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第101回 鉄道が趣味だった時代
2020.12.27

 今回は、自動車カタログの収集を始める前、小学3年から中学3年までの趣味であった鉄道について、いまほど情報が多くない時代において、筆者の鉄道知識のバイブルであった雑誌たちを紹介する。いずれも敗戦から5、6年以内のものであり、当時の様子が多少なりともお分かりいただけるのではないだろうか。

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上の2点は「日本中の少年少女に喜ばれる自由出版の楽しい科学雑誌」とうたって、毎月1日に発行された「たのしい科学グラフ 第15号 特集:機関車の話」(1948年12月発行)と「科学グラフ 第20号 特集:電気機関車」(1949年5月発行)。ちなみに第14号までのタイトルは「少年少女 科学グラフ」であった。いずれも発行元は自由出版株式会社で、価格は48円であった。もり・かけそばが15円の時代である。電気機関車特集は大のお気に入りで、ご覧のようにぼろぼろで表紙のEF58電機は見る影もない。

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上の2点は「科学グラフ 第32号 特集:鉄道の話」(1950年12月発行)と「科学グラフ 第43号 特集:電車の科学」(1951年12月発行)で、発行元は大日本図書株式会社となり、価格は50円であった。表紙の説明は、左の湘南電車には「東京~静岡間を走る長距離高速電車(新橋付近にて撮影)」、右側は「東京都電6000系(銀座通りにて撮影)」とある。

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「機関車の話」の1頁。列車の高速化にともない、アメリカを中心に流線形が取り入れられてきた。わが国でも1934年に鷹取工場でC53型蒸機の1両(C5343)を試験的に流線形に改造(左頁の下段)し、1935年からC55を21両(C5520~C5540)(左頁の上段2点)製作した。目的は空気抵抗を減らすのと、煙を列車から遠く上方に流すためであったが、点検やメインテナンス上不便なことから、後に普通型に改装されている。電気機関車でも1935年にEF55型3両(右頁)が製作されたが、終点でいちいち方向転換しなければならず、1962年に廃車となっている。C55は見たことは無いが、EF55は東京駅で何度かお目にかかっている。

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「電気機関車」の1頁。左頁の上段2点はイギリスの英国電気(EE: English Electric)社製EF50で、1923年に東海道線電化初期の主力として8両が輸入され、晩年は荻窪駅や新宿駅のヤードで全長21mの巨体を休めているのをよく見かけた。筆者の大好きな電機でもある。左頁下段は1927年に輸入されたアメリカのウエスティングハウス社製EF51。右頁は最大勾配66.7/1000の碓氷峠をゆくアプト式列車で、中段の電機は1926年に輸入されたスイスのブラウンボベリ(Brown Boveri)社製ED41。上段と下段右はED41をサンプルとして1933年から製作された純国産のED42で、28両生産された。右頁下段左はアプト式のラックレール開始地点。トンネルが低かったため、集電にはメトロ銀座線のようなサードレールが採用されている。ただし駅構内には架線が設けられていた。
 1912(明治45)年5月に開業した、横川-軽井沢間の碓氷峠の電気運転は、国有鉄道としては1906(明治39)年に御茶ノ水-中野間の電車運転(1904年に甲武鉄道として開業、1906年に国有化された)に続き、初の電気機関車による運行であった。

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これも「電気機関車」の1頁。「国鉄の最新鋭EF58、EF15」とあるように、戦時中は貨物輸送に重点が置かれたため、旅客用電機の生産は中止されていたが、敗戦翌年の1946年、真っ先に生産された旅客用電機がEF58であった。しかし、準戦時設計であったため問題点も多く、31両(EF581~EF5831)生産した段階で、1951年から2次形(EF5835~)として改良され、デッキの無い車体を架装して生産された。1958年までに初期型を加え、合計172両生産されている。デッキのある初期型も1948~49年にかけて改造が加えられたが、さらに1952年から改造され、車体もデッキレスのものに換装されている。右頁上段は1947~58年にかけて202両生産された貨物用電機のEF15で、EF58の姉妹機。

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これも「電気機関車」の1頁。EF58の構造図と、右下は1940~41年に生産されたEF57の構造図。蒸気発生装置のボイラーの関係でパンタグラフがボディーの前後端ぎりぎりの位置に装着されているので簡単に識別できた。筆者は小学6年の夏休みの宿題に、この構造図を参考にEF58の細密図面をつくって提出した。しばらくの間教室の壁に展示されていたが返却してもらった記憶はない。

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これは「鉄道の話」の1頁。車両の積車重量をあらわす記号、種類をあらわす記号、台車や車体の形をあらわす番号などの説明と、特急「はと」の1等展望車の様子が載っている。中学生の頃、ほぼ毎週末には東京駅、上野駅に列車ウォッチングに出かけており、ある時、展望車に見入っていると、車掌さんから「乗ってみるかい?」と声がかかり、車内と展望デッキをじっくり観察する機会を得た。展望デッキで撮った写真を探したが発掘できなかった。中学時代の部活は「鉄道研究部」を選択、顧問の先生に何度か品川-田町間にあった「東京機関区」の見学をアレンジしていただき、電機に乗せてもらったことなど楽しい思い出である。当時は、いまのような「鉄ちゃん」など一人もおらず、新型車の情報なども機関士さんたちが親切に教えてくれた。

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上の2点は「電車の科学」から。「国電の発達」の頁で、上段左上の写真は甲武鉄道を国有化した1906(明治39)年ごろの御茶ノ水-中野間の電車運転の様子。4輪単車を連結したもので、集電は2本のポールによる。当時、国鉄は鉄道院であったから、国電は「院線電車」と呼ばれていた。まだ自動車の姿は無い。わが国に自動車が来たのは、佐々木烈氏の「日本自動車史」によると、1898(明治31)年にフランス人マリー・テブネがフランス製パナール・ルバッソールを持参してデモンストレーションを行ったのが最初である。1900(明治33年)には、皇太子殿下(大正天皇)のご成婚を祝してサンフランシスコの在留邦人たちが電気自動車を献納した。しかし、皇太子殿下を乗せるには危険な乗り物であるとの結論を下し使用されることはなかった。1903(明治36)年には三井呉服店(現・三越)が注文したフランス製クレメントが日本に到着している。
 上段右上には木造電車が載っているが、戦後の1940年代には中央線などでも中間車両に木造車が編成されており、連結部(隣車両への通路は無い)に乗って、窓を下に落として開けるとボディーがぐらぐらと歪んでいるのがはっきりと確認できた。また、敗戦後の殺人的混雑でガラスがよく割れたが資材不足はひどく、木の板で補修されていたし、シートは靴磨き用に切り取られることが頻発した。作動しないドアは開いた状態で、胸の高さほどの位置に木の棒が横に固定され、棒の下をくぐって乗り降りする車両も多かった。あるとき、中央線の東中野-大久保間のカーブで、遠心力によって生じた人の圧力でこの棒が折れ、何人かの乗客が神田川に転落して亡くなるという痛ましい事故も起きている。やがて復興の兆しが見えはじめ、ガラス、シート、ドアなどの整備を施した車両には「復興整備車」の看板が掲げられていた。
 下段の頁には東京近郊の国電の発達の様子が示されており、これによると山手線がぐるりと1周できるようになったのは1925(大正14)年だったのが分かる。

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これは現在も月刊誌として発行されている「鉄道模型趣味」誌の6号(1948年5月号)と8号(1948年8月号)の表紙。価格は6号が30円、8号は35円であった。「鉄道模型趣味」は敗戦の翌年、1946年6月~9月にかけて、孔版印刷による1~3号を発行。1947年2月号から活版印刷による新1号を創刊号として改めてスタートしている。しかし、1940年代は用紙供給事情によって不定期発行となっており、1950年5月の20号から月刊発行となった。

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これは「鉄道模型趣味」誌の6号(1948年5月号)だが、23頁から始まり、42頁で終わっており、わずか20頁、表紙を入れても24頁の薄さであった。新年号が1頁から始まり、年末まで通し番号が付けられていた。

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これは「鉄道模型趣味」誌の8号(1948年8月号)で65頁から始まり、84頁で終わっている。

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「鉄道模型趣味」誌の8号(1948年8月号)に織り込まれていたE10型の三面図。E10型は奥羽本線、福島-米沢間の急こう配用として1948年に生産された、わが国最大のタンク機関車(水と石炭を機関車本体に積載するタイプ)で、新製機では国鉄最後の蒸気機関車。

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「鉄道模型趣味」誌の11号(1949年3-4月合併号)だが、25頁から始まり、52頁で終わる28頁で、価格は50円であった。

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上の2点は「鉄道模型趣味」誌に折り込まれていた「アメリカの高級自動車」の解説と四面図。上段は1947年型スチュードベーカー チャンピオン。下段は1949年型ハドソン コモドール。

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これも「鉄道模型趣味」誌に折り込まれていた「ベル XS-1」快速機のソリッドモデル制作用図面と解説。当時プラモデルはまだ発売されておらず、飛行機模型はキットを購入しても、木片と図面が入っているだけで、小刀、彫刻刀、紙やすりなどを使って、時間をかけて削り出して作る大変根気のいる代物であった。筆者は想像しただけで無理だとの結論に達したので、挑戦したことは無い。

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「鉄道模型趣味」誌を発行している機藝社からは、年1回のペースで鉄道模型図集「スタイルブック」が発行されており、これは最初に発行された1947年版(これは1950年に増刷された第3版)。クラフト紙の袋の中に図面がバラで入っており、上の3点は袋と解説頁。以下に中身の図面を5点ほど紹介する。

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ED10は1922(大正11)年に東海道電化用としてアメリカのウエスティングハウス社から輸入した、わが国最初の貨物用電機。輸入時は大型のパンタグラフが1個ついていたが、後に図のような省型2個に換装された。ED22は旧信濃鉄道から買収した電機。

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ここには準戦時設計のデッキ付きEF58の1次車と戦時設計形のEF13とが載っている。EF13は敗戦直前の1944年10月に1号機が完成したが、鋼材を節約するため凸形の車体で、死重(車輪が空転するのを防ぐ重り)もコンクリートブロックが使われていた。後にEF58の1次車が35号機以降と同じ、デッキ無しの流線型車体に換装され、はずされたEF58の車体がEF13に載せ替えられ、国鉄最大の凸型であった特異な車体は姿を消した。

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左上の小さな図は、EB10、ED17、ED24。EB10は1927(昭和2)年製で元は蓄電池機関車(AB10)であったものを改造した。ED17は、1923(大正12)年にEF50と同じ英国電気(EE: English Electric)社製ED52が6両輸入され、うち4両が1950年に改造されてED17となった。さらに1953年にも改造されED18となっている。ED17時代、中央線で貨車をけん引している姿を何度も見ている。ED24は、1927年に輸入したドイツのシーメンス社製ED57が原型で、1943年に改造されED24となった国鉄最後の輸入電機であった。大きな図はEF57で1940~41年に生産された。この図はEF571号機のもので、1号機のみパンタグラフがEF56と同じ中央に寄せて装着されている。2号機以降のパンタグラフの位置は前述したとおり前後端ぎりぎりの位置につく。

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上の2点はアメリカの蒸気機関車とカブースの図面。カブースは車掌車?で、通常は貨物列車の最後尾に連結される。一段高い櫓は前方の貨車の様子を見るためのもので、櫓の右側の屋根に立っているのはストーブの煙突。

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上の4点は1950年に交通博物館が発行した「交通社会科のしおりNo. 2 蒸気機関車の80年」。蒸気機関車の変遷が一目でわかるフォルダー。この頃の入場料は大人20円、子供10円であった。筆者は年間パスを持っておりちょくちょく出かけていた。

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上の4点は1951年に交通博物館が発行した「交通社会科のしおりNo. 3 電車の進歩60年」。

 筆者が熱中した鉄道模型はOゲージであったが、中学1年の時1台だけHOゲージの自由形電車をつくったことがある。ボール紙に片刃の剃刀で窓を切り抜き、床と屋根は木を加工して組み立てたもので、これは処分せずに保存しているはずであったが、いくら探しても現れなかった。もう1点、OゲージのD18型台車も一緒に保存しているはずなのだが現時点で見つかっていない。この台車は真鍮板でできており、コイルスプリングによって軸受けが可動するタイプで、レールの継ぎ目を通過するときの音がうっとりするほどすばらしい。実車の音をそのまま縮尺したように感じるのは筆者だけかも。
 25年ほど前にメルクリンのタンク機+貨車+レール+トランスのセットを買って走らせてみたが、昔のようなわくわくする感覚は湧かなかった。
 最後に、模型を探しているときに現れた、ちょっと変わったアイテムを3点紹介する。

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これはフォードが販売促進用ツールとして製作した1/24スケールのプラモデル。ドアもボンネットも開かないシンプルなモデルだが、外観は忠実に再現されている。最初に送られてきたのは1955年型サンダーバードであったが、むき出しで飾っておいたら汚れと変形がひどく、お見せできる状態ではなくなってしまった。ここに紹介するのは箱に入れたまま戸棚の奥に入っていたので良いコンディションが保たれていた。左から1963年型Ford Galaxie 500 Club Victoria、1963年型Mercury Comet S22 Convertible、1963年型Mercury Monterey S-55 Convertible。

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これはKLMの機内販売で手に入れた「old timers set」。エアラインの機内販売ではときどき魅力的なモノが見つかるので、忘れずにチェックが必要だと思っている。

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これは1988年にシンガポール航空(SIA)が創立40周年を記念して、プライオリティ・パッセンジャーに贈ったセランゴールピューター製モデル。機種はSIAが創業当時採用していた「エアスピード・コンサル(Airspeed Consul)」。台座のプレートには筆者の名前が打刻されている。このようなアイテムはたまたま企業の節目の年にめぐり合わせないとチャンスが無いので手に入れるのは難しい。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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