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第103回 アバルト(ABARTH)
2021.2.27

今回は、「ABARTH DAYS 2020」の記事を目にしたので、初期のアバルトのカタログをファイルから引き出してみた。ただ、アバルトの車種はあまりにも多く、筆者の手元にあるカタログはほんの一部です。

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上の2点は昨年11月7日(土)に大磯ロングビーチで開催された「ABARTH DAYS 2020」の様子。舞台の上にはお披露目された「アバルト595スコルピオーネオーロ(Scorpioneoro)」と、クルマの右に立つのは、この日も信じられないようなマジックで楽しませてくれたであろう、イリュージョニストのセロさん。参加希望は900件を超えたが、コロナ禍のいま、感染予防のため抽選によって来場者数を200名に限定して開催された。「サソリ」たちがみんな舞台のほうを向いて並んでいるのも、ステージイベントは感染予防のためドライブイン方式で行われたためで、音声はラジオ回線で聴ける設備が用意された。
 ABARTH DAYSが毎年11月に開催されるのは、アバルト社(ABARTH & C.)の創始者カルロ・アバルト(Carlo Abarth)の誕生月に合わせているため。エンブレムがさそり(スコルピオーネ:Scorpione)なのは、占星術を信じていたカルロ・アバルトの誕生星座がさそり座であったのにちなむ。

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上の5点は、1964年にアバルト社から贈られた年鑑「L'ANNATA AUTOMOBILISTICA 62/63」のアバルトに関する記事の一部。ここには34頁にわたってアバルトの歴史が特集記事として紹介されていた。
 カルロ・アバルトは1908年にオーストリアのウイーンで生まれた。1928年、19歳の時オーストリアのザルツブルクで開催されたモーターサイクルレースに中古のグリンドレイ・ピアレス(Grindlay-Peerless)をレストアして参加して優勝したのを皮切りに、モーターサイクルレースで活躍するが、大きなアクシデントを機に4輪車に転向することを決断し、チシタリア(Cisitalia:Compagnia Industriale Sportiva Italia)の開発に参画する。1949年に倒産したチシタリア社をパートナーのアルマンド・スカリアリーニ(Armando Scagliarini)と共に購入しアバルト社を設立した。フィアットの援助を受けて生産されたフィアット・アバルトはレースにおいて数えきれないほどの総合あるいはクラス優勝を勝ち取った。また、アバルトは数多くの国際スピード記録を樹立している。しかし、1971年8月、順風満帆であったアバルト社をカルロ・アバルトとパートナーのカルロ・スカリアーニ(Carlo Scagliarini:アルマンドの息子)はフィアット社(Fiat S.p.A.)に売却してしまった。カルロ・アバルトは商品企画コンサルタントとして残ったが、1979年10月に胃がんで亡くなっている。
 以下に1950年代終わりから1960年代中頃のアバルトのカタログを紹介する。

● 1958年に発行されたフィアット アバルト750の英語版カタログ

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トリノのコルソ マルケ38に完成した新拠点の前には「イタリアを離れる準備ができているクルマたち」が並ぶ。建物の中にも完成車が並ぶが、この場所はすぐに試作部門に占有されることになる。エンジンの組み立てとテストベンチにあるのは750レコルド・モンツァ用のビアルベーロ(Bialbero:Dual -camshaft)エンジンであろう。

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上段は1958年に登場した「フィアット アバルト750デュアル・カムシャフト」。これは英語版での呼称で、別名「フィアット アバルト750レコルド モンツァ/ザガート」。747cc直列4気筒DOHC Weber 32DCL3キャブレター×2基、圧縮比9.7:1、51hp/7000rpm、7.0m-kg/5000rpmエンジン+4速MTをリアに積み、最高速度180km/h。サイズはホイールベース2000mm、全長3470mm、全幅1350mm、全高1140mm、車両重量570kg、2人乗り。
 下段は「フィアット アバルト750クーペ」。これは1957年に登場した別名「フィアット アバルト750クーペ/ザガート シリーズⅢ」。747cc直列4気筒OHV Weber 32IMPEキャブレター、圧縮比9.8:1、43hp/5800rpm、6.2m-kg/5000rpmエンジン+4速MTを積み、最高速度150km/h。サイズはホイールベース2000mm、全長3480mm、全幅1340mm、全高1190mm、車両重量535kg、2人乗り。

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上段は「フィアット アバルト750スパイダー」。これは1958年春に完成した「フィアット アバルト750スパイダー/アレマーノ シリーズⅠ」。ボディーはミケロッティ(Michelotti)がデザインしアレマーノ(Allemano)で製作されている。エンジンは上のクーペと同じものを積み、最高速度148km/h。サイズはホイールベース2000mm、全長3525mm、全幅1390mm、全高1200mm、車両重量550kg、2人乗り。
 下段は1956年に登場した「フィアット アバルト750セダン(ベルリーナ)」。フィアット600をベースに747cc直列4気筒OHV Weber 32IMPEキャブレター、圧縮比9.1:1、41.5hp/5500rpm、5.5m-kg/4000rpmエンジン+4速MTを積み、最高速度130km/h。サイズはホイールベース2000mm、全長3215mm、全幅1380mm、全高1405mm、車両重量585kg、4人乗り。マイナーチェンジを受けながら1964年まで販売された人気モデル。ボディーカラーはベージュであるが、白塗りが採用されるのは1958年に登場したシリーズⅡからであった。
 750のエンジンは1955年に登場したフィアット600の633cc 22hp/4600rpmエンジンをベースに、ボアを60mm⇒61mmに拡大、ストロークを56mm⇒64mmに伸ばして747ccとし、そのためクランクシャフトは鋼棒から削り出したものを採用。シリンダーヘッドのインレットポート拡大、インテークマニフォールドを交換してキャブレターの口径を22mm⇒32mmに変更、バルブスプリング交換、吸排気バルブ径を2mm拡大、カムシャフト交換、特製軽合金製オイルサンプ採用でオイル容量増加などの改造が加えられた。そして排気系にはアバルトの鋼管製マニフォールドと2連テールパイプのマフラーが付く。

● 1959年フィアット アバルト850クーペの英語版カタログ

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正式名称は「フィアット アバルト850クーペ スコルピオーネ(Scorpione)」で、スコルピオーネと命名された最初のモデル。ボディーはミケロッティがデザインし、アレマーノで製作された美しいクーペで、前回紹介した「コンテッサ900スプリント」に酷似している。エンジンはフィアット600のエンジンをベースに、ボア×ストロークを62×69mmまで拡大して833cc OHV Weber 32IMPEキャブレター、圧縮比9.0:1、52hp/6000rpm、7.1m-kg/4500rpm+4速MTを積み、最高速度160km/h。サイズはホイールベース2000mm、全長3600mm、全幅1420mm、全高1190mm、車両重量600kg、シートは2+2。なお、同時期にミケロッティがデザインし、アレマーノで製作されたオープンモデルのスパイダー リビエラも発売されている。

● 1962年?フィアット アバルト850スパイダー リビエラ/クーペ スコルピオーネの英語版カタログ

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1962年にアバルト社から送られてきた「フィアット アバルト850スパイダー リビエラ/クーペ スコルピオーネ」のカタログ。ミケロッティがデザインし、アレマーノで製作された美しいスパイダーとクーペで、エンジンは760、800、850の3種類が設定されているとあるが、スペック表には760エンジンの記載は無い。800のエンジンは785cc(ボア×ストローク:62.5×64mm)直列4気筒OHV Weber 26IM1キャブレター、圧縮比8.5:1、47hp/5900rpm、最高速度150km/h。850のエンジンは847cc(ボア×ストローク:62.5×69mm)直列4気筒OHV Solex 32PBICキャブレター、圧縮比8.8:1、52hp/6000rpm、最高速度154(クーペは160)km/h。ほかに850/Sが設定されており、スペックは850と同じで57hp/6500rpm、最高速度158(クーペは164)km/hとなっている。スパイダーのサイズはホイールベース2000mm、全長3630mm、全幅1400mm、全高1190mm、車両重量610kg、2人乗り。

● 1959年アバルト1600クーペ/カブリオレの英語版カタログ

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ミケロッティがデザインし、アレマーノで製作された美しいクーペとカブリオレで、エンジンはオスカ(Osca)1500の1491cc(ボア×ストローク:78×78mm)直列4気筒DOHC 80hp/5800rpmのボアを78mm⇒80.5mmに拡大して1587ccとしたDOHC Weber DCL03キャブレター、圧縮比9.0:1、95hp/6000rpm+4速MTを積み、最高速度185(カブリオレは180)km/h以上。サイズはホイールベース2340mm、全長4054(カブリオレは4038)mm、全幅1524(1542)mm、全高1305(1319)mm、車両重量975(960)kg、2人乗り。シャシーは1959年に登場したフィアット1200カブリオレがベースであろう。この頃カルロ・アバルトはアレマーノ(ミケロッティはアレマーノで働いていた)と組んで、多くのすばらしいクーペやカブリオレを生みだしている。

● 1960年フィアット アバルト850T.C.(Touring Competition)の英語版カタログ

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1960年に発売されたフィアット600Dのシャシーとボディーをベースとした最初のアバルト。エンジンは850スパイダー/クーペにも搭載された847cc OHV 52hp+4速MTを積み、最高速度142km/h。足回りもチューニングされ前輪にはディスクブレーキが装備された。アバルト特製の機能的なインストゥメントクラスターとステアリングホイールはオプションであった。サイズはホイールベース2000mm、全長3285mm、全幅1380mm、全高1405mm、車両重量610kg、4人乗り。

● 1961年フィアット アバルト850T.C. ニュルブルクリンクの英語版カタログ

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1961年のニュルブルクリンクで優勝したのを機に登場したモデル。フィアット アバルト850T.C.は1961年にFIAのツーリングカー・ヨーロッパチャンピオンシップを獲得している。エンジンは847cc OHV 55hp+4速MTを積み、最高速度145km/h。850T.C. ニュルブルクリンクには横長で小型の補助ラジエーターが前方のプラットフォーム下に装着されるが、カタログには「recommended」とあり、オプションであったのかもしれない。ただホモロゲーションはこれを装着した状態で受けていた。軽量で自動換気機能を備えたマグネシューム合金製ホイールも選択可能とある。 

● 1965年10月に発行されたアバルトのイタリア語版総合カタログ

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表紙と裏側にはアクセサリーパーツと、その価格が表記されている。この背面には各モデルの価格表が載っている。

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フィアット アバルト595、595SS、595/34。フィアット500Dをベースに、500Dのエンジン、500cc(ボア×ストローク:67.4×70mm)空冷直列2気筒OHV 17.5hp/4400rpmのボアを67.4mm⇒73.5mmに拡大して594ccとして、595はSolex C28PBJキャブレターを装着した27hp/5000rpm+4速MTを積み、最高速度120km/h(ベース車のフィアット500Dは95km/hであった)。
 595SSと595/34にはSolex 34PBICキャブレターを装着した32hp/5000rpm+4速MTを積み、最高速度は130km/hであった。サイズはホイールベース1840mm、全長2945mm、全幅1320mm、全高1325mm、車両重量500kg、4人乗り。カタログには「追加料金でご要望に応じて:カルダンジョイント付きドライブシャフト、フロントディスクブレーキ、アバルト複合計器付きダッシュボード、木製ステアリングホイール、鋼板または軽合金の自動換気ホイール、レーシングエキゾーストシステム、レーシングエアインテーク。」との、オプション設定の記載がある。価格は595が62万リラ(約35.7万円)、595SSおよび595/34は67.5万リラ(約38.9万円)。リラ(L.)から円への換算は、両通貨とも当時は対USドルレートが、1ドル=625リラ、1ドル=360円の固定レートであったので、1リラ=0.576円として換算した。

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フィアット アバルト695/695SS。フィアット500Dをベースに、500Dのエンジンのボア×ストロークを76×76mmに拡大して690ccとして、695はSolex 28PBキャブレターを装着した30hp/4900rpm+4速MTを積み、最高速度130km/h。695SSはSolex 34PBICキャブレターを装着した38hp/5350rpm+4速Tを積み、最高速度は140km/hであった。サイズはホイールベース1840mm、全長2945mm、全幅1365mm、全高1325mm、車両重量500kg、4人乗り。
 695SSは競技会へ参加する顧客のためには「レーシングセットアップ(assetto corsa)」で販売され、これには、鋼板製自動換気ホイール、ミシュラン Xまたはピレリ チンチュラートタイヤ、アバルト複合計器付きダッシュボード、木製ステアリングホイールが標準装備されるとある。また、オプションに関しては595と同じ記載がある。価格は695が66.5万リラ(約38.3万円)、695SSが72万リラ(約41.5万円)695SS assetto corsaは92.5万リラ(約53.3万円)であった。

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フィアット アバルトOT(Omologato Turismo)850/135、850/150、1000。1964年に発売されたフィアット850をベースに造られたモデルで、フィアット850の843cc(ボア×ストローク:65×63.5mm)直列4気筒OHV Weber 30ICF3キャブレター、34hp/4800rpmエンジンのボアとストロークは変更せず、キャブレターをSolex 34PBICに換装して、OT850/135は40hp/5400rpm+4速MTを積み、最高速度135km/h。OT850/150は53hp/6000rpm+4速MTを積み、最高速度150km/h。サイズはホイールベース2027mm、全長3575mm、全幅1425(OT1000は1420)mm、全高1385(OT1000は1360)mm、車両重量670(OT1000は650)kg、4人乗り。
 OT1000はエンジンのストロークを63.5mm⇒74mmに伸ばして982cc 54hp/5200rpmとし、最高速度は150km/h以上であった。OT1000とOT850/150の前輪にはディスクブレーキが採用されている。
 市場ではエンジン排気量の大きいOT1000が好まれたため、OT850は1966年に生産を終了している。
 カタログには「追加料金でリクエストに応じて:フロントディスクブレーキ(OT850/135のみ)、リアディスクブレーキ、アバルト複合計器付きダッシュボード、木製またはプラスチック製ステアリングホイール、軽合金ホイール」の装着が可能とある。価格はOT850/135が87万リラ(約50.1万円)、OT850/150およびOT1000は110万リラ(約63.4万円)。

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フィアット アバルト850T.C. コルサ(Corsa:Racing)。フロントラジエーターを収めるバンパー一体型の大きなラジエーターボックスと半開きのリアボンネットが強烈な存在感を放っている。847cc(ボア×ストローク:62.5×69mm)直列4気筒OHV Weber 36DCD7キャブレター、70hp/7600rpm+5速MTを積み、最高速度178km/h。4輪ディスクブレーキを装備する。サイズはホイールベース2000mm、全長3290mm、全幅1380mm、全高1400mm、車両重量583kg、4人乗り。価格は234万リラ(約135万円)。

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フィアット アバルト1000ベルリーナ コルサ。1965年ユーロピアン・チャレンジ・シリーズで9戦9勝した強者。エンジンは982cc(ボア×ストローク:65×74mm)直列4気筒OHV Weber 36DCD7キャブレター、80hp/7400rpm、8.2m-kg/5400rpm+5速MTを積み、最高速度185km/h。4輪ディスクブレーキを装備する。サイズはホイールベース2000mm、全長3290mm、全幅1380mm、全高1400mm、車両重量583kg、4人乗り。価格は244万リラ(約141万円)。

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アバルト シムカ1300。1964年と1965年の世界メイクス選手権の1300ccクラスチャンピオンシップを獲得したモデル。1961年に登場したときのボディーはベッカリス(Beccaris)製で、その後モディファイされているが、アルミボディーでノーズ部分のみFRPが使われている。エンジンは1288cc(ボア×ストローク:76×71mm)直列4気筒DOHC Weber 45DCOE9キャブレター×2基、圧縮比10.4:1、138hp/7800rpm、13.8m-kg/5600rpm+4速または6速MTを積み、最高速度235km/h。ガーリング製サーボ付き4輪ディスクブレーキを装備する。サイズはホイールベース2090mm、全長3555mm、全幅1480mm、全高1140mm、車両重量635kg、2人乗り。価格は4速MT車が506万リラ(約291.5万円)、6速MT車は526万リラ(約303万円)。

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アバルト シムカ1300のエンジンと6速トランスアクスル。

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フィアット アバルト1000ビアルベーロ。フィアット600Dをベースに開発されたGT。ボディーはアルミ製でノーズ部分のみFRP製(これはシリーズⅡで、シリーズⅠはノーズもアルミ製であった)。FIA( Fédération Internationale de l'Automobile:国際自動車連盟)がレースカテゴリーのディビジョンⅠの上限を1000cc⇒1300ccに拡大したため、1000ccでは勝ち目はなく、1000ビアルベーロの生産はこのモデルを最後に終了してしまう。エンジンは982cc(ボア×ストローク:65×74mm)直列4気筒DOHC Weber 40DCOE2キャブレター×2基、圧縮比11.5:1、104hp/8000rpm、12.0m-kg/6000rpm+5速MTを積み、最高速度218km/h。4輪ディスクブレーキを装備する。サイズはホイールベース2000mm、全長3480mm、全幅1410mm、全高1165mm、車両重量570kg、2人乗り。価格は360万リラ(約207.4万円)。

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アバルト シムカ2000。シャシーとボディーはアバルト シムカ1300と共有する。エンジンは1946cc(ボア×ストローク:88×80mm)直列4気筒DOHC Weber 58DCO3キャブレター×2基、圧縮比10.8:1、202hp/7200rpm、20.0m-kg/5300rpm+4速または6速MTを積み、最高速度270km/h。ガーリング製サーボ付き4輪ディスクブレーキを装備する。サイズはホイールベース2090mm、全長3610mm、全幅1480mm、全高1210mm、車両重量690kg、2人乗り。価格は4速MT車が536万リラ(約308.7万円)、6速MT車は556万リラ(約320.3万円)。

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フィアット アバルトOT 1000クーペ/スパイダー。1965年ジュネーブショーで発表されたフィアット850クーペ/スパイダーをベースにしたモデルで、クーペのボディーはフィアットのスタイリングセンターでデザインされフィアットで内製されたものである。スパイダーはベルトーネ(Bertone)でデザインし製作されている。エンジンは982cc(ボア×ストローク:65×74mm)直列4気筒OHV Weber 30DICキャブレター、62hp/6150rpm、8.2m-kg/4100rpm+4速MTを積み、最高速度170km/h。前輪にはディスクブレーキを装備する。サイズはホイールベース2027mm、全長3608(スパイダーは3780)mm、全幅1500mm、全高1300(1220)mm、車両重量730(725)kg、2+2(2)シーター。追加料金で木製またはプラスチック製のステアリングホイールが選択可能とある。価格はクーペが116万リラ(約66.8万円)、スパイダーは130万リラ(約74.9万円)。
 フィアット社とアバルト社の間には、フィアット アバルト車がレースで勝った時、フィアット社は一定額の賞金をアバルト社に支払うという契約を交わしていたという。ただし年間に支払われる金額には上限があり、クルマはフィアット アバルトと命名することが条件であった。連戦連勝するフィアット アバルト車はフィアットにとって宣伝効果抜群であった。しかし、フィアット アバルト車はあまりにも強すぎて、年初に早々と賞金の上限額に達してしまったと言われる。

● 1972年フィアット アバルト124ラリーの英語版カタログ
 最後にもう1台、1972年のジュネーブショーでピニンファリナのブースにプロトタイプが出展され、同年11月に発売された「フィアット アバルト124ラリー」を紹介する。
 1968年にフィアット社はレース活動に復帰した。そしていくつかのラリーカーの開発を始めたが、その中の1台がフィアット アバルト124ラリーであった。1971年に世界有数のレーシングファクトリーであったアバルト社を買収したのもこのプロジェクトを成功させるためであった。完成したワークスカーは1972年2月、スペインのコスタ・ブラーバ・ラリー(Rally della Costa Brava)で最初の総合優勝を勝ち取ると、5月にはWRC( FIA World Rally Championship)のアクロポリスラリーで総合1、3位を獲得するなど、次々と勝利を重ねっていった。
そして、そのストリートバージョンが発売され、以下にカタログの全頁を紹介する。

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1969年に発売されたフィアット124スポーツ スパイダーをベースに、ラリーカーを仕立てる設計と製作はすべてアバルト社が行った。ベース車と大きく異なるのはリアサスペンションで、ベース車のラジアスアーム+リジッドアクスル+コイルスプリングはマクファーソンストラット+コイルの独立懸架に変更されている。ピニンファリナ製のボディーはスチール製だが、エンジンフードとトランクリッドはFRP製。ロールバーおよびピニンファリナ製のハードトップは標準装備。エンジンは1756cc(ボア×ストローク:84×79.2mm)直列4気筒DOHC Weber 40IDFまたは44IDFキャブレター×2基、128hp/6200rpm、16.0m-kg/5000rpm+5速MTを積み、最高速度193km/h。4輪ディスクブレーキを装備する。サイズはホイールベース2280mm、全長3910mm、全幅1630mm、全高1240mm、車両重量938kg、2シーター。

● フィアット アバルト124ラリーのラリーシーン

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上の2点は1973年アクロポリスラリー。

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1973年モンテカルロラリー。

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上の2点は1975年モンテカルロラリー。

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第55回 ナッシュヒーレー&ハドソンイタリア

第54回 東京オートサロン2017

第53回 リンカーン コンチネンタル

第52回 2016トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑

第51回 クライスラー300 レターシリーズ – その2

第50回 Automobile Council 2016 – そのⅡ

第49回 Automobile Council 2016

第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ

第47回 フォードランチェロ

第46回 1954年カイザー・ダーリン161

第45回 1950年代ポンティアックのドリームカー

第44回 1950年代オールズモビルのドリームカー

第43回 1950年代ビュイックのドリームカー

第42回 1950年代キャディラックのドリームカー

第41回 クラシックカー・フェスティバル

第40回 アメリカの初期SUV/MPV

第39回 メトロポリタン

第38回 フォード サンダーバード

第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)

第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)

第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)

第34回 1950年代のアメリカンドリームカー(3)

第33回 1950年代のアメリカンドリームカー(2)

第32回 1950年代のアメリカンドリームカー(1)

第31回 1940年代のアメリカンドリームカー

第30回 戦後のアメリカ車 - 11 :1940年代の新型車(フォード)

第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)

第28回 戦後のアメリカ車 - 9 :1940年代の新型車(パッカード)

第27回 戦後のアメリカ車 - 8 :1940年代の新型車(タッカー)

第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)

第25回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ハドソン)

第24回 戦後のアメリカ車 - 6 :1940年代の新型車(クライスラー・タウン&カントリー)

第23回 戦後のアメリカ車 - 5 :1940年代の新型車(クロスレイ)

第22回 戦後のアメリカ車 - 4 :1940年代の新型車(カイザー/フレーザー)

第21回 戦後のアメリカ車 - 3 :1940年代の新型車(スチュードベーカー)

第20回 戦後のアメリカ車 - 2 :1940年代の新型車(ウイリス/ジープ)

第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)

第18回 アメリカ車 :序章(6)1929~1937年コード・フロントドライブ

第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー

第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年

第15回 アメリカ車 :序章(3)1917~1923年

第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)

第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年

第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ

第11回 コペンの屋根:リトラクタブルハードトップ

第10回 スクリーンで演技するクルマたち

第9回 シトロエンDSのこと

第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』

第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して

第6回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その2)

第5回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その1)

第4回 短命だった1942年型アメリカ車のカタログ

第3回 「ラビット」から「スバル」へ - スバル最初の軽乗用車と小型乗用車

第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」

第1回 自動車カタログ収集ことはじめ

執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
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