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第97回 Automobile Council 2020
2020.8.27

 今回は、7月31日(金)~8月2日(日)の3日間、幕張メッセで開催された「第5回 Automobile Council 2020」について紹介する。このイベントは当初4月に開催の予定であったが、新型コロナ感染拡大によって延期されていたが、外出制限の緩和とオリンピック延期によって会場の確保ができたことから、万全の感染対策をした上、入場制限をして開催された。回を重ねるにしたがって来場者数が増え、昨年は3万4692名に達したが、今回はわずか1万1230名であった。当然想定されたことではあったが「厳しい環境下においても、自動車文化を後世に伝えるという使命をまっとうする。」という主催者の強い意志のもと開催されたのであった。

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ガイドマップと会場の様子。後方にはボルボ、メルセデス(ヤナセ)、マクラーレン、ジャガー・ランドローバー、ホンダ、ポルシェなどのブースが並ぶ。

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今年の主催者展示は、テーマを「60年代ルマンカーの凄みと美しさ」と銘打って、1963年に初めてアルピーヌの名を冠してルマンデビューを果たしたレーシングスポーツM63と、1966年のイソ・グリフォA3/Cの2台であった。展示されたアルピーヌはM63の1号車(シャシーNo. 1701)で、996cc 4気筒95bhpのエンジンをリアに積むが、空気抵抗係数Cd値0.20~0.22という驚異的な空力ボディーによって、最高速度は240km/hに達するという。対照的にイソ・グリフォA3/Cはシボレーコルベット用5.3ℓV8をベースにハイチューンを施したエンジンを積む。

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マスクをして、きちっとソーシャルディスタンスを確保して、トヨタ博物館の布垣直昭館長のプレゼンに耳を傾ける来場者たち。

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トヨタは1970年12月に発売され、今年誕生50周年を迎えたセリカに照準を合わせた展示を実施していた。展示車は1973年に追加設定されたLB(リフトバック)2000GT RA25型。

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「セリカは、いままでの車に満足できない人の車です。」のコピーをつけて配布された、広げると53cm×69cmになる八つ折のセリカ最初のフォルダー。

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「未来からやってきた車セリカ」のコピーと共に、「セリカは真のパーソナルカー、真のスペシャルティカー。」と訴求する、セリカ最初のカタログ。拡大して、50年前のカタログを読んでみることをお勧めしたい。ステレオやクーラーは最上位グレードのGTでもオプションであった。

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これは1970年のセリカ発売時、ディーラーの発表会でお土産として頂戴したマンダムのヘアリキッドとトニックのセット。高さ7cmほどの入れ物は携帯にジャストサイズで、筆者と共に40カ国以上を旅している。酷使に耐えかねてフラップはちぎれて哀れな姿になってしまったが、今までに頂戴したお土産で最も活躍してくれた。

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トヨタGAZOOレーシングがプロデュースする「GRヘリテージパーツ」。かつてトヨタが世に送りだしたモデルに乗り続けたいと願うオーナーの声に応えた、絶版パーツの復刻販売である。すでにA70/A80スープラ用の一部パーツが販売されているが、ブースには7月初旬に発表されたトヨタ2000GT用のトランスミッション関係を中心とする復刻パーツを展示。8月1日付けでそれらの価格を発表し、一部パーツを発売開始すること、および現時点で入手可能なトヨタ純正部品のなかに、2000GTに流用可能なものが百数十点あり、そのリストも8月1日付けでリリースされることが明らかにされた。そしてほかの車種用のパーツについても、徐々にではあるが要望に応えられるような体制を作っていくとのことであった。

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ホンダは「劇的な二勝目 RA300」のリーフレットともにRA300の実車を展示した。

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会場に展示されていた第1期F1マシンのミニチュア。左から1964年にF1ドイツGPに初参戦した「RA271」、1965年の最終戦メキシコGPでF1初勝利した「RA272」、1966年に新開発された3000ccの「RA273」、1967年のイタリアGPで通算2勝目を挙げた「RA300」、1968年の水冷「RA301」と空冷「RA302」。そして、四輪市販車の開発に注力するため、1968年を最後に第1期F1活動を休止した。

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今年、創立100周年を迎えたマツダは、R360クーペ、コスモスポーツ、ルーチェ、ファミリアバン、RX-7、そして最新のMX-30などを出展社中最大のスペースを使って展示していた。最も注目したのは、1938年マツダ号GA型(グリーンパネル)三輪トラックで、戦後のオート三輪全盛期を思い出させてくれた。「グリーンパネル」とは、東洋工業が初めて自社製品に付けた愛称で、計器盤がグリーンに塗装されていたことにちなんだネーミングであった。GA型は1938年~敗戦後の1949年まで、12年にわたって生産され、原爆投下からわずか4カ月後には生産が再開され、戦後復興のために大いに活躍した。

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「ヤナセ クラシックカーセンター」の紹介リーフレット。ヤナセは1915年の会社創立以来、ビュイック、キャディラックをはじめ、メルセデス、フォルクスワーゲンなど多くの輸入車販売を手掛け、2018年3月には販売台数累計200万台を達成している。メルセデスをはじめ世界の自動車メーカーが認めたヤナセの技術、経験、知識を活用して、ヤナセが扱ってきたクルマだけでなく、往年の世界の名車を蘇らせることができるとある。

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上の3点は非常に珍しいメルセデスのリアエンジン車、1936年170H(W28)。HはHeckmotor:リアエンジンの意味。この個体は長らくヤナセが保存しており、1985年に約1200時間かけて社内でフルレストアされている。M28Ⅱ型1697cc直列4気筒38hp/3400rpm、10.2kg-m/1800rpmエンジン+4速MT(4速はオーバードライブ)を積む。サイズは全長4200mm、全幅1580mm、全高1600mm、ホイールベース2600mm、車両重量1125kg、最高速度110km/h。コンバーティブルセダンの価格はRM4500(RM:Reichsmark/ライヒスマルク)でセダンはRM4350でした。170Hの生産台数は1507台。

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上の2点はメルセデス・ベンツ170Hのオフィシャルフォトでエンブレムのスリーポインテッドスターにサークルは付いていない。シャシーは後方がフォーク状になった鋼管バックボーン構造で、サスペンションはフロントが上下2対の横置きリーフスプリング、リアはスイングアクスル+コイルスプリング、ステアリングはラックアンドピニオン、タイヤサイズは5.00-17。(Photos : Daimler AG)

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1936年2月に開催されたベルリンモーターショー(The International Motor and Motorcycle Show in Berlin)で、170Hと同時に発表された170V(W136)。VはVornemotor:フロントエンジンの意味。駆動方式は平凡なFR方式であった。エンジンはM136型1697cc直列4気筒38hp/10.2kg-mで170HのM28Ⅱ型と同じだが、トランスミッションは4速MTだが4速はオーバードライブではなかった。サイズは全長4270mm、全幅1570mm、全高1560mm、ホイールベース2845mm、車両重量1100~1160kg、最高速度108km/h。2ドアセダンの価格はRM3750で、170HのRM4350よりRM600安かった。170Vはモデルバリエーションも多く販売は好調で1942年の販売終了までに7万1973台生産されている。(Photo : Daimler AG)

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1934年に発売されたメルセデス初にとどまらず、おそらく世界初といえる量産型リアエンジン車130(W23)。M23型1308cc直列4気筒26hpエンジン+3速MT+ODを積む。サイズは全長4050mm、全幅1520mm、全高1510mm、ホイールベース2500mm、車両重量980kg、最高速度92km/h。1936年に生産終了するまでの生産台数は4298台であった。1934年発売時の価格はイラストのツアラーはRM3900、セダンRM3425、コンバーティブルセダンRM3625であった。ダイムラー・ベンツ社のチーフエンジニアであったフェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand Porsche)の主導で誕生したVWビートルは、会社は1938年に設立されたが、戦争の勃発により、量産は1945年まで始まらず、1946年にようやく一般に販売開始されたが、メルセデス・ベンツ130の12年後であった。

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1934年に登場したリアミッドシップエンジン車150(W30)。130と170Hは日常使う乗用車であったが、150はスポーツイベントへの参加を目的に造られたモデルであった。1935年のベルリンモーターショーに展示され、1936年まで購入は可能であったが、生産台数はスポーツロードスター(W30)(価格RM6600)5台、スポーツセダン(W130)(価格設定なし)6台であった。M30型1498cc直列4気筒55hp/4600rpmエンジン+3速MT+ODを積む。サイズは全長4200mm、全幅1600mm、全高1380mm、ホイールベース2600mm、車両重量980kg、最高速度125km/h。

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上の2点は、メルセデスのリアエンジン3兄弟。下段の写真で、左から150、130そして170H。
 130モデル開発の出発点は、1930年代初頭の困難な経済状況のもとで、自動車を普及させるには、多くの人の手に届く小型で手頃な価格の車を開発する必要があった。ドイツでは国民車構想が話題となっていたが、メルセデス・ベンツブランドは、主にエレガントで高価なモデルを生産してきており、ダイムラー・ベンツ社は国民車の要件に目を向けることはせず、代わりに、根本的に新しいコンセプトであるリアエンジン車開発を目標に選択した。理由は、リアマウントエンジンにより、スペースをより有効に活用でき、ホイールベースが比較的短い車では、これにより乗客の足元のスペースが増えるだけでなく、ドライブユニット全体を1つのユニットに集中させることができ、プロペラシャフトを必要としないため、車両の重量と伝達損失が減少するという利点があると考えていた。しかし、造ってみると、リアエンジン車の持つ従来の設計概念との相違は、当時の市場には受け入れられなかったようだ。特にメルセデス・ベンツの場合は、伝統的に、ほとんど象徴的なラジエーターグリルによって購入の決定がされていたと思われ、ラジエーターグリルのないリアエンジン車のフロントエンドは敬遠されたのではないだろうか。
 興味深いのはエンブレムで、130にはサークル付きのスリーポインテッドスター、150にはおなじみのスタンディングメルセデススター、そして170Hにはサークルなしのスリーポインテッドスターが装着されている。(Photos : Daimler AG)

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上の4点は、1959年ACグレイハウンド ブリストルとそのエンジン。ACといえばACコブラが有名だが、1959年~1963年に4シーターのスポーツサルーン「ACグレイハウンド」が販売された。生産台数は80台ほどといわれる稀少車である。筆者もじっくりお目にかかったのは初めてであった。993万円のプライスタグが付いていた。

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ACグレイハウンドのカタログ。エンジンはブリストルのD2タイプ 2L直列6気筒125bhp/5750rpm、16.9kg-m/4500rpm、これに4速MTとオプションでODが組み合わせられた。エンジンは特別注文でブリストルのBタイプ 2.2L 105bhp/5000rpmも選択可能であった。サイズは全長4445mm、全幅1664mm、全高1333mm、ホイールベース2540mm、車両重量1016kg。

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ブリストル100D2タイプエンジン。

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上の3点は1922年10月のパリサロンで初公開されたランチア ラムダ。ラムダはヴィンチェンツォ・ランチア(Vincenzo Lancia)の傑作であり、自動車のコンセプトに革命をもたらした多くの新しい技術的特徴を備えていた。世界で初めて前輪独立懸架およびモノコックボディーを採用したクルマであった。1922年のⅠシリーズから1928年のⅨシリーズまであり、エンジンは狭角13°のV型4気筒でⅠ~Ⅵシリーズには2120cc 50hp/3250rpmが、1926年のⅦシリーズには2370cc 58hp/3250rpm、そして1928年のⅧとⅨシリーズには2570cc 69hp/3500rpmが積まれた。トランスミッションはⅠ~Ⅳシリーズには3速MT、Ⅴシリーズからは4速MTが装着された。最高速度は115km/h(ⅧとⅨシリーズは120km/h)。生産台数はⅠ~Ⅵ:4581台、Ⅶ:3001台、Ⅷ~Ⅸ:4304台、合計1万1886台。

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ランチャが特許を取得していたスライディングピラー式独立懸架を採用したフロントサスペンション。

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イタリアの週刊誌「L'Illustrazione Italiana」に載ったトリカッパセダンとラムダツーリングカーの広告。トリカッパは4594cc狭角22°V型8気筒98hp/2500rpmエンジンを積む。

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1960年代にランチア社から送られてきたラムダ プロトタイプの写真。ブガッティ風のラジエーターは偽装のためであろうか。

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7月31日(金)プレミアムタイムの来場者の投票によって「AUTOMOBILE COUNCIL CAR OF THE YEAR 2020」に選ばれたシンプルオート社出展の1966年BMW 3200CS。J-WAVE提供のトロフィーが授与され、副賞として「CHAMPAGNE Casters Liébart (シャンパーニュ・キャステル・リエバ)」総代理 オフィスTSUBU合同会社から「Cuvée Vincent(キュヴェ・ヴァンサン)1500ml(マグナム)」が贈呈された。展示車には1500万円のプライスタグが付いていた。

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BMW 3200CSのカタログ。3200CSは1961年のIAA(フランクフルトモーターショー)で発表され、1962~1965年に生産された、生産台数603台の稀少車である。価格は2万9850ドイツマルクであった。3168ccV型8気筒160PS/5600rpmエンジン+4速MTを積み、最高速度は200km/h。サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン+トーションバー、リアはリジッド+3リンクス+トーションバー。サイズは全長4830mm、全幅1720mm、全高1460mm、ホイールベース2835mm、車両重量1500kg。

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アメリカ車の展示は少ない。これは1956年型コルベット。お値段は1850万円!! 4343ccV型8気筒225ps/5200rpm、37.3kg-m/3600rpmエンジン+3速MTを積み、オプションでパワーグライドATの選択も可能。サイズは全長4267mm、全幅1791mm、全高1250mm(幌オープン時)/1298mm(幌クローズ時)、ホイールベース2591mm。

以下に、出展していた自動車関連グッズを販売するマルシェ、オーナーズクラブなどのブースを紹介する。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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