今回は、1954年5月にナッシュとハドソンが合併して誕生したアメリカンモーターズのコンセプトカーとショーモデルについて紹介する。ただし、「M-BASE」第109回 AMC グレムリンで紹介した「AMX-GT」については省略する。
◆ ピンファリーナの作品
ナッシュモーターズ社は1952年型ナッシュヒーレーとフルサイズナッシュにピニンファリーナのデザインを採用したが、1954年にハドソンモーターカー社と合併してAMCとなった後にも2台のコンセプトカーが提案されている。
1956年ナッシュ・プロトタイプ。ピニンファリーナが量産車に採用される可能性のある、新しいナッシュ・アンバサダーのデザイン制作を依頼され完成したのがこのクルマ。量産には至らず、1台だけ製作された、この個性的なモデルは、やがてアイオワ州のアメリカンモーターズのディーラーに買い取られることになる。
1956年ランブラー・パームビーチ(Palm Beach)。ホイールベース101.5in(2578mm)のシャシーに3.2L直列6気筒90馬力エンジンを積む。米国や欧州で開催されたモーターショーに出展されたが量産には至らなかった。
◆ ディック・ティーグ(Dick Teague=Richard Arthur Teague)の時代
ディック・ティーグは1959年にAMCのエドマンド・アンダーソン(Edmund E. Anderson)のデザインチームに参加、1961年にアンダーソンの後任としてスタイリング・ディレクターとなり、1964年にデザイン担当副社長に就任、1983年にリタイアするまで24年間勤めている。
ディック・ティーグはフォードを除くほとんどのアメリカ車メーカーと関りを持ったと言われる。1923年にロサンゼルスで生まれ、戦後すぐにヘンリー・カイザー(Henry Kaiser)の下でヘンリー J以前の小型車のデザインに参画したのを皮切りに、1948~1951年にGM、1952~1956年にパッカード、1956~1958年にクライスラー、そして1959年にリタイアまで関わることになるAMCに移籍している。
AMCでのデザインに当たっては、金型予算の厳しさから、主要部品の共用化を図らなければならず、ティーグたちを悩ませ続けることになる。「The Wall Street Journal」紙は「ティーグの得意とするのは、少ない予算でできるスタイリングだ」と称していた。厳しい環境の中で、ビッグ3に押しつぶされないよう制作したコンセプトカーのいくつかを紹介する。
上の2点は1964年1月、デトロイトのコボホールで開催されたSAE(Society of Automotive Engineers)の全国大会会場で初公開された「ランブラー・ターポン(Tarpon)」。1964年型ランブラー・アメリカンと同じホイールベース106in(2692mm)のプラットフォームに、全長180in(4572mm)、全高52.5in(1334mm)の2ドアハードトップ・ファーストバックボディーを架装した、スタイリングスタディーモデル。修正を加え、1965年型「ランブラー・マーリン(Marlin)」として発売された。
1965~1967年型として販売されたランブラー・マーリン。これは1966年型のカタログ。「ターポン」は106inホイールベースのランブラー・アメリカンがベースであったが、AMCのセールス、マーケッティング部門は「マーリン」に、一回り大きな112in(2845mm)ホイールベースのランブラー・クラシックをベースにしたため、大きすぎて「ターポン」のデザインを台無しにしてしまった。しかも、あろうことか1967年型には、さらに大きな118in(2997mm)ホイールベースのアンバサダーをベースにしたため、生産台数は1965年型1万台+、1966年型約4500台に対し、1967年型は約2500台と激減し、生産を中止した。
1966年1月、デトロイトで開催されたSAE全国大会会場で公開された、最初の「AMX プロトタイプ」。基本的には2シーターだが、昔のクルマによく見かけたランブルシートに似たユニークな「ランブルシート」を採用している。特徴はリアウインドーを上下に開閉して風防とし、ドライバーと会話ができるようにしている。
◆ 1966年6月に公開された「プロジェクト Ⅳ」
6月20日にニューヨークで「プロジェクト Ⅳ」と称して、4台のコンセプトカーが公開された。その後、ワシントン DC、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、デトロイトで順次公開され、スポーティカーや小型車の新しいデザインコンセプトに対する市場の反応が確認された。
上の2点は走行可能な「AMX(American Motors Experimental)」。新開発の290cid(4752cc)V8エンジンを積み、ボディーはイタリアのカロッツェリア・ヴィニャーレ(Carrozzeria Alfredo Vignale)で架装された。ルーフパネルはロールバーを内蔵したカンチレバー方式のため、Aピラーは極端に細い。1月に発表された「AMX プロトタイプ」同様ランブルシートが装着されている。サイズはホイールベース98in(2489mm)、全長179in(4547mm)、全幅72in(1829mm)、全高48in(1219mm)。
「プロジェクト Ⅳ」の1台である「キャバリエ(Cavalier)」。キャバリエは前後左右のボディーパネルの共用化を狙ったコンセプトカー。右前と左後ろのフェンダーを一つのプレス型で打ち、同様に右前ドアと左後ろドア、ボンネットとトランクリッド、前後のバンパーもそれぞれ同じプレス型で打つことで、ボディーのツーリングコストを25%以上節減できるという、ディック・ティーグの最も得意とするデザインスタディーであった。サービス面でもかさばるボディーパネルの在庫を低減することが可能であろう。
ルーフパネルはAMX同様ロールバーを内蔵したカンチレバー方式のため、Aピラーは極端に細い。トランクリッドはデュアルアクション・シザー(はさみ)式ヒンジで支持されており、通常の開閉に加え、背の高い荷物を積むときにはトランクリッドをルーフの上に跳ね上げることができた。テールライトは3色に分かれており、アクセルペダルを踏んで走行中はグリーンライト、アクセルから足を離すとオレンジ、そしてブレーキを踏むとレッドライトが点灯する。サイズはホイールベース108in(2743mm)、全長175in(4445mm)、全幅65.5in(1664mm)、全高50in(1270mm)。
「プロジェクト Ⅳ」の1台である「AMX Ⅱ」。AMXプログラムの1台でノッチバックボディーをまとう。リトラクタブルヘッドランプ、コンシールドワイパーを採用し、「キャバリエ」と同様、3色のレンズを持つテールライトを装着している。サイズはホイールベース110in(2794mm)、全長187in(4750mm)、全幅72in(1829mm)、全高51in(1295mm)。
「プロジェクト Ⅳ」の1台である「ビクセン(Vixen)」。スポーティーなセミファーストバックボディーをまとい、多くの部品を「キャバリエ」と共用する。サイズは「キャバリエ」とほぼ同じだが、ウインドシールドを後退させており、ボンネットは12in(305mm)ほど長くなっている。
◆ AMXプログラム最後のコンセプトカー「AMX Ⅲ」
1967年2月に開催されたシカゴ・オートショーで公開された「AMX Ⅲ」。ファーストバック・スポーツステーションワゴンで、テールゲートはリフトアップしたあと前方にスライドしてルーフ上に納まる。フロントデザインは1968年型として新発売された「ジャベリン(Javelin)」と「AMX」に採用された。
◆ 1968年型ジャベリンとAMX
1967年9月に新発売された1968年型ジャベリン。1964年に1965年型として発売されたフォード・マスタングに対抗すべく立ち上げた4シーターのポニーカーで、1968年型は2482~2587ドルで、約5万5000台生産された。ちなみに1968年型マスタングは2602~2814ドルで約31万7000台生産されている。
ジャベリンの標準エンジンは232cid(3802cc)直列6気筒145馬力で、オプションで290cid(4752cc)V型8気筒225馬力と343cid(5621cc)V型8気筒280馬力、さらに390cid(6391cc)V型8気筒315馬力が選択可能であった。サイズはホイールベース109in(2769mm)、全長189.2in(4806mm)、全幅71.9in(1826mm)。
上の3点は1968年2月に新発売された1968年型AMX。ジャベリンのホイールベースを12in(305mm)短くして造られた2シータースポーツ。AMXの標準エンジンは290cid(4752cc)V型8気筒225馬力。オプションで343cid(5621cc)V型8気筒280馬力または390cid(6391cc)V型8気筒315馬力が選択可能であった。サイズはホイールベース97in(2464mm)、全長177.22in(4501mm)、全幅71.57in(1818mm)、全高51.73in(1314mm)。1968年型の価格は3245ドルで約6700台生産されている。
◆ 電気自動車(EV)「アミトロン(Amitron)」「エレクトロン(Electron)」
1967年12月、AMCはガルトンインダストリーズ社(Gulton Industries)と合弁でEVの3人乗り小型コミューターの開発を始め、1年以内に実車によるロードテストを開始すると発表した。搭載するバッテリーはガルトン社が新開発した軽量でロングライフのリチューム-ニッケル電池。
そして、1977年9月にAMCから送られてきた「Concept 80」と称する広報資料には、350台がUSポスタルサービスで評価テスト中であり、さらに電力会社でもテスト中とあった。生産はAMCの子会社であるAMゼネラル(AM General Corp.)が行い、名前は「エレクトロン」に変更されていた。
上の2点は1967年12月に発表されたEV「アミトロン」。サイズはホイールベース60in(1524mm)、全長85in(2159mm)、全幅69.5in(1765mm)、全高46in(1168mm)。上段の写真にあるリチューム電池ユニット(13in×12.5in×23.5in、重量75lb=330mm×318mm×597mm、重量34kg)2個をシート後方に積み、フル充電で150mile(241km)走行可能。当時は他社の実験EVが1充電で走れる距離は40~80mile(64~129km)であったから「アミトロン」は画期的なEVであった。フル充電までの所要時間は4時間で、3年間で約1,000回のフル充電が可能だという。クルマへの乗り降りは、ボディー後方にヒンジがあり、ルーフ、ウインドシールド、ドアが一体で二枚貝のようにガバッと開いた。
1977年にAMCから送られてきた「エレクトロン」の写真。1967年に発表された「アミトロン」とほとんど変わらないが、サイドミラーが追加されている。いまやクルマの動力はエンジンから電気モーターに変わろうとする大変換期にあるが、これは半世紀前のEVであった。
◆ AMCのミッドシップエンジン・スポーツカー「AMX/3」
アメリカ初のミッドシップエンジン・スポーツカーであった「AMX/3」は1970年3月23日にイタリアのローマで初公開された。1週間後の4月1日、ニューヨーク国際オートショーでアメリカでのお披露目となった。アメリカとヨーロッパの合作であり、デザインはAMC、エンジンはAMCのV型8気筒、シャシーの開発はイタリアのジオット・ビッザリーニ(Giotto Bizzarrini)、開発とテストにはBMWが協力して完成している。
1971年にはフォード・モーター社のリンカーン・マーキュリー部門が、イタリアのデ・トマソ・パンテーラの輸入販売を始めたこともあり、これに対抗するため、AMCは毎月数台の限定生産を考え、ディック・ティーグはリーズナブルなコストで生産に移せるよう尽力した。しかし、米国でのバンパー規制などがあり、価格も高騰するなど、環境も厳しさを増していたため、量産には至らなかった。
上の4点は広報資料に添えられていたAMX/3の写真、イラストと透視図。AMCの390cid(6391cc)V型8気筒340馬力エンジン+イタリアのオート・メラーラ(Oto Melara)製4速トランスアクスルを積み、サイズはホイールベース105.3in(2675mm)、全長175.6in(4460mm)、全幅74.9in(1903mm)、全高43.5in(1105mm)。0 – 60mph(97km/h)加速5.5秒、¼マイル加速13.5秒、最高速度160mph(258km/h)。燃費は街中14.3mpg(6.08km/L)、郊外17.5mpg(7.44km/L)。製作台数は8台(6台の説もある)で、このうち2台をディック・ティーグが所有していた。
上の2点はAMX/3のコンペティターとなるはずだった、イタリアの「デ・トマソ・パンテーラ(deTomaso Pantēra)」。ボディーはカロッツェリア・ギア社(Carrozzeria Ghia SpA)のトム・ジャーダ(Tom Tjaarda)のデザインによる。フォード製 「クリーブランド(Cleveland:生産工場名)」 351cid(5752cc)V型8気筒330馬力エンジン+5速トランスアクスルを積む。サイズはホイールベース98.4in(2499mm)、全長167in(4242mm)、全幅71.3in(1811mm)、全高44in(1118mm)。