第18回 トヨタによるミニバンラッシュの時代
2023年6月11日
2000年を目前として、自動車メーカー各社が新車を繰り出してきた。この頃、話題となったのが「2000年問題」である。当時、旧式なコンピューターによる管理で、西暦を下2桁……つまり1999年は「99年」としてパソコンなどに記臆させている場合、2000年では「00年」となり1900年と認識、コンピューターが誤作動するのでは? と…OSのWindows開発提供のマイクロソフト社では「会社のシステムが停止するのでは?」と、発電機を積んだトレーラーが待機したとさえいわれていた。時計もパソコンも狂うのでは? といった噂があったが、そうしたこともなく……多くの会社がコンピューターの作動が狂うことなく済んだようだ。自動車業界では「トヨタでは2000年対応」したことが会社の歴史に記されている。
そうした頃に、ミニバン対策に大きな動きを示したのがトヨタだった。ミニバンのグランビアの車幅が1.8mであったのに対して、当時は小型車の1.7mに慣れていたトヨタユーザー達が「幅が狭ければ買う」という意見が多かった。エスティマは車体形状が丸く低いためか、グランビアほど大きく見えなかったようだが、車幅1.8mはグランビアと同寸で、実際に乗ったら車幅が大きいと感じた人が多く、トヨタは拡販のために1.7mに幅を詰めたモデル群を送り出すことになる。
エスティマからエミーナ&ルシーダが登場までには約1年半を要したが、グランビアからハイエースレジアス登場まで2年ほどかかった。グランビアはトヨタオート店扱いで月販1500台と少なかったが、ハイエースレジアスは全国のビスタ店+大阪と東京のトヨタ店+東京トヨペット店で扱ったため、月販5000台と発表された。そして1999年、後期型グランビアが全国のネッツ店に月販1000台、車幅1.8mのグランドハイエースが大阪と東京のトヨタ店+東京トヨペット店で月販2000台を扱うことにした。
こうしたトヨタの動きは日産のエルグランド対策ともいえ、2000年代はじめにはハイエースから独立して、さらに車幅を1.83〜1.84 mに拡大したトヨペット店およびビスタ店向けのアルファード、ネッツ店向けのヴェルファイアを生み出すことになる。この頃には幅の大きなミ二バンも広く普及してゆくことになる。
日産も新型セレナで市場を確保、さらに2002年には新型エルグランドの投入があるわけだが、トヨタのすごさは乗用車層に新味のミニバン&トールワゴン系で、新たなる客層を得ようと計画していたことだった。ラウムやナディアのようなユニークなデザイン車はじめ、ここでは紹介しきれなかった、次回で紹介する予定のファンカーゴなども登場してくるわけである。
もちろんホンダ車も今回はキャパのみだが、ステップワゴンなどもポップアップルーフ仕様のフィールドデッキなどが登場、またオデッセイなどの新型もスタンバイしていた。
こうして、まだまだ先のみえないミニバン&ワンボックスの方向性だが、2000年からの20年間はミニバン熟成の時代に突入するのである。