第123回 「LIFE」誌に載ったEV広告

2022年11月27日

 今回は、思いがけず、高島鎮雄さんから素晴らしいプレゼント、戦前から1950年代のカタログ、雑誌、広告のスクラップなどを頂戴するというサプライズがあった。その中に1910年から1913年に発行された「LIFE」誌が含まれており、筆者がアップロードしたM-BASE 第118回「1900~1910年代のアメリカの電気自動車」で紹介していなかった電気自動車の広告のいくつかを紹介する。

 いまから110年前の1910年代初めの「LIFE」誌を手に取ったのは初めてで、広告とともに表紙も紹介する。

 「LIFE」は1883年1月4日、ジョン・エイムズ・ミッチェル(John Ames Mitchell)とアンドリュー・ミラー(Andrew Miller)によって創刊された大衆向け総合週刊誌で、1936年に「TIME」誌の発行者ヘンリー・ルース(Henry Luce)によって買収(LIFEというタイトルが欲しかったようだ)され、アメリカ初の写真主体のニュース雑誌としてリニューアルされ、最盛期には週に1350万部以上発行された。

上の2点は1910年11月10日号。電気自動車の広告ではなく、自動車広告の掲載量を競うレースで、1910年10月1日から1911年4月1日までにLIFE誌に掲載された広告行数の最多者には、20カラットで、高さ8インチのLIFE社の金製のカップが贈られる。そして広告行数の最も少なかった(ビリから2番目ではない)クルマにブービー賞を与えようという案があったようだ。「60万人の読者が熱狂的にその結果を待っている。」とある。

 1910年11月10日現在の状況が記されているが、トップはロコモビルとパッカードで、どちらも毎号1頁大の広告を掲載していた。残念ながら最終結果は分からないが、途中経過ではいくつかのクルマは順位を上げており多少は広告収入アップに成功したのではないだろうか。

上の2点は1910年11月24日号と「デトロイト・エレクトリック」の広告。「歴史を作っているデトロイト・エレクトリック」のコピーで、ダイレクトシャフトドライブの採用と、10月5日に1充電走行距離211.3マイル(340km)のEV世界記録を樹立したことを訴求している。EVは女性に最適だが、男性用にジェントルメンズ・アンダースラング・ロードスターを発売したことも紹介している。

上の2点は1911年2月16日号と「ローチ&ラング・エレクトリック」の広告。ユニークなコントロールシステムをアピールしている。右下にある丸の中に描かれたレバーによって、モーターの出力と2系統のブレーキをコントロールするというもので、レバーを前に押すと前進し、後ろに引くとブレーキが作動する。そしてレバーの前側にあるリングを押し下げると瞬時にパワーは遮断される。レバーはキーでロック可能。駆動方式はシャフトまたは密閉型チェーンドライブ、バッテリーはExide(標準)、 “Ironclad ” Exideまたはエジソン・バッテリーを用意することができる。とある。

上の2点は1911年3月16日号と「デトロイト・エレクトリック」の広告。シャフトドライブの紹介と、このクルマはブローアムで「クッションからクッションまで54インチの広々とした空間は、大柄な大人4人、あるいは小柄な人なら、それに相当する人数がゆったりと座ることができます。」とある。この絵はクルマの後ろ姿だが、前方に後ろ向きで女性が4人座っており、後席に座った男性が運転するのか? おかしな絵だ

上の2点は1911年10月26日号と「オハイオ・エレクトリック」の広告。「オハイオ・エレクトリック・デラックスには、その美しく独創的なラインとハンサムなプロポーションから、独特の魅力があります。それは、エレクトリックブローアムデザインの最終形といえるでしょう。5人乗りで全席前方向きの豪華なクルマが欲しいという、長年の願望をかなえたクルマです。」とあり、フル装備での価格4000ドル。1912年型キャディラックの7人乗りリムジンが3250ドルで買えたから、かなり高価であった。

上の2点は1911年11月2日号と「サイレント・ウェイバリー・エレクトリック」の広告。コピーで分かるように、この頃シャフトドライブと5人乗りがトレンドであったようだ。「前方を完全に見渡せるようになりました。」とあるが、左下の絵で分かるように運転席の右前方に後ろ向きに座るシートがあり、右前方視界は決して良くなかったと思うし、気を取られて事故を起こしたドライバーもいただろうと想像する。クルマの絵の下には「LIMOUSINE-FIVE, PRICE, $3500」とあるのに、下のほうに「Price, $3500 down to $1225.」とあり、1225ドルに値下げ? それとも価格帯が3500ドル~1225ドルということ?

上の2点は1911年11月9日号と「ハップ・イェイツ・エレクトリックコーチ」の広告。コピーの一部を引用すると「新型5000ドルのエレクトリックコーチなど華麗なモデルを発表。」「電気自動車は、単なる贅沢品から、社会的地位のある女性にとって実用的な必需品となりました。社交の場では常に使用され、着るドレスと同じように所有者の個性を反映するようになりました。そのため、当然ながら、装備やコーチワーク、仕上げにおいて、より豪華でエレガントなものを求める傾向が常にあります。この需要に応えるため、当社はハップ・イェイツ・エレクトリックコーチを設計し、来る全米自動車ショーに出展する予定です。その洗練された豪華な装備は、価格が5000ドルでなければならず、5000ドルです。これは、画家の筆や彫刻家のノミと同じように、馬車職人の手が芸術を創造した時代へと、数世紀をさかのぼるような精巧な美しさを持つ装備品です。その美しさは見てのお楽しみです。また、4500ドル、4000ドル、3500ドル、3000ドルおよび2500ドルのモデルも用意されます。

これらのモデルは、コーチワーク、仕上げ、内装、アクセサリー以外はすべて、リージェントモデル(ホイールベース86インチ、1750ドル)とパトリシアンモデル(ホイールベース100インチ、2150ドル)のシャシーと同じものです。」とある。シャシーは同じでもボディー架装によって値段は大きく変わるということ。

上の2点は1911年11月30日号と「ベーカー・エレクトリックス」の広告。コピーは「嵐や渋滞の中でも、ベーカーは揺るぎないプロテクションを提供します。軽量で応答性の良いシャシーのおかげで、とても簡単に扱うことができます。クーペの重量は2450ポンド(1111kg)。これほど耐久性の高い車はない。」とあるが、吹雪の中、タイヤチェーンを付けて、この時代、EVで出かけるには勇気がいったことだろう。と思う。寒さの中、バッテリー性能も落ち、ヒーターを使い(ヒーターは付いていた?)、万が一途中でバッテリーが息絶えたら、と考えただけでゾクゾクッとする広告だ。

上の2点は1911年12月7日号と「デトロイト・エレクトリック」の広告。クリスマスシーズンの広告コピーは「子供の頃のサンタクロース、子供の頃の夢のおとぎの国は、この近代的な装置の魔法ほど素晴らしいものはなかった。奥さんや娘さんに贈るクリスマスプレゼントとして、デトロイト・エレクトリックほど素敵なものはないでしょう。」。アメリカってクリスマスにEVを妻や娘にプレゼントしていたのかな? 豊かだな。シャシーは基本的に1種類だが、ホイールベースは85in(2159mm)、90in(2286)、96in(2438mm)、112in(2845mm)の4種類が用意されていた。オプションで鉛バッテリーの約2倍の持続時間があったエジソン・バッテリー(ニッケル・アルカリ蓄電池)も選択できた。

上の2点は1912年1月25日号と「ウェイバリー・エレクトリック」の広告。当時の5人乗りのシート配列が良く分かる広告。右から2人目の女性がドライバー。ステアリングは丸ハンドルではなく、ティラーハンドル(舵棒)が使われていた。

上の3点は1912年2月22日号と「ランブラー・クロスカントリー」の広告。このクルマの特徴は駆動系にあり、4気筒ガソリンエンジンのクランクシャフトに直結した、モーターと発電機の機能を持ったモーター・ジェネレーターを装備し、その後ろに3速MTを積んでいる、ハイブリッドの元祖のようなクルマであった。エンジンとモーターを合わせた出力は38馬力で、24Vバッテリーを積む。非常にフレキシブルでハイギアのままで男の人が普通に歩く速さから50mile/h(80.5km/h)まで走行可能とある。1万マイルの保証がついて、価格はロードスターの1650ドル~リムジンの2750ドルであった。

 ランブラーは1881年にトーマス・ジェフェリー(Thomas B. Jeffery)とフィリップ・ゴームリー(Philip R. Gormully)によって設立されたトーマス B. ジェフェリー社が製造する自転車のブランド名であった。1902年に「ランブラー」のブランド名で自動車の製造をはじめ、1914年にブランド名を「ランブラー」から「ジェフェリー」に変更。1916年、GMの社長を退職したチャールス・ナッシュ(Charles W. Nash)に会社を売却、ナッシュは自身の名前を冠したクルマを製造開始した。したがってジェフェリー車は1917年型を最後に消滅した。1902~1917年の間に生産されたランブラー/ジェフェリーの乗用車とトラックは約8.3万台であった。なおランブラーの名前は、アメリカにおける戦後初の本格的コンパクトカーといえる1950年型ナッシュ・ランブラー(1950年3月発売)で復活している。

上の2点は1912年12月12日号と「ウェイバリー・エレクトリック」の広告。「パーラーカーの快適性と前方視界の確保」のコピーを付けて、4人乗りリムジンの豪華な室内を描いたイラストが載る。後方に3人分のセパレートシートを並べ、右前方に1人分のコーナーシートが設置されている。このシートプランは特許申請中とある。後方の左側が運転席なので、前方視界はけっして良かったとは言えないと思うのだが。フル装備での価格は2900ドル。1913年型キャディラックの4人乗り2ドアクーペは2500ドルであった。

上の2点は1913年3月6日号と「ボーランド・エレクトリックス」の広告。キャッチコピーは「ボーランド・エレクトリック・リムジン、未来のモーターカー。」。当時もEVの時代が来ると考えられていたのだろうか?くしくも110年後の今、このコピーが輝いて見える。

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