1962 Jaguar E-type SeriesⅠRoadster
「Eタイプ」は「Cタイプ」「Dタイプ」と続いたジャガーのレーシング・シリーズの次に誕生した新しいシリーズだ。しかし「C,Dタイプ」が純粋のレーシングカーだったのに反して、「Eタイプ」は、レースで闘う底力を持ちながらも、快適な高速ツーリングが出来る充分な内装を備えた「グラン・ツーリスモ」的な車に仕上げられており、すでにその傾向を示していた「XK150」の後継車として「XK160」を名乗るべきだったかもしれない。だが、ルマンで5回も優勝した「Cタイプ」「Dタイプ」の名声を利用しない手はないと考えた末の命名だったのだろう。スパルタンな「スポーツカー」が少なくなり、クーラーまで付いた「グラン・ツーリスモ」が増えるのは時代の流れでもあった。元々レース活動にはあまり積極的では無かった「ライオンズ」は、「Dタイプ」の生産が終了した時点でメーカーとしてのレース活動は中止と決めていたから、「Eタイプ」ではファクトリーとしては参加していない。しかし、プライベート・チームのためにごく少量だがメーカー仕様のレーシングモデルを提供している。
・「Eタイプ」が造られた1961年から75年にかけてのジャガーの生産体制を見ると、大型サルーンは「マークⅨ」「マークX」「420G」と続き、中型サルーンは「Mk2」→「240/340」→「Sタイプ」及び「420」と、その後継車として68年には「XJシリーズ」が誕生、第一弾として直列6気筒2,8ℓと4.2ℓの「XJ6」が発表された。この後レーシング・タイプ「XJRシリーズ」の基となるV12 5.3ℓの「XJ12」は1972年にスタートしている。
・「E-タイプ」は大別して3つのシリーズに分類される。
(00) 1960 E2A(ルマン・E-type Prototype)
(01a) 1961~64 SeriesⅠ( 3.8 ℓ) Roadster/Coupe
(01b) 1964~67 SeriesⅠ(4.2 ℓ) Roadster/Coupe
(01c) 1966~68 SeriesⅠ(4.2 ℓ) 2+2 Coupe
(02) 1968~71 SeriesⅡ(4.2 ℓ) Roadster/Coupe/2+2 Coupe
(03) 1971~75 SeriesⅢ(V12 5.3 ℓ) Roadster/Coupe/2+2 Coupe
(00)<Eタイプ・プロトタイプ>
(写真00-1ab) 1960 Jaguar E2A 3.8litre (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード)
「Eタイプ」のプロトタイプは1960年のルマン24時間レースに「ブリックス・カニンガム」が出走させた「E2A」と云うのが一般に知られている定説だ。その車の登録番号は「VKV752」(写真の車)だ。もしかしたら「E2A」より前の「E1A」があるのではないかと調べた結果見つけたのが参考に添付した1957年「E1A」だ。この車は6気筒2483ccのエンジンを積んでおり、登録番号は「VKV752」だった。という事は現存する「E2A」と同じなので、これをベースに2997cc(後に3781cc)に強化され、ルマンに出たと思われる。文献が少ないのは早い時期に「E2A」となってしまいあまり写真が残っていないことと、当時の仕様で車が現存しないせいだろう。
(参考-1) 1957 Jaguar E-type Prototype E1A
幻の「E1A」の写真がこれだ。「Dタイプ」のモノコック構造を引き継いだアルミ製のボディを持ち、テールフィンは付いていない。細かいことは不明だが、登録番号は紛れもなく(VKV752)である事が確認できる。英国車の場合はこの登録番号が日本の「マイナンバー」の様に固有番号としてずっと変わらないから、素性を確認する場合に凄く役に立つ。
(参考-2)1960 Jaguar E2A 3Litre ルマン仕様
現存する「E2A」(VKV752)は3.8 ℓのエンジンを載せているが、ルマンを走った時は3 ℓ(2997cc だった。ルマン仕様のこの車には「E1A」にはなかった大きなテールフィンが付けられている事に注目。「Cタイプ」「Dタイプ」は殆ど「ルマン専用」に開発されたと言ってもいい程特化されていたから、高速での直進性を確保するために必然的にテールフィンは生まれたものだろうが、市販車の「Eタイプ」では「ルマン」は想定外だからテールフィンは付いていない。
(参考-3) 1960年ルマン24時間レースでの「E2A」(VKV752)
アメリカの「ブリックス・カニンガム」チームからエントリーしたので、白地に青線のアメリカのナショナル・レーシングカラーに塗装されている。現存する「E2A」にはないが、この時はまだ大きなテールフィンが付いている。
(1a) <Eタイプ・シリーズⅠ 3.8リッター> (1961-64)
(写真01-1abc) 1961 Jaguar E-type Roadster (1981-11 新東洋企業/青山通り)
発売されて間もないこの車を始めて見た時の僕の印象は、その格好良さもさることながら、この車で日本の道路を走っても大丈夫かという心配だった。1961年(昭36)といえば前回の東京オリンピックの開催される3年前、今から59年も前の事で、道路は穴ぼこだらけだったし、未舗装の砂利道もまだ残っていた。東京周辺の道路が整備されたのはオリンピックのお陰ともいえるので、ピタッと地を這うようなスポーツカーの走れる道路があるかを心配した、と言う訳だ。(因みに東名高速道路が開通したのは1968年)今見ても古臭く感じないボディを60年も前に見た時の印象というものは、その時点での周りの物との相対関係で評価するから、とてつもなく時代を先取りしたモダンな車だった。
(写真01-2ab) 1963 Jaguar E-type Fixedhead Coupe (2000-06 シルバーストーン・サーキット)
この日は「アストンマーチン・クラブ」主催の大集会がシルバーストーン・サーキットで開催され、それを取材して居た際紛れ込んでいた車なので詳細は不明。サーキットを走るため、バンパーは外してある。イギリス特有のどんよりと垂れ下がる雲で、6月も終わりに近いのに身震いするほど寒かった。
(写真01-3ab) 1964 Jaguar E-type Fixedhead Coupe (2004-06 英国国立自動車博物館)
この博物館には有名人の所有していた車が展示されており、訪問するたびに色々替わっていたが、この時は「ザ・ビートルズ」のリードギター「ジョージ・ハリスン」の車が展示されていた。タイプは初期型の3.8リッターモデルだ。(因にグループ名が「ビートルズ」となった1960年は、Eタイプの基となった「E2A」がルマンにデビューした年でもある。)
(01-b) <Eタイプ・シリ-ズⅠ4.2リッター>(1961-68)
(写真01b-1ab) 1964-67 Jaguar E-type Sr.Ⅰ4.2 Roadster (1994-11 京都ホテル前)
1964年になると3.8リッターから4.2リッターに排気量を増やしパワーアップを図った。そのために
87ミリのボアを92.07ミリに拡げたが、ストロークの106ミリは変わらなかった。外見上の変化はなく、リアトランクに「4.2」のエンブレムが追加されただけだ。
・この催しは10台少々の小規模なミーティングだったが、わざわざ京都まで足を延ばした。確か京都ホテルの前だったと記憶しているが、この車はオリジナルが良く保たれたとても綺麗な車だった。
(写真01b-2abc) 1965 Jaguar E-typeSr.Ⅰ4.2 Roadster (2019-04 ジャパン・クラシック・オートモビル/日本橋)
毎年素晴らしいクラシックナーガ集まる「日本橋」のイベントに登場した車だ。最近輸入されたものらしくイギリスの登録番号が付いている。ロードスターの場合には幌はご覧の様に殆ど外にははみ出していない。
(写真01b-3ab) 1965 Jaguar E-type Sr.Ⅰ4.2 Fixedhead Coupe (1974-04 TACSミーティング/筑波サーキット)
モノクロのこの写真を撮ったのは今から46年も前だが、車としては決して古臭い感じはしない。後ろ姿はこの車の最も美しいアングルだ。
(写真01b-4ab) 1966 Jaguar E-type Sr.Ⅰ4.2 Roadster (1985-01 TACSミーティング/明治公園)
ロードスターが幌を上げた姿がこれだ。以前「XK120」の項で取り上げた際はロードスターの幌は想定外の装備で見た目が悪いと酷評したが、「Eタイプ」ともなると、こじんまりと纏まりビシッと決まっている。
(写真(01b-5ab) 1966 Jaguar E-type Sr.Ⅰ4.2 Hardtop Coupe (1966-05 第3回日本GP)
第1回、第2回と「鈴鹿サーキット」で開かれた日本GPは、第3回は新しく竣工した「富士スピードウエイ」に移った。一日目は生憎雨降りだったが、お陰で水しぶきが上がって写真写りは最高だ。
(写真-1b-6ab) 1966 Jaguar E-type Sr.Ⅰ (レース仕様改造車) (2000-06 シルバーストーン)
レース用にエアロ・パーツを付けたEタイプ改造車。
(写真01c-1ab)1968 Jaguar E-type Sr.Ⅰ2+2 Coupe (1967-11 第9回東京オートショー/晴海)
家族が出来れば2シーターが1台だけと言う訳にはいかない。泣く泣くスポーツカーからファミリーカーに乗り換える人を救済するため?生まれたのが、何とか4人乗れるスポーツカーで、古くは「MG-TC」のファミリー版「YAスポーツサルーン」が知られている。収納力が増えた分、何処かを広げなければならないから、スタイルを犠牲にして屋根を膨らました結果、ぼってりした印象は否めない。
(写真01c-2ab)1968 Jaguar E-type Sr.Ⅰ 2+2 Coupe (1976-03 富士スピードウエイ付近)
富士スピードウエイのレースを見に行った帰り、外に出た所で出会ったのがこの車だ。車は止まっている時よりも走っている時の方が素敵に見える。最近の事はわからないが、昔はレースを見た帰り道は皆んなレーシング・ドライバーになったような気分でぶっ飛ばしたものだ。
(02) <Eタイプ4,2リッター・-シリーズⅡ> (1968-71)
(写真02a-1ab) 1968 Jaguar E-type 4.2 Sr.Ⅱ Coup (1986-11 モンテミリア/神戸)
ここからシリーズⅡとなり外見に少々の変化が見られた。変更の理由は輸出先アメリカの安全基準を満たすためでボディシェルに大きな変更は無く、主に付属品の模様替えが行われた。あまりハッキリと判らないがグリルの開口部が拡大されている。その中央にあった細いバーはバンパーと同じ太さで頑丈なものとなった。バンパーの上にあったマーカー・ランプが下に移動し、サイドにターンシグナルが新設された。ヘッドライトが大径化しボディ内に収まり切れなくなって少し前進しカバーは廃止された。エンジンの排気量は4.2リッターで変わらないが排ガス対策で出力が低下している。
(写真02a-2ab) 1970 Jaguar E-type 4.2 Sr.Ⅱ Coupe (1969-11 第11回東京オートショー/晴海)
シリースⅡとなってからは、「フィックスドヘッド・クーペ」という洒落た呼び名は、ただの「クーペ」と変わった。(英国版The Jaguar File参照) 1970年にはB.L.M.C.の傘下にあることが判る。
(写真02b-1a) 1968-70 Jaguar E-type 4.2 Sr.ⅡRoadster (1980-11 SCCJ/富士スピードウエイ)
この車にはシリーズⅡの特徴の一つとなるグリルの中央にある筈のバンパーから続く横バーが無い。その他の特徴がすべて条件を満たしているのでシリーズⅡとしたが、シリーズⅠの末期1967年にはヘッドライトが大型化されたモデルが誕生しており、シリーズ1½と呼ばれているものがある。この車がそれに該当するかは不明。
(写真02b-2a) 1969 Jaguar E-type 4.2 Sr.ⅡRoadster (1988-01 TACSミーティング/明治公園)
この車はシリーズⅡの特徴をしっかり備えたロードスターだ。ヘッドライトがカバーに入り切れず飛び出しているのが特徴。
(写真02c-1abc) 1969 Jaguar E-type 4.2 Sr.Ⅱ2+2 (2015-11 トヨタクラシックカーフェスタ)
(参考)1950 Chevrolrt Fleetline (50年代のアメリカには大衆車でもこんな素敵な車があった)
2+2の後ろ姿は「太り気味」でクーペのすっきり感が感じられない。これだけ膨らむと1940年代後半から50年代初期にかけてのアメリカ車のようだ。
(03) <Eタイプ・シリーズⅢ・V12 5.3リッター>(1971-75)
(写真03a-1a~d) 1973 Jaguar E-type Sr.Ⅲ V12 5.3litre Roadster (1986-01 TACS/明治公園)
排ガス対策で骨抜きにされた4.2リッターエンジンに飽き足らず、次に登場したシリーズⅢにはジャガーの市販車としては初めてとなるV型 12気筒の5.3リッターモデルが登場した。90×70×12 5850ccという仕様は、戦後長年続いた「XKシリーズ」エンジンとは全く無関係の新型だった。初期の4.2 ℓ が265ps,シリーズⅡの171psに対して、排ガス対策後で272psが確保されていた。外見はフロントグリルに格子状の枠がつき、簡単に見分けられる。-
(写真03b-1ab) 1972-73 Jaguar E-type Sr.ⅢV12 5.3Litre 2+2 Coupe (1990-07 アメリカンドリームカー・フェア/幕張)
シリーズⅢの2+2だけの特徴は、リアゲ―トに「ルーバー」が付いていることだ。
(写真03c-1a) 1974 Jaguar XJR1(E-type V12) 5.4Litre (2000-06 グッドウッド)
この車は外見からしてシリーズⅢ のEタイプを5.4リッターに改造したレーシングモデルだが、車名は「XJR1」となっており、このあと出てくる「XJR」レーシングカー・シリーズの先駆けとなった車のようだ。
<ファクトリー・チューン>
(04) <Eタイプ・ロードラッグ>
(写真04-1a~d) 1961 Jaguar E-type Low-drag Coupe 3.8Litre (2000-06 グッドウッド)
ファクトリーとしてレースには参加しないことになったが、プライベートで参戦する有力チームのため、造られた「ファクトリー・チューン」のレーシングカーの第1陣がこの車だ。全部で3台造られたと記録があり、1台目は軽量化の為ノーマルより薄い鋼板で造られた。この車はシャシーナンバー「EC001」とあるのでその車と思われる。
(写真04-2a~d) 1964 Jaguar E-type Low-drag Coupe3.8Litre (2000-06 グッドウッド)
1台目が完成したあと、アルミ製のボディでもホモロゲーションが取れることがわかり2、3号車のボディはアルミ製となった。それが良く判るのはリアフェンダーの継ぎ目で、アルミは溶接が難しいのでリベットで処理されている。並の「Eタイプ」に較べると随分グラマラスなお尻だ。
(05) <Eタイプ・ライトウエイト>
(写真04-1a~d) 1963 Jaguar E-type Lightweight 3.8Litre (2000-06 グッドウッド)
見た目はオリジナルのEタイプと殆ど変わらないが、ボディをアルミニュウム製に変えたこのシリーズは重量を920キロに抑え、市販車(ロードスター)より286キロもの軽量化に成功し、名前も「ライトウエイト」と名付けた。エンジンもルーカス製のインジェクションに換えられ300hp 以上に強化された。全部で12台造られたが、当時絶好調の「フェラーリ250 GTO」の大活躍の陰で、「Cタイプ」「Dタイプ」ほど華々しい結果は残せなかった。
(06) <XJ-13> (V12 ミッドシップ・エンジン)
(写真06-1a~e) 1965 Jaguar XJ13 5Litre V12 Prototype (2000-06 グッドウッド)
1960年代に「Dタイプ」の後継車としてルマン24時間レースを目指して開発された車で、ジャガーとしては最初の「ミッドシップ」タイプで、エンジンも初めての「V型12気筒」が採用された。この車はとても運の悪い車で、高性能だったのに一度も活躍の場が与えられなかった。その出だしからして、設計完了後も財政難から着工が1年保留された。日進月歩のレーシングカーの1年は大きなマイナスだ。それでも1966年3月には完成し67年のルマンに向け試走を続けていたが、折から「BMC」との合併問題が浮上し、レースどころではなくなってルマンの出場は中止されてしまった。それでも諦めきれない開発担当者の「ビル・ヘインズ」は「ライオンズ」に内緒でMIRAテストセンターの高速周回路でテスト走行を行い、最高速度時速280キロで、コースのラップレコードを破る走りを見せた。この車のエンジンはXKシリーズの6気筒をV型に配置した形で成り立っており、DOHC 4994cc 512ps/7500rpmは同時代のライバル達と十分戦えるものだった。ところがまたまた運の悪いことにFIAのレギュレーションが変更になり、68年からの「グループ6プロトタイプ」の排気量は「3リッター」となってしまい、「5リッター」の「XJ13」はレース出場の機会を失うと共に、販売目標も失い開発は終了した。
・それから4年後の1971年、「Eタイプ」シリーズⅢでV12エンジンが採用されると、この車は倉庫から引き出されプロモーションビデオ撮影のためサーキットで走ることになった。しかし再び悲劇がおそいかかる。長年メンテナンスされていなかったため高速走行中にリアホイールが限界を超え破損し、車は大破してしまったのだ。
・その後オリジナルの図面と治具を基に修復されたのがこの車で、殆ど新しく造り直したようなものだろう。
(写真06-2a~f) 1966 Jaguar XJ13 5.3Litre V12 Repurica (2004-06 グッドウッド)
この車は1台しか造られていない筈だが、僕は2台撮影して居る。オリジナルとみられる前項の車はワイパーが1本に対してこの車は2本あり、ボンネットの穴の周囲にリベットが無い。リア・トランクの鍵穴の位置が違うなど細かい相違点がある。オリジナルの設計図と治具が有ればシャシーやボディのレプリカは容易に作ることは可能だろう。ただしこの車には5.3リッターのエンジンが積まれているとある。オリジナルのエンジンは5リッターなのでエンジンだけは「Eタイプ」のV12を転用したレプリカと判定した。
(07) <XJ-S> (1976~96)
(写真07-1ab) 1975 Jaguar XJ-S Coupe (1982-05 TACSミーティング/筑波サーキット)
この車は「Eタイプ」の後継車となるべく「XK-F」として開発され、順当にいけば「Fタイプ」となった筈の車だった。ただ、ベースとなったのは大型乗用車「XJシリーズ」で、そのスポーツ・バージョンとすれば両車のイメージアップが図れると見て途中から「XJ-S」に変更された。シャシーはサルーンを170mm縮めて2,590mmにしたが、サスペンションの形式は同系統が使われている。初代のエンジンは「XJ12」「Eタイプ」と共通のV12 SOHC 5344ccが採用された。発売当初はクーペのみでオープンは造られなかったのは、最初から居住性を重視した「グランツリスモ」をめざしたもので、「フェアレディZ」とも共通する方向付けだ。1976年から96年まで21年の長い間、ジャガー唯一のスポーツカーとして生産された。
(写真07-2abc) 1977 Jaguar XJ-S Coupe (2017-10 日本自動車博物館/小松市)
オリジナルのヘッドライトは「変形楕円形」の2灯式だが、日本、アメリカ輸出向けに4灯もある。この車は「左ハンドル」なのでアメリカ向けだろうか。
(写真07-3abc) 1985 Jaguar XJ-SC V12 Cabriolet (1991-05 南青山通り付近)
発売後10年経って1985年には「XJ-S」にも「カブリオレ」が追加された。もちろん「クーペ」に劣らない居住性が保証されたものだ。1979年からは日本向けの「右ハンドル」が造られているので「左ハンドル」で、「2灯式」のこの車はヨーロッパ仕様だろうか。堂々たる見た目は、大型サルーンにも匹敵する貫禄で、もはやスポーツカーとは別の存在を示している。
(写真07-4a) 1976/77 Jaguar XJR2/3 (XJ-S) TransAm 5.4Litre (2000-06 グッドウッド)
この時期ジャガーでレースをしようと考えたら「XK-S」をベースにするしかないのだろう。1976、77年の「トランザム」に出走したこの車は「XJR2」となっているがベースは初期の「XJ-S」が使用されている。
<XJRシリーズ>
乗用車の「XJシリーズ」が誕生したのは1968年で、一方スポーツ・バージョンを担当する「Eタイプ」は1975年まで生産されていた。その後は「XJ-S」が継いだから、この時点ジャガーは全て「XJシリーズ」となった。従って、以後造られる「レーシングモデル」は「XJR」を名乗ることになる。
(08-6) <XJR-7>
(写真08-6ab) 1985 Jaguar XJR-7 (XJR-5改) 5.3Litre (2000-06 グッドウッド)
順序は後先になるが、この車は元々は1982年「XJR-5」として造られ、改造された86年時点で「XJR-6」が出来ていたので「XJR-7」となったものだ。(「XJR-5」は1982年からレースに参戦し、ルマン24時間レースで84年はリタイアしたが、85年にはクラス優勝している。)紛らわしいが「44」という数字は車番では無く「グループ44レーシング」というチーム名だ。(レースの際は可能な限り㊹番をもらっていたようだ)オーナー兼ドライバーの「ボブ・トゥリウス」がジャガーから「XJ-S」のエンジンの提供を受け「IMSA」用に開発されたプロトタイプ・レーシングカーで、5台目のジャガーだったところから「XJR-5」と命名された。「XJR-7」は、翌1986年から88年まで参戦したが、「ポルシェ962」が強く86年の「デイトナ」で1勝を挙げるにとどまった。
(08-7) <XJR-6>
(写真08-7ab) 1985 Jaguae XLR-6 6.5Litre (2000-06 /グッドウッド)
プライベートチームの「XJR-5」の、レースでの戦いぶりに可能性を見たジャガーは、その車をテストした結果、ファクトリーとしてレース活動をすることに踏み切った。その結果生まれたのがこの車で、シリーズの連番として「XJR-6」となったが「XJR-5」とは全く関連は無い。カテゴリーは「グループCカー」で、チーム名は監督兼ドライバーの名前から「トム・ウオーキンショー・レーシング」(TWR)と付けられた。ウオーキンショーは以前「ツーリングカーレース」でジャガーのワークチームに所属し「ドライバーズチャンピオン」を獲った名ドライバーだ。この車は1985-86年の2年レース活動を続けたが、86年からは「シルク・カット」塗装となるので、グリーンのこの車は85年型で、エンジンはV12 6219cc をミッドシップに搭載している。後継車は「XJR-8」となる。 .
(08-8) <XJR-8>
(写真08-8abc) 1987 Jaguar XJR-8 LM 7Litre (2010-07 英国国立自動車博物館/ビューリー)
「XJR-8」は「-7」の後継ではなく「-6」の改良型で、5台の内2台は」「XJR-6」そのものを改造したものだった。写真の車は「シャシーNo.287」なので87年型2号車で、この年ルマン24時間レースで5位となっている。この車は改造され「XJR-9 LM」になったとされているが、その所為か塗装は88年仕様となっている。
(参考) 1987年 ルマン走行時の塗装
87年は後輪のカバーが付いていない(外してある?)ので黄色のラインが目立たないが、付いていれば後ろが跳ね上がっている。ただ文字の後のブロックの模様は無い。
(08-9) <XJR-9>
(写真08-9a~d) 1988 Jaguar XJR-9 LM (2000-06/2010-07 グッドウッド)
「XJR-9」は全部で9台造られた。うち3台は87年の「XJR-8」からの改造で、中でも「シャシーNo.186」は「XJR-6」「XJR-8」と3代にわたって変身している。これからも判るように財政の豊かでないジャガーは毎年使いまわしで経費を抑えるという苦しい状態だった事が伺える。しかしこんな中で「ルマン24時間レース」では31年ぶりに、ジャガーとしては6度目となる優勝を飾った。その②番の車は「シャシーNo.488」で、普段は「ジャガー・ミュージアム」に保存、展示されている。
(08-11) <XJR-11>
(写真08-11ab) 1990 Jaguar XJR-11 3.5Litre Turbo (2000-06 グッドウッド)
「XJR-10」は「XJR-9」の発展型で「IMSA-GTPクラス」のため開発され、V6 2991cc Twin-Turbo エンジンを搭載していたが、「グループCカー」にもターボエンジンが採用されることになり、殆ど同じ仕様の車体に排気量3498cc のエンジンを載せたのが「XJR-11」となった。地元「シルバーストーン」で優勝した以外には目立った活躍は無かった。
(08-12) <XJR-12>
(写真08-12ab) 1990 Jaguar XJR-12 7litre (2007-06 グッドウッド)
「XJR-12」はターボの「XJR-11」の後継ではなく、自然吸気のV12エンジンで「XJR-9」の発展型である。1990年から93年まで4シーズンを戦った。写真の③番は1990年のルマンで優勝した「シャシーNo.1090」の車だが、元は88年型の「XJR-9」(288)を改造しリナンバーしたものだ。
(写真08-12cd) 1991-Jaguar XJR-12 7Litre (2000-06 グッドウッド)
同じ「XJR-12」のルマン仕様だが1991年はシルク・カット」塗装が大きく変わった。㉟番は「シャシーNo.990」で優勝は出来なかったが2位に喰い込み3位、4位もジャガーが続いた。
(08-14) <XJR-14>
(写真08-14ab) 1991-Jaguar XJR-14 (2010-07 /グッドウッド)
「XJRシリーズ」最後となったのがこの「XJR-14」だ。シリーズとしては「13」を飛ばした配列だが、欧米で忌み嫌う「13」を避けたのではなく、すでに1967年に「XJ13」というミッドエンジンのレーシングカーが存在していたためだろう。
・「XJR-6」をベースに「XJR-8」「XJR-9」「XJR-12」と改造、発展してきたこのシリーズだが、今度は全く異次元のニューモデルの誕生だ。デザイナーは「ロス・ブラウン」と聞いただけでなんとなく勝てそうと思ってしまう程の、カリスマ的「優勝請負人」のイメージを持つ存在だ。カテゴリーはルマン24時間レースなどに出走する「グループCカー」で、この車の事を「スポーツカーの形をしたフォミュラーマシン」とか「2座席のF1」と評しているところからも、その凄さが想像される。ドアが省略されサイドシルで剛性を高めているカーボン製のモノコックのボディは外注され「マーチ」で製作された。エンジンは自然吸気V8 3500ccがミッドシップに搭載された。しかしこのエンジンは「ジャガー」のカムカバーを付けてはいるが、中身は当時F1で使用されていた「フォード・コスワースHB」を中・低速トルク型に変更したものだ。だからこの車は「ジャガー」というよりは、ジャガーのワークスとして戦っている「TWR」(トム・ウオーキンショー・レーシング)の車といった方が良いかもしれない。1991年シーズンは③号と④号の2台体制で参戦、開幕戦「鈴鹿」③④リタイア、第2戦「モンツァ」③優勝④2位、第3戦「シルバーストーン」③3位④優勝、第4戦「ルマン」XJR-12が出走(XJR-14は予選のみ)、第5戦「ニュルブルクリンク」③優勝④2位、第6戦「マニクール」③5位④4位、第7戦「メキシコ」③6位④出走せず、最終戦「オートポリス」③2位④3位、と結果を残し優勝3回、2位2回、3,4,5,6位各1回、と着実にポイントを上げ「チーム・タイトル」も獲得した。ところが翌1992年になると前年でスポンサー契約の切れた「シルクカット」に代わるスポンサーが見つからず、残念ながら「TWR」としてはレースの続行が不可能となってしまった。
(09) <XJ220>
(写真09-2a~d) 1997 Jaguar XJ220 (2000-06 グッドウッド)
「XJ220」はレーシングカーではなくスポーツカーである。と言うよりは「スーパーカー」と言った方が良いかもしれない。造られたのは1991-93年の筈だがプログラムに従って「1997年」とした。「Eタイプ」や「XJ-S」の後継として誕生したものではなく、技術者たちのアイデアの習作が実現化されたもので、1988年のモーターショーに展示されるや、たちまち1500台注文が殺到し発売が決定された。当初はDOHC V12 6リッターエンジンを予定していたがあまりのも大きすぎるため「XJR-10」で使用していた3.5リッターV6 DOHC ツインターボに変更された。ネーミングの由来は、目標とした「最高速220マイル」(354キロ)に因んで命名されたが、思えば42年前の「SS100」が目標としたのは最高速100マイルだったから、その倍以上となっている。実際には216マイルに留まったがそれでも当時としては最速だった。当初は限定220台の予定だったが、最終的には281台が製造された。
(写真09-2a) 1993 Jaguar XJ220C 3.5Litre Turbo (2000-06 グッドウッド)
この車は1993年ルマン24時間レースのGTクラスで参加し、総合で15位(クラス優勝)している。
(10) <リスター・ジャガー>
「リスター」というレーシングチームは、1926年生まれの「ブライアン・リスター」が、1954年イギリスのケンブリッジで自らシャシーを造ったのが発祥だ。「リスター・ジャガー」が有名だが、ほかに「MG」「ブリストル」「マセラティ」「コルベット」などいろいろなエンジンを試している。
(写真10-1a~d) 1959 Lister Jaguar Knobbly (2004-06 プレスコット・サーキット/イギリス)
ジャガー・エンジンを使ったプライベート・チームでは「リスター・ジャガー」が有名だが、中でもノブリー・ボディーのこのタイプが一番よく知られる。シャシーは「リスター」の手で仕上げられたものと思われるが、エンジンと共にホイールも「ジャガー・Dタイプ」のものが使われている。
(写真10-2a~e) 1959 Lister Jaguar Costin 3.8Litre (2000-06 グッドウッド)
極限まで空気抵抗を抑えたボディは「ノブリー」の最新モデルだと説明にあった。塗装からも判るように、アメリカの「カニンガム・チーム」に所属していた車で、ベースとなったのはセミファクトリーチームのDタイプ用3.8リッターのスペシャル・エンジンが搭載されている。「Costin」という名前は、イギリスのスポーツカー「マーコス」の二人の創立者「マーシュ+コスティン」の一人「フランク・コスティン」と関係が有りそうだが僕の手元の資料からは確認できなかった。
―次回は「SS」時代から続く「サルーン」の歴史を予定しています―