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第117回 私の自動車史 その3 コスモスポーツの思い出
2020.7.27

私は1963年東洋工業(マツダ)に入社、立ち上り早々のロータリーエンジン(RE)研究部に配属され、試験課メンバーとして様々な開発課題に取り組んだが、初代RE車となったコスモスポーツは非常に思い出深く、加えて近年までいろいろなかたちでかかわりが継続してるので、今回はこのテーマでご報告したい。

1963年の東京モーターショーに試作REを展示し、会場に松田恒次社長が「コスモ」の試作車で乗り付け話題になるとともに、翌1964年の東京モーターショーで「コスモ」が正式に発表された。その後車名は「コスモスポーツ」となり、様々な開発活動が行われたが、1965年に完成した三次試験場もコスモスポーツの開発に大きく寄与している。さらに60台(書籍によっては80台という記述もあるが)もの試作車による販売店も含めた広範囲な委託試験も松田社長ならではのものだ。一連の開発テストを終えて市場導入されたのが1967年5月で、このモデルはL10Aと呼ばれ、価格は148万円だった。そして1968年7月には早くも出力を110psから128psにアップ、ホイールベースを150㎜拡大、ブレーキ倍力装置、5速MTなどを装備したL10Bが導入された。これら一連の戦略は、松田社長のREとコスモスポーツにかける熱い想いを込めたものだったに違いない。生産終了までのL10A、L10Bの累計生産台数は1,176台と決して多くはないが、現在でも約300台程度のコスモスポーツが、オーナーの皆様の熱意により非常に良好な状態で維持されているのは言葉では表せないほどうれしく、出来ることなら今は亡き松田恒次氏にも半世紀以上も大切にされているコスモスポーツの雄姿をお見せしたいものだ。

初代RE市販車として2ローターエンジンを搭載したコスモスポーツが選択されたことは、REのメリットが最大限生かされ、それ以外のエンジンでは実現できない商品コンセプトであったこと、生産台数が限られていても存在意義が非常に大きかったこと、その割には価格がリーズナブルだったこと、更にはRE開発に従事している人たちが心から誇りをもてたことなど、非常に賢明な選択だったと思う。もしもGMやニッサンのように小型経済車を選択したり、ベンツのような3ローター搭載のスーパースポーツなどを選択していたら、その後のマツダにおけるREへの挑戦がどのように推移していったかは定かではないと思うからだ。

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これはコスモスポーツの試作車を前にしたRE試験課メンバーの集合写真で、後列左端から11人目が私だ。RE研究部配属後しばらくはベンチテストを行う試験グループに所属していたが、その後走行テストを行うグループに配属替えとなり、コスモスポーツの開発にあたっては特にカーボンアペックスシールの耐久性に対する低速のテストモードの設定に全力を注ぎ、走行試験グループメンバーに気の遠くなるような長距離テストを行ってもらえたことが忘れられない。

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この写真は1964年にRE研究部の主要メンバーとともに試作車で下関までドライブしたときのものだが、山本健一RE研究部部長のリーダーシップのもと研究部員の結束は部門を超えて非常に硬いものがあった。

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1963年の東京モーターショーには試作REを単体で展示し、会場に松田恒次社長が「コスモ」で乗り付けられ話題となったが、これは1964年の東京モーターショーで発表されたときの「コスモ」だ。来場者が少ない時の写真だが、モーターショーを通じては非常に大きなインパクトを与えるものとなった。

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この写真と透視図がL10Aだが、REのメリットを十分に生かしたレイアウト(コンパクトなエンジン故に可能となったフロントミッドシップや低くおさえることのできたボンネットなど)と、そのユニークデザインは非常に魅力的だ。

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これは1967年6月に沖縄におけるマツダ車の知名度アップイベントのためにコスモスポーツとともに私が沖縄に送り込まれた時のものだ。当時沖縄はまだ日本に返還されておらず、道路の通行もアメリカと同じく右側通行だった。私にとって初めての右側通行地区への出張で、一般路を走る際に大変緊張したのを覚えている。

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コスモスポーツに左ハンドル仕様はなかったが、L10A導入時にすでに英文パンフレットも用意されており、世界何か国かに出荷され、プロモーションとしても大いに活用された。

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1967年10月にロンドンショーに出品されたのを機会にロンドン行きを命じられたのが私にとっての初めての欧州出張となった。ロンドンショー終了後しばらくの間プレスカーとして活用されたため、ロンドン近郊のイギリス人の家に3か月ほど下宿して、立ち上がったばかりの販売会社のサービス工場に毎日通い、プレスカーのメインテナンスを行った。この2枚の写真はロンドン郊外の小さな町で写したものだが、雨天のハイドパーク内のワインディングロードで、危うくスピンしかけ、正面からロールスロイスが目の前まで迫ってきたことを今でも思い出す。

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これは販売店がセットしてくれた近郊サーキットでの走行会のもので、競合車も持ち込まれて比較評価、コスモスポーツの操縦性、ブレーキ性能などのさらなる改善が求められたが、この時の英国販売会社からのコメントがL10Bへの製品改良の大きな後押しになったことを帰国後聞かせれた。

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この写真は私が帰国したあとイギリスの専門誌による評価がロンドン近郊サーキットで行われてときのものだ。

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1967年5月に導入されたL10Aが、わずか1年強でホイールベースの延長、エンジン出力の向上、ブレーキブースターの装着、フロントデザインの変更、5速MTの採用などのビッグマイナーチェンジをうけたのは、松田社長ならびに当時のマツダの首脳陣のコスモスポーツにかける熱い思いを反映したものであることは間違いない。


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そのような中で決定したのが、1968年のニュルブルクリンク84時間レースへの挑戦だ。山本健一RE研究部長(当時)の「大衆の面前で、ライバルがいる同じ土俵で、新エンジンの耐久信頼性を実証することがREを本物に仕上げることになる」という強い思いを受けて決定したのがニュルブルクリンク84時間レースへの参戦だ。私はこの時このエンジンの開発にその後マツダのモータースポーツレジェンドとなる松浦国夫さんとともにレース直前まで携わった。しかし、レースには参画せず、REの大きな技術課題だった排気ガス対策チームに異動したが、このレースで総合4位という好結果が得られたことは私にとってもこの上なくうれしかったし、この結果がその後のREによる世界の耐久レースへの挑戦の大きな引き金となったことは間違いない。


以下はいずれも近年の写真だが、まずは2009年にドイツで行われたコスモスポーツ国際ミーティングから始めたい。

ドイツで3店舗の大きなマツダ販売店を経営されるフライ一家の提案で、日本から14台のコスモスポーツが輸送され、欧州にある5台も参加して、コスモスポーツミーティングが2009年に南ドイツで開かれた。私も日本のコスモスポーツオーナーズクラブの皆様とともに参加したことに関しては、かなり初期の車評オンライン「論評07」をご覧いただければ幸いだが、今回の写真は別の方ががまとめられたもの中なら引用したものだ。フライさんは全てのマツダRE車のコレクターでもあり、数年前にアウグスブルグ市内にマツダ車のミュージアムも開設されている。

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フライさんが運営されている販売店の一つに全員集合したおりの写真

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旧バンケル研究所(今はアウディの研修所)訪問時の写真

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南ドイツ一帯をグループでドライブ中の写真

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写真の中央の白髪の男性がウォルター・フライさん


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この写真はウォルター・フライさんの二人のご子息、マルクス・フライさんと、ヨアヒム・フライさんが広島での会議に出席のため来日時に、是非とも山本健一さんにお会いできないだろうかとの依頼を受けて、川崎市にお住まいでまだお元気だった山本さんを2014年5月に訪問させていただいた時のものだ。

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これは朝日新聞のご要望(連載 あくなき挑戦 ロータリーエンジンの半世紀)に基づき、かつてコスモスポーツオーナーズクラブ会長も務められ、コスモスポーツを所有されているガレージスターフィールド代表星野仙治さんに依頼してコスモスポーツを持参いただき、山本さんを訪問して撮影した2016年12月の写真だ。

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冒頭「現在でも約300台程度のコスモスポーツがオーナーの皆様の熱意により非常に良好な状態で維持されている」述べたが、コロナウィルスの影響のある期間は難しいのは当然だが、オーナーズクラブの活動は依然として続いているのは言葉では表せない喜びだ。この写真はかなり前に三次試験場で開催されたオーナーズクラブのミーティング時のものだ。

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オーナーズクラブの活動とは少し異なるが、非常にうれしいのが近年のミニカー市場の充実だ。この写真は私の所有する各サイズのミニカーをならべたもので、大きい順から1/8、1/12、1/18、1/24、1/44、1/64、1/76と実に豊富で、中でも1/8モデルは圧巻だ。

このようにコスモスポーツとはいろいろなタイミングにいろいろな形で接することができ、私にとって非常に思いで深いクルマであるとともに、マツダにとって、またREにとって大変貴重なクルマであったことがご理解いただけるものと思う。私の視点からは創立100周年を祝う際のマツダ車の筆頭にくるのに最もふさわしいクルマだ。

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執筆者プロフィール

1941年(昭和16年)東京生まれ。東洋工業(現マツダ)入社後、8年間ロータリーエンジンの開発に携わる。1970年代は米国に駐在し、輸出を開始したロータリー車の技術課題の解決にあたる。帰国後は海外広報、RX-7担当主査として2代目RX-7の育成と3代目の開発を担当する傍らモータースポーツ業務を兼務し、1991年のルマン優勝を達成。その後、広報、デザイン部門統括を経て、北米マツダ デザイン・商品開発担当副社長を務める。退職後はモータージャーナリストに。共著に『マツダRX-7』『車評50』『車評 軽自動車編』、編者として『マツダ/ユーノスロードスター』、『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963-1973』(いずれも三樹書房)では翻訳と監修を担当。そのほか寄稿多数。また2008年より三樹書房ホームページ上で「車評オンライン」を執筆。

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