1961 Lancia Appia Zagato GTE
1900年代初頭から続くイタリアの古い自動車メーカーといえば「フィアット」「アルファロメオ」「ランチャ」が挙げられる。大雑把なイメージとしては「フィアット」は大量生産大衆車、「アルファロメオ」はスポーツカーで、「ランチャ」は先進的で一寸お洒落な車、と言って良いだろうか。この車を生み出したのが1881年生まれの「ヴィンチェンツォ・ランチャ」だ。10代で「チェイラーノ」というオートバイや小型自動車の修理製造工場に見習工として入社したが、1899年この会社が「フィアット」に吸収されて移籍し、新車のテストドライバーとなった。その後メキメキ頭角を現しワークスドライバーの地位を獲得、1904年第1回フローリオ・カップでは「75馬力フィアット」で優勝、その後も1907年、08年にもタルガ・フローリオで2位となっている。その他アメリカに渡って「ヴァンダービルト・カップ」で1905年4位、06年2位となっている。
(参考) 1904 Fiat 75hp (4cyl.10,568cc) ヴィンチェンツォ・ランチャが「フローリオ・カップ」で優勝した車。
このレース活動の最中(さなか)25歳になった1906年11月、トリノで「ランチャ」社を設立、自動車メーカーとしての第一歩をスタートした。「ランチャ」と命名された車の1号車は1908年の「アルファ」で、4気筒SV 2543cc 28hpのエンジンを備えていた。
(参考) 1908 Lancia Alfa Tonnaeu(市販1号車)
(参考) 1908 Lancia Alfa レース仕様車(と言っても外せるのを全部取っ払えば、即「レーシングカー」だ。)
因みに初期の「ランチャ」のモデル名は、ギリシャ文字のアルファベット順に命名されている。 .
(参考) ① Α (アルファ)、② Β (ベータ)、③ Γ (ガンマ)、④ Δ (デルタ)、⑤ Ε (イプシロン)、 ⑥ Ζ (ゼータ)、⑦ Η (イータ)、⑧ Θ(シータ)、⑨ Ι(イオタ)、⑩ Κ(カッパ)、⑪ Λ(ラムダ)、
(01)<初期のレースカー>
(写真01-1a~d)1910 Lancia Tipo55 Corsa (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード)
この車は年式から推定すると1908年の「アルファ」と1911年の「ガンマ」の中間だから「ベータ」となる筈だが「Tipo55」となっている。僕の手元の資料からはこのタイプは確認できなかったが、「アルファ」が「Tipo51」だったから順番から行けば「デルタ」か「イプシロン」辺りだが、レーシングカーとしてアルファベット名が与えられなかったのだろうか。プログラムの説明では4.7 ℓ のこの車はアメリカに渡りヴァンダービルト・カップに出走した後地元の消防署長に寄贈されたとあった。いずれにしてもごく初期に造られた車だ。
(02)<イプシロン>
(写真02-1abc) 1912 Lancia Epsilon Torpedo (2002-02 フランス国立自動車博物館)
1909年から22年にかけては基本的に類似した直列4気筒SVの一連の車が造られた。1909年「ベータ」(3120cc)、1910年「ガンマ」(3460cc)、1911年「デルタ」(4080cc)、1912年「イプシロン」「ゼータ」(4080cc)、1913年「イ-タ」(5030cc)、1914年「シータ」(4951cc)、1915年「イオタ・軍用トラック」(4940cc)、1919年「カッパ」(4951cc)と続いた。写真の車はその一連の中にある車で、ランチャとしては5番目に当てる初期のモデルだが、既に堂々たる貫禄を見せている。
、
(03)<ラムダ> (1922-31)
ランチャは1919年のパリ・サロンに将来を予見する22°V型12気筒6032ccエンジンを出品した。このエンジンは少数造られただけだったが、3年後発表された「トリ・カッパ」にはその流れをくむ22°V8 気筒4595ccエンジンが搭載された。これがその後ランチャの代名詞ともなった「挟角V型エンジン」を積んだ最初の市販車となった。次に登場したのが「ラムダ」で、ランチャの長い歴史の中で最高傑作であり、1920年代のヴィンテージ期の中でも特筆すべき存在で、1920年代10年間にわたって ロングセラーを続けた。
(写真03-0ab) ラムダの挟角V4エンジン
これが「ラムダ」の心臓部、13°V型4気筒2120cc 49hp/3250rpmで、V型と言ってもシリンダーが交互に入り組んだ形だから幅は広くないし長さは短い。
(写真03-1ab) 1923 Lancia Lambda 1a Torpado (2008-01 ドイツ自動車博物館/ミュンヘン)
「ラムダ」は1922年10月のパリ・サロンでデビューした。実際に市販されたのは23年からなので、この車は最初期の車だ。31年まで長期に渡って製造されたので、その間にシリーズ1から9まで進化したが、1923~26年(シリーズ1~6 )2121cc 49hp、1926~28年 (シリーズ7 ) 2375cc 59hp、1928~31年(シリーズ~9 )2569cc 69hp、と3段階でエンジンの排気量が増加している。図で見るように、プレス加工した鋼板で構成された モノコック・ボディは軽量で剛性が高く、前輪独立懸架のサスペンションと共に軽快なこの車の操縦性に貢献している。
(写真03-2a~e) 1924 Lancia Lambda 3a serie (2011-10 ジャパン・クラシック・オートモビル)
この車は車検を取るため付けてあるオレンジのマーカー・ランプが一寸目障りだが、それを除けば素晴らしいコンディションだ。シリーズ1から3にかけて、どのように変化したのかは外見からは見付けられない。初期型の特徴としてはリア・フェンダーの後端が水平に後ろに流れていることだ。
(写真03-3ab) 1925 Lancia Lambda 5a serie Torpado (1998-08 コンコルソ・イタリアーノ)
シリーズ3までは3段だったギアボックスがシリーズ4からは4段シフトに改良された。シリーズ5からは電気系統がマレッリからボッシュに変更された。この車のリア・フェンダーは後端が水平よりも上に跳ね上がっている。
(写真03-4ab) 1927 Lancia Lambda 7a Albany Carrage Co. Airway (1995-08 ペブルビーチ)
斜め前から見た感じでは「ファストバック・クーペ」に見えるが、後ろから見れば、後座席のヘッドスペースを十分に確保した立派な「ベルリーナ」である。ランチャのボディーはモノコックのシャシーに合わせてオープンの「トルペード」(フェートン)しかなかったので、初期にはデタッチャブルのハードトップを付けて居住性を確保する方法が採られていた。しかし「箱型のラムダ」に対する要望が高まり、途中からはコーチビルダー向けに普通のシャシー付きの「ラムダ」も製造した。この車はその恩恵にあずかって生まれた車だが、極めて特殊な特注モデルではないかと思われる。シリーズ7としてはエンジンが新しくなりV型14°2375cc 59hpとなった。
(写真03-5ab) 1928 Lancia Lambda 8a serie Torpado (1999-08 コンコルソ・イタリアーノ)
この車のリアフェンダーはタイヤに沿って半円にカーブしており、前期型の後半が水平に伸びているタイプとは異なる。
(写真03-6ab) 1928 Lancia Lambda 8a serie MM (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)
1928年のミッレミリア出走リストを見ると「ラムダ」は16台も参加しており、完走した6台は3,7,9,11,19,32位となっている。中でも3位に入った車は「スパイダー」となっているので、多分この車だろう。というのは、「ラムダ」は殆どが「トルペード」だからだ。
(写真03-7ab) 1930 Lancia Lambda 8a serie Torpado(2017-10 日本自動車博物館/石川県小松市)
この車の初代オーナーは小石川・三井家と説明されているので、その後日本クラシックカークラブの会長 濱徳太郎氏の下でレストアされた車好きの間では有名なランチャだと思われる 。僕がこの車の存在を初めて知ったのは1950年代の「モーターマガジン」誌に掲載されていた写真で、その時は1930年型となっていた。2013年二玄社刊「昭和の日本自動車見聞録」では同じ車が1928年型となっている。しかし1995年刊「昭和の東京カーウオッチング」の中で、登録番号「80番」と「99番」の車が1929年「ランチャ8a」で、この時7台輸入されたとあるので、三井家の車がその時の1台で1929年型の可能性はあるかもしれない。
(04)<ディラムダ> (1929-31)
(写真04-1ab) 1929 Lancia Dilambda Torpedo (2002-02フランス国立自動車博物館)
「ディラムダ」は「ラムダ」の豪華版として1929年誕生した。エンジンは24°V8 3960cc 100hp/3800rpmと、「ラムダ」のV4 2570cc 69hp に較べると 大型車に相応しく2倍近く強力になっている。シャシーは最初から高級ボディを載せることを想定して、堅牢なフレームが用意され、ホイールベースも2.5インチ延ばされ137インチとなった。そのお陰で写真で見るように堂々たる「トルペード」ボディが架装されているが、クローズドボディの場合は2トン近くになるため、このエンジンではまだ力不足で、期待負けした感はある。この車の生産期間は世界大恐慌の最中で大型高級車にとっては受難の時代っだったがそれでも1685台が販売された。人気は高く生産終了後も1937年まで特注が可能だったとある。
(05)<アストゥーラ> (1931~39)
(参考) 1931~36 Lancja Astura Berlina (1~3serie)
ランチャはその先進的な技術のお陰で一つのモデルが長期間製造され、1920年代は「ラムダ」が中心となった。30年代に入ってからは「アストゥーラ」がそれに変わった。不況を踏まえ「ディラムダ」の後継車「アストゥーラ」は19°V8エンジンだが排気量は2604ccに抑えられた。シリーズ1~3は前期モデルで、見た目も旧態然としたボディだったが、1936年からの後期モデルからがらりと印象が変わるので、僕は撮影して居なかったが参考に資料の旧型の写真を添付した。
・今までモデル名は、ギリシャ文字のアルファベットから付けていたが、このモデルから「ローマへ向かう色々な街道」から採った名前から付けられることになった。
(写真05-1a~d) 1936 Lancia Astura Tipo 233 C Pininfarina (2014-11 トヨタ・クラシックカーフェスタ/神宮)
日本で唯一見ることが出来る「アストゥ-ラ」がトヨタ自動車博物館の所蔵するこの車だ。この車が登場した1936年と言えば、既に空気抵抗を考慮した「流線形」の時代に入っており、外見は一段とモダンになっている。エンジンは33年の3シリーズからは新設計の17.5°V8 2972cc に変わっており、このシャシーを使って多くのカロッツエリアで多種多様なボディが架装された。いろいろな資料で「アストゥーラ」と言うとこの車と同じピニンファリーナ製のカブリオレの写真が使われているが、オーソドックスな「リムジーネ」の写真も参考にご覧いただきたい。
(参考)1937 Lancia Astura Limousine by Pininfarina
(写真05-2ab) 1938 Lancia Astura MM Spider Corsa (2000-11 ミッレミリア/ブレシア)
「アストゥーラ」は車の性格上お洒落で優雅な車は多かったが、そのせいかレース活動はほとんどしていない。数少ない例外がこの車で、戦前最後となった1940年のミッレミリアに1台「Lancia Astura Spider」が出走している。更に戦後の1949年にも再度登場している。造られてから10年もたって居るのにまだ戦闘力があるのは凄いことだ。現在は「MM」と呼ばれているが、ミッレミリアに参加した時はまだ唯の「スパイダー」だった。
(06)<アプリリア> (1937-39/39-49)
「ランチャ」の主力車は1920年代は「ラムダ」、30年代は「アストゥーラ」を中心にほぼ1車種で通した。30年代に入ってからは、大型化した「デラムダ」の下に、「ラムダ」の後継車ともいえる1931-33「アルテーナ」(1924cc)が1931年誕生したが、並行して販売された「アストゥーラ」に人気が集まり33年で生産は中止された。1933年「ランチャ」としては初めてとなる小型車「アウグスタ」(1196cc)が誕生し37年まで造られた。これらの車は日本国内では見る事の出来なかった車種でお馴染みは薄い車だ。次に登場したのが戦前の1936年から戦後の混乱期を経て1949年まで 造られた傑作「アプリリア」である。
(写真06-1ab) 1939(推定) Lancia Aprilia Delivery Van (2001-05 モンツァ・サーキット)
イタリアでグランプリも開催される有名な「モンツァ・サーキット」に行った。サークル内でマーケットが開かれておりそこに置かれていたのがこの車で日本では見る可能性は低い商業車だ。この車は展示車ではないので細かいデータは不明だがホイールから前期型と判定した。リアウインドが2分割だが、両開きのドアの為で旧型だけの特徴とは言えない。
(写真06-2ab) 1938 Lancia Aprilia 4dr Berlina (1994-05 ミッレミリア/ブレシア)
(車真06-3ab)1937-39 Lancia Apurilia 4dr Berlina (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)
「アプリリア」は1937~39年の初期型と39-49年の後期型に分かれる。初期型のエンジンは伝統の狭角 18°V型4気筒で1352cc 47.8hpだったが、39年1486ccとなり後期型となった。「アプリリア」は過去のランチャの良いところをすべて取り込んだような傑作車で、モノコックのお陰で車重は軽く、標準型ベルリーナで880kgしかなかったから、4輪独立懸架のサスペンションと併せてただの実用車でありながら、スポーツサルーンと評価され、誕生翌年の1938年ミッレミリアには24台も参加している。上位は全て大型車が占めているが、1352ccながら14、18,19位に喰い込んでいる。初期型の外見上の特徴は、ルーフからテールにかけて「ひだ」がある。張り合わせではないので強度を得るための補強の為だろう。その為リアウインドは2分割となっている。
(写真06-4ab)1949 Lancia Aprilia 4dr Berlina (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)
この車の特徴は明らかに前期型だが、ボディにペイントされている「Boni.F/Barzizza,M」のドライバー名から参加リストを探すと1949「ランチャ・アプリリア」にたどり着いた。排気量は1486cc とあるので後期型の仕様だ。真後ろから見ると初期のVWにも似ている。 イタリアの解説には時々首をかしげるようなの物に出会う事もあるが、この車は謎の多い車だ。
(写真06-5abc) 1948 Lancia Aprilia 4dr Berlina (2016-08 オートモビル・カウンシル/幕張メッセ)
この車も前項の車と同じく1939年までの前期型の特徴を備えた1948年型だ。前項の例が無ければ1938年の間違えではないかと思ったが、専門店の「ガレーヂ伊太利屋」が、そんな初歩的な間違えをするとは考えられないので、48年でもこのボディの車があったのだろうか。判断に迷う車だ。
(写真06-6ab) 1940 Lancia Aprilia 4dr Berlina (1994-05 ミッレミリア/ブレシア)
この車は間違えなく後期型のボディを持つ車だ。屋根からトランクにかけての「ひだ」は無いのでリアウインドは1枚窓だ。テールの絞りも前期型に較べると緩やかになっている。テールランプは中央一つから左右2個に変わった。やや判りにくいがブレーキドラムの冷却効果を上げるため孔あきホイールに変わった。以上が後期型の変更点だが、全体のプロポーションやピラーレスで観音開きのドアは変わらない。
(07) <アルデア> (1939-53)
(写真07-1abc) 1939 Lancia Ardea Berlina (2001-05 モンツァ・サーキット/イタリア)
1939年登場した「アルデア」は、殆どあらゆる面で「アプリリア」の縮小版といえる。エンジンは19.54°V型4気筒903cc 29.2hp/4300rpmで、歴代で最も小さい。見た目は「アプリリア」とそっくりで一回り小型だが4ドアで使い勝手も良いうえ、スポーティな走りも可能で48年からは5速ギアボックスが装備された。人気があり寿命も長かったにもかかわらず、「アプリリア」の陰に隠れてあまり紹介される機会が無く、知名度は低い。ミニマムの後継車は「アッピア」が引き継いだ。
(写真07-2ab)1936(推定) Lancia Ardea Pickup Truck (2016-08 オートモビル・カウンシル)
年の所為では無いだろうが、最近の僕はこの手の小型トラックにとても惹かれる。正式な展示車ではないので詳しいデータは判らないがホイールなどから戦前型ではないかと推定しした。(ナンバープレートが1336となっているのもくさい)
(08)<アウレリア> (1950~59)
第2次大戦後「ランチャ」が生産を再開した際のラインアップは、1486ccの「アプリリア」と903ccの「アルデア」の2種で、上級車の「アストゥーラ」は39年打ち切られたままで、再開はしなかった。これは一つには戦後の疲弊した社会情勢の中で贅沢より実用と考えれば、あらゆる面で万能な「アプリリア」と小型の「アルデア」で十分と考えた結果だろう。(本格的なフラッグシップが登場するのは1957年の「フラミニア」まで待たなければならない)戦後の自動車業界をリードしたアメリカでは1949-50年頃から純戦後型に変わっていったが、「ランチャ」も1950年の「アウレリア」から、純戦後型が登場した。今回紹介するのは「B10」「B12」「B20」「B22」「B24」「B52」の6種類が登場するがこの並び順がややこしい。大別すると「ベルリーナ」「GTクーペ」「スパイダー」の3シリーズに分かれ、「ベルリーナ」は「B10」「B21」「B22」「B12」の順に登場する。「GT」の「B20」は1991ccの他2451ccは「GT2500」と呼ばれた。「スパイダー/カブリオレ」は「B24」で、ピニンファリナ製は「スパイダー・アメリカ」と呼ばれた。カロセリア向けのセパレート・シャシーは「B21」「B22」をベースに「B51」「B52」として提供された。「B21」「B51」「B20」は1951年に同時に登場するので番号順では判りにくいので、今回は車種別に紹介することとした。
・因みに「アウレリア」の名称は、紀元前241年頃建設された有名なローマへ続く主要街道の一つで、海沿いに北西に走りピサが終点となる。現在は国道1号線となり「アウレリア街道」とよばれている。
(写真08-1abc) 1950 Lancia Aurelia B10 Berlina (2008-01 VWミュージアム/ドイツ)
「ランチャ」としては初の戦後型となるのがこの車だ。主任設計者はアルファロメオで数々の傑作を生みだしてきた「ヴィットリア・ヤーノ」があたり、1950年のトリノ・ショーでデビューした。過去の「ランチャ」から引きついたのは伝統のフロントサスペンションのみで、その他はすべて「ヤーノ」のアイデアにより新設計された。エンジンは従来の狭角V型に代わって60°V6 OHV 1754cc 56hp/4000rpmとなった。
・VWミュージアムに展示されていたこの車は初代「アウレリアB10」だが、何故か 埃だらけで全く手入れがされていないように見えた。何か特別の意図があったの事だろうがその理由は不明だ。
(写真08-2a) 1952 Lancia Aurelia B22 Berlina (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)
1950年登場した「B10」は、翌51年には排気量が1991cc (70hp)に増加し「B21」となった。更に52年には同じエンジンの馬力を90hp迄上げて「B22」となった。「B10」から始まったシリーズはこのモデルを最後に1956年で生産を終了した。.
(写真08-3ab) 1954 Lancia Aurelia B12 GT Berlinetta (2003-01 パリ・レトロモビル)
1954年新たに登場した「B12」は、初代「B10」をベースに再設計された別シリーズで、エンジンも新設計の2266ccとなった。外見では三角窓が付き、フェンダーにあった腕木式の方向指示器が消え、ランプに変わった。56年までに2400台造られた。
(写真08-4ab) 1959 Lancia Aurelia B20S GT Berlinetta (1989-11 モンテミリア/神戸)
1951年、ベルリーナが「B21」となった際、1991ccのこのエンジンを使って2ドアのクーペが造られた。従来のイタリア風に言えば「ベルリネッタ」だが、これを「グランツーリズモ」(GT)と呼んだのは量産車としては初めてだった。
(写真08-5ab) 1954 Lancia Aurelia B20 GT2500 Berlinetta (1977-04 TACSミーティング/筑波)
1954年排気量が2451ccとなり「B20 GT2500」と呼ばれるようになった。ピニンファリナ製のボディには全く変化は見られない。B20全体で3871台が造られた。
(写真08-6ab) 1955 Lancia B24S Convertible (1994-05 ミッレミリア/ブレシア)
「B24」のオープン・シリーズにはオーソドックスの「コンバーチブル」と輸出を目指した「スパイダー・アメリカ」の2種がある。写真の車は「ピニンファリナ」製の端正なコンバーチブルだ。場所はブレシア市内で正面向きの写真で左側の建物の裏が車検場「ヴィットリア広場」だ。
(写真08-7abcd) 1955/56 Lancia Aurelia B24 Spyder America (1998イタリアーノほか)
「B24 スパイダー・アメリカ」はその名の通り、いかにもアメリカ好みのスタイルだ。ラップアラウンドのフロント・ウインドは1954年アメリカで採用されたばかりだが、早速取り入れている。2分割されたバンパーの中央が「ハ」の字に開いているのがこの車を特徴付けている。
(写真08-8abc) 1952 Lancia Aurelia B52 Berlina by Worblaufen (2001-05 モンツァ・サーキット)
「B51」「B52」は「B21」「B22」をベースにセパレート・シャシー仕様にしてコーチビルダーに提供されたモデルだ。あまり聞いたことのないメーカーだがこのほかにオープンモデルも手掛けている。オリジナルとそれほど変わり映えがしないように感じる。
(写真08-9abc) 1952 Lancia Aurelia B52 Coupe by Vignale (2010-7 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)
これは名門「ヴィニアーレ」による「B52」クーペだ。バッジは「アウレリア2000」となっている。ボンネットを絞ったせいか、グリルがオリジナルより小さい上に、周りを囲むクロームの枠が厚すぎて軽快さに欠けるが、テールランプにはヴィニアーレの特徴が見られる。一寸引っ込んだライトはジャガーのXJシリーズを連想させる。
(写真08-10abc) 1952 Lancia Aurelia B52 Vignale Coupe (1995-08 ペブルビーチ/アメリカ)
(参考) 1952 Ferrari 212 Inter by Vignale(そっくりさん)
この車も「ヴィニアーレ」によるスペシャルで、それと言われなければ全く「ランンチャ」のかけらも見当たらない。と言いう事は別に「ランチャ」でなくても、「フェラーリ」でも「マセラティ」でもバッジさえ付け替えれば変身できそうだ。と思って探したら「フェラーリ」の中にかなり似通った1台を見つけたので参考に添付した。
(09)<アッピア> (1953-55/55-59/60-63)
(写真09-1a~d) 1953 Lancia Appia 1a serie Berlina (1959-11 港区・三田周辺)
1953年には最小モデル「アルデア」の後継として戦後型の「アッピア」を登場させた。エンジンは10.14°V4 OHV 1090cc 38hpで日本にも4台輸入された。値段は180万円で当時としてはかなり高額だったという記録がある。この車が誕生した1953年は、それまで厳しかった外貨制限が何故か緩和され、多くの「外車」が輸入された年だ。そのお陰で僕が街中で出会った多くのヨーロッパ車には53年型が多かった。この車はその4台の内の1台ではないかと思われる。なぜならグリルには「SCCJ」(日本スポーツカー・クラブ)のバッジが付いており、しかるべきオーナーのガレージに収まっているからだ。
(写真09-2ab) 1959 Lancia Appia 2a serie Berlina (1989-01 TACSミーティング/明治公園)
1955年エンジンの出力が43.5hpにアップされ「シリーズ2」となった。外観上の大きな変更点は、旧型のイメージは残しつつも、「アプリリア」「アルデア」の流れを継いでいた「シリーズ1」の「ファストバック」から、「ノッチバック」に変わった。バンパーにオーバー・ライダーが付き、パーキングランプが丸形型から角型に変わった。テールランプは2段式で大型になった。
(写真09-3ab) 1963 Lancia Appia 3a serie Berlina (1998-08 コンコルソ・イタリアーノ)
1960年の「シリーズ3」で、エンジンの排気量は変わらないが出力は48hp迄上がり、最高速度も10キロ上がって130キロとなった。ボディは時代に合わせた全く新しいデザインに変わり、伝統の「お面」は姿を消し「フラミニア」の流れをくむ顔に変わった。
(写真09-4ab) 1957 Lancia Appia GT Zagato (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)
「アッピア」は「シリーズ2」に入ると、コーチビルダーによるスペシャル・ボディを登場させた。「ピニンファリナ」の「クーペ」、「ヴィニアーレ」の「カブリオレ」と、「ザガート」による「GT」の3種だった。ザガートの「GT」は1956年トリノ・ショーでデビューし57年からカタログモデルとして市販された。59年からは「GTE」に変わったので2年限りで約150台が製造された。ヘッドライトにカバーの無いのが「GT」で、カバーがある写真の車は「GTS」ご呼ばれた。ミッレミリアに集まる地元の観客は誰もが洒落だ。
(写真09-5ab) 1959 Lancia Appia GTE Zagato (1988-11 モンテミリア/神戸ポートアイランド)
1958年発表され、59年から市販が開始されたのが「GTE」だ。「E」はEsportazione(輸出)の意味で、ロングホイールベースのEstendere(延ばす)では無かった。典型的な「ザガート・ボディ」で小型車にはヘッドクリアランスを確保するため屋根にこぶがあり「ダブル・バブル」と呼ばれザガートの特徴となっている1960年以降はイタリア国内での法規改正により「プレシキガラス」のカバーは廃止されたので、このモデルもほぼ1年限りのレア・モデルだ。
(写真09-6ab) 1961 Lancia Appia GTE Zagato (1995-08) コンコルソ・イタリアーノ)
ヘッドライト・カバーが取れた後のモデルがこの車で、全体にはほとんど変わらないが、ヘッドライトの位置が僅かに前進している。「GTE」は全部で約200台が製造された。
(写真09-7abc) 1961 Lancia Appia Sport Zagato (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ)
「ザガート」の「GT」シリーズの最後のモデルが1961年から63年まで造られたこの車で、サルーンと同じ2510mmの「GTE」より160mm短縮された2350mmのショートホイールベースとなり、重量も20kg 軽減され、出力も60psにアップしたから走行性能は格段に向上し、シリーズ中最強のこのモデルは「スポルト」と呼ばれた。
(10)<フラミニア> (1957~70)
(写真10-1a~d) 1960 Lancia Flaminia Pininfarina Berlina (1960-01 港区・三田綱町)
この車は1960年イタリア大使館に納入された大使用の公用車だ。○外の文字がそれを示している。「2830」という末尾が「0」のナンバーも大使の公用車の証(あかし)だ。僕は末尾が「0」の青ナンバーの車を19台撮影して居るが、その内5台は大使の公用車では無かったから、原則大使の公用車の末尾には「0」が割り当てられるが、それ以外でも順番で「0」はあるようだ。 イタリア大使館は芝三田2丁目にあった。正面写真の後方突き当りが三田の電車通り(桜田通り)で、ここを右に曲がって50メートル先が当時の僕の勤務先だった。後ろ姿からは坂を上っているのが判るが、この先すぐ左が大使館の入り口だ。傾斜地の敷地は入口の高さを基準に整地されているから、その敷地を基準に建てられた塀は、右側の塀のように坂を上るほど、道路に対して塀は低くなり、中がのぞきやすくなる。と言う訳で後半の2枚の写真は道路から塀越しに大使館の中の車庫を「盗撮?」したものだ。(車庫は塀のすぐ下にあった) 今考えると、よくも咎められなかったものだと、冷や汗ものだ。
(写真10-2a~d) 1968 Lancia Flaminia 2.8 Pininfarina Berlina(1978-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
大使の車と同じものが東京の町に現れた。「フラミニア」は僕が大好きな車で、特にピニンファリナのこのタイプが一番好みだ。この車の後ろ姿の特徴はルーフから続く左右のテールフィンで、これは知る人ぞ知る1954年、映画監督の「ロベルト・ロッセリーニ」が女優「イングリット・バーグマン」にプレゼントするためピニンファリナに特注した「バーグマン・クーペ」と呼ばれる車で最初に試みられたデザインだ。日本でも「いすゞベレル」の一寸その影響が見られた。
(写真10-3abc) 1962 Lancia Flaminia GT 3C Touring(2018-08 オートモビル・カウンシル/幕張)
(写真10-3def) 1958 Lancia Flaminia GTL 3C 2+2 Touring (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)
「フラミニア」は架装するカロセリアによって3つに分かれ、搭載するエンジンの仕様によっても3つに分かれる。「ベルリーナ」「クーペ」は「ピニンファリナ」、「GT/GTL」「コンバーチブル」は「トゥーリング」、「スポルト/スペル・スポルト」は「ザガート」が担当した。一方エンジンは排気量では2458ccが1964年から2775ccとなるが、それぞれチューニングによって「標準型」「3B」「3C」となる。その名称の違いはキャブレターにあり「3」はその数、「B」は「ツインバレル・ソレックス、「C」は「ダブルチョーク・ウエーバー」が装備されていることを示している、と推定した。
(写真10-4abc) 1962 Lancia Flaminia 3C 2.5 Convertible Touring (2018-03 コンコルソ・デラガンツァ/京都)
(写真10-4de) 1962 Lancia Flaminia 3C 2.5 Convertible Touring (2018-04 ジャパン・クラシック・オートモビル/日本橋)
ツーリング製の「コンバーチブル」のプロポーションは金属性の屋根が付いた「GT」とほとんど変わらず、たるみもなくびしっと決まっている。トゥーリングのこのシリーズは、テールランプの大きな三角形が印象的だ。
(写真10-5)1961 Lancia Flaminia Sport Zagato (1988-11 モンテミリア/ポートアイランド)
(写真10-5ab) 1959 Lancia Flaminia Sport Zagato(2009-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)
(写真10-5cde) 1962 Lancia Flaminia Sport Zagato (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
「ザガート」が造った「フラミニア」には3つのタイプがある。後述する「スペル・スポルト」を除いて前期型の「スポルト」にはヘッドライトがむきだしのものと、カバーの中に入っている物の2種だが、文献によるとむき出しの方が後となっている。しかし僕が撮影した車に書かれていた年式からはそれが当てはまらない。前期型はお尻が丸いのが特徴だ。
(写真10-6abc) 1967 KLancia Flaminia Super Sport Zagato (1998-08 ペブルビーチ/アメリカ)
最後は1964年から登場した2778cc 152hpのエンジンを搭載した「スペル・スポルト」だ。ザガート製は全てが標準より355mm短い 2515mmのショートシャシーに架装されている。後期型の「スペル・スポルト」の外見上の特徴はヘッドライトの収納スペースの先端が尖っていること、テール部分が切り落とした形の「コーダ・トロンカ」と呼ばれるタイプになったことだ。
(あとがき)今回対象を拾い出して数えたら330コマもあったので2分割した。コマ数を減らすため同一車種は極力一種に絞り、原則一種2枚とし50コマ程消去したが、それでも120コマまでしか絞れなかった。
―――と言う訳で、次回も「ランチャ」が続きます ―――