ロータリーエンジン(RE)について2回連続して取り上げてきたが、最後にご本家NSUのロータリーエンジン車についての史料をファイルから引き出してみた。なお、シトローエンのロータリーエンジン車についてはM-BASE 第88回で取り上げています。
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上の2点は「NSUバンケルエンジン搭載車第1号」と記されたNSUスパイダーのプレスキットと、NSU Ro80のプレスキット。モデル名のRoはRotary、80は開発コードからとったもの。
NSUは1873年の設立当初は織機工場としてスタート。自転車、オートバイの製造を経て、1906年から四輪車の製造を開始した。1929年に四輪車工場をフィアットに売却し、1932年以降モーターサイクルの生産に専念していたが、1957年に四輪車の生産を再開した。NSUの社名の由来は、所在地ネッカーズルム(Neckarsulm)からとったもの。
◆NSUのバンケル型スーパーチャージャー
NSU社は、まず初めにバンケルロータリーの機能確認のため、1956年に100ccのバンケル型スーパーチャージャーをつくり、50ccエンジンに組み付け13psの出力を得た。それを二輪のレコードブレーカーに搭載して速度記録に挑戦、米国のボンネビル・ソルトフラッツで196km/hの速度記録を樹立した。
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上の2点は米国のボンネビルで速度記録を樹立した「バウムⅡ(Baumm Ⅱ)」と搭載されたバンケル型スーパーチャージャー。バウムはデザイナー、グスタフ A. バウム(Gustav A. Baumm)の名前からつけられたもの。
◆NSUプリンツⅢによるRE走行テスト
1960年1月、完成した250ccのシングルローターユニットをNSUプリンツⅢに載せ、初めて走行テスト段階に入った。
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上の2点は、1960年に試作エンジンの実車テストに使われた、NSUプリンツⅢの同型車のカタログと、搭載されたKKM250型ロータリーエンジン。
◆NSUスポーツプリンツによるRE走行テスト
NSUスパイダー発表時に配布された広報資料によると、1960年には市販クーペのスポーツプリンツに試作ロータリーエンジンを積み、デンマークからイタリアに至るヨーロッパの広い範囲をテストフィールドに実車走行テストを開始している。供試エンジンは250、400、500ccの合計7種類で、テスト走行時は常時スペアエンジンを用意し、故障したテスト車を拾って目立たない場所に運ぶためのトラックを常に用意していたという。この救援トラックをテストドライバーたちは「the Hearse:霊柩車」と呼んでいた。ちなみに、彼らがエンジン交換に要する時間はたったの1時間であったと記されている。
不具合については、ローターハウジングのチャターマーク(波状摩耗)、シーリング不良によるオイルの燃焼で発生する白煙と過大なオイル消費量、ギアの破損、高温によるスパークプラグの破損、キャブレターのマッチング不良などが記されているが、なかでも排気管からの白煙はすさまじく、煙幕は300ヤード(約270m)にもおよび「後続車が煙の中を突き進んでいくと犯人はNSUだった。」などと正直に記されている。
上記不具合はすべて解決されたとあるが、そうではなかったということが生産実績からも読み取れる。アペックスシールをはじめとするロータリーエンジン関連不具合が多発し、しかも販売店の修理能力が低く、エンジン不具合に対してはエンジン交換で対応したためサービス費用が経営を圧迫した。わが国へも輸入され、ロードテストの結果は「モーターファン」誌1965年1月号、「モーターマガジン」誌1965年2月号などに掲載されているが、当時「モーターファン」恒例の大学教授、大学の研究室などのメンバーによる座談会では、ロータリーエンジンの将来性について肯定的な意見と、否定的な意見とに分かれ調整に苦労したと言われる。
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1960年からNSUスパイダー用試作エンジンの実車走行テストに使われたNSUスポーツプリンツの同型車のカタログ。
◆NSUバンケルエンジン搭載車第1号、NSUスパイダー登場
1963年9月に開催されたフランクフルトモーターショーで発表され、翌1964年9月に量産開始された。初年度生産計画は3000台以上を予定していたようだが、実際には152台しか生産されず、1967年までの3年間に生産されたのはわずか2375台であった。
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NSUスパイダーのサイズは全長3580mm、全幅1520mm、全高1235mm(トップを上げた状態)、ホイールベース2020mm。車両重量685kg。駆動方式はRR、4輪独立懸架、ラジエーターと35L入り燃料タンクをフロントに積む。コンパクトなエンジンの上部に浅いが荷室が確保されている。
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上の2点はNSUスパイダーに搭載されたKKM502型500ccシングルローターエンジン。最高出力は64ps/5000rpm(SAE)、最大トルク7.5kg-m/3000rpm。トランスミッションはフルシンクロ4速MTを積む。最高速度150km/h、燃費は12.5km/L。
◆NSUスパイダーのオランダ語版カタログ
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◆NSUスパイダーの日本語版カタログ
NSUの日本総代理店であった安全自動車株式会社が発行したカタログ。日本での販売価格は170万円(オプションの純正ハードトップ付き)であった。最下段の右頁にはスポーツプリンツ(107万円)とシボレー コルベアを圧縮したようなプリンツ4(82万円)が載っている。
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◆NSU Ro80登場
シングルローターは低速でのトルク不足と振動が避けられず、これを解決する2ローターユニットが1965年9月のフランクフルトモーターショーで発表された。そして、2年後の1967年9月、2ローターユニットを搭載し、斬新なスタイルと機構を備えた全く新しいクルマNSU Ro 80が発表され、同年10月から量産を開始した。
1964年にスタートしたヨーロッパの「カーオブザイヤー」を、1968年にドイツ車として初めて受賞したRo 80であったが、エンジンの耐久性については解決されておらず、販売は伸びず経営は悪化し、1969年にフォルクスワーゲン傘下のアウトウニオン社と合併してアウディ NSU アウトウニオン社(Audi NSU Auto Union GmbH)となった。しかし、フォルクスワーゲンがロータリーエンジンの開発に興味を示さなかったため、1977年までの10年間に合計3万7402台生産しただけで、元祖であり、ライセンサーであったNSUはロータリーエンジンを捨ててしまった。NSUの技術陣は新しいロータリーエンジンを量産可能なレベルまで開発していたが、1979年にこれを量産する予定はないと公表している。だが皮肉なことに、基本特許の最後の特許が有効期限の20年を迎える1983年まで、マツダは毎年多額のロイヤルティーを支払わねばならなかった。1985年には社名はアウディ社(Audi AG)となり、本社もネッカーズルム(Neckarsulm)からインゴルシュタット(Ingolstadt)に移り、NSUの名前は消滅してしまった。
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NSU Ro80のサイズは全長4780mm、全幅1760mm、全高1410mm、ホイールベース2860mm。車両重量1210kg。駆動方式はFF、4輪独立懸架、83L入り燃料タンクをリアアクスル前方に積む。エンジン、トルクコンバーターが前車軸より前に位置するのでフロントヘビーは避けられそうもない。ブレーキは4輪ディスクでフロントはインボードタイプ。
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NSU Ro80に搭載された497.5cc×2ローター、130ps/5500rpm(SAE)、16.2kg-m/4500rpmエンジン。トルクコンバーター+空気圧式単板乾式クラッチ+フルシンクロ3速MTを組み合わせたセミATを積む。最高速度180km/h、燃費は8.9km/L(DIN 70030)。
◆NSU Ro80最初のカタログ
1967年9月、フランクフルトモーターショーで発表されたとき配布されたRo80最初のカタログ。風洞実験をとおして完成した流麗なボディーをまとうRo80。全周をパッドで囲んだシンプルなインストゥルメントパネルの木目調フィニッシャーはすぐに黒色の合成樹脂に変更された。セミATのためクラッチペダルは無い。床から生えた長いシフトレバーが時代を物語る。現地価格は1万4150ドイツマルク(当時の為替レート1マルク=90円として約127万円)であった。
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◆NSU Ro80の日本語版カタログ
NSUの日本総代理店であった安全自動車株式会社が発行したカタログ。日本での販売価格は280万円であった。当時トヨペットクラウンの価格が75~122万円であった。最下段の頁にはタイプ110SC(120万円)、NSU TT(127万円)、NSU TTS(140万円)が載っている。
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◆その後のRo80のカタログ
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1971年5月発行のカタログ。1969年にアウトウニオン社と合併したが、この時点では表紙はNSU Ro80のままで「NSU Ro80。エンジニアリングで成功する。」のコピーがついた。ただし、裏表紙には「AUDI NSUエンジニアリングで成功する。」と、AUDIの名前が入った。実車ではボンネットの前につくNSUのエンブレムは継続されたが、トランクリッドのバッジは「NSU Ro80」⇒「Ro80」に変更された。
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1972年5月発行のカタログ。表紙からNSUの名前が消え、「Ro80。エンジニアリングで成功する。」となった。
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1975年8月発行のカタログ。表紙には「RO 80」と入り、Roのoが大文字表記となった。フロントのNSUエンブレムは健在であった。裏表紙には「RO 80 技術の粋を集めた美しい一品。km制限のない1年保証付き。」のコピーが載る。おそらくRO80最後のカタログであろう。
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上の5点は米国で入手した「Ro80・モータリングの新たな体験」とうたった27cm×39cmの大判カタログで、空力を追求した結果生まれた流麗なボディーがダイナミックな写真で紹介されている。当時はオプションでも用意されていないクルマが多かったパワーステアリングとセミATを標準装備し、スライディングルーフ、ビルトインヘッドレスト、3点式シートベルト、デュアルスピーカー付きラジオ、電動アンテナ、アルミホイール、レザー仕様の内装などがオプションで用意されていた。
最後に、ロータリーエンジン車については、2011年に三樹書房から拙著「ロータリーエンジン車 – マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜」が発行されている。