三樹書房
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kataoka
第12回 アメリカの小さな町
2012.10.29

 ハイウェイから離れて、田園地帯の中の二車線の道路を行く。あたりは、絵に描いたような美しさだ。
 ゆたかな緑が広がり、空気はきれいで、道路には、ぼくたちの乗った自動車しか走ってはいない。
 道路のわきに、町の名を書いた標識が立っている。この地点から、あなたは町に入るのですよ、ということを伝える標識だ。人口が、町名の下にそえてある。二〇一一名、などという数字が記憶に残る。
 人口が二千名のアメリカ東部の小さな町。いったい、どのようなたたずまいなのかと胸がときめく。
 緑の樹が多くなり、道路がその樹々の中をゆったりした碁盤ごばんの目に、伸びている。
 高い樹よりもさらに高く、教会の白い尖塔せんとうが見える。これが見えたら、もう町の中心だ。
 初夏の夕方近く。時の流れが止まってしまったかと思えるほどに、ゆっくりと暮れて行く、とても気持ちのいい静かな黄昏たそがれのはじまり。
 こんもりとした小さな森が、なだらかにもりあがった丘の上にある。森の中に、白い建物が見える。童話の中に出てくる家のようだ。
 公共の建物らしいけど、いったい何だろうかと思ってながめていると、建物の中に、真っ赤な消防車が二台、見える。消防署だ。
 ゆっくり、車でながして行く。あたりの光景と美しく調和した、夢のような建物が点在する。人の姿を見かけない。ごく時たま、自動車とすれちがう。
 これでいったい町なのだろうかと思いながら走って行くと、緑の樹の間から、暮れなずむ初夏の風に乗って、ブラス・オーケストラの演奏する音が聞こえて来る。
 その音の方へ、車を向ける。
 樹に囲まれて広い芝生がある、そのまん中に、丸く、野外音楽堂のような建物がある。ステージだけで客席はない。
 白く塗った高い天井の下で、ブラス・オーケストラが指揮者の腕の動きに合わせて演奏している。
 芝生に簡単な椅子いすを持ち出し、聞いている人が十数人いる。樹の下に寝そべって聞いている人、ステージのすぐ下で、オーケストラを見上げて聞いている人。さまざまだ。思い思いに演奏を楽しんでいる。
 自動車が十台ほど、広場を囲む道路のあちこちに止まっている。車の中の人たちも、ブラス・オーケストラを聞いている。
 オーケストラのメンバーは、老若男女、とりどりだ。ピッコロを吹く十二、三歳の少年のななめ前に、チューバをかかえたおばさんがいる。
 ミニなスカートからたくましいあしをのぞかせた若い女性が豪快にトロンボーンのスライドを操り、その前では、初老のおじさんがトランペットを吹いている。
 一曲の演奏が終わると、聞いていた人たちは手をたたく。車の中で聞いていた人は、ホーンを鳴らす。拍手のかわりだ。オーケストラのメンバーたちが、にこにこと笑っている。
 自動車のホーンが、こんな時に拍手のかわりになるなんて!
 くっきりと目の覚めるような、とてもうれしい、新鮮な体験だった。こんな些細ささいなことからでも、アメリカという地形の複雑な広い国に住んでいるアメリカンたちのハートが、ほんの一瞬、見えたような気がした。いや、確かに見えたのだ。
 初夏の夕暮れ前に行われる、町の楽士たちによる、ブラス・オーケストラの演奏。
 一曲が終わるたびに、自動車のホーンがあちこちから鳴り、青い空に吸い込まれ、緑の樹々の中に消えて行く。大都会のまん中で聞く自動車のホーンとは、まったく違っていた。おだやかで、のどかで、落ち着いたゆとりと、暖かい心に満ちていた。ぼくたちも、さっそく真似をしてホーンを鳴らした。
 楽士たちは、一曲が終わるたびに、お互いに、にこにこと笑いあう。とても楽しそうだ。


◆編集部より
片岡義男さんの連載は最終回です。一年間ご愛読ありがとうございました。

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執筆者プロフィール

1940年(昭和15年)、東京都生まれ。早稲田大学在学中からエッセイ、コラム、翻訳などを「ミステリマガジン」などの雑誌に発表。評論の分野では、1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。また、植草甚一らと共に草創期の「宝島」編集長も務める。1974年『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー。翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。代表作である『スローなブギにしてくれ』、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』などが映画化。近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、写真家としても活躍。著書に『木曜日を左に曲がる』『階段を駆け上がる』(ともに左右社)『白い指先の小説』(毎日新聞社)『青年の完璧な幸福』(スイッチパブリッシング)ほか多数。

関連書籍
『木曜日を左に曲がる』(左右社)
『階段を駆け上がる』(左右社)
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