世界的に電気自動車の競争が激化しているが、そのはじまりは1997年、京都で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)にて、地球温暖化の原因となる二酸化炭素など、温室効果ガスの削減率を国別に定め、その達成を義務づけた……のがはじまりであろう。
それ以前の戦前戦後にも電気自動車などがあったが、それはガソリンの入手が難しい代然車の時代であり、環境とは無縁のものといえるだろう。昨今の自動車は、温室効果ガスの大きな発生源のひとつとされ、その排出量を減らすことができるか?討議研究されてきて、燃焼ガスのない電気自動車がこれまで以上に実用化されているのである。
トヨタ初のハイブリッド車構想は、初代クラウン開発を担当した主査が、カスタービンエンジンを活用するシステム開発に着手した1968年にさかのぼる。だが当時は動力の性能要求を満たすバッテリーの開発が追いつかず、1980年代初めに中断されたとされる。だが1993年に「21世紀のクルマ」に関する議論がトヨタ社内で高まり、「G21プロジェクト」として、画期的な燃費向上への取り組みがスタートしている。
そして1997年12月、ハイブリッドシステムを採用した世界初の量産車プリウス登場。動力源として専用設計のVVT-i、1.5リッターガソリンエンジンと電気モーターを備え、それぞれの駆動力を走行状況に応じて最適に組み合せるシステム採用。既存のガソリン車と同等の走行性能を保ち、約2倍の低燃費とCO2排出量半減などを実現した。2000年から輸出を開始し、環境に敏感なアメリカ市場では大きな話題となり、セレブリティーたちが率先して愛用したことも社会現象となった。
電気自動車が広く普及するまでの対応方法として考えられたのが、内燃機関とバッテリー動力のモーター併用のハイブリット車や、水素と酸素の化学反応を利用する燃料電池車などである。そして、ハイブリッド車がワンボックス&ミニバン系に初めて登場したのが2001年6月発売のエスティマハイブリッドといえるだろう。
2000年当時、自動車メーカーの研究は多様化を見せていた。トヨタは異業種(ビール、アロマ、チョコレート、ファーニチァー、インターネットなどの主要社)とのタイアップ=合同プロジェクトWiLLをラインナップ、2001年のWiLL第2弾車 VS(ブイエス)は、大胆でスタイリッシなデザイン、優れたユーティリティ、そして高い走行性能をあわせ持った新コンセプト5ドアとして開発。アングルで印象か変わるエクステリアは、クーペ・セダン・ワゴンといったこれまでのカテゴリーにあてはまらない「理屈抜きにかっこいいスタイル」をめざした……というが、ミニバン的発想も盛り込まれていた。またホンダはF1復帰とともに、人間型ロボットのASIMO(アシモ)で新展開を見せた。