今回は筆者の地元である千葉県佐倉市で、コロナに邪魔されて4年ぶりに開催された第10回サクラ・オートヒストリーフォーラムを紹介する。
佐倉藩主堀田家11代堀田正恒伯爵が昭和初期にヨーロッパからバラの花とスポーツカーを佐倉に持ち帰った史実を尊重し、国際的にも評価の高いバラ園を有する「草ぶえの丘」を会場として開催されるフォーラムは、クルマ愛好家が集い、オーナーの夢や自慢話、専門家の講話に耳を傾け、訪れた誰もが交流できるイベントです。
上の2点はプログラムとエントリーリスト。今回は約110台がエントリーしていた。
1968年ホンダN360S(赤いクルマ)と1970年ホンダNⅢ360 Town DX。第6回オートヒストリーセミナーが「軽自動車の先駆ホンダN360」のタイトルで、元本田技研工業株式会社デザインスタジオの青戸 務氏を講師として行われたので特別展示されたもの。他に1969年TN360・TNⅢとLN360も特別展示された。
上の3点は、1967年から1968年にかけてテレビで放映された「ウルトラセブン」の中で、異星人の侵略から地球を守るために組織された地球防衛軍のエリート部隊、ウルトラ警備隊の足となって活躍したクルマ「TDF PO-1 ポインター」。撮影に使用されたクルマは現存しないようだが、これは忠実に再現されたレプリカ。オリジナルは1957年型インペリアルをベースとしているが、これは1958年型がベースとなっている。居合わせたオーナーの奥様はインペリアルのままのほうが良かったとささやいていた。
参考までに、インペリアルの1957年型(上)と1958年型(下)の比較。1958年型は1957年型のマイナーチェンジであった。
上の4点は、日本に現存するのはこれ1台と言われているドイツの1957年ツェンダップ ヤヌス250。モーターサイクルメーカーであったツェンダップ社(Zündapp-Werke GmbH)は第二次世界大戦の1942年には約25万台の軍用モーターサイクルを生産したが、空襲で工場が破壊され、戦後は米国の管理下に置かれ、1947年にモーターサイクルの生産を再開するまではミシンなどを生産していた。ツェンダップは1950年にミュンヘンに新工場を開設したが、1950年代半ばにはモーターサイクル市場は再び低迷し、1956年にツェンダップは設計者である航空機メーカーのドルニエ(Dornier)からライセンスを受けて「ヤヌス」の製造を開始した。1957年から1958年にかけて6902台生産された。当時の価格は3232ドイツマルクであった。パレードに備えて燃料補給をしている。
上の4点は、ヤヌスのカタログと透視図。前後にドアがあり、前後のシートは背中合わせに配置され、その中間に2ストローク空冷式248cc単気筒14馬力エンジンを積み、後輪を駆動する。サスペンションはストラットとコイルスプリングによる全輪独立懸架。最高速度80km/h。
エントリーリストには載っておらず、早朝会場から押されて姿を消したフィアット2300。1950年代には筆者の興味はアメリカ車に集中していたが、1960年代に入るとヨーロッパ車にも魅力を感じカタログ、写真などの資料を集め始めた。そのほんの一部を紹介する。
上の4点は、1961年から1963年にかけて生産されたフィアット2300のカタログ。サイズは全長4485mm、全幅1620mm、全高1470mm、ホイールベース2650mm。サスペンションはフロントがウイッシュボーン+トーションバースプリングの独立懸架、リアはリーフスプリング+リジッドアクスル。4輪ともディスクブレーキを装備する。エンジンは2279cc直列6気筒OHV 117馬力(SAE)。最高速度160km/h。平均燃費8.4km/L。価格は165万リラ。フィアット2300にはステーションワゴンとホイールベースが80mm長いスペシャルが存在する。
上の2点はFIAT 2300 de luxeと仏語版2300 luxeのカタログ。
上の2点は、これも珍しい英国の1963年トロージャン200。主に商用バンの生産を行っていたトロージャン社(Trojan Ltd.)が1960年から1965年にかけて、ドイツのバブルカー「ハインケル・カビーネ(Heinkel-Kabine)」をライセンス生産したのがトロージャン200であった。トロージャン社はその後1966年から1968年にかけてスポーツカーのエルバ・クーリエ(Elva Courier)を100台ほど生産。その後、マクラーレンと契約してF-1以外のレーシングカーの製造もおこなっている。現在は英国のサセックス州にTrojan Museum Trustとして存在する。
上の2点はトロージャン200のカタログと広告。「Trojanについて言われていることは本当です… 」
「それは、何分の一のコストで気ままなモータリングを実現するための論理的な答えなのです。」のコピーを付けて、72km/hで走行したときの燃費が33.7km/Lであり、駐車のしやすさ、後席には子供2人とピクニックのためのバスケット、遊び道具も収容できると訴求している。3輪と4輪があり、3輪の左ハンドルが349ポンド、右ハンドルは359ポンド。4輪の左ハンドルが402ポンド、右ハンドルは414ポンドであった。
上の3点は、上からトロージャン200の右ハンドル仕様、コンバーティブル、エステートバン。
上の3点は、トロージャン200の原型であるハインケルのカタログ。エンジンは4ストローク空冷式198cc単気筒10ps/5500rpmをリアに積むR/R駆動方式を採用。サイズは全長2660mm、全幅1370mm、全高1320mm、ホイールベース1760mm。
◆エントリー車の一部を以下に紹介する
たったいまアッセンブリーラインから降り立ったような1931年フォード モデルA。
左から1948年MG YA、1961年ジャガー Mk2 3.8、1954年ベントレー Rタイプサルーン。
右から、左ハンドルの1973年ダットサンスポーツ240Z、1966年パブリカコンバーティブル、1965年トヨタスポーツ800。
左から1973年ロータスヨーロッパスペシャル、1971年デトマソパンテーラ、1979年フェラーリ308GTB。
ロータスヨーロッパスペシャルのエンジン。
左から1988年シトロエン 2CV、1974年に登場したシトロエンCX(エントリーリストには1968年DS21となっていた)、1960年オースチンスプライトMkⅠ、1957年MGA1500、1965年モーリスMINIトラベラーMkⅠ。
手前から1983年日産ローレル、1972年フェアレディZ、1968年フェアレディ、1965年ダットサン1200。
特別展示されたボルボ3台。1959年PV544、1970年P1800、1972年P1800ES。
個性的なデザインの1993年スバルアルシオーネSVX。隣には1970年スバル360とごく初期の1958年スバル360が並ぶ。
3台のいすゞベレットとジェミニが並ぶ。
2台のスズキジムニーSJ-10。エントリーリストには最初期の1970年LJ10-1型が載っていたが、あいにくの雨を嫌ったか、現れなかった。
1926年フォード モデルTと1956年サンダーバード。