第118回 M項-9「モーガン」

2023年4月27日

  •  Moegan SS 

今回「モーガン」を取り上げるについては、僕の中では迷いがあった。というのは「資料が少ない」「モデルチェンジが少なく年式の確認が難しい」「エンジンのみが変更され外観の変化が見つからない」など、正確にモデル名や年式を表示できる自信が持てないからだ。特に4輪の中心である「4/4」については1936年から2018年まで、マイナーチェンジはあるものの根本的な「モデル・チェンジ」は1度も行われなかった。そんな訳で、イベント等で確認できたもの以外は「推定」も含まれる事を予めご了承下さい。

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(01) < 3ホイーラー  (1910~1952)

「モーガン」の創立者「ヘンリー・フレデリック・スタンレー・モーガン(1881~1959)は、イングランドのヘリフォードで牧師の子として誕生した。

工業学校を卒業後、グレート・ウエスタン鉄道の設計部で7年経験を積み、1906年25歳で母の故郷であるウースタ-州マルヴァーン・リンクという町でガレージ業を始め「ウーズレー」と「ダラック」のディーラーとなり、傍らバスの運営にも成功する。鉄道時代に3年かけて貯めた資金で初めて自分の車を持ったが、それがド・ディオンの8馬力エンジンを積んだ「イーグル・タンデム」という「3ホイーラー」だった。その車がどんな車なのかは一切資料が無く確認出来なかったが、元々「3ホイーラー」が好きだったのか、この車を買った事で、興味が湧いたのか、その後自分でも「3ホイーラー」を造ろうと決意したので強い影響を受けたことは間違えない。当初は設備も不十分で、近くの大学から多くの援助を受け、1909年、第1号車が完成し、「モーガン・ランナボート」と名付けられた。エンジンはプジョー製2気筒7馬力で、エンジンを外注に頼る姿勢は最後まで変わらなかった。

(参考01-0ab)1910 Morgan Singliseet Runnabout

完成した1号車が周りで好評だったので、何台か造って売り出そうと体制を整え、1910年の「ロンドン・オリンピア・モーター・ショー」では2台が展示された。2台とも単座で、エンジンは「J.A.P.製」のモーターサイクル用V2 SV 1100cc 8hpを搭載していた。初期の「モーガン」にはハンドルはなく、ドライバーが右手で握る「テイラー・ステアリング」(操舵棒)によって操縦した。変速は「前進2段」のみで後退はない。

後輪の左右にある枚数の違う歯車はそれぞれチエーンで駆動されるが、「1速」と「2速」の切り替え方法は、1本の駆動軸の中央部が「四角」(噛み合い)で、左右が「丸」(空転)だから、この軸を左右に移動することで駆動チエーンを切変えした。

(参考01-0c)1911 Morgan Two Seet Runnabout

1910年のモーター・ショー会期中に約30台の予約を取り付けたが、顧客は「2座」を希望したため、新しく設計した「2座モデル」が1911年のショーに登場した。「モーガン」の人気は急上昇して生産が追い付かなくなり、幾つかのメーカーに外注を打診したが成立せず、止む無く自社で製造することを決意し1912年「モーガン・モーター・カンパニー」を設立した。

(参考01-0d)1917 Morgan Family Four Seeter

3輪車は4輪車に比べて初期購入費用が安く、税制でも有利なので、庶民の味方であることは、現代の日本における「軽自動車」の存在と同じだ。「モーガン」に「ファミリー・タイプ」が誕生したのも、もっと沢山の人が乗れる車を!という要望に応えたもので、1917年遂にホイールベースを延長した「4人乗り」が登場した。写真を見ると、大人4人を支える1本だけの後輪が可哀そうな感じだ。

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・英国に於ける「モーガン」は「自動車」ではなく、「モーターサイクル」でもない。だから1924年以降4輪車のレースからは締め出されている。実は法規上は「サイドカー」に分類されている。

・「3ホイーラー」は、メカニック的には大別して3つ分類される。

  • 「2スピード」(1909~32) チエーン切り替え 、
  • 「3スピード」(1932~52) ギアボックス変速、リバース付き、
  • 「Fタイプ」 (1933~52) 水冷4気筒フォードエンジン、

・もう一つは車種別で、

  • 1909~11「ランナボート」   ⑨1920~29「スタンダード」
  • 1911~21「スポーティング」  ⑩1927~32「スーパー・スポーツ・アエロ」
  • 1911~15「スタンダード」   ⑪1926~32「スポーツモデル・2」
  • 1911~31「デラックス」    ⑫1932~39「スポーツモデル・3」
  • 1913~26「グランプリ」    ⑬1933~39「スーパー・スポーツ」
  • 1913~32「デリバリー・バン」 ⑭1934~52「F4」
  • 1917~32「エアロ」      ⑮1936~38「F2」
  • 1919~33「ファミリー」    ⑯1938~52「Fスーパー」

と多種多様で、とてもこれに従っては分類できないが、参考までに記載した。

(写真01-1a~e)1922 Morgan Aero Sports    (1999-01 トヨタ自動車博物館/名古屋)

車種別にみれば⑦1917~32年に製造された「エアロ」で、多分「J.A.P.」エンジンと思われるがV型の長いプッシュロッドの上部にはまだカバーはない。むき出しのエンジンは横置きで、そのままでも冷却効果は良さそうだが「水冷」(961cc)で、典型的な「3ホイーラー」の姿だ。

(写真01-2a~d)1927 Morgan Aero Sports (2010-07 英国国立自動車博物館/ビューリー)

トヨタ博物館の車と同じタイプだが、5年の間に排気量が1096ccとなり「JAP」のカバーが付いただけで、シャシーの見た目には全く変化はない。ボンネットのルーバーが5本から6本に増えたが、この中は何が入っているのだろう。(因みに「J.A.P.」は創立者「ジョン・アルフレッド・プレストウイッチ」の略で、1903年の「BSA」エンジンをはじめ、モーターサイクル、3ホイーラー、航空機など、多機能なエンジンを提供したメーカー)

(写真01-3abc)1930 Morgan Aero    (2017-10 日本自動車博物館/小松市

前2車と同じ「エアロ」モデルの3年後の姿だ。「J.A.P.」エンジンの排気量は変わらないが、バルブカバーに調整用のレバーが付いた。シャシーのパイプにも少し変化がみられる。

(写真01-4a~e)1934 Morgan Super Sports (1980-11 S.C.C.J. 25周年/富士スピードウエイ)

この車は年式から⑬1933~39に製造された「スーパー・スポーツ」だ。今まで見てきた車に比べて、ボディの形が違う。ラジエターが無い!という事はこの車のエンジンは「空冷」なのだ。それが判るのはシリンダーにオートバイと同じように冷却フィンガ付いていることだ。Vツインを縦に搭載する2輪車の場合は、後ろ側の冷却効率が悪くなるが、モーガンの場合は最高に冷えそうだ。

(写真01-5ab) 1933 Morgan Super Sports   (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真01-6abc)1933 Morgan Super Sports  (2009-11 トヨタクラシックカー・フェスタ/明治神宮)

(写真01-7a~d)1933 Morgan Super Sports (2010-11 トヨタクラシックカー・フェスタ/明治神宮)

(写真01-8a~e)1934 Morgan Super Sports (1980-11 S.C.C.J. 25th/富士スピードウエイ)

同じ時期の「スーパー・スポーツ」モデルには、当然水冷エンジン付きも造られている。エンジン中央部のキャブレター部分にもカバーが付き、遠くからでもはっきり認証できる大き目な「JAP」の文字が入った。

(写真01-9a~d)1934 Morgan Super Sports (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真01-10ab)1934 Morgan Super Sports (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

1933年からは「マチレス」製の水冷VツインOHV 990ccエンジンが登場し、35年からは「JAP」が消えてVツインは「マチレス」のみとなった。(4気筒はフォード)

・「マチレス」は英国最古の2輪メーカー(1899~1960)の一つとして知られる。1905年最初の本格的モデルのエンジンが「JAP」製Vツインだった という因縁がある。

(写真01-11a~e)1937 Morgan Super Sports (1976-03/富士スピードウエイ、1977‐04/筑波)

最初に見た「3ホイーラー」がこの車だ。まだカラー・フィルムが貴重な時代だったから1枚だけ「色見本」に撮った時は「赤」だったが、1年後ナンバー「FMP214」は「グリーン」に変身していた。

(写真01-13abc)1947 Morgan F-Type (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

写真の車は戦後型だが、水冷4気筒の「フォード・エンジン」(933cc)を搭載した「Fタイプ」は1933年からラインアップに加わっている。「F」タイプの「F」は「Ford」「Four」「Family」のどれに該当するのだろう。

(写真01-14a~d)1932 Morgan 4-Place Family (1999-08/ペブルビーチ/カリフォルニア)

正面から見れば「自動車」に見える。エンジンはVツインだがラジエターの後ろのボンネットに収まっているから、日常の足として使うには奇抜でなくて良い。自動車代わりに使う庶民にとっては、より自動車に近い方が好ましいだろう。

< 4ホイーラー (1936~  )

「モーガン」の4輪化については1度企画されたことがあった。1914年の事でモーガンが3輪車であるため「R.A.C.」(英国王立自動車クラブ)が主催する競技への出場資格を取り消された時だったが、4気筒の4輪車は計画のみで実現はしなかった。それから22年経った1936年になってやっと日の目を見ることになった。

(02)< 4/4 > (1936~51、55~ )

(参考02-0a)1935 Morgan F4-改 (4/4 Prototype) 

(参考)ベースとなった3輪モーガンFタイプ

現在の日本で3輪の「モーガン」と言えば、趣味の対象として一種の「珍車」として扱われているが、母国イギリスでは庶民の足として、実用性の高い「ファミリー・タイプ」にも多くの需要があったようだ。その証拠には誕生して間もない1917年には、この小さな3輪車に4人乗りまで造ったしまった事でも判る。より自動車らしくみせるために、「ファミリー・タイプ」には形ばかりの「グリル」を付けてむき出しのエンジンを隠し、1934年にはフォードから提供された水冷4気筒エンジンを積んだ「F4」シリーズで、前半分は「自動車」と変わらなくなった。1930年代中頃になって「3輪車」の売れ行きが急減したのをきっかけに、「モーガン」としても本格的に「4輪車」の開発に踏み切った。そのベースとなったのは、既に前半分が自動車となっていた3輪の「F4」で、後ろ半分を自動車に作り替えたのが写真のこの車だ。

(写真02-1ab) 1937 Morgan 4/4 Roadster (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

(写真02-2abc)1938 Morgan 4/4 Roadster (1980-01 TACSミーティング/明治公園)

 

(写真02-3ab) 1937 Morgan 4/4 Roadster (2009-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真02-4abc)1938 Morgan 4/4 4-seater (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

(写真02-5ab)1938 Morgan 4/4  Roadster (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真02-6abc) 1938 Morgan 4/4 Roadster (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真02-7abc)1939 Morgan 4/4 LeMans Roadster (2006-07 英国国立自動車博物館/ビューリー)

「4/4」は「4つの車輪」と「4気筒」を表している。「4/4」の最初の「シリーズⅠ」はフラット・ラジエターで、1936年誕生した。エンジンは「コベントリー・クライマックス」直列4気筒 吸気OHV,排気SV 1122cc 34hp/4500rpmだったが、1939年からはスタンダードの直列4気筒1267ccとなったが、51年で一旦製造が中断した。その理由はスタンダード社から提供されていた1267ccのエンジンが経営合理化で製造中止となってしまったからだ。

(参考02-8)1957 Morgan 4/4 seriesⅡ

「シリーズⅡ」が復活したのは4年後の1955年10月だった。エンジンは「フォード。100E」水冷直列4気筒SV 1172cc 34hp/4400rpmが選ばれた。残念ながら僕のアルバムからは見付からなかったのでインターネットから転用させて頂いた。車種は2シーターのみで、生産台数は386台。

(参考02-8a)1960-61 Morgann 4/4 SeriesⅢ

(写真02-8bc)1960~61 Morgan 4/4 SeriesⅢ(推定) (1984-04 TACSミーティング/富士スピードウエイ)

「シリーズⅢ」は約1年で僅か58台しか作られていないので、写真の車がSr.Ⅲかは自信が無い。参考に添付した資料から見てもシリーズごとの違いが全く判らない。

(資料02-9)   1961-63 Morgan 4/4 SeriesⅣ

(写真02-9ab) 1961-63 Morgan 4/4 SeriesⅣ(推定) (1979-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

「シリーズⅣ」も約2年で生産台数は114台と、この時期はあまり売れなかったのか作れなかったのか不調が続く。参考資料を添付したがシリーズ別の相違点は全くわからないので、写真の車も「推定」。

(参考02-10)1963-68 Morgan 4/4 SeriesⅤ

 「シリーズⅤ」については明確に確認できる資料を見つけたが、僕のアルバムには「シリーズⅤ」と確認できるものは見付からなかった。生産台数が約5年で639台という事は、年間100台程度が手造りの「モーガン」の限界だろうか。

(写真02-10a~d)1973 Morgan 4/4 1600  (1977-04 TACSミーティング/筑波サーキット)

(写真02-10ef)  1973 Morgan 4/4 1600    (1979-01-TACSミーティング/東京プリンスホテル)

(写真02-10g)  1972 Morgan 4/4 1600    (1980-01 TACSミーティング/明治神宮外苑絵画館前)

(写真02-10gh)1971 Morgan 4/4 1600  (1991-01 JCCA汐留ミーティング)

この車(50-60)には4回出会っているが、面白いことに1~3回と、4回目は大きく変わっているし、年式もだんだん若返っているので、どれを採ったら良いか判らない。最初の73年型から3回目までは「漆黒に金のストライプ」でロータス風に飾っていたが、4回目の71年型の時はバンパーを外し、太いタイヤにロールバーを備え、エンジンにも手を入れたらしくボンネットの横に何やら出張ったものが見える。

(写真02-11ab)1972 Morgan 4/4 1600    (1980-01 TACSミーティング/明治神宮外苑絵画館前)

この車は前項の車が改造する前と全く同じで、バンパーは外してある他は色が違うだけだ。

(03)< プラス4  >  (1950~2019)

「4/4」シリーズは、初期型「Sr.Ⅰ」が1951年で終了した後、5年間後継モデルが現れず、1955年になってやっと「Sr.Ⅱ」が発表された。その間を埋めたのが強化版「プラス4」だった。戦後の「モーガン」はフォード・エンジンの「4/4」と、スタンダード・エンジンの「スポーツ・モデル」で生産を再開したが、1939年から使われてきたスタンダード社の1267cc エンジンは、1947年スタンダード社が合理化のためエンジンを「バンガード」の1750cc一本に絞る事になった。(最終的に量産型は2088ccとなった) エンジンの出力に見合った「ギアボックス」「デフ」を備えた試作車は、期待以上の好結果を示し、一段上の客層も狙えるとみて採用を決め、1950年2 ℓクラスのニューモデル「モーガン・プラス4」が誕生した。

(写真03-1a~d)1949 Morgan Plus 4 2-seater Drophead  (1985-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

(写真03-2abc)1952 Morgan Plus 4 2-seater Sports (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真03-3abc)1953 Morgan Plus 4 TT Special  (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

「モーガン」は1951年製造を終えた「4/4」(シリーズⅠ)と50年から54年までの「プラス4」は、周りが戦後型に姿を変えている中で、戦前スタイルのままの旧態然とした「フラット・ラジエター」だった。戦前の30年代と全く変わらない姿をしていたから、熱烈な「モーガン愛好家」にとってはたまらなく魅力的だった?のかもしれない。

(写真03-4abc)1955 Morgan Plus 4 2-seater (2013-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ/明治神宮)

1953年12月からは、「モーガン」といわれてイメージする、グリルがカーブした現在まで続くスタイルとなった。しかしスペアタイヤは垂直に縦に積まれ2シーターはダブル、4シーターはシングルが用意されていた。排気量は2 ℓ以上は「3」ナンバーとなるが、1954年9月からは「トライアンフTR2」のエンジンを載せた1991cc版も存在したから「5」ナンバーの車もあった。

(写真03-5ab)1953-8 Morgan Plus 4 2-seater    (1959-12 呉服橋/晴海通り)

東京の街角でいろいろなスポーツカーを見かけたが、「モーガン」については、後にも先にもこの1枚だけだ。しかも青森の外人ナンバーだから三沢基地辺りの軍人さんが所有していた車だろう。日ごろから肌身離さず持っている筈のカメラをこの日に限って勤務先に置いてきていた。そこで東京駅から田町まで戻り、歩いて10分程の勤務先に取って返し4~50分して現場に駆け付けた。今まさに出発しようと車に乗り込む所だったが、間一髪のところで3枚だけ撮影させてもらったのがこの写真だ。とにかく記録に残したい一心でカメラアングルなど考えている暇はなかった。

(写真03-6a~d)1953~58 Morgan Plus 4 4-seater (1974 -04 TACSミーティング/筑波サーキット)

この車は「プラス4」の4シーター版だ。スポーツカーのモーガンだから2シーターが多く「4シーター」にはあまり余り出逢わなかった。リアのスペアタイヤは1本だけだ。

(写真03-7abc)1954 Morgan Plus 4 2-seater  (1965-11 CCCJ コンクール・デレガンス/西武百貨店)

この車は展示の際表示されていたデータに従って1954年型「プラス4」 とした。「5」ナンバーなので、1991ccの「TR2」エンジンと思われる。

(写真03-8ab)1961 Morgan Plus 4 2-seater  (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真03-9ab)1962 Morgan Plus 4 SS  (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

モーガンとしては数少ない「外形の変化」で、リアエンドが斜めに傾斜し、スペアタイヤも垂直から斜めになり、2本から1本になった。

(写真03-10abc)1962 Morgan Plus 4 SLR (ルマン仕様)   (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

「モーガン」がこんな車を造るとは信じられないが、62-63年にかけて3台造られている。

(写真03-11abc)1967 Morgan Plus 4    (1966-11 東京オートショー/晴海)

(写真03-12abc)1968 Morgan Plus 4       (1967-11東京オートショー/晴海)

わが国にも正規に輸入されショーに展示されているが、1967年と翌68年を比べても全く違いが判らない。

(写真03-13a~d)1968 Morgan Pius 4 (2008-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ/明治神宮)

この車が新車当時から日本にあったとしたら前項のショーに展示された車かもしれないが、日本に存在する多くの車は並行輸入されたものだ。

(写真03-14ab)1972 Morgan Plus 4  (1990-01 JCCA汐留ミーティング)

(04)< プラス4プラス > (1964~67) 26台  198万円→238万円

(写真04-1a~f)1964 Morgan Plus 4 Plus Coupe (2007-06 フェスティバル・オブ・スピード)

(写真04-2abc) 1963 Morgan Plus 4 Plus Coupe     (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

(写真04-3ab)1967 Morgan Plus 4 Plus Coupe       (1966-11 東京オートショー/晴海)

「プラス4プラス」は「プラス4」の突然変異で出現した、としか思えない。1936年から殆ど姿を変えずに、一途に「古典スタイル」を守り続けてきた「モーガン」が、何を思ったか「プラス4」の古典的なシャシーに、最新の素材「FRP」を使ってすべてが曲線で構成された、当時としては超モダンなスタイルのクーペを発表したのだ。戦後まで「ビンテージ・スタイル」を持ち込んだのは「モーガン」のほかに「シンガー」と「MG」があったが1955年でこれらは生産終了し、見回せば「MGA」をはじめ、「オースチン・ヒーレー」「ジャガー」「ロータス」「トライアンフ」などのライバルはみな格好良く見えた。そこで「モーガン」も、と思うのは無理もないが、モーガンの顧客の大部分は「ビンテージ・スタイル」をこよなく愛するがために唯一のメーカー「モーガン」と繋がっているのだ。「MG」がTDからTFに変わった時ですら、クラシックの良さが無くなったとの声があったほどだから、この異端児が素直に受け入れられる事は無理だった。全体に見てキャビンが小さすぎてバランスが安定しないように思えるが、多分に「ロータス・エリート」の影響がみられる。これを容認する新規の顧客は殆ど現れず約3年の間に26台(50台説もあり)しか造られなかった。そのお陰で今や「コレクターズ・アイテム」となっているが・・・。

(05)< プラス 8 > (1968~2003/12~18)

(写真05-1abc)1968 Morgan Plus 8     (1977-04 TACSミーティング/筑波サーキット)

(写真02-2ab)1970 Morgan Pius 8  ((1979-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

(写真2-3a~d)1970 Morgan Plus 8      (1969-11 東京オートショー/晴海)

「モーガン」の最初の4輪車「4/4」は4気筒で1122ccから1599cc、次の「プラス4」も同じく4気筒で2088ccだったが、1968年「モーガン」は前年で生産が終了した「プラス4」の後継車として、3.5 ℓの「V8」エンジンを積んだ「プラス8」を発売した。「プラス4」用の2088ccエンジンの供給が止まってしまったため、次のエンジンとして選んだのが「ローバー3500」に搭載しているV8 OHV 3528ccだった。ビンテージ・スタイルのモーガンと言えどもスポーツカー・メーカーとすればよりパワフルで、よりスピードを望むのは当然の成り行きだろう。(前回の「MG-TB」の項でヒーレー3000の6気筒エンジンを「MGB」に無理やり詰め込んだ例と同じ)基本的には「プラス4」のシャシーを強化、拡大したものに、ローバー3500用のエンジンを載せ、ボディは空気抵抗の多い伝統のビンテージ・スタイルを固持した。馬力に対する総重量比は良好で、ハイギアリングの5速では時速100キロで僅か2100回転だから全く静粛だ。速度を上げてもエンジンは静かだが、ボディの振動や幌のバタつきが限界で、性能に見合うボディが必要だった。しかし「もしウィンドシールドを曲面ガラスに変えたら、世界中の熱烈なモーガンファンから總スカンを食らうだろう」と社長の「ピーター・モーガン」は苦笑しているという。しかしこの高性能版は意外と好評で、長期間にわたって生産され、最多生産数を記録した。

(06)< エアロ 8 > (2000~2010/2015~18)

(写真06-1a~d)2007 Morgan Aero 8 Roadster (2007-06 フェスティバル・オブ・スピード)

(写真06-2ab)2004 Morgan Aero 8 Roadster(2004-06 フェスティバル・オブ・スピード)

(写真06-3a~d)2000 Morgan Aero 8 Roadster(2000-06 フェスティバル・オブ・スピード)

(写真06-4ab)2000 Morgan Aero 8 Roadster (2002-12 涌井コレクション見学会)

(写真06-5a~f)2010 Morgan Aero Super Sports (2010-7 フェスティバル・オブ・スピード) 

2000年のジュネーブショーで、生粋の「モーガン愛好家」だったらひっくり返りそうな怪物が登場した。「エアロ8」だ。名前の通り「空力」に十分配慮したモダンでダイナミックなスタイルは、「ラジエターグリル」と「裾を引く左右のフェンダー」にビンテージ・モーガンの面影を残しており、「プラス4プラス」の時よりは、旧型への配慮が感じられる。勿論「賛否」は別れたが、空気抵抗の多い「プラス8」の性能を持て余すならば、当然現れるべくして現れたスタイルだろう。「ビンテージ派」も時代の流れに従ってそろそろこの辺で容認したらどうかとも思うが、それでも駄目だと言われる方には、旧態然の「4/41600」「V6ロードスター」も用意されています。

(07)< ロードスター V6(3 ℓ) > (2003~ )

(写真07-1a~f)2010 Mordgan Roadster Sports  (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード)

「プラス8」の後継車として2003年誕生した。フォード製V6 エンジンを搭載しているが「プラス6」とはせず「ロードスター」と名付けた。2018年「エアロ8」が無くなってからはモーガンの最上位となっている車だ。

(08)< 4/4 >

(写真08-1a~d)2010 Morgan 4/4 Sport  (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード)

4輪車スタート1936年以来の「モーガン」信者の理想と伝統を守り続ける「これぞモーガン」だ。

         ―― 次回はモーリスの予定です ――

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