三樹書房
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第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)
2021.9.27

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  1961 Lincoln Continental


  < 戦後型 > (1946~99)

僕が自動車に興味を持ち始めたのは昭和24年 (1949)、中学2年生の頃からで、1949年からはアメリカ車も戦後型のニューモデルが登場し、続く50年代の10年間はアメリカ車のデザインが世界をリードした輝かしい時代だ。1952年サンフランシスコ講和条約が発効され日本は独立国となり連合国軍の占領は終わったが、その後も日本各地に基地を置き米軍を駐留させた。占領軍→進駐軍→駐留軍と名前は変わってもアメリカ関係者が多数日本に滞在していたし、街にはアメリカ車が大量に走っていた。この年代は毎年登場するニューモデルを、リアルタイムで僕が街中で撮影したモノクロ写真が多いが、街角の背景と一緒にお楽しみ下さい。

写真46-1ab) 1946 Lincoln 4dr Sedan        (1959年港区赤羽橋・済生会中央病院前にて)
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戦後最初のモデルは、戦前の1942年型をお色直ししたもので、グリルに手を加えただけのものだ。このまま46,47,48年と3年間変わらなかったが、46年の特徴はボンネット横のクロームラインで、翌年からは「Lincoln」の文字に変わる。 .

(写真46-02ab) 1946 Lincoln 2dr Convertible(1990-07 アメリカン・ドリームカーフェア/幕張)
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この車も46年型の コスモポリタン・カブリオレで、アメリカから大量に輸入された車が展示された。

(写真49-1a) 1949 Lincoln 4dr Sedan                (1959-04 JR新橋駅前)
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場所は改築前の新橋駅で右側の黒い庇(ひさし)は東口、銀座側出口だ。駅前にずらりと並ぶ車は右から「リンカーン」「トヨペット」「 クライスラー」「ヒルマン」「プジョー」「ポンティアック」と魅力的な車がずらりと駐車している。

(写真49-2a) 1949 Lincoln Cosmopolitann 4dr Town Sedan      (1958年羽田空港駐車場)
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49 年型からは純戦後型となり、それまであった「コンチネンタル」は無くなり、シリーズは「スタンダード」と、上級モデル「コスモポリタン」の2種となった。コスモポリタンの特徴はフロント・フェンダーの太く短いクロームラインだ。ナンバープレートは横1列の古いタイプだ。

(写真49-3a) 1949 Lincoln Cosmopolitan 4dr Sedan     (1959年 有楽町1丁目/芸術座横)
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僕が車に興味を持ち始めたのが1949年だから、この車も「CIE図書館」(アメリカ文化を日本に普及させる目的で各地に設けられた図書館)に置かれた「ライフ」「フォーチュン」「カントリーライフ」などの雑誌の広告を胸を躍らせながら目に焼き付けた車の一つだ。リンカーンに限らず1949年型のアメリカ車は僕にとっては特別に思い入れの深い車たちだ。場所は有楽町で右は現在の東京宝塚劇場(接収時はアーニーパイル劇場)、左は帝国ホテルで、突き当たりは日比谷公園だ。路上駐車が禁止となる前はご覧の様に道路にびっしりと車が止まっていたから、カーハントは思いのままだった。

(写真49-4abc) 1949 Lincoln Cosmopolitan 2dr Convertible (1990-07 アメリカン・ドリームカーフェア/幕張メッセ)
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この車も大量に輸入されたアメリカの中古車の1台で、上級モデル「コスモポリタン」のコンバーチブルだが、運転席は意外と地味だ。

(写真50-1ab) 1950 Lincoln Cosmopolitan 4dr Sport Sedan    (1957年 静岡県庁駐車場)
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昭和30年代のはじめ頃、静岡の県庁には随分色々なアメリカ車があった。「キャディラック」「クライスラー」「ビュイック」「フォード」「シボレー」「ダッジ」「プリムス」などの他「デソート」「カイザー」「ハドソン」など珍しい車もあった。写真のこの車のナンバーは「た0150」で、「リンカーン」の中でも上級の「コスモポリタン」だから、年式、格式から知事さんの車ではないかと思うが、他に「た」ナンバー(官公庁用)の「キャディラック」も、「た0201」(1949)、「た0123」(1951)、「た0243」(1953)、「た0380」(1954)、と1年おきに購入しており、特に末尾が「0」の車は偉い人用ではないかと推定される。(因みに「た0001」の1951年「シボレー」は警察署長、「た0120」の1940年「プリムス」は消防署長の車だった。)

(写真50-2a) 1950 Lincoln 4dr Sport Sedan        (1959年 中央区・築地2丁目付近)
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この車はスタンダードの「リンカーン」で、「コスモポリタン」とはボディーのプレスが別物だ。この写真では見えないが、完全にフラッシュサイドの「コスモポリタン」と違って、フロントフェンダーの面影を残している。正面からの識別点はフロントガラスが2分割という点だ。

(写真51-1ab) 1951 Lincoln 4dr Sport Sedan             (1962-08 港区内)
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グリルのデザインは前年のモチーフを中央部だけ残し、両端を省略したマイナーチェンジに留まった。この車はスタンダードモデルで、フロントフェンダーの段差を見ることが出来る。

(写真52-1a) 1952 Lincoln Capri 4dr Sedan  (1961-02 虎ノ門・ニューエンパイアモータース)
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1952年モデルチェンジで顔付きが大きく変わった。戦後型の1949年から高級感の象徴として「リンカーン」だけに採用されていた奥に引っ込んだヘッドライトは普通の形に代わった。一番目を引くのはラジエターグリルの中央にデンと構えた太いバンパーで、アメリカ車としては姉妹車の「マーキュリー」以外にはどこにも見当たらない大胆なデザインだ。ただダイナミック過ぎて、力強さを強調する若者向けの車なら別だが、高級車としての品格や上品さは感じられない。この後しばらくは「リンカーン」のデザインは低迷が続く。この年からスタンダード・モデルは「カプリ」となった。

(写真53-1ab) 1953 Lincoln Capri 4dr Sedan           (1960年 港区・三田付近)
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グリルは殆ど変わらないマイナーチェンジに留まった。ボンネット先端のオーナメントがLINCOLNの文字に変わり、グリル内の横バーにVとバッジが付いたくらいだ。リアフェンダーを強調するようなクロームのトリムは「フォード」「マーキュリー」とも共通のデザインだ。

(写真53-3abc) 1953 Lincoln Cosmopolitan 4dr Sedan     (1962-04 港区・東京タワー付近)
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この車は同じ年の「コスモポリタン」だが、「カプリ」との違いはバッジ以外には見つからない。グリル内のバンパーが太く見えるのは角度と光線の具合で実際は変わりは無い。リアフェンダーのスパッツの有無は個体差で、モデルによって区別されるのではない。場所は東京タワーを左手に見ながら飯倉から赤羽橋へ下ってくる桜田通りから一寸入った所で、正面からの写真の後方に写っている「鈴木自動車」と言う修理工場は宮内庁と取引があったから御料車の修理もやっていたようだ。

(写真54-1a) 1954 Lincoln Capri 2dr Hardtop Coupe      (1963-03 横浜・山下公園付近)
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横浜の山下公園付近で見つけた車で、東京ではあまり見られない「クーペ」で、ナンバーからも判るように米軍関係者の車だ。後方に見えるのは1951年「シボレー」で街にはアメリカ車があふれていた時代だ。グリル内のバンパーは一直線でシンプル化したが、デザインとしては重厚さは感じられない。

(写真54 -2abc) 1954 Lincoln Cosmopolitan 2dr Hardtop Coupe    (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)
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高級車だから素材としてのポテンシャルは備えている筈だ。だから、あまり改造されない「ストックカーレース」では、多分活躍しただろう。1953、54年のメキシコ縦断レース「カレラ・パナメヒカーナ・メヒコ」では「リンカーン」が1,2,3位を独占する大活躍をしているが、このクラスの番号は3桁で、2桁の「54」はスポーツカー部門の「オスカ」だったからこの車ではなかった。

(写真55-1a) 1955 Lincoln Capri 2dr Hardtop Sport Coupe    (1960-04 港区・六本木付近)
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54年型と較べてグリルには変化が見られない。ヘッドライト周りがクロームメッキされ、ボンネット正面の「V」字が消え、替りに「LINCOLN」の文字が入り、マスコットもシンプルに変わった。しかし依然としてデザインの低迷は続く。


   <スペシャルバージョン・コンチネンタル MkⅡ>

オリジナルの「コンチネンタル」は1948年限りでカタログから姿を消していた。その直後から「コンチネンタル」復活を願う声はあがっており、1954年10月、正式に「コンチネンタルⅡ」の生産準備が整ったことを発表した。しかし実際にはそれ以前からコンチネンタルの復活を目指して準備が始まっていた。1952年7月には「エドセル・フォード」の息子「ウイリアム・フォード」をチーフとする「新製品研究部」が発足し、次世代の「コンチネンタル」の開発を目指した。そこではオリジナルは何を持って居たかを分析し、それを基に「新コンチネンタル」の目指すべき姿を模索した結果得た結論は「現代的で、フォーマルで、機能的で、長続きするデザインで,高貴さと優美な単純さを強調した物」だった。(なんか後付けしたかと思えるほど完成した実物にぴったりだ)
・1953年には「コンチネンタルXL500」と「コンチネンタル1950X」と名付けられた2台が発表されたが、これは「新製品研究部」の作品ではなく、フォード社のショーモデルで、コンチネンタルの理念とは似ても似つかないものだった。
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(参考)1953 Continental XL500

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(参考)1953 Continental 1950X

・1953年10月「新製品部門」と名前を変えた組織は、技師長「ハーレイ・コップ」、ボディ担当「ゴードン・ビューリッグ」、スタイル・デザイナー「ジョン・ラインハート」を中心に、本格的に「新コンチネンタル」完成を目指し、1954年10月には生産開始を公表、1955年10月、遂に新型「コンチネンタル・マークⅡ」が発売された。発表当時の写真を見おると、後ろの建物には「フォードモーターCo.コンチネンタル・ディビジョン」とあるように、リンカーンとは別のシリーズとして考えていたようだが、最終的にはリンカーの中に組み込まれた。この車には年式は無く2年共通で「リンカーン・コンチネンタルマークⅡ」が正式名称だ。


(写真56-1a~d) (1956) Lincoln Continental MkⅡ2dr Coupe (1978-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
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「コンチネンタル」の魅力を一言でいえば「バランスの良さ」と「シンプルさ」だ。アメリカ車と言えば過剰気味なクローム・メッキ、派手な色使い、大きなテールフィンなど、強い自己主張が特徴だが、「コンチネンタル・マーゥⅡ」はそれらの真逆で、装飾用のクロームラインは一本もなく、色は上品な「アイボリーホワイト」のみ、長いボンネットで、均整の取れたプロポーションはまさに「コンチネンタル・スタイル」(ヨーロッパ大陸調)だ。

(写真57-1a~d) (1957) Lincoln Continental MkⅡ2dr Coupe (1977-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
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「ロールスロイス」の数ある伝説の中に、高い品質管理の象徴っとして「14.1キロのクランクシャフトは48キロもある素材から削る出される」と言うのがあるが、「コンチネンタル」の場合もそれに負けないくらい素材にこだわり、鉄板は厳重な強度、品質検査を受けてから組み立てられ、クローム・メッキに関しても通常の3倍以上に厳しい耐錆 が行われた。塗装に関しても二層ラッカーが二度塗りされ、そのたびに焼き付けと研磨が行われ仕上げられた。内装用のレザーもスコットランドから輸入された最高級品が使用された。このように金に糸目をつけず理想に走ったかのように見えるが、あくまでも利益を無視したわけではなく、その証拠には「ドディオン・アクスル」はコストに見合うだけのメリットがないと見送られ、ワイヤー・スポーク・ホイールは、それと似たデザインの安価なホイールキャップが代わりに採用されている。しかしそれでも市販価格は10,000ドルと超高値だった。因みに高級車リンカーンですら4,000ドル、安いフォードなら1,748ドルで買えた。初年度の1956年には2,550台売れたが、2年目には446台しか売れず2年で製造中止となってしまった。1万ドルもする高い車を買える人は3,000人しか居なかったのか? (キャディラックの 最上級車「ブルーアム」ですら6,500ドルで買えたから「コンチネンタル」がいかに高価だったかが判る)


     <一般のリンカーン>

(写真57-2a) 1957 Lincoln Capri 4dr Sedan           (1959-12 東京駅八重洲口)
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(参考)2011年に撮影した東京駅八重洲口の同じ場所

1956年スペシャリティ・カー「コンチネンタル」の登場に合わせて、一般の「リンカーン」も大幅なモデルチェンジが行われ、イメージも大きく変わった。55年までの力強さに比べ、繊細な都会的デザインに変わり、ホイールベースが3インチ延長され126インチとなったせいもあって平らで長い印象を与える。シリーズはベーシックの「カプリ」と、上級車「プレミアム」の2種となった。56年と57年の違いはグリル内の横バーにあるパーキングランプと、ターンシグナルが大きくなり、二つ目から四ツ目に変わっただけだ。場所は東京駅八重洲口で、ダットサンの後方に都電⑰系統の停留所の標識が見える。

(写真57-3bcd) 1957 Lincoln Preniere 4dr Sedan    (1960年 三田・慶応大学付近/港区)
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三田の電車通り(桜田通り)を快走する「プレミアム」は、赤羽橋から札ノ辻に向かっている。途中富士銀行の手前で直角に右折すると慶應義塾大学の正門前だ。町並みは昭和の雰囲気満載だ。

(写真57-4ab) 1957 Lincoln Premiere Landau 4drHardtop (1961 02 一ノ橋都電停留所付近/港区)
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一ノ橋付近は修理工場が密集しており足繁く通った場所だ。赤羽橋から中ノ橋、一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋、古川橋と続くこの区間は4系統の都電が通過する都内でも数少ない場所で、背景に写っている都電は㉞系統の金杉橋行きだ。(㉞系統は6000型が主力だったがこの車は8窓なので1200型と思われる)この車は駐車しているのではなく、渋滞でなかなか進めないので、2枚撮影出来た。昭和30年代は今と較べると何処もかしこも酷い渋滞だった。

(写真58-1ab) 1958 Lincoln Continental MkⅢ4dr Sedan (1960-04 虎ノ門・ニューエンパイアモータース)
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1958年には大規模なモデルチェンジが行われた。それはフレームの全くない「モノコック・ボディ」の採用で、1930年代の「Kシリーズ」の再来を目指し、ホイールベースは131インチに伸ばされ、全長229インチの堂々たるボディに、7052ccで375馬力のエンジンを搭載していた。シリーズは「カプリ」、「プレミアム」と、これをベースにした「コンチネンタル・マークⅢ」が登場した。フォード社としては「マークⅡ」の後継車としてスペシャリティ・カー扱いをしたのだが、結果的にはリンカーンの上級モデルとしか評価されなかった。事実「「マークⅡ」の様に全く別の基準で造られたものではなく、「プレミアム」に一寸手を加えた程度なのでこの評価は正当と言えよう。唯一「コンチネンタル」としての特徴は逆に傾斜した「クリフカット」と名付けられたリア・ウインドウで、このタイプは翌年のフォード・アングリア(英)にさっそく採用され、わが国でも1962年の「マツダ・キャロル360」でお馴染みだ。
      
(写真58-2ab) 1958 Lincoln Continental MkⅢ 2dr Convertible (1991-01 TACS 汐留ミーティング)
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この年の「コンチネンタル」には4ドアの「セダン」「ハードトップ」と、2ドアの「クーペ」「コンバーチブル」の4種のバリエーションがあった。この派手なピンクがオリジナルのカタログ仕様かは定かではないが、2ドア・コンバ-チブルと言うカジュアルなモデルなので、それなりに似合っていると思う。価格を4ドア・セダンで比較すると「プレミア」5,505ドルに対して「コンチネンタル」は6,012ドルと僅かに高いだけだった。コンバーチブルはシリーズの中では一番高く6,223ドルだった。コンチネンタルの特徴として3連のテールランプが挙げられる。

(写真59-1ab) 1959 Lincoln Capri 2dr Hardtop Coupe    (1961-04 横浜市内・関内駅付近 )
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1959年もマイナーチェンジの年で、グリルの顔つきもイメージとしては大きく変わったが、ヘッドライトの位置関係は変更なく去年は囲まれて独立していたのが、周りの枠が取れて、グリルに組み込まれた。「カプリ」と「プレミアム」のグリル・パターンは同じで、「コンチネンタル」は細かい格子だった。この車は珍しい2ドア・ハードトップで、場所は横浜の関内駅付近(横浜スタジアム横)だ。

(写真59-2ab) 1959 Lincoln Premiere 4de Sedan              (1960-09 港区内)
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写真の車は上級モデル「プレミアム」だが「カプリ」との区別はつかない。ナンバープレートから駐留軍関係の個人所有の車と判る。場所は狸穴のソ連大使館から六本木交差点へ向かう「外苑東通り」で、後方に東京タワーの下の部分が見える。

(写真60-1ab)1960 Lincoln Continental MkV 4dr Sedan   (1951-12 外苑東通り・六本木付近)
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1959年もマイナーチェンジで「コンチネンタル・マークⅤ」となった。バンパーに段差が付き開口部が広くなって、グリル内の細かいチェック模様の中に星が入った。これらの変化はオリジナルの良さを改悪したとしか言えない。この場所も前項とほぼ同じ「外苑東通り」で、ドライバーから写真を送ってと言われた記憶がある。当時はオートバイにヘルメット着用の義務は無かった。


  <再びコンチネンタル>
(写真61-1abc) 1961 Lincoln Continental 4dr Sedan       (1961-12 赤坂溜池/虎ノ門)
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1958~60年(マークⅢ~Ⅴ)と続いた大型のモノコック・ボディは成功とは言えなかった。流れ作業の製造工程で、作業は下から行う不便さがあった。また60年からは各社から発売された小型車が大ヒットし「コンパクトカー・ブーム」を起こした背景には、ようやくアメリカでも「経済性」が注目される時代となっていた。1961年の「リンカーン」は再び「コンチネンタル・マークⅡ」を彷彿させるシンプルで気品のあるスタイルに戻り、大きさもふた回りも小さくなった感じだ。ホイールベースは123インチとなり、前年の131インチ、1956年のマークⅡの126インチより短く、1952~55年の123インチと同じとなった。ロング・ホイールベースを必要とするフォーマルな「リムジン」の需要は極く少数だから、それには特注で対応すればいいではないかという事だろう。リンカーンはこの年から「コンチネンタル」のみとなり、ボディも「4ドア・セダン」と「 4ドア・コンバーチブル」の2型式と絞り込まれた代わりに、品質の向上に努め、米国では初となる「2年間又は24,000マイル」の保証制度を採った。観音開きのドアで、窓を開ければセンターピラーの無いハードトップとなり、車全体は小型になったがキャビンはむしろ広くなっている。「マークⅡ」以来続いた「ⅢⅣⅤ」の名称は使われなかったが、このシンプルなデザインに対して、僕個人としては「マークⅡ」の後継車として「マークⅢ」が相当だと感じている。
・アメリカ大統領の公用車は1939年から65年まではリンカーンだった。ケネディ大統領がダラスで暗殺された際乗車していた車は1961年型「リンカーン・コンチネンタル」(SS100-X)で、ストレッチされたカスタムボディは、透明のプラスチック・ドームを持った全天候型で、パレード時はオープンとなった。現在は62年型のグリルを付けて「フォード博物館」に展示されている筈だ。


(写真62-1abc) 1962 Lincoln Continental 4de Sedan    (1962-05 輸入外車ショー・二子玉川園)
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マイナーチェンジのこの年は、バンパーからオーバライダーがなくなり、グリル内の横バーが細くなってヘッドライト廻りが変わったほか、グリル内のパターンが格子から楕円に変わった。

(写真64-1a) 1964 Lincoln continental 4dr Sedan (1963-11 東京オートショー/晴海貿易センター)
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この年ホイールベースが3インチ延ばされ126インチとなり、その分室内が広くなった。

(写真65-1ab) 1965 Lincoln Continental 4dr Sedan  (1969-11 東京オートショー駐車場/晴海)
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(写真66-1a)1965 Lincoln Continental 4dr Srdan(1965-11 東京オートショー/晴海貿易センター)
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(写真67-1a)1967 Lincoln Continental 4dr Sedan(1969-11 東京オートショー(中古車館)/晴海)
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(写真68-1a) 1968 Lincoln Continental 4dr Sedan(1967-11 東京オートショー/晴海貿易センター)
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(写真69-1a)1969 Lincoln Continental 4dr Sedan(1968-11 東京オートショー/晴海貿易センター)
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1961年新しく誕生したコンチネンタルは、その後大きな変化は無く、グリルを模様替えするマイナーチェンジで69年まで経過した。個々の細かい説明は省略して、顔付きの変化は写真でご覧いただきたい。


(写真70-1abc)1970 Lincoln Continental 4dr Sedan (1969-11 東京オートショー/晴海)
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(写真73-1a) 1973 Lincoln Continental 4dr Sedan     (1969-08 丸紅モータース/環8)
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1970年外見は前年までとおあまり変わっていないが、9年間続いたマイナーチェンジから一歩踏み出したビッグ・チェンジ年となった。ホイールベースな1インチ延ばされ127インチとなったが、後ろドアが前ヒンジとなったため特徴だった「観音開き」ではなくなった。リアホイールはカバーされより高級感が増した。、

   <ザ・コンチネンタル マークⅢ、Ⅳ>
(写真69-1a~d)1969 Lincoln The Continental MarkⅢ2dr Hardtop(1972-08丸紅モータース/環8)
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(写真70-1abc)1970 Lincoln The Continental MarkⅢ 2dr Hardtop(1969-11東京オートショー/晴海)(170-1a)(213-24) 1970 Lincoln Continental MkⅢ 2dr Hardtop.jpg

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(写真73-1abc)1973 Lincoln The Continental MarkⅣ 2dr Harsdtop(1969-08丸紅モータース/環8)
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(写真73-2ab)1973 Lincoln The Continental MkⅣ 2dr Hardtop 1969-08丸紅モータース/環8)
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紛らわしいので1968年、再び登場した「ザ・コンチネンタル・マークⅢ」以下のシリーズは別項とした。「コンチネンタル」の名称は一般の「リンカーン」が使用し来たが、本来の「コンチネンタル」の理念を受け継いでいるわけではなく、ネームバリューを利用しているに過ぎない。1956~57年で終ってしまった本物のスペシャリティ・カーを再現すべく、1968年2月再び登場したのが「ザ・コンチネンタル・マークⅢ」だ。ホイールベースは117.2 インチで、「マークⅡ」の126インチよりかなり短いが、これは「サンダーバード」と共通するシャシーを使用しているためで、高級であるだけでなく、コスト面にも配慮され6,741ドルと、スタンダードの2ドア・ハードトップの5,813ドルより僅か高いだけだ。このシリーズに4ドアは無く すべてが2ドアで、リアにタイヤを立てて搭載する「コンチネンタル・スタイル」こそ本来の姿だ。


     < 海外で >

(写真99-1a~d)1999 Lincoln Continental 4dr Sedan (1999-08 カリフォルニア州/カーメル市内)
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(写真99-2a 1998-99 Lincoln Navigation (初代)   (1999-08 カリフォルニア州/カーメル市内)
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アメリカの街中で捉えたアメリカ車で、背景はカリフォルニア州カーメル市内だ。

     <ストレッチ・リムジン>
(写真09-1abc) 2004-Lincoln Cintinenntal Streych Limousine (2009-05 銀座1丁目・高速道路横)
(199-3a)09-05-18_029 2004 Lincol Continental Streych Limousine.JPG

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(199-3c)09-05-18_033 2004 Lincoln Continental Stretch Limousine.JPG
日本国内でもストレッチ・リムジンを発見した。窓一つ分引き延ばされた比較的おとなしいタイプは、日本の道路事情に合わせた配慮だろう。本来はこの程度のストレッチでゆったりとした室内に補助シートを備えたビップ向けが理想だが、以前ハワイで迎えに来た送迎用の長大なリムジンは中がバーになっており、背をかがめて移動するのに苦労した記憶があり、見た目ばかりで実用的では無いと感じた。

(写真08-1a)1993 Lincoln Continental Strech Limousin(2008-01 シュパイヤー科学技術館/ドイツ)
(199-4a)08-01-14_0888 1999-Lincoln Towncar.JPG
窓二つ分延長するともはや実用ではなく見世物となってしまう。ドアは運転席と一番後ろにしかないから、多分客室はサロン風にアレンジされた僕が経験した車と同じような目的で造られたものだろう。窓一つに対してドアとシートが有れば輸送手段としては使い勝手が良いのだが目的が違うから余計なお世話だ。

(写真04-1a) 1999 Lincoln Continental Strech Limousin  (2004-06 グッドウッド/イギリス)
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最後も同じストレッチ・リムジンで、フェスティバス・オブ・スピードを見るためグッドウッドに向かう途中で立ち寄ったガソリンスタンドで見た光景だ。運転には大型トラックと同じくらいの腕が必要だろう。


       ―― 来月はイギリスのスポーツカー「ロータス」の予定です ――

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第107回 L項-8 「ロータス・1」(マーク1からタイプ14エリートと23エラン迄)

第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)

第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

第103回 L項-4 「ランチャ・1」

第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

第101回 L項-2 「ランチェスター」「ラサール」「リー・フランシス」「レオン・ボレー」「ラ・セード」「ロイト」「ロコモービル」「ローラ」「ロレーヌ・デートリッヒ」

第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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