1934 SSⅠ4seater Coupe
ジャガーの乗用車(サルーン)の系譜は、1933年の「SS-1」「SS-2」から始まる。ジャガー・1で取り上げたように、一見スポーツカー風だが性能は普通の乗用車という中途半端な性格の車で、スポーツカーではないので乗用車(クーペ)の始祖とした。 この後本格的スポーツカーを目指して「SS90」「SS100」が開発されるのだが、「SS100」のため開発されていたエンジンを使って、一足先に発売されたのが1936年の「SSジャガー2½ ℓサルーン」で、今回はここからスタートする。
・以前にも触れたが「ジャガー」は車種のわりに「エンジン」も「ボディ」も種類が少なく、組み合わせと使いまわしを上手に利用して、経費を抑えながらも多種のバリエーションを提供していた。
1936-38 SS Jaguar 1½ ℓ 4cyl 69.5×106 1608cc 50hp
1936-37 SS Jaguar 2½ ℓ 6cyl 73.0×106 2663cc 102hp
1936-41ⅠSS Jaguar 100 6cyl 73.0×106 2663cc 102hp (スポーツカー)
1938-39 SS Jaguar 1½ ℓ 4cyl 73.0×106 1776cc 65hp(スチール・ボディ)
1938-40 SS Jaguar 2½ ℓ 6cyl 73.0×106 2663cc 105hp( 〃 )
1938-40 SS Jaguar 3½ ℓ 6cyl 82.0×106 3485cc 125hp( 〃 )
――― (これより戦後) ―――
1946-49 Jaguar 2½ ℓ 6cyl 73.0×106 2663cc 105hp(通称マークⅣ、「SS」が消える)
1947-49 Jaguar 3½ ℓ 6cyl 82.0×106 3485cc 125hp( 〃 )
1948-51 Jaguar MkV 2½ ℓ 6cyl 73.0×106 2663cc 102hp
1948-51 Jaguar MkV 3½ ℓ 6cyl 82.0×106 3485cc 125hp
1949-54 Jaguar XK120 6cyl 83.0×106 3442cc 180hp(スポーツカー、MkVとは別エンジン)
1950-54 Jaguar MkⅦ 6cyl 83.0×106 3442cc 160hp (XK120エンジンのデチューン版)
1954-57 Jaguar XK140 6cyl 83.0×106 3442cc 190hp(スポーツカー)
1954-57 Jaguar MkⅦM 6cyl 83.0×106 3442cc 190hp(XK140と同じエンジン)
1955-57 Jaguar XK140SE 6cyl 83.0×106 3442cc 210hp (スポーツカー)
1956-58 Jaguar MkⅧ 6cyl 83.0×106 3442cc 210hp(XK140SEと同じエンジン)
1955-59 Jaguar 2.4ℓ Mk1 Saloon 6cyl 83.0×76.5 2483cc 112hp (中型サルーン)
1957-59 Jaguar 3.4ℓ Mk1 Saloon 6cyl 83.0×106 3442cc 210hp( 〃 )
1958-61 Jaguar MkⅨ 6cyl 87.0×106 3781cc 220hp(XK150Sエンジンのでチューン版)
1959-61 Jaguar XK150S 6cyl 87.0×106 3781cc 265hp(スポーツカー)
1959-67 Jaguar Mk2 2.4 Saloon 6cyl 83.0×76.5 2483cc 120hp (中型サルーン)
1959-67 Jaguar Mk2 3.4 Saloon 6cyl 83.0×106 3442cc 210hp ( 〃 )
1959-67 Jaguar Mk2 3.8 Saloon 6cyl 87.0×106 3781cc 220hp ( 〃 マークⅨと同じエンジン)
1961-64 Jaguar MkX 3.8ℓ 6cyl 87.0×106 3781cc 265hp(E-Type3.8と同じエンジン)
1961-64 Jaguar E-Type 3.8 6cyl 87.0×106 3781cc 265hp(スポーツカー)
1964-68 Jaguar E-Type 4.2 6cyl 92.02×106 4235cc 265hp( 〃 )
1964-66 Jaguar MkX 4.2ℓ 6cyl 92.07×106 4235cc 265hp (E-Type4.2と同じエンジン)
1963-68 Jaguar S-Type 3.4ℓ 6cyl 83.0×106 3442cc 210hp (中間折衷型サルーン)
1964-68 Jaguar S-Type 3.8ℓ 6cyl 87.0×106 3781cc 220hp ( 〃 )
1967-68 Jaguar 240 6cyl 83.0×76.5 2483cc 133hp (中型サルーン)
1967-68 Jaguar 340 6cyl 83.0×106 3442cc 210hp ( 〃 )
1966-70 Jaguar 420G 6cyl 92.07×106 4235cc 265hp (大型サルーンMkXの後継車)
―――― 以下サルーンはXJシリーズ2種のみとなる ―――
1968-73 Jaguar XL6 2.8 seriesⅠ6cyl 83.0×86.0 2791cc 142hp
1968-73 Jaguar XJ6 4.2 seriesⅠ6cyl 92.07×106 4235cc 245hp
1973-79 Jaguar XJ6 4.2 seriesⅡ6cyl 92.02×106 4235cc 167hp
1973-79 Jaguar XJ6 2.8 seriesⅡ6cyl 83.0×86.0 2791cc 142hp
1971-75 Jaguar E-Type seriesⅢ 12cyl 90×70 5343cc 276hp(スポーツカー)
1973-79 Jaguar XJ12 seriesⅡ 12cyl 90×70 5343cc 240hp(E-typeエンジンのデチューン版)
ここに並べた多くのエンジンの仕様を見ると「ストローク」ついては戦前から「106mm」が圧倒的に多く、他には「76.5mm、86.0mm」が例外的に存在するだけだ。一方改造し易い「ボア」については「73、82、83、87、92.02mm」の5種が排気量の増加に合わせて組み合わされた。基本的には直列6気筒で、同じボア、ストロークの4気筒もあった。V12気筒が出るまでのエンジンについては、戦前から基本的に同じ構成で大きな変化は無く、生産性、信頼性、コストダウンにも貢献している。
・戦後は大型サルーン系「MkV~X」とスポーツカー系「XK120~150」「C、D、E-Type」の2本立てで、中を埋める存在としての「中型サルーン」で構成されていた。
(1)<SS ジャガー2½リッター> (1936-37)
(写真01-1a~d)1936 SS Jaguar 2½ Litre Tourer (2001-07 フェスティバル・オブ・スピード)
この車はジャガーの乗用車として、スポーツカー「SS100」と同じエンジンを積んで同時期に販売された。
100マイル・スポーツカーを目指して新設計された高性能エンジン6気筒 OHV 2664cc 104hp/4500rpmを使って、全く新しい乗用車が1935年秋スポーツカーより一足先にデビューした。それは全てが「スタンダード」の影響を受けないSS社独自の設計になるもので、この際新しい車名を付けようという事で、最終的には「ジャガー」と決まった。
(写真01-2a~d) 1937 SS Jaguar 2½ Litre Saloon (2008-01 シュパイヤー科学技術館/ドイツ)
前項と同じシリーズのサルーン版で、この後モデルチェンジして「スチール・ボディ」となるが、この時点ではまだ木骨にスチール張りの旧来の工程でボディは造られていた。
(写真02-1a) 1938 SS Jaguar 1½ Litre Saloon (1980-05 TACSミーティング/筑波サーキット)
この車はサルーン3兄弟の内一番小さい末弟に当たる。この車が本当に戦前の「SS」かどうか、ちょっと疑っていたが、プログラムに排気量1608ccとあり、ナンバープレートも2000cc以下の「5ナンバー」なので本物だ。戦後版には1½リッターは無い、という事はこの車は僕が国内で見た唯一の戦前の「SSジャガー・サルーン」だ。冒頭にボディが使い廻しされていると書いたが大、中は共通ボディで、小だけは一寸小ぶりだった。ところが第2世代では大、中が新ボディになり、小は前モデルの大、中を譲り受けた。だからこの項の1½リッターサルーンのボディは前項の黒い2½リッターと同じサイズだ。小排気量のエンジンで(性能は別として)「ベントレー」にも負けない貫禄のある車を低価格で提供するというのはこの会社の基本姿勢で、それを良しとする顧客層があったという事だ。
――― 以下戦後型大型サルーン ―――
(2) <ジャガー2 ½リッター/3½リッター(通称マークⅣ>)(1946~49)
(写真03-1abc) 1947-49 Jaguar (MkⅣ)3½ Litre Saloon (1958-08 新宿・歌舞伎町)
この車は僕が初めてカメラに収めたジャガーで、当時は資料も知識も乏しかったから、この堂々たるクラシックなボディを見てすっかり戦前のジャガーと思い込んでいた。確かにオリジナルは1938年にデビューした車だから、僕の見立ても見当違いでは無かったが、実は戦後の生産開始に際して戦前のモデルをそのまま生産したもので、社名が「SSカーズ」から「ジャガー カーズ」に変わったためバッジから「SS」の文字が消えた以外は、相違点は見当たらない。場所は靖国通りからコマ劇場へ向かうセントラル・ロードで背景に大衆食堂なども見える普通の商店街だった。ナンバープレートは「横1列」から「2段書き」となった最初のタイプで、1955年から61年まで使用され東京は県名表示が省略されている。「3」は分類上「大型乗用車」、「す」は「自家用」を現すが「0006」という1桁番号は凄い。
(写真03-2a~d) 1947-49 Jaguar (MkⅣ)3½ Liter Saloon (1959-12 日比谷通り・新橋3丁目付近)
この当時はまだこんな車が現役で街を走っていた。と言っても車齢10年そこそこだから、当たり前とも言えるが存在感は抜群だった。特にこのシリーズは「ルーカスP-100」という大きなヘッドライトが特徴だが、今回登場した3車が、それぞれ雰囲気が違うのが面白い。
・「MkⅣ」という分類は正式名ではなく、次のモデルが「MkⅤ」と命名されたため、後年便宜上使用されているもの。
(写真03-3a~f) 1948 Jaguar(MkⅣ)3½ Litre Saloon (1981-01 TACSミーティング/神宮絵画館前)
この車に最初に出会ったのは1981年のイベントだった。今回取り上げたのはその時の写真だが、プログラムでは「1938年型」となっていた。その後約30年間姿を見せなかったが、2010年再びイベントに登場し、以来11,12,13,14年と連続して撮影している。2013年の説明(写真参考)に経歴が記載されている。この時もまだ「1938年型SS100」と明記されているが、バッジを見る限り「SS」の文字は見られない。説明の中で「SS100」とあるが型式は「3½リッター」で、最高速度も170km/h(伝)とあるが、これは誰も経験したことは無い筈で、公式には146.1km/hとなっている。歴代の先輩方もずっと信じていた法政大学体育会自動車部(HUAC)の1938年型ジャガーが、実は1948年型として正しい年式が公表されたのは 2014年のイベントだった。1966年に寄贈されたとあるが、1962年創刊された「CARグラフィック」はその年「ジャガー特集」を組んでおり、その中には戦後型は「ラジエターのエンブレムからSSが消えた」という記載がある。1966年寄贈を受けた際はこの車に関して色々文献など調べたと思うのだが、バッジに「SS」が無いことには気が付かなかったのだろうか。(この当時の車好きならCGは愛読していた筈だが・・)
(写真03-4a~e)1936 SS Jaguar (MkⅣ)3½-litre tourer(2010-07 フェスティバル・オブ・スピード)
この車はサンルーフ付きのサルーンで、前項の法政大学の車と全く同じタイプだ。
(写真03-5abc)1949 Jaguar (MkⅣ)2½Litre Saloon (1988-01 TACSミーティング/明治公園)
この車のエンジンは「2½リッター」だが、「3½リッター」と外観は全く変わらない。
(写真03-6abc)1948 Jaguar (MKⅣ)3½Litre Drophead Coupe (1989-01 TACSミーティング/明治公園)
「サルーン」にⅠ年遅れて「ドロップヘッド・クーペ」が発売された。性能は全く変わらず、内張りを持つ幌は「サルーン」と変わらない居住性が確保されているが、必要があれば前半分をオープンする洒落た使い方もできる。
(3) <マークV> (1948~51)
(写真04-1abc)1948-51 Jaguar MkV 3½Litre Drophead Coupe (1961年 港区・一之橋付近)
(参考)「ジャガー」がライバルとしていた「ベントレー」は、見た目もよく似ていた。(1952 MkⅥ)
1960年頃東京で見かけた「カブリオレ」の、「ランドウ・ジョイント」(幌を畳むための金具)が、残念ながら相当数左右逆に取り付けられていた。この車もその例の一つでなんとなく収まりが悪い。このあいだまで正常だったのが、車検が終わった途端にアベコベになって帰ってくる例を幾つも見ている。特殊技術を必要とするカブリオレの「幌内張り」が出来る専門工場は数少ないから、どこかの親父の頭に誤ってインプットされていたのだろうが、ばらす前に左右のマーキングくらい付けて置けば良いのに。それにしても、戻って来た車を見たオーナーは違和感を持たなかったのだろうか。(正常なものは次項の車参照)
(写真04-2abc)1948-51 Jaguar MkV 3½Litre Drophead Coupe (1961-11 港区内)
こちらが正常に取り付けられた「ランドウ・ジョイント」だ。改めて見ると前項の車に較べて収まりが良い。逆向きの場合は幌を畳んだときは余計違和感が出そうだ。
(写真04-3a~d)1948~51 Jaguar MkV 3½Litre Drophead Coupe(1962年 港区・一之橋付近)
昭和30年代の中頃は、街中では戦前の生き残りはそろそろ姿を見なくなってきた。「トヨペット・クラウン」「日産・セドリック」「プリンス・グロリア」など国産車が市場に出廻って来たからだ。しかし見た目はクラシックだが戦後生まれの「ジャガーマークV」は、車齢10年そこそこでまだまだ現役だった。だから街中で活躍中の姿に何回も出会うことが出来た。イベントのピカピカの車より街中で見つけた車には生活感があって捨てがたい。
(写真04-4a~d)1948 Jaguar MkV Saloon (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンスホテル)
こちらはイベントに登場した2トーンで一分の隙も無い完璧なサルーンだ。まだモノクロの時代だったが、高価なカラーフィルムを1本だけ用意して、各車1枚だけ「色見本」として撮影したのがこの写真だ。プリントが不要のリバーサル・フィルムを使用したが、感度も低く、発色も現代に較べると物足りない。背景に東京タワーが見える。
(写真04-5a~e)1948-51 Jaguar MkV 2½Litre Saloon (1960-01 帝国ホテル横と内幸町)
場所①は、改築前の帝国ホテルの横で、車は日比谷公園の方角を向いている。道の反対側は1963年落成した日生劇場(工事中?)。場所②は、日比谷通り、内幸町2丁目で、道の向こう側には渋谷に引っ越す前のNHKがここにあったが、NHKと聞いて内幸町を連想する人はもう少ないだろう。既にパーキングメーターが設置されているが、都心部で使用が始まったのは1959年1月26日と記録されている。
(4) <マークⅦ、Ⅷ、Ⅸ> (1950~54) (56~58) (58~61)
マークVの後継車がこのシリーズで、順番から行けば「マークⅥ」となる筈だ。しかしこの番号はマークVの高性能版用に既に割り振られていたので「マークⅦ」となった訳だが、高性能版の計画は実現しなかった。「マークⅦ」から始まるこれらの3車は50年代の大型ジャガーを支えた代表的なモデルだが、基本となる「マークⅦ」をベースとしたその発展型だ。
(写真05-1a~d) 1950-54 Jaguar MkⅦ Saloon (1959-04 帝国ホテル正面玄関/千代田区)
この車を見た時マスコットに「獲物に飛び掛かるジャガー」が付いていない事に失望した記憶があるが、珍しいジャガーを撮影で来た喜びの方が大きかった。場所は改築前の「帝国ホテル」の正面玄関だ。世界的建築家「フランク・ライト・ロイド」が設計したこの建物は1967年改築の際 解体されたが、正面玄関は愛知県の明治村に移築され「登録有形文化財」として大切の保存されている。車はナンバーに「3A」が入っているので、米軍関係者のものだ。
(写真05-2abc)1950-54 Jaguar MkⅦ Saloon (1959-08 羽田空港駐車場)
1950年登場した「マ-クⅦ」は先代の「マークV」と同じシャシーを使っているが、ボディは大きく進化している。アメリカで1948年から「パッカード」「カイザー/フレーザー」、49年から「フォード」が採用したことで世界的に普及した、フェンダーをボディと一体化し車室をボディの幅いっぱいまで拡げた「フルワイズ」(フラッシュサイドともいう)というスタイルを採用したことだ。外見はクラシカルなイメージを残しながらも、エンジンは「XK120」をデチューンしたもので重厚なサルーンながら最高速度は時速168キロとされる。
(写真06-1abc)1956-58 Jaguar MkⅧ Saloon (1959-01 東京駅丸の内側駅長室前)
1954年「マークⅦ」のボディに同時に発売された「XK140」と同じエンジンを搭載した車が発売されたが「マークⅦM」(モディファイ)と命名され「マークⅧ」とはならなかった。そして1956年「XK140SE」と同じエンジンを搭載した車が「マークⅧ」として登場した。ボディシェルは変わりなく、外観の変更点はラジエターグリルの上縁のメッキが太くなり、マスコットのジャガーが立派になった。スモールランプの位置がホーングリルに変わった。フロントウインドーが曲面1枚ガラスになり、フロントフェンダーからエア・ベンチレーションが無くなった。フェンダーにメッキのラインが入って2トーンの塗り分けとなり、リア・スパッツの下側に小さな切り欠きが入った。エグゾーストパイプは1本から2本出しに変わった。全体の印象はほとんど変わらないが、160hpから210hpと大幅にパワーアップしている。
(写真07-1a~d) 1958-61 Jaguar MkⅨ Saloon (1962-01 港区鳥居坂/メキシコ大使館横)
この場所は「麻布東鳥居坂町」(現在の「六本木5丁目」で後方の坂上に見えるのは「外苑東通り」だ。この坂を下っていくと鳥居坂下となり、都営地下鉄大江戸線の「麻布十番駅」がある。ここには今は永田町に移転してしまった「メキシコ大使館」があった。隣が「独逸(ドイツ)大使館」で、その先は東京でも屈指のお嬢様
学校「東洋英和女学校」だった。車は「外」の青ナンバーだから大使館のものだが「外」が○で囲まれていないので大使の公用車ではない。背景にあるコンクリートの塀は、60年近く経った今もその一部が残されている。
(写真07-2abc)1960 Jaguar MkⅨ Saloon (1977-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
1958年登場した「マークⅨ」は3代続いたこのシリーズの最後のモデルとなった。エンジンは翌年発売される事になるスポーツカー「XK150S」のものを先取りしたもので、ボアを87mmに拡げ排気量は3781ccとなった。4輪ヂスクブレーキ、パワーステアリングが標準装備となり、最高速度は183キロとされている。外見上の変化はごく僅かで、前方からは識別不能、後方右下の「MKⅨ」のバッジと、テールランプがXK150風のメッキの台が付いたことの2点だけだ。
(5) <マークX> (1961~66)
マークⅨの後継モデルだが、これまでクラシックスタイルをアピール・ポイントにしてきたジャガーが、全く新しい近代化されたものに変わった。
(写真08-1a~d)1961-64 Jaguar MkX Saloon (1965-11 東京オートショー駐車場/晴海)
1961年「マークⅨ」の後継車として、この車が「マークX」を名乗って登場した時はあまりの変貌ぶりに驚いた。同時にアメリカ市場でのクラシック・テイストの時代の終焉を感じた。後年、「420」や「XJシリーズ」が
発売されてから振り返ると、これは「XJⅠ」でもよかったのに、と思われるほどこれから後の「標準ボディ」となった。4灯でフェンダーの痕跡は全く消滅し、幅、長さ共に拡張さて室内はより広くなった。エンジンはスポーツカー「Eタイプ」と同じものが搭載され、ボアは92.07mm迄拡げられ排気量は4235ccとなった。
(6) <420G> (1966~70)
(写真09-1a~d)1966-68 Jaguar 420G Saloon (1973-02 小林工業所/港区赤坂三分坂)
名前は変わったが「エンジン」も「ボディ」も変わっておらず、外見の違いはボディサイドにクロームのラインが入った以外、見つけられない。場所は後から確認して判ったのだが赤坂のTBSの横を通って乃木神社に向かう途中の「三分坂」付近にあった修理工場「小林工業所」の前だった。知る人ぞ知る達人の居る修理屋さんだったが、当時の僕は全く無関係でそんな知識もなかった。中野に住んでいた僕は、休日には愛用の「ダックス・ホンダ」に乗って珍しい車を探して闇雲に裏道を走り廻っていたからここがどこかが判らなかったのだ。ボンネットに切られた多数のルーバーはノンオリジナル。
(7) < XJ-6 >( (1968-79)
(写真10-1a~d)1970 Jaguar XJ6 4.2Litre Saloon (1969-11 東京オートショー/晴海)
1968年以降サルーン系は「XJシリーズ」に統一され、排気量によって「2.8」と「4.2」の2種が提供された。「4.2」は当然「420G」の後継車である。ラジエターグリルのデザインが縦から横に変わり中央に1本縦のラインが入って印象は変わったがボディシェルは変わらない、エンジンのサイズは「420G」と同じだが、馬力は少し下げられマイルドになった。
(写真10-2abc)1973-79 Jaguar XL6 4.2Litre SeriesⅡSaloon(1977-01 東京オートショー/晴海)
1973年アメリカの安全基準を満たすための変更が行われ、フロントバンパー-の位置が高くなった。そのためラジエターグリルの高さが半分になり、代わって横幅が伸びた結果グリルは横長となった。ボンネットの段差もそれに合わせて幅広になっている。
(8) < XJ-12 > (1973-79)
(写真11-1ab)1972-77 Jaguar XJ12 SeriesⅠSaloon (1978-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
1972年7月、1973年モデルとして「XL12」が誕生した。スポーツカー「Eタイプ」に搭載されていた「V12気筒エンジン」を転用したもので、排気量は5344ccとなった。ここから「XJシリーズ」は6気筒の「XJ-6」と、12気筒の「XJ-12」の2本立てとなった。
(写真11-2ab)1977 Jaguar XJ12L SeriesⅡLWB Saloon (1977-01 東京オートショー/晴海)
「XJ6」と同様「XJ12」もアメリカの安全基準による改造を受けて「シリーズⅡ」となった。「XJ12」は従来の
「LWB」(ロング・ホイール・ベース)モデルが標準モデルとなったのでWB286.5cm,全長494.5cmで、「XJ6」のWB276cm,全長484cmより一回り大きくなったが、見た目では見分けが付かない。「XJ6」と見分けるのは後部のバッジしかないようだ。
――― 以下中型サルーン ―――
(9) <2.4、3.4リッター・-サルーン・マーク1)(1955-59)
このシリーズはスポーツカー「XK140」と大型サルーン「マークⅦ」の間を埋めるため誕生した。中型と分類したがWB273cm(305cm)、全長459cm(499cc)、排気量2483cc/3442cc(3442cc)、{( )内はマークⅦ}で大きさは確かに一回り小さいが、エンジンについては共有している。スタイルは「モダン」で「スポーティ」とマークⅦとは全く正反対の個性を持ち、幅広くマークⅦとは別の客層へのアピールを狙ったものだ。
(写真21-1a~e)1955-59 Jaguar 2.4Litre Saloon (Mk1) (1959-11 港区内 )
(参考)2.4リッターの黒バッジ)
(写真21-2a~d) 1955-59 Jaguar 2.4Litre Saloon (Mk1) (1960年千代田区丸の内)
「2,4リッター」と「3.4リッター」の違いは正面のバッジで、遠目またはカラー写真では「黒が2.4」、「赤が3.4」と判定出来、近くでは「2.4Litre」「3.4Litre」の文字が読めた。初期のモノクロ写真の僕のアルバムには「2.4がクロ」「3.4がアカ」と注記してある。ここに取り上げた一連の写真は同じ車を全く違った場所で偶然撮影したものだ。発売当初は単に「2.4リッター・サルーン」だったが、次期モデルが「マーク2」となったので、便宜上「マーク1」と呼ばれるが、正規の形式名ではない。
(写真22-1a~e)1957-59 Jaguar 3.4Litre Saloon (Mk1) (1960-01 東京駅付近/新大手町ビル横)
(参考)3.4リッターの赤バッジ
1957年になると大型サルーン「マークⅧ」と同じエンジンを搭載した、「3.4リッター」が登場した。正面のバッジは「赤」で、後ろのトランクに「Jaguar」と「3.4」のバッジが付いた。「2.4リッター」では後輪のスパッツが完全のホイール・アーチを覆っていたが、「3.4リッター」では殆どタイヤが見えるほど切り欠きがあり重要な識別点だ。青ナンバーで、珍しい「代」の字が入っている。これは「代表部」の略で、「大使館」や「領事館」を置いていないどこかの国の外交官用の車だ。場所は丸の内の新大手町ビルの脇で、東京駅から神田へ向かう通勤の帰り道、中央線の電車の窓から見つけ、次で折り返してきて撮った写真だ。
(10) <2.4、3.4、3.8リッター・サルーン・マーク2> (1959~67)
(写真23-1abc)1959-67 Jaguar Mk2 2.4Litre Saloon (1966-6 原宿表参道/渋谷区)
1959年10月、改良を加えられた「マーク2」が登場した。(「マークⅡ」とした資料もあるがローマ数字は大型サルーンのみ使用で、アラビア数字の「2」が正しい。)何処といって変わっていないのになんとなく「垢抜けた」印象で不思議な感じがした。その原因は窓枠で、以前のぼってりしたプレス加工のドアが、細身のクロームメッキされたサッシュに変わったことで窓の面積が増え、見た目もすっきりした。一番よくわかるのは前後ドアの間の柱(Bピラー)を見てもらえば、なるほどと納得していただけるだろう。
(写真24-1a~f)1959-67 Jaguar Mk2.4Litre Saloon (1964-10 港区内)
「2.4リッター」と同時に登場した「3.4リッター」だが、両車のボディは共通で、エンジンも以前と変わっていない。外見ではホーングリルの位置にドライビング・ランプが埋め込まれ、後部右下に「MK2」のバッジが追加された。
(写真25-1a~d)1963 Jaguar Mk2 3.8Litre Saloon (1978-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
このシリーズで新たに登場したのが「3.8リッター」で、同時期に生産されていた大型サルーン「マークⅨ」と同じ3781ccエンジンを搭載していた。最高速度は時速200キロを超え、最速のスポーツ・サルーンとしてレースやラリーでも活躍した。
(11) <240、340> (1967~68)
(写真26-1ab)1967-69 Jaguar 240 Saloon (1985-01 TACSミーティング/明治公園)
1966年「ブリティッシュ・モーターと合併した「ジャガー」は、合理化のため車種の整理を行い「2.4リッター」を「240」、「3.4リッター」を「340」として残し、「3.8リッター」は消滅した。各所にコストダウンの跡が見られ、内装はレザーからビニールに変わり、ホイールもワイヤーからディスクに変わった。「240」のバンパーは細い一本に変わり重厚さが無くなった。-
(写真27-1ab)1968 Jaguar 340 Saloon (1967-11 東京オートショー/晴海)
「240」と殆ど変わらないが「340」のバンパーは「マーク2」時代と同じダブルの物が付いている。
(12) <Sタイプ> (1963~68)
(写真28-1abc)1963-68 Jaguar S-type 3.4Litre Saloon (1966-04 原宿表参道/渋谷区)
「Sタイプ」は1963年から68年まで造られた不思議な車だ。この時期大型サルーンは「マークX」(1961-66)、「420G」(66-70)、中型サルーンは「マーク2」の2本立てだったが、この間を埋めるべく誕生したのが「Sタイプ」だ。そのため考えられたのが、「マーク2」の前半分に、「マークX」の後ろ半分を繋げるという、極めて判り易い(安直な)手段で実現したもので、間違えなく中間を埋めるモデルだ。道の向こう側に見えるのは戦前の集合住宅の憧れだった「同潤会青山アパート」で、現在は「表参道ヒルズ」となっている。
(写真29-1ab)1966 Jaguar S-type 3.8Litre Saloon (1982-05 TACSミーティング/筑波)
最後は「Sタイプ3.8リッター」の登場だ。エンジンはスポーツカー「Eタイプ」と同じものを積んだ高性能車だが、1964年の外車ショーでの価格は415万円だった。因みに「マークX」は700万円、「マーク2」は365万円だったからお買い得だったのか? 「Eタイプ」が445万円だったのでそちらの方に人気が集まってしまったのは不運だった。
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