第130回 日本GM発行の1937年日本語版カタログ

2023年6月27日

 今回は、高島鎮雄さんから頂戴した史料の中から、日本ゼネラル・モータース株式会社が発行した1937年型のカタログを紹介する。

 1923(大正12)年9月、関東大震災によって東京市電は壊滅的な被害を受け、代わりの輸送手段として、東京市は翌年1月に800台のフォードT型トラックシャシーを緊急輸入し、国内で簡素な11人乗りバスボディーを架装して運行した。「円太郎バス」である。都バスの元祖でもあり、フォードに日本への工場進出を決断させるきっかけになったとも言われる。

 1925年2月、フォードが横浜に工場を設立、コンプリートノックダウン(CKD)生産を開始したのに対抗するように、1927年2月、GMも大阪に工場を設立、CKD生産を開始した。

 しかし、1936年にはわが国の国防整備と産業発展、外国資本の排除を目的とした自動車製造事業法が施行され、日本フォード、日本GMに組立数量制限が通達され両社発展の道が閉ざされた。1937年に勃発した日中戦争ではアメリカ、イギリスなどが中国を後方支援し、1941年にその支援ルートの一つ仏印(フランス領インドシナの略称。1887~1945年の間、ラオス、カンボジア、ベトナムなどの地域に置かれたフランス領とフランス保護領からなる連邦組織の総称)に日本軍が進駐したことでアメリカは激怒。アメリカとイギリスが日本在外資産の凍結令発布、アメリカは対日石油輸出全面禁止。GMも日本における操業を停止した。同年12月8日、日本軍の真珠湾空襲と宣戦布告により太平洋戦争が始まり、1945年8月15日に日本が無条件降伏するまで続き、筆者も1945年3月10日、5月25日の2度にわたり焼夷弾の雨と猛火のなかを逃げまどい九死に一生を得た。

 ロシアによるウクライナ侵攻以来、太平洋戦争での出来事をいろいろと思い出してしまう1年であった。

1937年型キャディラックの日本語版カタログ

当時わが国では「カデラック」と称していた。23×38cmのケース(だいぶ汚れているが)に10枚のシートが入ったポートフォリオ形式のカタログ。最初のシートには「カデラックの品質と価値」「高級自動車工作の標準」「1937年型の特徴」が記されている。「カデラックの品質と価値」には、「カデラックは、現代に於ける高級自動車の品質と価値との最高標準を示します。然かも世界最優秀のカデラックの品質と価値は、必ずしも値段と正比例しない所に誇るべき特徴が存在します。カデラックよりも低廉なものがカデラックに劣る所があっても不思議では御座いません。併し、カデラックよりも高価な車にして、遥かにカデラックに及ばない車が少なくないのであります。」とある。 

豪華な室内、ボディーと一体のビルト・イン・トランク(1937年でも一部のカスタムボディーは、独立したトランクを背中に背負うハング・オン・トランクが存在した)、シンプルでスマートなインストゥルメントパネル、大きなメーターは左がフルスケール110mile/h(177km/h)のスピードメーターと右は時計。エンジンは5670cc V型8気筒Lヘッド135hp/3400rpm、サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン+コイルスプリングの独立懸架、リアはリジッドアクスル(圧成鋼鉄製バンジョウ型ハウジング)+リーフスプリング(葉状楕円形と称する)。ファイナルドライブギアはスパイラルベベルギアであった。燃料タンク容量は60型が83.28L、65、70、75型は94.64Lであった。

上段はホイールベース138in(3505mm)の75型7人乗り4ドア リムジンで、下段はホイールベース131in(3327mm)の70型5人乗り4ドア セダン(アメリカでの価格は2445ドル)。どちらもフリートウッド製ボディーを持つ。

上段はホイールベース131in(3327mm)の70型コンバーティブル・セダンで、フリートウッド製ボディーを持つ。アメリカでの価格は2795ドル。このタイプのボディーはパレード用としての需要が見込めたのでカタログに載ったのであろう。下段はホイールベース131inの65型5人乗り4ドア セダンで、フィッシャー製ボディーを持つ。アメリカでの価格は1945ドル。

上段はホイールベース124in(3150mm)の60型5人乗り4ドア セダンで、フィッシャー製ボディーを持つ。アメリカでの価格は1545ドル。下段は1937年型キャディラック8気筒車の仕様書。

上段はホイールベース124inの1937年型ラサール(LaSalle)50型5人乗り4ドア セダンで、フィッシャー製ボディーを持つ。エンジンは5280cc V型8気筒Lヘッド125hp/3400rpmを積む。アメリカでの価格は1145ドル。下段は1937年型ラサール8気筒車の仕様書。キャディラックより安価なラサールは、1927年から1940年にかけて、キャディラックのコンパニオン・カーとしてキャディラック・ディビジョンで生産された。

 日本で販売されたキャディラックのカタログモデルは4ドアのセダンタイプであったが、アメリカでは実に豊富なバリエーションが用意されていた。その中からフォーマルなモデルとスポーティーなモデル3点を紹介する。

ホイールベース138in(3505mm)のシリーズ75/85 タウン・カブリオレ。価格はシリーズ75が4545ドル、シリーズ85は5245ドル。

ホイールベース131in(3327mm)のシリーズ70 2人乗りクーペ。価格は2645ドル。

ホイールベース131inのシリーズ70 2人乗りコンバーティブル・クーペ。価格は2745ドル。

1937年型ビュイックの日本語版カタログ

当時わが国では「ビウイク」と称していた。20×38cmという横長のカタログ。

「一点の申し分なき完璧の域に到達した1937年ビウイク8気筒車」「あらゆる要求と好みとに合致する最も進歩した四種の新ビウイク」のコピーを添えて、ビウイクのすばらしさを訴求している。グレードは4種類あり、最上位の90型(アメリカでの名前はLimited)はホイールベース138in(3505mm)、80型(Roadmaster)は131in(3327mm)、60型(Century)は126in(3200mm)、40型(Special)は122in(3099mm)であった。

エンジンは全車直列8気筒OHVで、90、80、60型には5247cc 130hp/3400rpm、40型には4032cc 100hp/3200rpmが積まれていた。下段は90-L型7人乗り4ドアリムジン。アメリカでは8人乗りで価格は2342ドル。

上段は81-L型7人乗り4ドアリムジン。このモデルはアメリカでは設定なし。下段は81型5人乗り4ドアセダン。アメリカではトランクバックセダンと称し、6人乗りで価格は1518ドル。

上段は80-C型5人乗り4ドアフェートン。アメリカでは6人乗りで価格は1856ドル。下段は61型5人乗り4ドアセダン。アメリカではトランクバックセダンと称し、価格は1233ドル。

上段は46-C型4人乗りコンバーティブル・クーペ。アメリカでの価格は1056ドル。下段は41型5人乗り4ドアセダン。アメリカではトランクバックセダンと称し、価格は1021ドル。

上段の室内図は40型のもので、ホイールベースが最も短い40型でもこのようにゆったりとしているから、他の3グレードの車室の広さは容易に想像していただくことができると存じます。とある。下段はシャシー図で、40と60型にはファイナルドライブにハイポイドギアが採用された。80と90型はスパイラルベベルギアが継続使用されていた。

上の2点には1937年型ビウイクのセールスポイントがいくつか挙げられている。この中で油圧式ブレーキがビウイクに採用されたのは1936年型からで、1935年型まではメカニカルブレーキであった。また「灰皿はインストルメントパネルにあり、入用の場合はつまみで引き出せばよい様になっています。」とあるように、灰皿の地位、重要度が今よりぐんと高かった。

1937年型ビウイク直列8気筒乗用車仕様書。

 日本語版カタログに載ったモデルは7種類だが、アメリカでは22モデルがラインアップされていた。日本で販売されなかったモデル2点を紹介する。

スペシャル(シリーズ40)5人乗り4ドア プレーンバックセダン。価格は995ドル。このタイプのボディーはセンチュリー(シリーズ60)にも設定されており、2ドアタイプも存在した。

スペシャル(シリーズ40)4人乗りオペラシート・スポーツクーペ。(オペラシートについては次のポンティアックにイラストがある)。価格は975ドル。左上には「インストルメントパネルのデザインに調和するように装飾された大容量の灰受けです。」のキャプションを付けて灰皿がドンと構えている。

1937年型ポンティアック 6の日本語版カタログ

当時わが国では「ポンテアク」と称していた。20×30cmの横長カタログ。「生粋の近代流線美、明朗端麗なスタイル」のコピーが時代を感じさせてくれる。ポンティアックのデザインの特徴であったグリル中央からボンネット上に伸びた(後にボンネット上のみとなった)複数のクロームの線条は「シルバーストリーク(Silver Streak)」と称され、1935年型から1956年型まで22年間にわたって採用されていた。

ポンテアク6に搭載されていた3650cc直列6気筒Lヘッド85hp/3600rpmエンジン。

ホイールベース116.5/8in(2960mm)の4ドア スラントバック(ポンティアックの呼称)セダンとその室内。上段の絵の左上にシルバーストリークが大きく描かれている。アメリカでの価格は881ドル。

上段には1935年から採用された「タレット・トップ(Turret-Top)」と称したフィッシャー製全鋼製ボディー、メーターパネル、フロントサスペンションが紹介されている。下段にはなぜか6気筒車のカタログにホイールベース121.5/8in(3089mm)の8気筒を積んだ4ドアセダン(トランク付き)が載っている。アメリカでの価格は965ドル。8気筒エンジンのスペックはこのカタログには載っていないが、248.9cid(4079cc)直列8気筒Lヘッド100hp/3800rpmであった。

上段にはシャシー、下段には新設計のマニホールド、油圧ブレーキ、トランスミッション(3速MTで、2、3速はシンクロ付き)が載る。

1937年型ポンテアク6の仕様書。

 日本における1937年型ポンティアックは4ドアセダンのみの設定であったようだが、アメリカ仕様の2モデルを紹介する。

1937年型ポンティアック デラックス6 カブリオレ。室内に3名+ランブルシートに2名の5人乗り。価格は945ドル。8気筒モデルも設定されており、価格は985ドル。

1937年型ポンティアック デラックス8 スポーツクーペ。折り畳み式の補助シート(ビュイックでは「オペラシート」と称する)を含めて5人乗り。価格は913ドル。6気筒モデルも設定されており、価格は853ドルであった。

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