第116回 M項-7 「MG 2」TC~TF、Y、マグネット

2023年2月27日

戦後の東京の町で一番多く見られたスポーツカーは「MG-TD」だった。子供はカッコ良い車を見れば、なんでも「エムジー!」と叫んだ。戦前の小型車がなんでも「ダットサン」だったようにだ。中学生だった僕にとって、進駐軍と共にもたらされた外国文化は「スポーツカー」「ジープ」「大型アメリカ車」などの影響で、以後60年以上連綿と自動車の写真を撮り続ける一生を送る事になってしまった。今回の対象となる車たちは、新車として街に出てきた時が、僕が街中をカメラを持ってうろついていた時期と同時進行だったから、角を曲がると突然初めて見るニューモデルに遭遇するハプニングもあり楽しい毎日だった。モノクロ写真の大部分はそんな時代の産物だ。僕は1959年から東京に住み始めたが、それまでは静岡に住んでいた。多くの外車に恵まれた街ではあったが、流石にスポーツカーは1台も存在しなかったから、東京までカーハントに来て初めて本物に出会った訳だ。東京の街でも「MG」以外の「スポーツカー」にはめったに会えなかった。戦後間もなく日本に上陸したスポーツカーをアルファベティカルに並べてみると「オースチン・ヒーレー」「ヒーレー・スプライト」「ジャガー」「ロータス」「MG」「ポルシェ」「トライアンフ」などが見られた。

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〈01〉<MG TC ミゼット> (1945~49)

「TC」が誕生したのは1945年で、それは第2次世界大戦が終わった年だから、当然新車と言っても戦前の車そのもので、「TB」と殆ど変わらなかった。全体のスタイルはこの後に続く「TD」「TF」シリーズに引き継がれるが、戦前型の大きな特徴はエンジンの搭載位置で、前車軸より後ろに位置しているからラジエターグリルも車軸の後ろにある。これはクラシックカーの定石で、現代の車をベースにクラシックカーもどきを造る際の最大の泣き所だ。もう一つの特徴は4.50-19という細身の大径スポークホイールだ。

(写真01-1a~e)1948 MG TC Midget  (1962-08 羽田空港/1970-04 CCCJコンクール・デレガンス)

この日、羽田は快晴だった。今から60年前は全日空の国内線には双発のプロペラ機(DC3 ?)が使われていた。青空の下、突然現れたのがこの車だ。カメラは首から下げ常に撮影体制をとっていたから咄嗟に3枚撮影できた。当時日本には4台しか存在していない「MG TC」だ!。しかも関東地方ではこの車1台しか動いていなかったから全く僥倖としか言えなかった。ドライバーは「日英自動車」で輸入された車の殆どに関わった故・西端日出夫氏で、後年知己を得たが、この写真が欲しいとの事だったので横浜のご自宅に伺った際持参した思い出がある。

(写真01-2abc)1948 MG TC Midget  (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンスホテル)

この2枚はカラーだが少々ピントが甘い。当時「カラーフィルム」はまだ貴重品だったので1本だけ持参し、色を確認するため1台1枚に限って撮影していた。しかも枚数を稼ぐため「ハーフサイズ」カメラを使用していたので「フルサイズ」のようにはっきり写っていない。〈2枚を比較されたい〉

(写真01-4abc)1947 MG TC Midget  (1986-11 モンテミリア/神戸)

(写真01-5a)1948 MG TC Midget  (1989-10 モンテミリア/神戸・ポートアイランド)

この2台が古くから関西にあったのか、最近輸入されたものなのかは僕にはわからない。「TC」はステアリングの色が黒いのは1945~47(前期型)で、薄茶色は48~49(後期型)に分かれる。

(写真01-6a)1948 MG TC Midget (1997-10 ラフェスタ・ミッレミリア/表参道)

明治神宮に集合した車は神宮橋を渡って表参道を青山通りに向かう。

(写真01-7a)1945~49 MG TC Mdget (2000-05 ミッレミリア/ブレシアオ・ドーモ広場)

(写真010-8a)1945~49 MG TC Midget (2001-05 ミッレミリア/ブレシア車検場)

(写真010-9a)1945~47 MG TC Midget (2001-05 ミッレミリア/ブレシア車検場)

ミッレミリアで撮影したこの3台はいずれの参加車ではないので詳細は不明だ。

写真010-10ab)1948 MG TC Midget  (2008-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ/明治神宮)

(写真010-11a~e)1947 MG TC Midget(2009-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ)

(写真-010-12a)1948 MG TC Midget(2011-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ)

(写真010-13a)1948 MG TC Midget (2014-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ)

いまや「TC」はレアモデルでは無くなってしまった。国内に何十台も存在しているだろう。ややモダンに変化した「TD」と較べれば、純クラシックのプロポーションを保っている「TC」は、クラシックカーに拘るコレクターにとっては格好のアイテムといえよう。

(02)<MG TD/TD Mkミゼット> (1950~52/52~53)

「TC」の生産期間は1945年から49年までで、日本には正規輸入はできない時代だったから、国内で手に入れるには「進駐軍」の払い下げしか方法はなかった。しかし「TD」については徐々に正規輸入が可能となり、特に1953、54年は外貨事情が良かったのか「MG」に限らず多くの外車が輸入されている。

・排気量は全モデル共通して1250ccで変わらないが、1952年8月圧縮比を7.25から8.0に上げ54.4hpから57.5hpに強化し「MkⅡ」となった。細かい変化で年式が判断できるので、年式別に区分けした。

≪ 1950

(参考020-0a~e)1050 MG TD Midget (オリジナル確認資料)

初代の「TD」を僕は見ていないので参考図面を添付した。特徴はホイールで冷却穴はない(50年のみ)。ヘッドライトはリム、本体ともクロームメッキ(50-51年共通)、幌骨は2本(50~52年共通)。

(写真020-1abc)1950(51) MG TD Midget (2013-11トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ/明治神宮)

プログラムの登録に従って1950年として扱った。ナンバープレートも「19-50」だから、もしかしたら、オリジナル・ホイールを冷却効率の良い穴あきに変えたのかもしれない。いずれにしても外見の特徴は「1951年型」と変わらない。

≪1951≫

(写真021-0a~d)1951 MG TD Midget (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンスホテル)

モノクロ写真では「アイボリー」のように見えるこの車は、雑誌でも紹介されている大スター三船敏郎さんの愛車で、実際は「レモン・イエロー」だ。すべてがオリジナルで非常に良いコンディションを保っているこの車は「1951年型」としてお手本となる車だ。しかし不思議なことにこの車は雑誌の紹介記事も、展示会場のプレートも「1953年」となっていた。〈53年型の特徴はこの後の項を参照されたい〉

(写真021-1a~d)1951 MG TD Midget (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンスホテル)

この車も素晴らしいコンディションを保っている車だ。少々ピンボケな「色見本」が付いている。この車は「穴あきのホイール」「クロームメッキのヘッドライト」「フロントガラスの右上に付いたワイパー・モーター」「角型にテールランプ」と51年型の特徴を全て備えている。

(写真(021-2abc) 1951 MG TD(改) Hardtop      (1959-08 日比谷付近)

え!「TD」にハードトップ?と驚かれる方があるかもしれない。確かにカタログ・モデルには「ハードトップ」は存在しない。極めて高い完成度は専門家の手になるもので、当時「日英自動車」のサービスマネージャーだったジョンソン氏が竹ノ内ボディで造らせた一品ものと西端さんから伺った。「5-30558」のナンバーは1951年から使用が始まった 横1列のナンバープレートで、頭の5は今と同じ小型車、次の「3」は在日外国人に割り振られた番号で俗に「30,000」番台と呼ばれた。

(写真(021-3abc) 1951 MG TD Midget    (1966-05 第3回日本グランプリ/富士スピードウエイ)

1962年鈴鹿に本格的なレ-ス・コースができて日本でもオート・スポーツが芽生えた。翌1963年には国内で初めての本格レース「第1回日本グランプリ」が開催された。(世界中で開かれるF1グランプリとは関係ない)64年も鈴鹿で開催されたが、第3回は1年空いた1966年出来たばかりの「富士スピードウエイ」に移った。現地に行くには小田急「新宿駅」からJR御殿場線直通のディーゼルカーに乗って「駿河小山駅」で下車し、あとはバスを利用した。現地に着くとまず駐車場で珍しい車を探すのが最初の仕事だった。この日235枚撮影したうち163枚が駐車場で撮影したものだった。

(写真021-4abc)1951 MG TD Midget (1970-04 CCCJ コンクール・デレガンス)

この車にもピンボケの色見本が付いているので「赤」という事が判る。この車の幌は1950~52年の支柱が2本の特徴が良く出ている。

(写真021-5ab)1951 MG TD Midget    (1961年/港区・一ノ橋付近)

  

僕は1959年から62年まで約3年、三田の慶応義塾大学近くに勤務していた。桜田通りを東京タワーに向かって少し行くと赤羽橋で、そこを左に曲がれば「一ノ橋」「麻布十番」「六本木」へと続く。特に「一ノ橋」付近には特殊技術を持った小規模の修理工場が密集していたから、昼休みには自転車に乗って珍しい車探しに精を出した。当時は路上駐車OKの時代だったから、修理待ちの車は道に列をなしていた。修理工場と言っても普通の住宅の一角を取り壊して作業場にしたような物もあった。

(写真021-6ab)1951-MG TD Midget  (1980-01 TACSミーティング/明治神宮絵画館前)

(写真021-7ab)1951 MG TD Midget (1985-01 TACSミーティング/明治公園)

(写真021-8a)1951 MG TD Midget  (1989-10 モンテミリア/神戸ポートアイランド)

(写真021-9a)1951 MG TD Midget  (1990-07 アメリカンドリームカー・フェア/幕張)

(写真021-10ab)1951 MG TD Midget (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)

(写真021-11abc)1951 MG TD Midget  (2008-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真021-12a)1951 MG TD Midget  (2008-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真021-13a)1951 MG TD Midget (2011-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ)

(写真021-14a)1951 MG TD Midget (2017-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ)

各種のイベントには数多くの「MG TD」が集まる。中でも「51年型」は一番多いように感じた。

≪1952≫

1952年型の変更点は1か所のみ「ヘッドライトはリムのみメッキ、本体はボディと同色塗装」となった。

8月以降、圧縮比を上げ馬力を強化した「TD MkⅡ」が誕生した。テールランプは翌年発売される「TF」と同じ丸型となった点が外見の変更点で、幌骨が2本なら52年型だが、この組み合わせは1度も見ていない。

(写真022-1a)1952 MG TD Midget  (1962-04 渋谷駅東口/青山通り終点)

青山通りを渋谷に向かい青山学院大学を過ぎると二股に分かれるが、そのまま左を真っ直ぐ行くと間もなく行き止まりになる。写真の場所がそこだ。この車は頭を前にして駐車しているが、この習慣はアメリカの進駐軍が来てから日本人も真似するようになった停め方で、戦前の日本では頭を進行方向に向けて駐車する「出船方式」だった。戦前の自動車というものにはお抱えの運転手さんが付いていて、ご主人が戻ってきた時にはそのまま直ぐに出発できるのが当たり前だった。アメリカ人がなぜこんな停め方をするか、という一説には、西部開拓時代の馬の繋ぎ方に端を発するという説もある。馬は尻尾を前にしては繋げません。

(写真022-2ab)1952 (MG TD Midget  (1977-04 TACSミーティング/筑波サーキット)

この車もヘッドライトがボディと同色で、角形テールランプ、ワイパーモーターがフロントガラス右側に付いている、という52年型の特徴を備えている。

(写真022-3abc)1952 MG TD Midget(1985-01 TACSミーティング/明治公園)

(写真022-4ab)1952 MG TD Midget  (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)

(写真022-5a~f)1952 MG TD Midget (2011-10 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

3車ともとても良いコンディションで、しっかりオリジナルが維持されているから、1952年型のお手本となる車だ。

(写真022-6a)1952 MG TD MkⅡMidget (オリジナル資料)

52年型のMkⅡについては1枚も撮影していないので参考に添付したが、後ろが見えないこの角度からでは51年型との変化は判らない。ただワイパー・モーターが中央ではないから53年型ではない。MkⅡに関しては僕が撮影したものを調べた範囲ではすべてが53年型だった。

≪1953≫

「TD」最後の年が1953年だ。この年の変更点は「幌骨が3本になった事」「ワイパー・モーターがフロントガラスの中央になったこと」で、テーランプは52年(1MkⅡ)と同じメッキ丸型は変わらず、ヘッドライトは本体のみボディーと同色塗装の筈だが、全体メッキに変えたと思われる車も多数ある。この年は全てが「MkⅡ」である。

(写真023-1a)1953 MG TD Midget MkⅡ  (1960-01 有楽町ガード付近)

車は有楽町付近のガード手前に駐車している。現在とは違う道路標識だがこの場所は「駐車可」を示している。この車は「ヘッドライト」「ワイパー・モーターの位置」「テールランプ」と全て1953年型の特徴を備えている。看板は世界的ヴァイオリン奏者「イーゴリ・オイストラフ」の来日公演を知らせるものでチケット発売中のようだ。

(写真23-2abc)1953 MG TD Midget MkⅡ   (1959-04 銀座西6丁目付近)

イベントで撮影したものと違って、街中で捉えたものは周りの情景が写り込んでいるので、当時の風俗も読み取れる。この写真には学生服が写っているが今では詰襟の学生服は「応援団の制服」だ。僕は長い間「自動車」そのものの写真を撮ることに徹していたので、なるべく人は写り込まないように避けていたし、背景もあまり余計なものが入らないようにしていた。この方針が大きく変わったのは、イタリアに行くようになってからで、かの地では人も背景も格好良く写っていたからだ。

(写真023-3ab)1953 MG TD Midget MkⅡ  (1961-03 山下公園/横浜)

この日は「マッカーサー」前駐日大使が任務を終えて、横浜から船で帰米する日だった。当然各国の高官が見送りに来るから珍しい高級車が見られるだろうと、会社を休んで見送り?に行った。思惑通り収穫があり会社を休んだ甲斐があった。当時のセキュリティは緩やかで、部外者の僕でも大使の5メートル近くまで接近して写真を撮ることができた。「プレジデント・クリーブランド号」が出港した後、港付近を歩き回って見つけたのが写真の車だ。後ろ姿では、幌骨が3本となった1953年型の特徴が良く判る。僕は横浜については全く知識が無いので良く判らないが、並木越しに見える背景の建物にはユニオンジャックのほかいろいろな旗が見える。

(写真023-4ab)1953 MG TD Midget MkⅡ (1981-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

この車は「方向指示ランプ」に特別拘りが有るようで沢山付けている。ほかの車を見ると方向指示器らしいものが見あたらないから手信号だったのか。

(写真023-5ab)1953 MG TD Midget MkⅡ  (2018-04 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

(写真023-6ab)1953 MG TD Midget MkⅡ(2018-11トヨタ自動車クラシックカーフェスタ)

「TD」シリーズにはオプションでも「ワイヤー・ホイール」は用意されていなかった。今まで見てきた1950~52年のすべてのモデルに一度も登場して来なかった。しかし最後に登場するこの2台はワイヤー・ホイールを履いている。僕は専門家ではないので、他の車が何故履いていないのか、この車は何故履いているか技術的な事は判らない。

(写真025-1abc)1937 Datsun 16型Roadster(改) MG TDもどき

ここで涙ぐましい程の努力が見られる1台の改造車をお目にかける。タイヤから推定して1930年代のダットサンがベースと思われる。(バンパーから37年型と推定した)当時の憧れのスポーツカーが「MG」だったのが、この車を造るきっかけだった事は、ヒシヒシと伝わる。特に後ろ姿はこの素材からよくぞここまでと絶賛したい出来栄えだ。

  

(参考26-1ab) 2004 TD 2000

マレーシアの「TDカーズ」社が造るMG TD のレプリカで、流石に個人の情熱で造られた前項の「そっくりさん」と違って、本物の「MG TD」より立派に出来ている。エンジンはトヨタ製の2 ℓが搭載されているので性能も期待できる。日本では光岡自動車が販売した。

(03)<MG TF 1250/1500)(1953~54/54~55) 

 「TF」が発売されたのは1953年10月だったから「1250」の発売期間は実質1年少々だった。エンジン、シャシーは「TD MkⅡ」と変わらなかったが、大きく変わったのは「ボディ」で、最後の「Tシリーズ」に相応しく「クラシック」と「モダン」の橋渡しを果たした。戦前型の「TC」、ややモダンになった「TD」、そして、ヘッドライトが埋め込みとなり、ラジエターも大きく後傾した「TF」は、発売当初はクラシックに拘る一部のファンからは酷評されたが、現代では「TF」はTシリーズ最良のモデルと評価されている。レースでは1500ccクラスに入るので、54年1月には不利な1250ccから1466ccにアップした「TF 1500」が誕生した。

(写真030-1abc)1953 MG TF Midget         (1962-04 渋谷西口駅前) 

この場所は今や世界的に有名な「渋谷のスクランブル交差点」(道元坂下)の忠犬ハチ公側で、当時は駐車スペースだった。3枚目の写真には道の向こう側に「大盛堂書店」の看板も見える。

(写真030-2a)1953 MG TF Midget  (1965-11 後楽園スポーツカー・ショー)

後楽園球場(現東京ドーム)の周りには「競輪場」と「遊園地」があった。その遊園地に30台程スポーティな車を集めて展示した小規模なショーだった。見た後は子供と遊園地に行ったが、当時幼稚園だった息子は昨年「還暦」を迎えたから、はるか昔の話だ。

(写真030-3ab)1953 MG TF Midget      (1988-01 TACS ミーティング/明治公園)

(写真030-4a)1953 MG TF Midget  (1989-10 モンテミリア/神戸ポートアイランド)

(写真030-5ab)1953 MG TF Midget         (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真030-6ab)1954 MG TF Midget    (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真030-7a~e)1954 MG TF Midget (2011-10 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

(写真030-8abc)1954 MG TF Midget (2014-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ)

「TF1250」は「TF1500」が出るまでは単に「TF」と呼ばれ、「1250」は区別のため後から付けられたものだ。外見の区別はボンネット・サイドの先端に「1500」のバッジが無いのが「1250」という、「消極的な確認方法」しかない。ホイールについては基本的には「TD」と同じ「穴あきディスク」だが、オプションで「ワイヤー・ホイール」が可能となり、殆どの車が採用している。

(写真031-1a~e)1954 MG TF 1500    (1960-01 有楽町/毎日新聞社建設予定地前)

この場所は当時の地名では「千代田区有楽町1丁目2番地」で空き地の囲いには「毎日新聞社建築予定地」と書かれている。ここは明治の終わり頃から「毎日新聞社」のあった場所で、その後1966年本社は一ツ橋に移り、現在は「新有楽町ビルヂング」となっている。車の後方には間近にJR有楽町駅のホームが見え、ボンネットには「TF-1500」のバッジが見える。

(写真031-2a~e)1955 MG TF 1500    (1960-04 東京プリンスホテル)

「幌」やテールランプは「TD MkⅡ」と変わらず、全体には制が低くなった。3本目の幌骨はサイドウインドウの中央当たりの屋根が盛り上がっているのが見える。

(写真031-3a~d)1955 MG TF 1500 (1977-04 TACSミーティング/筑波サーキット)

この車は珍しくオリジナルの穴あきディスクホイールを履いている。「TD」はベンチシートだったが、「TF」シリーズではセパレートシートになった。

(写真031-4a)1955 MG TF 1500  (1981-01 TACSミーティング/明治神宮絵画館前)

(写真031-5a)1955 MG TF 1500      (1988-01 TASCSミーティング/明治公園)

(写真031-6a)1955 MG TF 1500 (1989-10 モンテミリア/神戸ポートアイランド)

(写真031-7a~d)1954 MG TF 1500(2009-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真031-8a)1955 MG TF 1500(2017-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ)

「TF 1250/1500」は通算でも1953~55年と僅か3年だが、53年は10月からだから実質2年と少々だ。イベントでも可成り多くの参加車が見られるのは、約9600台と生産台数も多いからだろう。

(04)<MG Yタイプ> (1947~53)

(写真040-1ab)1948 MG Y-type Saloon      (1960-01 日比谷交差点)

車は有楽町から来てお堀端の日比谷交差点で停まっている。僕はこの日は歩きでカーハントしていた。交差点でふと横を見ると見慣れない「MG」が停まっている。屋根付きの「MG」を初めて見た僕は改造車かと思った。この時期はまだ車に関する情報が少なく「MG」に4ドア・サルーン「Yシリーズ」があるのを知らなかったからだ。

(写真040-2abc)1950 MG YA Saloon (1979-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)

約20年後のイベントで「YA」に再会したがその間一度も出会っていない。「MG」はスポーツカーと並行してファミリー向けの「スポーティー・サルーン」を用意しており、「TC」の時代には「YA/YB」がこれに相当する。

(写真040-3abc)1947 MG Y-Saloon   (2017-10 日本自動車博物館/石川県小松市)

僕が見た車は2台とも「黒」だったが、博物館の車は「赤」だった。外見による年式の違いは判らないが、3車ともワイパーの停止位置が違う。

(参考041-1a)1948 MG TY Touarer

「Yシリーズ」にはオープン4シーターの「TY」もあったが、日本には輸入されなかったようだ。

(写真042-1abc)1955 Arnord-MG 2+2 Coupe (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード)

(写真042-2ab)1955 Arnord MG 2+2 Coupe  (1998-08 コンコルソ・イタリアーノ)

この車は53年生産が終了してしまった「Yサルーン」に代わって誕生したファミリー向けの2+2クーペだが、メーカの正規モデルではない。シカゴのMGデーラー「S.H.アーノルト社」がTDのシャシーをイタリアの「ベルトーネ」社に送って造らせた特注ボディで数十台が販売された。

(05)< MG ZA/ZBマグネット・サルーン> (1953~56/56~68)

ファミリーを対象とした「Yサルーン」は1953年8月で生産を終了したが、後継車として10月には「ZAマグネット」が登場した。前年「ナッフィールド」と「オースチン」の合併により「BMC」となった結果合理化が図られ、「ウーズレー4/44」とは性能、内装は別として、外見はグリル以外共通となった。エンジンは「Yサルーン」より一回り大きくなり「BMC Bタイプ」ツインSU 1489cc 6ohp/4600rpmが与えられた。サルーンカー「マグネット・シリーズ」に対応するスポーツカーは「TF」から「MGA」に入っているので本来は次回に登場するのが順序だが、「スポーツ・サルーン」で括ったので一気に紹介する。

(写真050-1ab)1953 MG ZA Magnette Sports Saloon  (1959年 丸の内)

丸の内は日本有数のビジネス街で、諸先輩方も多くの車を撮影しておられるので、僕も何回か足を運んだが、あまりたくさんの獲物を得られなかった。僕の行動パターンとして昼休みに一寸行ける範囲ではないから、土曜日の午後(当時は週休二日ではなく、土曜日は半日働いていた)か、日曜日に限られていたから、オフィス街も仕事をしていなかったようだ。

(写真050-2abc)1953 MG ZA Magnette Sports Saloon   (1962-04 渋谷駅東口)

この場所も渋谷駅の東口、青山通りの終わった所だ。後ろ姿は遠目で見れば「ウーズレー」と見分けがつかない。隣のスバルはヘッドライトにアルミの囲いがあるが、バンパーが2分割ではないので、第2世代の1960~61年型だ。

(写真050-3a)1953 MG ZA Magnette Sports Saloon (1965-11 後楽園スポーツカー・ショー)

(写真050-4abc)1955 MG ZA Magnette Sports Saloon  (2017-10 日本自動車博物館)

「ZA」の特徴はフロントからカーブして後ろに伸びるクロームラインで区別出来る。

(写真051-1a)1956 MG ZB Magnette ZB Sports Saloon    (1959年/霞が関)

走り去る車を捉えたスナップショット。街路樹の向こうに車の一部がかかっているのは画面構成を狙ったものではない。あと1秒待てば全景がきれいに映ったのに、その1秒が待てない焦る気持ちの表れです。(現代のような連写機能が無い時代には手動でフィルムの巻き上げをしなければ次が撮れなかった。)

(写真051-2ab)1957 MG ZB Magnette Sports Saloon   (1979-01 TACSミーティング)

(写真051-3a~d)1958 MG ZB Magnette Sports Saloon  (2014-11トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ/明治神宮絵画館前)

1956年10月には圧縮比を7.15から8.3に上げ60hpから68hpに馬力アップし「ZB」となった。外見上の変化はフロントフェンダーのクロームラインが直線になったことだ。

(写真052-1abc)1957 MG ZB Magnette Varitone Sports Saloon (1960-01 帝国ホテル横)

この写真は背景の建物に注目して頂きたい。先代の「帝国ホテルで」で文字通り日本を代表する第1級のホテルだ。世界的建築家「フランク・ロイド・ライト」の設計で1923年完成し、1968年に解体され、1970年からは現在の姿となっている。旧館の正面玄関は犬山市の「明治村」に移築、国の文化財として保存されている。戦後の整備状態は完全とは言い難く、元々「大谷石」を素材に多用しているため、タイルなどと違って汚れが付き易いせいもあり「陰気な印象」から口の悪い外国人からは「モルグ街」(死体安置所)と言われていたとか。(勿論室内は豪華できれいでした)

(写真052-2ab)1957 MG ZB Magnette Varitone Sports Saloon (1961-07 アメリカ大使館前/港区・赤坂)

1957年になると「ZB」のままラップラウンド・リアウインドーとなり「ヴァリトーン」となった。サイドモールディングは「2トーン」の塗分けラインとなるため、フロントのボンネットからボディの後端まで延ばされたが、「青ナンバー」の大使館の車は公用車で塗分けはしていない。アメリカ大使館前で撮影したこの車だが、もしかしたら「イギリス大使館」の車かもしれない。(アメリカ大使館の小型車は「ファルコン」「コメット」「コルベア」「ヴァリアント」が担当している)

(写真052-3a)1957 MG ZB Magnette Varitone Sports Saloon  (1961年 横浜市内)

(写真052-4a)1958 MG ZB Magnette Varitone Sports Saloon (1985-01 TACSミーティング)

(写真052-5a~e)1958 MG ZB Magnette Varitone Sports Saloon(2015-11トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ)

塗分けの例を2台登場させた。「赤と黒」は小説では有名だが、自動車の塗分けとしてはあまり見たことが無い。一方「空色と黒」はイギリス車としてはよくある取り合わせだ。

(写真053-1ab)1959 MG Magnette MkⅢ Saloon (1959年 丸の内・鍛冶橋通り/旧東京都庁・現東京国際フォーラム前) 

1959年「ZA」「ZB」に続いて「マグネットMkⅢ」が登場した。「ZC」とは成らなかったが、マグネットシリーズを継承している証として「MkⅢ」が付けられた。この年はBMCの各車が合理化のため「オースチンA55」を基準として「ボディシェル」「サスペンション」が規格化され同一となり面白味が半減した。(MGマグネット、ライレー4/68、モーリス・オックスフォード、ウーズレー4/50、オースチンA55)

・場所は鍛冶橋通り、車は京橋から馬場先門方面へ向かっている。車の手前は当時の東京都庁で、道の向こう側は赤レンガの丸の内1号館だが殆んど見えない。当時は最近よりずっと渋滞が酷かったように思う。    

(写真052-2ab)1959 MG Magnette MkⅢ Saloon   (1960年 港区内)

(写真052-3abc)1960 MG Magnette MkⅢ Saloon    (1961年 港区虎ノ門付近)

この車は「ピニンファリナ」がデザインした車だ。直線を強調した新デザインだが決してグッドデザインとは言えない「尻さがり」のラインは、ダットサン・ブルーバードでも不評だった。

・自動車生産国の大使の公用車は必ず自国メーカーの車を採用している。アメリカ(キャディラック)、イギリス(ロールスロイス)、フランス(シトロエン)、ドイツ(メルセデス)、イタリア(ランチャ)、チェコスロバキア(タトラ)、ポーランド(ワルシャワ)など。しかし.非生産国ではこの制限はないからどこの国から選ぼうと勝手だから、これらの車がイギリス以外の車の可能性もある。

(参考053-1a)1961 MG Magnette MkⅣ Saloon

1961年10月には排気量が1622ccにアップした「Mk Ⅳ」となり68年まで生産された。

    ――次回は「MGA」から始まる戦後のMGが登場します――

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