毎日のように報道され騒がしかった2000年問題は、自動車業界には何も影響を与えることなく、各社ともに国内および海外モデル開発に専念してゆくことになる。日本国内においては1989年に旧来の物品税から新たに消費税が導入され乗用車登録車にあっては3ナンバー車23%、5ナンバー車18.5%、軽乗用車15.5%から1997年まで6%課税に減額され、軽自動車を含む総市場は、1988年から1990年の2年間で約100万台の増加をみている。さらにエコカー減税制度も施行され購買意欲が高まってゆくことになる
これには、バブル時代の1988年に発売された日産セドリック・シーマに代表される、大型乗用車ブームが到来、トヨタも対抗策として1989年に北米でレクサス、日本ではセルシオとして市場投入した。こうした大型乗用車時代の到来に、ミニバン設計者達も新規一転して新型車開発に入るわけだが、それらが実際に企画できたのは2000年代に登場するトヨタ アルファード、日産エルグランド、三菱デリカD:5程度であった。
時代は環境問題にともなうハイブリッドやEV化、未来的には水素化などの実用性について研究している段階であり、多くの新技術について各社の方向性が定まらない時期でもあった。従って主流モデルは依然としてガソリンエンジン搭載車であり、低燃費車を求めながら、実際の経済性についての探求はまだまだといえた。
安全性についてもオフセット衝突に対するボディの強化が必須となり、装備面ではナビゲーションシステムはもとより、電子制御で操作される装備も年ごとに増えてゆき、そのために各社が下請けメーカーの技術レベルを比較するようになってゆく。
2000年以降の各社の傾向として、新型また改良モデルが市場に受け入れられていないと判断した場合には、速やかにマイナーチェンジを実施して、その要素を解消する時代を迎えていた。数ヵ月もしないうちに仕様変更が行なわれ、それにともないカタログの内容が変更されたりして、セールスマン達を慌てさせることがあったりした。
各社が北米市場向けに専用モデルを開発しつつ、国内に持ち込む姿勢をみせつつも、特に道幅が狭い日本の道路事情などで、車両の大きさがネックになっていた。当初は歓迎されなかった大柄の海外生産または海外向け車両も、どうにか2000年代には受け入れられて国内に投入され、ミニバン市場も活性化された。
他方で小型車枠にこだわった各種ミニバンも登場している。装備面では大型車に準じた内容が盛り込まれ、特に車体強度増強のボディや交通事故防止のためのリヤビューカメラ、カーナビゲーションなど運転補助のための各機能が必須となってゆく。
アメリカ向けに設計されたホンダ オデッセイが、1994年10月の発売から2000年6月末までの69ヵ月で、累計登録台数50万台を達成。この時代になると海外生産も北米はもとより中国、欧州などに拡大してゆく。エンジンは公害対策、車体は衝突実験、機能ではカーナビゲーションシステム、装備ではシートの工夫など、乗用車のセダンよりも設計者の能力が必要とされた。ゆえにミニバンのヒット作を出した設計者が経営者となることも少なくなかった。
ミニバン充実期の2000年代に突入、今回は偶然にもマツダやホンダ車が多数を占めたが、トヨタ・日産も新型車を投入してゆくのであった。