三樹書房
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designhistory
第10回 2000年代 国産車「デザイン第5ステージ」
新世紀を迎え世界戦略車種への挑戦
2021.11. 9

2000年になっても世界の景気は回復せず、自動車メーカーは、扱いやすく経済性も高いBセグメント、サブコンパクトに各社車両開発が集中した。第9回でも少し述べたが、1999年トヨタは、スターレット、ターセル/コルサをまとめ、欧州市場もにらんだヴィッツ(初代はAセグメントに近い)を発売した。

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1986年トヨタ・ターセル/コルサ

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1999年トヨタ・ヴィッツ

デザインは、トヨタヨーロッパのデザイン拠点であるフランスはニースのED2で開発された。そのデザインは、日本のユーザーには受け入れられないのではないかと思うほど当時は斬新で議論を呼び、半年後にメッキグリル・サイドに水平にプロテクションモールなどを加飾したシックなヴィッツ・グラビアが追加された。しかし、そんな心配もよそにオリジナルモデルの販売はうなぎのぼりに増えていった。もう一つ議論を呼んだのは、ピンク色の外板色だ。自動車の外板色ではタブー視されていたピンク色(ペールローズメタリックオパール)である。発売当初はそれほど話題にならなかったが、徐々に若い女性達に評判となり、提案したデザイナーも驚くほどの人気を博した。ちなみに、外装色ペールローズメタリックオパールは、第2回(1999年度)オートカラーアウォードのグランプリ&オートデザイナーズ賞を受賞している。これはある意味21世紀を迎え、市場が急激に変化していることを表す現象であった。この二つの出来事は、過去の慣例にこだわるのではなく、時代背景を把握し変化を予測することは、デザイナーにとって欠かせない能力の一つであることを物語っているいい例かも知れない。
その1年後、ホンダはフィットを発売した。本来はもっと早く発売するはずだったが、市場の変化を受け急遽大変更を行い発売が遅れたという噂を聞いた。ホンダの社会変化に対する反応の早さに驚く出来事だった。コンパクトでガソリンタンクをフロントシートの下に置くというあまり乗用セダンでは見かけないパッケージで、長いフュエルインレットの配管よりリヤシートを倒した時の広いカーゴスペースを作りたかったのだろう。外形デザインは爽やかな面質のとても受け入れやすい造形にまとめられ、その年、グッドデザイン賞や日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど大変な人気を博し、日本国内での年間販売台数で33年間トップを守り続けたトヨタのカローラを上回りトップとなった。

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2001年ホンダ・フィット

また、日産は、1992年から作られていた2代目マーチを、2002年ゴーンCEO着任後、最初のモデルでもあったためか3代目マーチのプラットフォームはルノーと共同開発したものを発売した。

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1995年2代目日産マーチ

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2002年3代目日産マーチ

デザインは、ゴーン社長によっていすゞからヘッドハントされた中村史郎デザイン本部長(後の専務執行役)の指導のもと、日本の日産テクニカルセンター内でデザインされ(1982年の初代はジウジアーロのデザインで話題になった)、大変コンパクトな可愛い形状まとめられた全体意匠で、ボンネットの上に乗ったような楕円形のヘッドランプやサイドビューでのラウンドした特徴のあるルーフ形状のデザインで、2005年にはイギリス工場で生産するなどヨーロッパのBセグメント(サイズはAセグメントに近い)を意識した挑戦的な造形でまとめられていた。

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1982年初代日産マーチ

また、2002年マツダは2代目デミオを、グローバルではMAZDA2に名前を変えて発売した。Bセグメントのヨーロッパ市場を意識した命名だったのであろう。2007年MAZDA2の2代目、そして、2014年、4代目に生まれ変わった日本名デミオの3台目MAZDA2は、新しいデザインのリーダーである前田育男執行役員デザイン本部長(元マツダデザイン本部長の又三郎氏を父親に持つ)によってマツダのデザインフィロソフィーが2010年に一新され、日本語での躍動感を表現する「魂動デザイン」をテーマとする造形で、新たなデザインへの取り組みが始まった。

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2002年2代目マツダ・デミオ

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2007年3代目マツダ・デミオ

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2014年4代目マツダ・デミオ

そして、スズキは2000年にスイフトを発売した。初代のサイズサイズはAセグメントクラスに近かったが、2004年モデルはプラットフォームも一新し、全長も3615mmから3695mmへと80mmも伸ばされ、ひと回り大きくなった。デザインは、フロントエンドからショルダーのBキャラクターライン(ベルトラインすぐ下の折れ線)をリヤエンドまで通したスッキリした造形で、海外でも大変評判の良いモデルとなった。

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2000年スズキ・スイフト

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2004年スズキ・スイフト

ちなみに、このBキャラクターラインと呼ばれるベルトラインすぐ下の折れ線は、クルマの個性を表現するための造形形状のことで、折れ線であったり、段差であったりへこみや膨らみなど様々なものがある。BMWは、いつもベルトラインのすぐ下に逆棚の折れ線を入れ、これを自車の特徴にしてきた。半面、メルセデス・ベンツはあまりこだわっていないように見える。日本車もあまりこだわっていないようである。クルマをつくるとき、ドアガラスに対してどうしても構造上、ガラスの上げ下げ、ドアハンドルやインパクトビームがドアの内側と間にあるので、正面から見ると膨らみが生じる。そのためにその膨らみをどう処理するかの考え方が各メーカーで変わってくる。つまり、このBキャラクターラインは、クルマの特徴を出すために大事な要素になっているのである。

各社21世紀を迎えて、矢継ぎ早に世界戦略車種Bセグメントを発売し、何かが吹っ切れたように、デザインが四角い箱から脱出したかのように自由な造形が始まった。ヨーロッパや世界中でグローバルカーとして人気を博し、沈みがちだった21世紀のスタートを盛り上げた。
さらに、スポーツカーでの市場も新世紀に向けて再チャレンジが始まった。ホンダは本田技研工業創立50周年記念として、1999年に実用車とはひと味違う移動を楽しむためのスポーツカーS2000を発売。S800以来29年ぶりとなるFRスポーツである。

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1999年ホンダS2000

そして、日産はフェアレディZを2年ぶりに復活させた。また、2007年には初代スカイラインGT-Rから6代目にはあたるが、「誰でも、どこでも、いつでも」スーパーカーの魅力を味わうことができる、全く新しいジャンルの「新次元マルチパフォーマンス・スーパーカー」と銘打ち、日産GT-Rを発売した。デザインも車両コンセプト通りの「誰でも、どこでも、いつでも」を端的に表したオーソドックスな2ドアクーペで、4連丸型のテールランプが、スカイラインGT-Rを連想させるものだった。

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2000年日産フェアレディZ

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2007年日産GT-R

2002年ダイハツは、ランプ類を全て楕円形にしたキュートな軽四スポーティーオープンカーのコペンを発売した。1993年リーザ・スパイザー以来、9年ぶりのオープン軽の再来であった。

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2002年ダイハツ・コペン

2003年マツダはラグジュアリースポーツのユーノス・コスモの後継として7年間の空白後、贅肉を削ぎ落とし、キャビンもコンパクトに切り詰めフォードトラックなどでよく採用されるセンターピラー付きの観音開きドアなどを採用し、全長は380mmも切り詰めビュアーで軽快なスポーツカーの雰囲気を持ったRX-8を発売している。
トヨタも2代目MR2を1999年に改良してMR-Sに改名している。

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2003年マツダRX-8

これらは、クルマをつくっているエンジニアが本音で作りたいクルマたちと言ってもよく、さぞかし楽しんでつくったのだろう。しかし販売台数はあまり期待できないのはちょっと寂しい。
その他の車形でも、2000年三菱がワンボックスに大きなボンネットを持ったディオンを、SUVでは2004年に日産が新しいタイプのSUV ムラーノを発売、なかなか見ごたえのある造形であった。

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2000年三菱ディオン

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2003年日産ムラーノ

2006年マツダはCXー7、2002年からトヨタもアルファード、2003年シエンタ、パッソを、高級車ジャンルでは、2003年にレクサスブランドを国内に導入を発表し、

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2006年マツダCX-7

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2002年トヨタ・アルファード

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2003年トヨタ・シエンタ

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2004年トヨタ・パッソ

2005年レクサスGS、同年4代目ソアラ(初代ヴィッツをデザインしたソティリス・コヴォスのオリジナルデザイン)をマイナーチェンジしてレクサスSCを、そして、同年ISを、翌年LSを発表し、2006年からLSが導入されユーザーの選択肢はあっという間に広がった。そして、2010年日産は、EV専用車リーフを発売し、各社のEV化の先陣を切った。日本の自動車会社は、21世紀を迎え10年程の間に不景気を乗り切ろうと矢継ぎ早に新プロジェクトをデビューさせた。

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2005年レクサスGS

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2004年レクサスSC

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2005年レクサスIS

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2006年レクサスLS

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2010年日産リーフ

しかし、2008年リーマンショックで世界中の経済が怪しくなり、クライスラーは2009年4月30日、GM は6月1日に相次いで倒産し、フォードも大幅な債務超過となったのである。さらに日本においては2011年東日本大震災により経済は一気に落ち込み、また、タイでは2011年モンスーン期に起こったチャオプラヤー川流域、メコン川周辺で発生した洪水で、この地域に工場を構えるトヨタ、日産、ホンダ、など自動車メーカーや多くの企業が大打撃を受けた。
リーマンショック、円高、東日本大震災、タイの大洪水などの災害、それに加えトヨタでは、プリウスのブレーキの問題とかつてないほどの大ピンチに遭遇し、2009年3月期の赤字決算は創立2年目の1938年以 来71年ぶりで、この先どうなるのかと驚いたが、豊田市の税収が90%マイナスになったと聞かされもっと驚いた。
だがそんな中でも、私たちが入社した当時は手の届きそうになかった雲の上のあの米国のBIG3が倒産や大幅赤字に苦しめられるなど、世界の自動車が七転八倒の中、大変ではあったが日本の自動車の良さが徐々に認められるようになり、自社の製品がどんなフィロソフィーで提供されているのか今一度明確にし、今後の地位をより堅固なものにし世界をリードするための指針が求められるようになってきた。


参考資料:トヨタ博物館/Gazoo マガジン/トヨタ自動車75年史/日産ヘリテージコレクション/三樹書房
写真:トヨタ博物館/三樹書房

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執筆者プロフィール

木村 徹(きむらとおる)
1951年1月17日、奈良県生まれ。武蔵野美術大学を卒業し、1973年トヨタ自動車工業株式会社に入社。
米CALTY DESIGN RESEARCH,INC.に3年間出向の後、トヨタ自動車株式会社の外形デザイン室に所属。
ハリアーなどの制作チームに参加し、アルテッツァ、IS2000 などでは、グッドデザイン賞、ゴールデンマーカー賞、日本カーオブザイヤーなど、受賞多数。愛知万博のトヨタパビリオンで公開されたi-unitのデザインもチームでまとめた。
同社デザイン部長を経て、2005年4月から国立大学法人名古屋工業大学大学院教授として、インダストリアルデザイン、デザインマネージメントなどの教鞭を執る。
2012年4月から川崎重工業株式会社モーターサイクル&エンジンカンパニーのチーフ・リエゾン・オフィサーを務める。その他、グッドデザイン賞審査員、(社)自動車技術会デザイン部門委員会委員(自動車技術会フェローエンジニア)、日本デザイン学会評議員、日本自動車殿堂審査員(特定非営利活動法人)、愛知県能力開発審議委員会委員長、中部経済産業局技術審査委員会委員長、豊田市景観基本計画策定有識者会議委員など過去、公職多数。
現在は、名古屋芸術大学、静岡文化芸術大学、名古屋工業大学で非常勤講師として教鞭を執る。

木村デザイン研究所

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