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第105回 Automobile Council 2021
2021.4.27

 今回は、コロナ禍のため数多くのイベントが中止あるいは延期を余儀なくされる折、昨年に引き続き、万全のコロナウイルス感染拡大防止策を講じて、4月9日(金)~11日(日)の3日間、幕張メッセで開催された「AUTOMOBILE COUNCIL 2021」を紹介する。

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◆主催者テーマ「時代を進めたラリーカーの戦闘美」として、ランチア、フィアットの4台、ニッサン4台、スバル2台が展示された。

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ランチア ラリー 037 エボリューション2。1983年は「ランチア ラリー」が後輪駆動ながら、僅差でアウディ クワトロを退けマニファクチャラーズタイトルを獲得したが、1984年には1勝しかできず、強化されたクワトロがタイトルを獲得している。展示車は1984年にアッティリオ・ベッテガ(Attilio Bettega)のドライブでアクロポリスラリー4位入賞を果たした実績を持つ。

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ランチア ラリーの透視図。1995cc直列4気筒DOHC 16バルブ、スーパーチャージャー 205hp/7000rpm、23.0kg-m/5000rpmエンジン+ZF5速MTをリアミッドシップに積む。

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ランチア ストラトス HF Gr.4。1974、75、76年と3年連続でWRC(FIA World Rally Championship:世界ラリー選手権)マニファクチャラーズタイトルをランチアにもたらした名機。このクルマは1981年スペインラリー選手権、1982年にはスペインツーリングカー選手権を戦い、シリーズチャンピオンとなった実績を持つ。

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ランチア フルビア クーペ 1.6HF。狭角V型4気筒エンジンを縦置きするFWDクーペは、ランチアのレース部門が実戦に使用したワークスカーで18台製造されたうち最後の1台。1974年のイーストアフリカン サファリラリーに参戦し11位でフィニッシュした実績を持つ。

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フィアット アバルト131ラリー。2L直列4気筒16バルブエンジンをフロントに積み、後輪を駆動する平凡なレイアウトだが、1976年シーズンの途中から参戦すると、1977、78、80年の3回にわたりマニファクチャラーズタイトルをフィアットにもたらした名機。このクルマは1977年のモンテカルロラリーで2位となった実績を持つ。

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これは1983年?にガレージ伊太利屋が発行したランチアの総合カタログ(フォルダー)の表紙。4世代にわたるチャンピオンカー、左からアウレリアGT、フルビアクーペHF、ストラトス、ラリー。カタログにはランチア ラリーのロードゴーイングバージョンが980万円と記載されている。

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これは1977年?にフィアット アバルト131ラリーがWRCのマニファクチャラーズタイトルを獲得したことを祝って、当時フィアット、ランチア日本総代理店であった東邦モーターズが発行したシート。裏面にはフィアット131スーパーミラフィオリ(254.7万円)、フィアットX1/9(236.7万円)、ランチアベータクーペ(342.7万円)が紹介されている。

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1970年ダットサン ブルーバード 1600SSS。1970年の東アフリカサファリラリーで総合1、2、4位を獲得、総合優勝に加えて、クラス、チームの3冠完全制覇を日本車として初めて達成した。これは総距離5432km、全区間を通じてのアベレージが98.7km/hと高速に設定されたサファリラリーで優勝したクルマそのものである。

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1972年ダットサン 240Z。1972年、雪と氷のモンテカルロラリーで、FFのミニやシトロエンDS、RRのポルシェ911やアルピーヌA110などが活躍し、FRは不利と言われていた時代に3位に入賞したのがこのクルマであった。日本車の優秀さを世界に知らしめた傑作車だ。

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1982年ダットサン バイオレット GT。1979~82年にかけて、サファリラリーで史上初の4連覇という偉業を達成したのがバイオレットGTであった。このクルマは1982年サファリラリーの優勝車で、グループ4チューンの2L直列4気筒DOHC16バルブエンジンは230ps/28.0kg-mを発生した。

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1982年ニッサン 240RS。3代目シルビア(S110型)をベースにグループB仕様に仕立てたのが240RS。エンジンはFJ24型2340cc直列4気筒DOHC 16バルブNA 275psを積む。WRCデビューは1983年のモンテカルロラリーで総合14位であった。1983年のニュージーランドラリーでは2位、1985年サファリラリーでは3位に入賞している。展示されたクルマは、日産名車再生クラブによって、モンテカルロラリーにデビュー時の姿にレストアされたレプリカ。

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ニッサン 240RSのカタログ。25cm×30cm、16ページの立派なカタログはこの手のクルマとしては非常に珍しい。カタログに記載されたスペックでは、FJ24型2340cc直列4気筒DOHC16バルブ、ツインSolex 50 PHHキャブレター240ps/7200rpm、24.0kg-m/6000rpmエンジン+Borg & Beck製ツインプレートクラッチ+5速MTを積み、車両重量970kg、最高速度200km/hとある。

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1998年スバル インプレッサ555WRC。これは1998年サンレモラリー出場車。1995~97年の3年連続でマニファクチャラーズタイトルを獲得してきたが、1998年にはランサーエボリューションにその座を奪われてしまった。

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2008年スバル インプレッサWRC。1997年にマニファクチャラーズタイトルを獲得したのを最後に低迷していたスバルが、2008年シーズン途中のアクロポリスラリーから投入したのが、ハッチバックのインプレッサWRC(コードネームS14)で、エンジン以外はほとんど新設計であった。戦績はデビュー戦で2位と幸先の良いスタートを切ったが、マニファクチャラーズタイトル獲得には至らなかった。

◆特別展示「マツダ、ルマン優勝への軌跡」

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1991年6月23日午後4時、第59回ルマン24時間耐久レースで念願の総合優勝を果たしたマツダ787B。1974年、マツダスピードの前身であるマツダオート東京が「シグマMC74」で初参加。次が1979年。そして1981年から毎年挑戦を続け、13回目にして手にした栄冠であった。下段は当時マツダが発行した冊子の表紙。

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上の2点は787Bとともに展示されていたルマンカー。上段は1982年マツダRX-7 254で、マツダ車に初完走(14位)をもたらしたマシーン。参加形態はTWR(Tom Walkinshaw Racing:トム・ウォーキンショー・レーシング)とのジョイントベンチャーで、カテゴリーはIMSA・GTXであった。ちなみに、この年はグループC元年で、ポルシェ956が圧倒的な強さで表彰台を独占した年であった。下段は1985年マツダ737C。1983年からマツダはグループCカー(といっても下位カテゴリーのCジュニア、またはC2と呼ばれるクラス)で参戦を始めたが、737Cはその進化型で、ボディーデザインはムーンクラフト。2台エントリーしたがクラス3位(総合19位)とクラス6位(総合24位)であった。

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ルマンに挑戦したマツダのロータリーレーサーたち。1974年、1979年、さらに1981年からがマツダワークスとして参戦したマシーン。オレンジの枠で囲んだのが今回展示されたRX-7 254と737C。(「POLE POSITION」Vol. 22より)。

◆「AUTOMOBILE COUNCIL 2021 CAR OF THE YEAR」

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来場者の投票によって決定される「AUTOMOBILE COUNCIL 2021 CAR OF THE YEAR」に選ばれたのは、ガレージ伊太利屋出展の「1969年Lancia Fulvia Sport Zagato Competizione」であった。(Photo:Automobile Council 2021)。

◆ヤナセ/ヤナセクラシックカーセンター

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ヤナセの企業理念を具現化するひとつとして、乗って楽しむクラシックカーを提供する。ということで、毎年積極的に情報発信しているのがヤナセで、楽しみなコーナーである。今後はメルセデスに限らず、これまでヤナセが取り扱ってきたフォルクスワーゲンやアウディのレストアも行う予定だという。

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この1958年メルセデス・ベンツ190SL(W121)は、ヤナセクラシックカーセンターとしてエンジン、トランスミッションのオーバーホールから、ボディー色の変更、内装の張替えまで行った完全なフルレストア第1作で、Automobile Councilには2019年にレストア作業未着手の状態、2020年にはボディー色変更後の状態で展示されていた。

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1953年メルセデス・ベンツ220(W187)。1951年4月、第2次世界大戦後はじめて開催されたフランクフルト国際モーターショーで発表されたモデルで、現在まで綿々と続くSクラスの初代モデルとなった。1954年に生産終了されるまでに1万6066台生産されている。

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メルセデス・ベンツ220のカタログ。2195cc直列6気筒SOHC 80ps/4600rpmエンジン+4速MTを積み、最高速度140km/hであった。セダンのほかにしゃれたカブリオレもラインアップされていた。

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ヤナセが出展した珍しいクルマ「フォーミュラ Vee」。VはVolkswagenのV。1962年にアメリカでフォルクスワーゲンのディーラーを経営するフュバート・ブランデージ(Hubert Brundage)は自分の小さなレースカーにビートルのエンジンを積むというアイデアを思い付いた。もう一人のアメリカ人、空軍大佐のスミス(Smith)はすでにフォルクスワーゲンのパーツを使って組み立てたシングルシーターのクルマを持っていた。
 1963年には全米のレース活動を統括するSCCA(Sports Car Club of America)の承認を得ると同時に、使用する部品の改造範囲などを厳密に規定したことでマシーンの性能が統一され、レーサーの腕の差だけが勝敗を分け、しかも莫大な費用をかけずにプロのレースに参入することを可能にするフォーミュラVeeの魅力に引き付けられ、これまでに約7800台のフォーミュラVeeが生産されたと言われる。また、レーサーにとっての登竜門でもあり、多くの著名なレーサーを生みだしている。
 展示車は1967年11月に東京・晴海で開催された第9回東京オートショーに出展されたが、残念ながらあまり注目されなかったようだ。

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アメリカでのフォーミュラVeeレースシーン。(Photo:Volkswagen AG)。

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フォーミュラVeeはヨーロッパへも広がっていくが、ヨーロッパで最初に乗ったのは、1966年からヨーロッパヒルクライム選手権で3連覇を達成したゲルハルト・ミッター(Gerhard Karl Mitter)だと言われる。写真は1965年に開催されたエーベルバッハ(Eberbach)マウンテンレースでの1.2LフォーミュラVeeとゲルハルト・ミッター。5年後の1970年に95馬力にチューンされたビートルエンジンを搭載した約3000台のフォーミュラVeeが、新世代のドライバーのために世界のレーストラックを征服することを想像した人はいなかったであろう。(Photo:Volkswagen AG)。

◆その他、目に留まったもの、気になったもの。たくさんあるが、ほんの一部を紹介する。

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ジャガー・ランドローバー・ジャパンは毎年出展しており、今年はジャガーFタイプとランドローバーディフェンダーを展示していたが、それとは別にジャガーカークラブオブジャパン誕生50周年を記念して展示されていたのが、この1952年XK120ロードスターと1953年XK120フィクスドヘッドクーペ。他に1963年EタイプロードスターS1 3.8、1962年Eタイプ・レーシングモディファイドクーペ。そしてサルーン代表として1972年デイムラーダブルシックスの5台が展示されていた。

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昨年から登場していて、ちょっと気になっていたのが「デビッドブラウン・ミニ・リマスタード(David Brown Mini Remastered)」。デビッドブラウンとあるがアストンマーチンとは全く関係は無く、たまたま創業者が同姓同名だったとのこと。旧いMINIをオリジナルに忠実にレストアするのではなく、最先端技術と利便性、伝統的英国クラフトマンシップを融合して蘇らせるというもの。価格は1400万円から。

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思わずうっとりと見入ってしまう1965年アルファロメオ2600ツーリングスパイダー。1380万円のプライスタグが付いていた。

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上の2点は「M-BASE」第103回で紹介したフィアットアバルト750が2台も出展されていた。上段は1960年750GT Spider Zagato。下段は750GT で価格は1500万円。

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アメリカ車の出展は少なく、これは1969年型シボレーカマロZ28。価格は858万円。

◆スポンサー展示、マルシェ
 今年は三越伊勢丹がスポンサーとなり、出店してシャンパン、スコッチウイスキー、男性化粧品、ブティックなどの展示即売を行っていた。もちろん三樹書房は毎回出店している。

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◆最後に出展車の価格をいくつか紹介しておく
1970年トヨタ2000GT:1億円、1962年スバル360(でめきん):550万円、1964年ニッサンセドリック2800スペシャル(フルレストア車):880万円、1995年ニッサンスカイラインGT-R(R32)(実走1800km):2200万円、1968年ニッサンフェアレディ2000(レストア、OH済):715万円、1962年トヨタクラウン1900DX:462万円、1963年マツダR360クーペ(フルレストア、AT):320万円、1993年アルファロメオRZ:880万円、1995年ポルシェ993:990万円、2007年シトロエンC6:285万円、1971年ポルシェ911E:1600万円、1974年ポルシェ911カレラ2.7:3000万円、1962年ロータスエリートSr2:580万円、1972年ロータスエラン プラス2:400万円、1978年ロータスエスプリ:720万円、1998年ロータスエリーゼ:440万円、2005年ジャガーXK8クーペ:328万円、2004年アストンマーチンDB8:698万円、1997年メルセデス・ベンツG320ショート:598万円、1970年ニッサンフェアレディZ432:3500万円、プジョー406クーペ:100万円。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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