第112回 M項-3「マセラティ・2」A6G、250F

2022年10月27日

1954 Maserati A6GCS/54

<第2部 兄弟が去ってからのオルシ-マセラティ>

・アドルフ・オルシはマセラティ兄弟の後任者として「アルベルト・マッシミーノ」を主任設計者として迎え入れた。彼はヴィットリオ・ヤーノの下で「フェラーリ246 F1」のシャシーを設計した優れた技術者で、マセラティ兄弟が残した直6 SOHC 1488ccを使って「A6-1500」という、前々からオルシが望んでいた高品質スポーツカーを造り、1947年ジュネーブ・ショーでデビューさせた。このエンジンはこの後 排気量を1978ccに増やし、大活躍する「A6G」シリーズに発展する。

(写真01-1a)1949 Maserati A6-1500 Coupe    (1992-10 ラ・フェスタ・ミッレミリア/神宮外苑)

(写真01-2abc)1949 Maserati A6-1500 Coupe   (2010-10ラ・フェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

マセラティとしては戦前、戦後を通して初めて登場した市販・スポーツカーがこの車だ。新たな支配者となった企業家オルシの、かねてから生産数の少ないレーシッグカーではなく量産可能な市販スポーツカーに重点を置くべきとの考えが実現されたものだ。

・一方、レースに関しては、残された「4CL」の改造型「4CLT/48」を1948年シーズンに送り出した。型式の中の「T」はチュブラーレの略でシャシーが鋼管に変えられ、2ステージのスーパー・チャージャーを備え、260hpを発生した。デビュー戦6月のサンレモGPで優勝、2位を占め、以後「サンレモ」のニックネームで呼ばれる。

(写真02-1a~e)1948 Maserati 4CLT/48  (1995-08 コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア) 

(写真02-3a~g)1948 Maserati 4CLT/48 (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

   <A6Gの系譜>

「A6-1500」を2ℓにアップし強化したエンジンを搭載したのが「A6G」シリーズで、バリエーションは以下の通り

・「A6G 2000」(市販スポーツカー)、

・「A6G CS」(コルサ・スポルト/レーシング・スポーツ)、

・「A6G CM」(コルサ・モノポスティ/シングルシータ―F1、F2)、75×75mm 1988cc

・「A6 SSG」(コロンボが改造したモノポストCMのオーバー・スクエア・エンジン版)、76.2×72mm 1970cc

・「A6G CS/53」(A6 SSGをデチューンしたコルサ・スポルト)

・「Å6G/54」(A6G CS/53をさらにデチューンした市販スポーツカー)

型式「A6G」の「G」は、イタリア語で鉄をあらわすGhisaの略で鋳鉄シリンダー・ブロックを表す。

(写真03-1a~e)1951 Maserati A6G 2000 Vignale Coupe  (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

 「A6G 2000」は「A6-1500」も発展型で一連のシリーズの中では最もおとなしい「市販スポーツカー」だ。

(参考3-2a)1951 Maserati A6G 2000 Pininfarina Berlinetta

前項の「ヴィニアーレ」製はマセラティらしさを感じられないので、参考に「ピニンファリナ」製をご覧いただきたい。

(写真04-1a~f)1948 Maserati A6GCS (初期型)   (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

(写真04-2abc)1947 Maserati A6GCS(初期型)  (2000-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

「CS」は「コルサ・スポルト」の略で、「レーシング・スポーツ」を表す。実質は「F1」カーを2シーターにして、サイクル・フェンダーとヘッドライトを付けたようなもので、グリル中央に一つだけ付けられたヘッドライトがフォミュラーカーではない証しだ。エンジンは直6DOHC 72×81mm 1979ccで、125hp/5500rpm、最高速度は190km/hだった。モデナでのデビュー戦では観客の死亡事故でレースは中断されたが、その時点で1位、2位はマセラティのアスカーリとヴィッロレージだった。全部で15台つくられ、ワークス以外にプライベートにも販売された。

・「A6G CM」は「コルサ・モノポスティ」の略で「F1」「F2」向けのシングル・シーターだ。「コルサ・スポルト」との関係は「CS」が先で、それをベースに「CM」が造られた。(写真なし)

・「A6S SG」はライバルのフェラーリがオ-バー・スクエアで成果を上げているのに対抗して改造されたもので戦闘力は十分で、1953年ワールドチャンピオンシップでファンジオが2位を獲得している。(写真なし)

(写真05-1ab)1953 Maserati A6GCS/53   (1988- 11 モンテ・ミリア/神戸ポートアイランド)

(写真05-2ab) 1954 Maserati A6GCS/53   (2003-02 レトロモビル/パリ)

2ℓ のF2シリーズは1953年で終了することになったが、ここで活躍した「2ℓ エンジン」はレーシング・スポーツへの変身が1952年から進められており1953年「A6G CS/53」としてデビューした。(A6G CS・後期型)

全部で54台造られたが、ここに示した2台が、カロッツエリア「アァントゥッツィ」か「フィアンドーリ」の手掛けた標準ボディだ。

(写真05-3abc)1954 Maserati A6GCS/53  (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真05-4ab)1954 Maserati A6GCS/53  (1988-11 モンテ・ミリア/神戸モンテミリア)

(写真05-5ab)1954 Maserati A6GCS/53  (2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

(写真05-6ab)1954 Maserati A6GCS/53  (2000-05ミッレ・ミリア/ブレシア)

(写真05-7ab)1954 Maserati A6GCS/53  (1994-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

(写真05-8ab)1954 Maserati A6GCS/53  (1996-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真05-9abc)1954 Maserati A6GCS/53 (2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

ここに並べた7台はいずれも1954年型「A6GCS/53」だが、どこにもカロセリアのバッジが見当たらないので「ファントゥッツィ」製の標準ボディだろうか。

(写真05-10abc)1954 Maserati A6GCS/53 Pininfarina Berlinetta (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド

(写真05-11a~e)1954 Maserati A6GCS/53 Pininfarina Berlinetta (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド

この2台は1954年に発表された「ピニンファリナ」製のベルリネッタで、見た目は「市販GTカー」のように見えるが、中身は紛れもなく「コルサ・スポルト」仕様で、レーシング・スポーツに豪華仕様のボディを被せたものだ。

(写真06-1a~d)1954 Maserati A6G/54 Zagato Berlinetta (2007-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド

ここからは「A6」シリーズの最後のモデルとなる「A6G/54」が登場する。モデル名に「CS」が付いていないことからも判るように純市販スポーツカーだ。「ザガート」のほかに「フルア」「アレマーノ」が参加し1954年から57年までに59台が造られた。

(写真06-2ab)1955 Maserati A6G/54 Zagato Berlinetta  (2000-06 ミッレ・ミリア/ブレシア)

同じ「ザガート」製が3台集まったがこの車が一番ザガートらしい雰囲気を持っている。丸みが多い所為だろうか。

(写真06-3abc)1954 Maserati A6G/54 Zagato Berlinetta (1994-05 ミッレ・ミリア/ブレシア、アッシジ)

この車には「ザガート」らしい特徴がみられないが、フロントフェンダーにあるエアスクープのところに「Z」のマークがあるので間違えなく「ザガート」製だ。 

(写真06-4abc)1955 Maserati A6G/54 Fura Coupe  (2000-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

日本ではあまり馴染みのない「カロセリア・フルア」だが、マセラティが戦後初めて発売したスポーツカー「A-1500」にもピニンファリナと共に参加しているので、マセラティとは良い関係にあったようだ。しっかりとマセラティの顔を生かしたグリルは太目で力強い。後ろ姿では2連の赤い反射板が特徴的だ。

(写真06-5abc)1957 Maserati A6G/54 Fura Spider   (1998-08 コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア)

「A6G/54」は大部分が GTタイプ(クーペ/ベルリネッタ)のボディを載せられているが、この車は数少ない「スパイダー」仕様だ。前項と同じ「カロセリア・フルア」の作品で、後ろ姿のトランク後端に同じように2連の赤い反射板が見える。

  <50年代のF1を代表する「250F」の誕生>

1952-53年は無過給2 ℓ のF2だったグランプリは、1954年予想に反して無過給2.5 ℓ のF1とルールが変更された。マセラティは F2用として用意していた新形の4気筒2 ℓ エンジン「4CF2」に変えて、急遽コロンボの手で「A6GCM」をベースに新エンジンを作り上げた。(因みに軽量4気筒の優れた「4CF2」エンジンは実戦はもとより試走することもなくお蔵入りとなり日の目を見ることはなかった)直6 DOHC 81×80mm 2493cc 圧縮比12:1 240hp(最終270hp)で、当時燃料はメタノール、ガソリン、ベンゾール、アセトンを、独自の混合比で使いパワーアップを図っていた。シャシーは立体的なチューブラー・スペース・フレームとなり、後年の「バード・ケージ」へとつながる。活動期間は1954-58年で、生みの親コロンボがフェラーリに去ったあと1955年6月からは弱冠30才の「ジュリオ・アルフィエーリ」がチーフエンジニアとして開発の指揮をとる。戦績は通算で8勝をあげ、特に1957年には「ファン・マヌエル・ファンジオ」が4勝し、ワールドチャンピオンを獲得している。

(写真(07-1a~d) 1954 Maserathi 250F     (2000-05 グランプリ・ヒストリック・デ・モナコ)

モナコ・グランプリの前座として開催されたクラシックカー・イベントで撮影した。場所は最終コーナーで画面奥がスタート地点となる。公道に運び出され真近かで見ることができた。

(写真07-2a)1954 Maserati 250F     (1991-03 ワールド・ヴィンテージカー/幕張メッセ)

幕張メッセで開かれたオークション会場に参考展示されたもの。    

(写真07-3ab)1955 Maserati 250F         (1982-06 河口湖自動車博物館)

河口湖博物館にも名車「250F」がエンジンの見える形で展示されていた。

(写真07-4abc)Maserati 250F Streamliner (200-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

「250F」の中の変わり種は、F1としては珍しく空力を重視したフェンダーカバー付きのストリームライナーだが、ほかに例を見ないところを見ると、「重量増」は「性能向上」に見合わなかったのだろう。

(写真07-5a)1956 Maserati 250F       (2000-05 グランプリ・ヒストリック・デ・モナコ)

モナコのイベントで3台参加していたうちの1台。

(写真07-6a~d)1956 Maserati 250F         (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

 カリフォルニアで見た車はシボレー・トラックの牽くトレーラに載せられて帰っていった。

(写真07-7abc)Maserati 250F    (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

「250F」はレーシングカーにしては個体差「(細かい改造)が少なく、どの車も殆ど同じ感じだ。

(写真07-8abc)Maserati 250F       (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

ぼくの欠点の一つは「人の名前と顔」が覚えられないことだ。だからドライバーについてはあまり関心が無いのだが、偶々サインしているおじさんをとった写真がこれだ。あとで写真を見たら胸に「ジョン・サーティース」とあった。

(写真07-9abc)Maserati 250F         (2002-02 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)

シュルンプ兄弟が集めたコレクションが現在の「フランス国立自動車博物館」だが、その中にも「250F」があった。展示場所の壁面には、レース場のスタンド風景が貼り詰められている。

(写真07-10abc)1957 Maserati 250F   (2000-05 グランプリ・ヒストリック・デ・モナコ)

この車もモナコのイベントに参加していた3台のうちの1台だ。画面右3分の1がパドックとなっているので、そこから外に運び出すコースがここだった。

(写真07-11ab)1959 Technika Mecanica Maserati 250F     (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

「250F」は1954~57年で約30台造られF1レースで活躍したが、ファクトリーチームとしては1958年で活動を中止している。この車は1959年製でシャシーナンバーが「F415」となっていた。説明には「250F」の究極の発展型だが出現するのが遅すぎて、2501から始まる 一連のナンバーがもらえなかったとあった。エンジンはV12気筒が搭載されているが、標準の6気筒のほかに1957年にはV12モデルも2台造られ何回かレースを走っているので、その流れを継いだ車と思われる。「250F」はフロント・エンジンのレーシングカーとして最後を飾った名車だった。

    ――次回はマセラティ・3でレーシング・スポーツの予定です――

^