「M-BASE」に出稿を初めて、早くも100回の節目を迎えた。そこで今回は筆者のコレクションについて少し紹介しようと思う。現役からリタイアしたあとも、退屈しないために何かライフワークとなる趣味を持つことをお勧めする。コレクションもその一つだが、リタイアしてから始めるのではなく、リタイア前にベースを作っておくと良い。「継続は力なり」を座右の銘としているが、長く続けることが大事だ。
筆者が最も興味を持って集めたのは自動車カタログで、1954年から始めたが、ただ集めるだけでは飽き足らず、関連する書籍(主に歴史書が多いが)を揃えることになる。最大の問題はそれらの体積と重量である。20畳の書庫にぎっしり詰まり、まともに歩けるスペースはほぼ無くなった。収納は書庫の2面にB4サイズの引き出し式キャビネット、残りの2面にはオープンラック、そして中央には移動式書棚が3列、それぞれの列には両面使える書棚が5台ずつ載っている。移動式書棚は既製品では大きすぎるし高価なので自作した。問題は車輪で、書棚1台で600kgほどの重量を4個で支える既成の重量戸車は巨大なもので使い物にならず、NTNに電話してカタログを取り寄せ、直径30mmほどのZタイプボールベアリングを70個ほど購入し、軸受けを自作して取り付けた。動きも実にスムースで大成功であった。一番の悩みは重量対策で、紙は重く、量ったことは無いが、おそらく数十トンはある重量を支える床の強度が必要で、大工さんに頼んで作った最初の書庫は床が抜けてしまった。そこで現在の書庫は基礎から自作したものである。
以下にコレクションのほんの一部を紹介するが、内容はプレスキット、書籍、クルマの写真、取扱説明書、クルマの絵葉書、ミニチュアカー、飛行機の絵葉書、エアラインのトランプ、ボーディングパス、船の絵葉書、切手、マッチのラベル、コインで、カタログは今後の話のタネに取っておくことにする。
1960~70年代のアメ車のプレスキット。厚紙のフォルダーにリリースとモノクロ写真が入ったシンプルなものが多かった。
2003年型GMのプレスキットセット。一つのケースに収められた資料としては、手にした中で最も重い代物であった。企業情報、パワートレーンのほか、キャディラック、ビュイック、オールズモビル、ポンティアック、シボレー、シボレートラック、GMC,サターン、サーブ、ハマーのファイルが揃っていた。これでもかなり控えめになったもので、最も豪華なプレスキットを競って制作していたのは1990年代であった。一つのブランド紹介に厚さ5~10センチ近くのバインダーが使用されていることが多かった。
プレスキットを収めた書棚の一部。上段左はメルセデス、右はフォルクスワーゲン。下段左はアウディ、右はクライスラー。
これは書棚の一部。左は主にアメ車関連の書籍、右の最上段には1940~50年代のアメ車の雑誌広告スクラップ、中段はヨーロッパ車の大型本、下段には社史。
旧いクルマのオフィシャルフォトも一時期熱心に集めた。これはランチャの写真の一部。
ラリーフォトにも一時期興味を持った。これもランチャの写真の一部。
カタログでは分からない構造や操作方法を知るために入手したインストラクションブック/オーナーズマニュアル(OM)のほんの一部。どうしても手に入らなかったのがロールスロイスのOM。1台に1冊しか発行しないとの理由であった。フェラーリ250のOMは、フェラーリの愛好家であったGMデザインのチャールズ M. ジョーダン副社長に懇願され差し上げた。お礼にコルベットのカタログを頂戴した。さらに仲介した友人からは写真の中段右端のトライアンフを含め4冊のOMも頂戴した。
サービスマニュアルも一時期集めたが、あまりにもかさばるのですぐにあきらめた。
クルマの絵葉書も博物館訪問時などには必ず購入するアイテムの一つだ。数が多いとピックアップするのが大変で、同じものを2枚買ってしまったりする。その点、フランスのミュルーズ国立自動車博物館ではすべての絵葉書をセットにして箱に収めて販売しているので助かる。この博物館はもともと繊維産業で財を成したシュルンプ兄弟の個人的なコレクションで非公開であったが、シュルンプ兄弟が破産したため、フランス政府が国立博物館として公開したもので、ブガッティを主体とした膨大なコレクションで2日がかりで訪問した。ここに載せた絵葉書はミュルーズの博物館とは関係がない。
本格的に集めているわけではないが、いつの間にか増えるのがミニチュアカーだ。まだまだしまい込まれているのがたくさんある。ほかに、ダイキャスト製のクルマ型貯金箱、組み立てる暇がなかったプラモデル。お気に入りはフジミ製のポルシェ356シリーズで、海外出張が多かったので、模型屋さんに出たら取っておくようにお願いしてせっせと集めたが、1台も組み立てていない。
旅客機の絵葉書。飛行機に乗ると必ず頂戴することにしている。1970年代の絵葉書が集団で姿を見せてくれなかった。クルマほど関心が無いのでしまい忘れてしまった。
絵葉書と共にあれば頂戴することにしているトランプ。気持ちよく頂戴するにはCAたちが忙しく働いているときは避け、一段落してくつろいでいる時を見計らってお願いするようにしていた。その結果がこれ。
ボーディングパスも旅の記録になる。「こちらからご搭乗ください」と指示のある珍しいもの。うえの2枚は座席指定ではなく、自由席であった。1971年にメキシコからキューバに飛ぶキューバ航空に乗ったが、座席指定ではなかったが、CAの指示で前方から順に座らされ、好きな椅子に座ることは許されなかった。空調が利かず、猛烈に寒かったと記憶する。
戦前に活躍した日本の商船絵葉書。上段左側は「浅間丸」1万7000トン、右側は「秩父丸」1万7500トン。下段の上2枚は「鎌倉丸」1万7500トン、下2枚は「秩父丸」。
この商船たちは、太平洋戦争中に特設航空母艦に改造された7隻のうちの3隻。右側の2隻「新田丸」1万7200トンは航空母艦「冲鷹」に、左上の「八幡丸」1万7200トンは「雲鷹」に、左下の「アルゼンチナ丸」1万3000トンは「海鷹」となり、いずれも海の藻屑と化している。「新田丸」と「八幡丸」は1940年に竣工し、欧州航路で活躍する最新鋭客船であったが、1942年には空母に改造されてしまった。「アルゼンチナ丸」は1939年に竣工し、南米航路で活躍していたが、1943年に空母に改造されている。
太平洋戦争で徴用され犠牲となった客船や貨物船は7000隻以上、船と共に徴用され犠牲となった民間人船員は6万人を超えると言われる。
戦前の外国商船の絵葉書。300枚を超える船の絵葉書のコレクションは兄の友人から、散逸しないことを条件に頂戴したものである。
切手のコレクションも一時期、家族でそれぞれテーマを決めて熱心に集めたが、長くは続かなかった。これは、1971年にキューバに出張した時に、未使用切手はホテルで、使用済みはみやげ物店で購入したもの。郵便局に行く暇がない時には、ホテルのキャッシャーに頼むと通常切手のほかに、大抵は記念切手もストックしているので購入できる。郵便局の本局に行ければ、大抵はフィラテリックサービスの窓口があるので購入できる。国によってはデポジットしておくと、記念切手発行時に自動的に自宅に送ってくれるサービスもある。デポジットした残高が少なくなったら追加送金すると継続的にサービスが受けられる。南太平洋の島々などでは、外貨獲得のため記念切手を乱発しているので「今ある記念切手を全部1枚ずつください」などと頼むと結構な金額になるのでご注意を。
これはアメリカの友人が送ってくれた「アメリカ建国200年祭記念切手シート」。50州の州旗をあしらった13セント切手。
最近はマッチにお目に掛かることはなくなったが、かつては多くのコレクターがいたと思われるマッチのラベル。これは木の先に火薬をつけたものではなく、くし状になった厚紙の先に火薬が付いており、ちぎって使うタイプで、薄くて携帯に便利であった。箱に入ったものもかなり集めていたが、危ないので処分してしまった。ここに紹介したものは、まだ海外出張が珍しく、羽田空港に大勢で見送りに来て、なんと、万歳で見送られて出発した、1970年にハワイ経由でアメリカへ行き、デトロイト~サンフランシスコ間を西行きはルート66を、東行きはルート60を使って大陸横断した時と、翌年にはアメリカと中南米(メキシコ~チリ、アルゼンチ)に出張した時に集めたもので、捨てるには忍び難くとっておいたもの。2度目の出張時には羽田での万歳は無かった。
外国を訪れた時には、その国の紙幣やコインもコレクションの対象になります。ここに紹介したのは上の左から1881年と1922年の1ドルコイン。下は左から1899年、1944年、1962年の½ドルコイン。このような旧いコインにも巡り合うこともできる。コインもホテルのキャッシャーと親しくなると、思わぬ掘り出し物に遭遇することもある。クアラルンプールの定宿にしていたホテルで、キャッシャーが「めずらしいものがあるよ」と声をかけてきたので近寄ると、直径6センチほどの大きな記念コインを見せ、お客がこのコインで支払ったというではないか。早速マネージャーと交渉し、額面価格で交換していただいた。そのコインを見ていただこうと思い探したが、簡単には姿を現してはくれなかった。
ほかにも、1970年のアメリカ出張時に、途中立ち寄ったレストランの紙製ランチョンマットも、ものすごくきれいで魅力を感じ集めたが、これもどこかに隠れて出てこなかった。