第12回 バブル時代突入でハイパワーワンボックス誕生

2022年10月27日

1980年代後半からバブル景気が始まり、クルマをとりまく動向も変わりつつあった。ワンボックス車においては外観デザインにはじまり、装備や機能などのさらなるレベルアップが年を追って実施されてゆく。

特にエンジンの見直しは顕著で、他社製品より見劣りする場合は性能向上が当然の方策といえた。たとえば1986年11月にマツダはフォードスペクトロン&ボンゴワゴンの、ガソリン全車を1.8から2.0リッター化してパワーアップを実施する。機能面では翌年9月にボンゴ系でパワーステアリング装着車を拡大してユーザーニーズに対応させてゆく。

いすゞファーゴは1986年に全車異形ヘッドランプ化し、さらに1987年9月にはワゴンの全車ターボ化を実施したが、思うような効果が現れなかったのか、1988年10月にはトラックを加えて商用車路線に活路を見出そうとしていた。

トヨタ製ワンボックス車は、タウンエースを1982年、ライトエースを1985年にそれぞれモデルチェンジしていたが、他社への対策として、特に日産の新型車攻勢に対する戦力不足を補うベく、1988年8月にライトエース&タウンエースを一斉にマイナーチェンジして対応した。

しかしながら日産の攻勢は鋭く、1988年9月、発売から3年あまりでバネットをマイナーチェンジ。さらに1988年10月には新型ハイエース登場のウワサを聞きつけかのように、キャラバン&ホーミーコーチに、なんと高級車として人気沸騰していたシーマなどに採用されていたVG30型ガソリンエンジン搭載の3ナンバー車を追加して世間を驚かせた。

加えてバブル時代を見据えてオーテックジャパン艤装のキャンパー達群をワンボックス全車に追加して、いずれの車種もライバルのトヨタ勢をリードしようとする姿勢をみせる。

そうした中で1989年8月にハイエースがH100系としてフルモデルチェンジを実施、内装には乗用車クラウンと変わらない豪華なイメージを盛り込んだ。価格帯は旧モデルの200万円台から最上級車では310万円超えあたりが中心となったが、一部に100万円台の設定もあり、中級モデルのスーパーカスタムやカスタムではグンと割安感を与えていた。

1989年3月までは高級車とされた3ナンバー車の年額税金が、3リッターまでで8.15万円していたものが、米国政府の非関税障壁要請で5万円台まで下げられた。これを受けて日産、トヨタの高級車投入の余波がワンボックスにも波及、1990年代には多くの3ナンバー車が増大し、ワンボックス車も大きく様変わりしてゆくのである。

フォードと提携した立場にあったマツダは1986年11月、ボンゴワゴンの兄弟車となるスペクトロンとともにフロントエンドのデザインを一新、異形ヘッドライトを採用した。エンジン排気量は、ディーゼルは4WDに搭載の2200cc、ガソリン車は2000ccまでで小型車税制に収まるようにして経済性を向上させていた。

1987年9月以降のボンゴワゴンのカタログ。フォード同様に1986年11月に異形ヘッドライトに変更されイメージを一新したが、バンやボンゴブローニイは旧来の角型SAE規格ランプが装着されている。カタログの巻頭は4WD車にてページ展開していたことがわかる。価格的にはタウンエースやバネットラルゴ等よりも20万円程安価に設定されていた。

ボンゴ全車にパワーステアリング装備し、最小回転半軽は2WD車=4.3m、4WD車=5.1mと説明された。2WDには4ATを組みあわせ、オーバードライブで高燃費を実現。この時代のボンゴの4WD車が少なかったのは回転半径が大きいことが要因かもしれないが、カタログにはしっかり4WDを掲載していた。

ボンゴのダッシュボードのページ、1BOXでは「ドライバーがどなたに代わっても気軽に運転できることが必要」と説明。「普通の乗用車と変わることのない運転感覚をボンゴは追求しました。スタイリッシュな傾斜のスタントノーズにもかかわらず、フロントウインドーには極端な傾斜をつけず圧迫感を追放し……」と解説されている。

1987年9月、いすゞはファ−ゴの乗用車ワゴン全車のターボ化を実施したが、これは1989年1月発行のカタログ。「ISUZU[NEW] FARGO」のテーマは「新しい価値観、新しい生活スタイルを提案する知的ビークル。名付けて、新思想のアーバン・ワンボックスワゴン」。モデルの子どもは一見すると女の子にみえるが、少年の設定になっていた。

ファーゴワゴンのフルラインナップ。ボディはすべて同じ全幅1690mmの小型車枠のフルサイズだが、やはり全長がライバルのキャラバンやハイエース達の4.69m~5m超え車達に比べ短く、販売店側もロングボディの商用ファーゴを多く販売せざるを得なかったようだ。

1988年8月から発売されたライトエースのマイナーチェンジ車。フロント部分を曲面構成にして、無骨感のあったイメージを一新して登場。このため前後長が75mm大きくなり全長4m超となって、フェリーなどの料金が軽自動車と同じ4m未満だったものが、5m未満のフルサイズ小型車=ハイエースクラスと同じ料金になった。このためライトエースの商用車バンは、デザインを旧型のままとして……全長3995mmに抑えられていた。

最高級グレードのFXVはスカイライトルーフが標準だが、続くモデルGXL、スーパーカジュアル車は装着車を設定していた。暑い日本ゆえにスライド式サンシェードで日差しを遮ることが可能だが、前席ウインドは両側面開閉式、2列目シートの中央ルーフ窓はなんと脱着可能。内装シートはLDまでファブリック、それSWはプリントレザーだった。ホイールなどが外観上の差異だが、FXVはフルカバー、GXLは中央のみのカバーで、まだアルミホイールは贅沢品の時代だった。

ラインナップ3番目のスーパーカジュアルは、高級感あふれるスカイライトルーフ車に2000ディーゼルターボ2C-T型、85ps、17.6kg-mと5MTと4ATの組み合わせ。これに加え廉価な5K-U型の1500OHV、70ps、11.7kg-mガソリンに5MT、3ATを設定していた。

カタログの左上には、この時代のワンボックスの開発テーマともいえる「乗用車感覚の自然なドライビングピジション。」とあり、それはシート、ステアリング、シフトレバー、ペダル位置などの配置や角度具合に現れていた。ライトエースのスペースカジュアル以上の上位モデル達では、パワーステアリングやチルトステアリングなどで、女性でも運転しやすいことを強調していた。

左上にある「4WD」の表記の下側にある「TOYOTA FOUR」は、同世代の1986年に登場した4代目セリカの4WD車、GT-FOURのイメージとオーバーラップさせることにより、若者世代にアピールするように考えられたものともされる。メカニズムも完璧なH2-H4-L2シフトにLSD、さらに傾斜計なども装備され、流行の4WD専用車に匹敵したものであった。

最高峰のFXVはスカイライトルーフ車のみの設定。その高級な外観に加えて電子制御サスペンションであるTEMS=Toyota Electric Modulated Suspensionをワンボックスワゴン車でタウンエース系と同時に初採用。ショックアブソーバーのダンピングを最適化するシステムで、ノーズダイブやロールを抑えている。GXLは廉価なハイルーフ車も設定、またスーパーカジュアルには1500ガソリン5K-U型と2000ディーゼル2C型、73ps、13.5kg-mの5MT、2000ディーゼルターボ2C-T型の4AT車を設定してユーザーニーズに対応させていた。

商用ライトバンDXと同じ外観のSWは、4WDを選択するとタコメーターが装備され、「タコメーター付きで乗用車ナンバーのがいい人向け」に設定、全長も4m内に収められたフェリー愛用者向けといえた。LDとSWのみ標準ルーフ車を設定してライバルの日産バネット系に対抗したが、人気はバネット系の方が高かったようだ。

トヨタオート店向けのライトエースに対して、タウンエースはカローラ店向け。スタイリングも車格もライトエースより上で、人気が高かった。ライトエースのリファインにあわせて1985年および1988年8月に前後のスタイリングを一新して登場。ライトエ−ス同様に流麗なフォルムとなった。ライバルの日産バネットラルゴの人気に対応させての策でもあったといえる。

大きく変わったのがダッシュボード部分で、6代目カローラや1989年に登場する新型セリカのような半円形を踏襲して、若者向けの高級車に近づける工夫がされた。基本設計が1982年と古くなりつつあったが、スタイリングでカバーするという手法が繰り返され、機構面でも年毎の改善がなされていった。

ライトエース同様に電子制御式サスペンション(TEMS)、4WD=TOYOTA FOURを採用。搭載エンジンは、ガソリン車はOHV2000ながらも3Y-EFI(3Y-EU型)は97ps、16.3kg-mの高性能、OHV 1800の2Y-U型もキャブレター仕様ながら79ps、14.3kg-m。2000ディーゼルターボは2C-T型、85ps、17.6kg-mでライトエースと共通だった。

タウンエース4WDロイヤルラウンジ2000ディーゼルターボ+スカイライトルーフの価格234.9万円は、同等のグレード比較では、ライバルとされる日産のバネットラルゴコーチより6ps高出力にもかかわらず10万円以上安価に設定されていた。これは全幅が5mm小さいことからもわかるが、基本設計が古いことで実現できたのかもしれない。スーパーエクストラは2WDツインムーンルーフ1800の価格が159.7万円で、やはりバネット系よりも安価。理由はバネット、バネットラルゴの人気が高かったからだった。

廉価版のカスタム、デラックス、SWは商用ライトバンの“2年車検車的存在”といえる。ハイルーフ、ミドルルーフ仕様が主軸とされたが、エンジン性能には手を抜かず4WDには2000EFIガソリン、2000ディーゼルターボをラインナップ。2WDに1800ガソリンを揃えて販売台数確保に対応した。

トヨタのライトエース&タウンエースのスタイル一新マイナーチェンジの1ヵ月後後に登場したのが、やはりマイナーチェンジされた日産バネットだった。とはいっても大幅なものでなく、主に内外艤装パーツの見直し程度であったが、ディーゼルエンジンにはターボ付を加え、廉価の2WD下位2モデル以外に搭載した。ライバルのライトエースよりもコンパクトな車体で運転しやすいということから、ワンボックスカーの人気上位を維持した。 

上位モデルは旧SGLエクセルがEXCEL-YU、EXCELの2車種に増加、加えてヘッドライトが異形2燈+イエローのフォグランプ組み込みになってスマートさがアップ、イメージが一新された。

廉価クラスのGL、SCの外装には手を加えずキープコンセプト。しかしながらシートのレザー色変更などでイメージ一新、A15型エンジン搭載車の前席3人乗り仕様は、コラムからフロアシフトに変更された。

ディーラーに特注するオーテックジャパンの4WDカスタム車、カッパは人気沸騰、すぐに2トーンカラーのカッパIIとバネットラルゴのウミボウズというモデルも追加された。カッパIIはEXCEL-YUのディーゼルターボ4WDがベースで、価格は6万円アップの223.3万円だった。

1988年10月、日産キャラバンコーチにVG30E型ガソリン、TD27T型ディーゼルエンジン搭載のGTシリーズが追加された。1年後に登場するであろう新型ハイエースを凌ぐハイパワーモデルで、高級ワンボックス市場を先行リードするための方策だったともいえる。

メカニズム解説では「一気に抜きさるポテンシャルを秘めて」と自信をみせるキャッチフレーズで展開。VG30E型ガソリン搭載モデルは当然3ナンバー車になるが、日産の高級車シーマと同じ車格を持つワンボックス車ということで、オーナーになる誇りも持てる……という意味合いもあったであろう。また4WDについては高出力ということからか「全天候型、オンロード4WD」としていた。

遂にキャラバンにも「GT」のネーミングが与えられた。最高級車OHCV6ガソリン155psの2WDコーチGTリムジン4ATの価格は322.5万円に設定された。これは同じエンジンながら排気系の異なる160psの高級車マキシマよりも高価格に設定された。従来からの高級ワンボックス車シルクロードは、依然として5ナンバーの最高峰モデルとして存続されてゆく。

4WDのシルクロード系、GL、ロングDX、マイクロバスやレンタカー・タクシー車用には自然吸気のTD27型2700ディーゼルを搭載し、ディーゼル車需要に対応していた。

バネット同様に、キャラバンとホーミー両車にオーテックジャパン艤装のフウライボウが4WDのGTベースでラインナップ。オーストラリアなどで動物避けに使うようなブルバー的なフロントグリルガードに、サイド&リアスキッパーを装備してボディ全周を武装していたのが大きな特徴といえる。2700ディーゼルターボで284.7万円に設定された。

キャラバンと同じ画像を用いたホーミーの表紙。本来ならあり得ないことだが、次の見開きページをみるとキャラバンのナンバープレートが「品33め・・96」で、ホーミーが「品33め・・97」で、表紙のモデルがホーミーであることがわかる。見開きページをチェックすると、中央エンブレムのカラーも異なる。

インストルメントパネルはE24型が登場した1986年9月のデビュー当時と変わらないが、ステアリングやセンターコンソール類などのパーツ類がリファインされた。最上級モデルに標準搭載されたシート部のランバーサポートも、GT系発売前にはシルクロードリムジンのみの装備であったが、新型ではGTリムジンに加えてGTにも装着された。

 

1989年8月登場の4代目ハイエースH100系は、「90年代にふさわしい、トヨタの最上級ワンボックス車の誕生」とプレスレリースに誇らしげに表現され、曲面フォルムのボディや、新型エンジンを搭載アピール。3ナンバーガソリン車を加えて9月9日に全国の販売店で発表会が開催された。

 

運転席は、車体中央部まで拡大された、ドライバーの視野いっぱいに広がるメーターダッシュやステアリングなど、1987年にデビューしたクラウンに似通ったのイメージを踏襲するデザインが採用されており、ドライバーはまさにクラウンに乗っているような感覚で運転できた。

運転席は新時代のワンボックスとして、ステアリングポストの角度を52度から39度と13度も小さくして、よりセダン感覚を得られるように配慮された。またスーパーカスタムリミテッドには、スイッチ操作をしておくとキーをLOCKにするとシートが後方スライドして、、降車時にキーを抜くとステアリングが上を向き、乗降しやすくなる工夫の機構が導入された。スーパーカスタム以上には、オプションながらクルマの近接検知ができるクリアランスソナー&バックソナー機構も装着可能だった。

エンジンはすべて新開発SOHCで、2RZ-EFI(2RZ-E型)2400ccガソリンが120ps、20、2kg-m、1RZ-EFI(1RZ-E型)2000ccガソリンが110ps、17、0kg-m。ディーゼルは2L-II EFI(2L-T型)、2400cc、97ps、24.5kg-m、3L型、2800cc91ps、19.2kg-m、2L-II(2L型)、2400cc85ps、16.8kg-mの5種類をラインアップしていた。各エンジンの燃費を記載して選択しやすくなるように解説。サスペンションもフロント:ダブルウイッシュボーン+リヤ;4リンク式(一部グレードを除く)で、一部上級モデルにマイコン式のTEMS(Toyota Electric Modulated Suspension)なども設定が可能となっての登場だった。

カタログは数種あり、これは発売から1年経た1990年10月発行のもの。最高峰のスーパーカスタムリミテッド2400ディーゼルターボ2WDの東京地区価格311.9万円、発売時に唯一のハイエース4WD車であった、ツインムーンルーフ装着のスーパーカスタム2800ディーゼルの東京地区価格243.5万円であり、時代は豪華な2WDより適価な4WD車が人気となっていた。なお室内写真は2400スーパーカスタムリミテッド2400ディーゼルターボ2WD。

リミテッドを除くスーパーカスタム系とカスタムは計器類がデジタルでなくアナログ式になり、カスタム以下は右側がタコメーターでなく燃料計と水温計に各種ワーニングランプの構成+AMラジオのみになる。デラックスの2列目以下シートはヘッドレストがつかないなど、商用バン的になる。

 

ハイエースのフルモデルチェンジにあわせ、トヨタ救急車も新型になった。ベースは商用スーパーロングでエンジンは4WDに2RZ-E型ガソリン2438cc、120psおよび1RZ型ガソリン2000cc、100ps、3L型ディーゼル2800cc、91psを選択搭載でき、室内高1600mmで作業しやすくなった。

インテリアはカスタム系に準じたものだが、シート生地などは汚れの付着しにくい素材が選択されている。トヨタ救急車は2004年から高規格救急車=ハイメディックを加えてゆき、エンジン出力や内外装装備なども含めて、高度な内容に変わってゆくことになる。

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