を開始、国内は4カ月遅れの同年6月に発売された。
イメージリーダーカーとしての期待を込めて、プレアデス星団のなかでも、ひときわ明るく輝く星の名前、ギリシャ語の「アルキオネ(Alcyone)」を与えられ、基本的にはレオーネのプラットフォームを使いながら、開発にあたって従来のスバルのイメージを一新することを狙い、数々の思い切った試みがなされた。飛行機屋をルーツに持つスバルのアイデンティティーを表現するものとして、空力特性(CD値0.29を実現)にこだわったデザインとし、ハイスピード時代のユーザーニーズに応えることを主眼として、さまざまな新機構・装備が盛り込まれていた。開発目標として時速200kmで安心して走れる「高速4WD」というコンセプトが明確に打ち出されたのも、このクルマからであったという。
カタログを開くと最初に目に飛び込んでくるコピー。「星は舞い降りた。」最後には「進歩的大人たちのわがままを聞くために。ALCYONE presented by SUBARU」とある。
Subaru of America Inc.から発行された1985年型スバルXTクーペのカタログ
1985年2月、日本より4カ月ほど先行して米国で発売された1985年型スバルXTクーペ・GL-10ターボ(日本名アルシオーネ)。これはFFモデルで、エンジンは1781cc水平対向4気筒OHC MPi(multi-point fuel injection)94馬力とターボ付きの111馬力が設定され、5速MTと3速AT(DLグレードはMTのみ)が選択可能であった。写真のポップアップ/リムーバブルサンルーフはターボ車には標準装備され、アルミアロイホイールはオプションであった。
これは1985年型スバルXTクーペ・GL-10 4WDターボ。4WDターボ車にはエアサスペンションが標準装備されていた。
1985年型スバルXTクーペ・GL-10 4WDターボの運転席。ターボ車にはデジタルメーターが標準装備された。
アルシオーネ最初の国内版カタログ
1985年6月、「進歩的大人たちのわがままを聞くために。ALCYONE presented by SUBARU」のコピーをつけて発売されたアルシオーネ。エンジンはEA82型1781cc水平対向4気筒OHC EGIターボ135馬力(120馬力ネット)のみで、4WD車には3速ATと5速MT、FF車には5速MT(1986年2月、FF車にもAT仕様が設定された)が積まれた。サイズは全長4450mm、全幅1690mm、全高1335(FF車は1295)mm、ホイールベース465mm。価格は189~231.5万円。
ヘリコプターのコックピットをイメージし、デザイナーは宇都宮の実機を徹底的に研究したと言われるアルシオーネの運転席。L字スポークステアリングホイールと、そのチルト/テレスコピックの動きに連動する、手元近くに突き出た左右のコントロールウイングなど、人間工学に基づくさまざまなユニークなアイデアが見られた。カラー液晶採用のデジタルメーターはVRターボAT車にメーカーオプションで取り付け可能であった。シフトノブ上にFF⇔4WDの切り替えスイッチが見える。
アルシオーネの透視図。空気抵抗係数CD=0.29を誇るエアロシェイプボディー、サスペンションはフロントがストラット、リヤはセミトレーリングアームの4輪独立懸架で、イラストのEP-S(Electro Pneumatic Suspension:電子制御エアサスペンション)は4WD車に標準装備されていた。4WD用ATにはMP-T(Multi Plate Transfer:油圧多板クラッチ方式トランスファー)を内蔵しており、FF⇔4WDの切り替えはプッシュボタンで瞬時におこなえ、制動時、急加速時、降雨時のいずれかの条件で自動的に4WDに切り替わり、条件が解除されるとFFに戻るオート4WDシステムも装備されていた。EP-Sには「4輪独立オートレベリング」「車高2段階調整」「減衰力コントロール」「車高自動切り替え」などの仕掛けが盛りだくさんであった。
最初のアルシオーネのモデルバリエーションはいたってシンプルであった。4WD VRターボの3速ATと5速MT。そしてFF VSターボの5速MTの3種類のみであった。
アルシオーネのオプショナルパーツカタログ
スペシャリティカーといえどもエアコンはまだオプションであった。
1985年9月に日本で発行された英語版カタログ
モデル名は「SUBARU XT TURBO」で、国内と同様1.8L 4WDターボの3速ATと5速MT、そしてFFターボの5速MTの3種類がラインアップされていた。国内版とは異なる透視図が載っている。
1985年の第26回東京モーターショーで配布された冊子
第26回東京モーターショーに参考出品されたコンセプトカー。上のページの手前は「Flat-6 ACX-Ⅱ」で、2.7L FLAT 6を積み、1987年7月発売された2.7L FLAT 6を積んだアルシオーネ4WD VXにつながる。奥のモデルは「4WD Future F-9X」で、2代目アルシオーネSVXにつながるラウンドキャノピーの提案であった。
1987年にオランダのN.V. SUBARU BENELUX S.A.から発行されたカタログ
1987年に発行されたオランダ語版のカタログ。モデルバリエーションは1.8L 4WDターボのみで、5速MTと電子制御4速ATが選択可能であった。国内版、英語版とも異なる透視図が載っていたので紹介する。
2.7L車が追加されたアルシオーネのカタログ
アルシオーネはスペシャリティカーとして独自の存在感を発揮したが、パワー不足は否めず、1987年7月、新設計のER27型2672cc水平対向6気筒OHC EGI 150馬力(ネット)エンジンを搭載した4WD VXモデルが追加設定された。スバル初のFLAT 6であり、トランスミッションは電子制御4速ATが積まれた。サイズは全長が1.8L車より60mm長い4510mmであった。タイヤは205/60R14 87Hを履く。価格は292.9万円。
これは1.8Lターボエンジンの4WD VRモデル。EA82型120馬力(ネット)エンジン+電子制御4速ATまたは5速MTが設定されていた。他に1.8LターボエンジンのFF VSモデルもラインアップされており、電子制御4速ATまたは5速MTが選択可能であった。1.8L車のタイヤは185/65R14 85Hであった。
アルシオーネ2.7L車の透視図。この時点でフルタイム4WDが採用されたが、AT車にはACT-4(Electro Active Torque-Split 4WD)と称するシステムで、AT後部に設置した油圧多板クラッチ方式トランスファー(MP-T:Multi Plate Transfer)を電子制御することで前後輪の駆動力配分を最適に自動配分し、MT車にはセンターデフ式フルタイム4WDが採用された。ATは電子制御4速となり、パワーステアリングのアシストコントロールに、電子制御電動モーター駆動ポンプを採用した「CYBRID(サイブリッド)」と称する世界初のメカニズムを採用している。初代アルシオーネは6年間に輸出を含め合計9万8918台生産された。
Subaru of America Inc.から発行された1988年型スバルXTのカタログ
1988年型スバルXT6フルタイム4WD。2.7L FLAT 6、145馬力エンジン+5速MTが標準設定で、オプションで電子制御4速ATが設定されていた。米国ではFF 2.7L+3速AT仕様も設定されていた。1.8Lターボはカタログから落とされ、1.8Lノンターボ97馬力のオンデマンド4WD+5速MTのGLグレードと、FF+5速MT(GLとDLグレードがありGLにはオプションで電子制御4速ATが選択可能であった)がラインアップされていた。
Subaru of America Inc.から発行された1991年型スバルXTのカタログ
XTシリーズ最後の年となった1991年型のカタログ。これはフルタイム4WD XT6で2.7L 145馬力エンジン+5速MTを積み、オプションで電子制御4速ATが選択できた。他にFF XT6+電子制御4速ATも設定されていた。
これはFFのXT GL。1.8L 97馬力エンジン+5速MTが標準で電子制御4速ATがオプションであった。
1985年5月に発行された情報誌「Avant-garde in Chicago」
33×26cm、こうして開くと33×52cm、36ページ、富士重工業株式会社が発行した情報誌「アバンギャルド・イン・シカゴ」。ビジネスと、アートの街、シカゴで、シカゴのアート界に新風を巻き起こしているアートディーラーの男に出会う。彼と交遊のあるアーティストたちの紹介、シカゴの興味深い建築物の紹介、シカゴ中心部の高架鉄道ループの話、開閉橋の話、ギャングが育てたシカゴ・ジャズの話、アルシオーネのテーマミュージックである”CHICAGO 7:05”と収録したRedwing Studioのことなど。そしてもちろんアルシオーネの紹介も忘れていない。当時はこの手の情報誌が数多く発行されていたと記憶する。なかには書店で有料で売られていたのもあった。
「アバンギャルド・イン・シカゴ」誌に見開き2ページに載ったアルシオーネとF-16 ファイティング・ファルコン。ジェネラル・ダイナミック社(現ロッキード・マーティン社)で製造されているF-16の初飛行は1974年だから、すでに50年経過しているが、改良を加えながらいまでも売れっ子だからすごい!