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designhistory
第2回 自動車会社でのデザイナーの役割(後編)
2021.3. 1

自動車会社のデザイナーとして、期日までに業務内容の目標を達成することは基本であるが、そのためにはデザインマネージメントが重要になる。
まず、上司であるマネージャーと部下の間で職務の内容などを記したジョブ・ディスクリプション(職務記載書)を作成し、作業を進めていく。記載項目としては、「職務のポジション名」「目的」「責任」「内容と範囲」「求められるスキルや技能」「資格」などである。
特に、「どのような業務を行なうのか」「どの範囲まで行なうのか」といった内容については詳しく記述し、マネージャーはそれをもとに業務の管理をするので、デザインについて
理解をしているマネージャーでないと、部下と適正なジョブ・ディスクリプションをつくることはできない。
マネージャーの仕事は、経営目標を達成するために、経営資源を最も効果的に活用し、プロセスを工夫して成果を上げることである。経営資源とは人・物(時間・空間)・金・情報・信用(ブランド)である。

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最後の信用(ブランド)だけは企業内には蓄積されず、顧客・ユーザーの心の中にしか蓄積されない。蓄積とは、「あの企業は私たちユーザーが期待している商品をいつも提供してくれる。いつでも安心して誇りを持って所有し、使うことができる」など、ユーザーの満足感と信頼関係が続くことである。これは企業にとって、ユーザーに認めてもらった証拠であり、最も重要な存在意義といえる。ただ、これを構築するためには大変な時間と労力が必要で、常に時代を読み、ユーザーが持っている潜在意識を注視しなければならない。これもデザイナーに必要不可欠な能力である。注意しなければならないのは、信用(ブランド)を壊すのは一瞬であるということである。100年を越えるような長い時間と努力を重ねてつくり上げた信頼(ブランド)も、ユーザーの期待を裏切るようなことを起こすと、簡単に崩れてしまう。当然のことだがコンプライアンスに関しては、細心の注意を払う必要がある。
さらに、プロセスを工夫して、現状分析・問題発見・目標設定・原因追求・対策立案、進行管理、成果発表・評価、修正・歯止めのサイクルを常に回し続け、変わりゆく時代の変化を捉えつつ、現状とのズレを補正し改善することが、企業内デザイナーに課せられた重要な仕事、役割である。

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20世紀の開発プロセスは商品企画・デザイン・設計・生産・宣伝・販売・サービスと直線状に流れていた。

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ところが、21世紀になりデジタル化が加速するにしたがい、車両開発のプロセスも大きく変化していった。企画・デザインがほぼ同時に始まり、デザインが出図すると一斉に、設計・生産・宣伝・販売・サービスが具体的な作業が開始される。

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もちろん設計・生産などは、デザインが決定する前の段階から様々な打ち合わせを繰り返し、デザインが確定した時点ですぐに具体的な作業がスタートできるように進められ、宣伝・販売に使われる、カタログやコマーシャルもデザインの出図したデータから、バーチャルでつくられる。以前は、試作車をつくり、それをスタジオで撮影し、カタログがつくられ、コマーシャルは海外の景色の良い所まで試作車を運び、そこで撮影し映像をつくっていた。屋外での撮影は天候やその地域の状況に左右され、時間やコストも不確定で、スケジュールもかなりの日程が必要であった。
それが現在では、ほとんどバーチャルで、画面の中で車両コンセプトに照らし合わせた映像が制作できる。不確定要素が削ぎ取られ計画が立てやすく、製作誤差もかなり削減され精度が上がった。手で描いていた図面の精度は1/100くらいであったが、それがデジタル化で1/1000まで精度が上がり、金型もそれをベースにプレス要件を盛り込めば、NCマシーンが切削してくれる。1/100の精度の手書き図面だと辻褄が合っていないところもあり、デザイナーが工場まで確認に行き、でき上がった金型が意図した形状でなければ、ヤスリで金型を削ることも何度かあったが、そのような作業もなくなった。
手作業から機械に置き換えられることにより、画期的に作業時間短縮と精度の向上、コストの削減が図られ、ある意味、デザイナー本来の仕事であるアイデア開発、立体造形に時間がかけられるようになった。

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図面作業はデジタル作業の専門家のデジタルモデラに課せられることになり、それぞれの知恵と工夫で効率的に仕事をこなすことができるようになった。大きな働き方改革といえるであろう。

外板のデザイン作業が一段落すると、今度はランプやマークなどの小物部品のデザイン作業に移っていく。
これも同じように手で図面を描いていた頃には、細部まで丁寧に描いた絵をクレーモデルに貼り付け、課内で検討を重ね、図面を描き、木型モデルをつくり、確認して問題なければ出図するという順で作業が進められていた。当時のリヤーコンビネーションランプは、ランプ周りにリムを設け、そこに外板に取り付けるためのボスを立てる。そのランプ周りのリムがボスを立てるために太く大きくなる。それはデザイナーとしては耐えられない。なんとかもっと細くならないか、設計屋さんの担当者のところに行ってボスの大きさや、樹脂の厚みがもっとコンパクトにならないかを交渉する。設計屋さんは、万一走行中に外れたり雨水が染み込んだりしてトランク内に水が入るようなことがあると大問題になるので、そう簡単には譲ってくれない。そこを粘り強く交渉して、1ミリでもコンマ数ミリでも小さくなるように頼み込む。そうすると設計屋さんも新しいアイデアを出してくれて、なんとかお互いの合意点を見つけ、デザイン図面に盛り込んで完成させた。ランプ関係は、道路交通法も満たさなければ、自動車としては成り立たない。大きさ、明るさ、リフレクターの取り付け位置など、様々な要件を作図し、確認しながら進めた。時には、部品協力メーカーさんのところに出向き、何か新しい技術や工法がないか自分でも調べながらデザインを進めていった。
大勢で仕事をしているわけではないので、皆で手分けをして、部品の大きさに関係なく、手に持った部品を順にデザインしていく、皆忙しく走り回っているので聞いてもそんなに簡単には教えてくれない。自分で調べるしかなかった。こうして車両ができ上がったときはうれしくて、新人の頃など、実車になって発売された際、どんな方が運転されているのか見たくてそのクルマの後をついて行ったほどであった。
前述したように、デジタル化は車両開発に大きな変化をもたらしたが、企画し、デザインし、設計・生産し、宣伝・販売、サービスを担うのは、やはり「人」である。一台のクルマが完成し、ユーザーに届くときの喜び、高揚感は、変わることはない。

写真:トヨタ株式会社/木村デザイン研究所

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執筆者プロフィール

木村 徹(きむらとおる)
1951年1月17日、奈良県生まれ。武蔵野美術大学を卒業し、1973年トヨタ自動車工業株式会社に入社。
米CALTY DESIGN RESEARCH,INC.に3年間出向の後、トヨタ自動車株式会社の外形デザイン室に所属。
ハリアーなどの制作チームに参加し、アルテッツァ、IS2000 などでは、グッドデザイン賞、ゴールデンマーカー賞、日本カーオブザイヤーなど、受賞多数。愛知万博のトヨタパビリオンで公開されたi-unitのデザインもチームでまとめた。
同社デザイン部長を経て、2005年4月から国立大学法人名古屋工業大学大学院教授として、インダストリアルデザイン、デザインマネージメントなどの教鞭を執る。
2012年4月から川崎重工業株式会社モーターサイクル&エンジンカンパニーのチーフ・リエゾン・オフィサーを務める。その他、グッドデザイン賞審査員、(社)自動車技術会デザイン部門委員会委員(自動車技術会フェローエンジニア)、日本デザイン学会評議員、日本自動車殿堂審査員(特定非営利活動法人)、愛知県能力開発審議委員会委員長、中部経済産業局技術審査委員会委員長、豊田市景観基本計画策定有識者会議委員など過去、公職多数。
現在は、名古屋芸術大学、静岡文化芸術大学、名古屋工業大学で非常勤講師として教鞭を執る。

木村デザイン研究所

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