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第92回 戦後のアメリカンコンパクトカー(3)
2020.3.27

 ビッグ3がそれぞれ最量販ブランドであるフォード、シボレー、プリムスのコンパクトカーを発売したあと、やや遅れて上級ブランドのマーキュリー、ポンティアック、オールズモビル、ビュイック、ダッジのコンパクトカーを登場させた。今回はそれらを紹介する。

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上の4点は、1960年3月に登場したマーキュリー コメット。セダンとステーションワゴンがあり、それぞれ2ドアと4ドアがラインアップされていた。ホイールベースはセダンがファルコンより4.5in長い114in(2896mm)で、ステーションワゴンはファルコンと同じ109.5in(2781mm)であった。エンジンは144.3cid(2365cc)直列6気筒OHV 90馬力で3速MTが標準で、2速ATがオプション設定されていた(AT装着率は62%)。価格と生産台数はセダン4ドア2053ドル(4万7416台)、2ドアセダン1998ドル(4万5374台)、4ドアステーションワゴン2365ドル(1万8426台)、2ドアステーションワゴン2310ドル(5115台)。販売期間が短かったにもかかわらず合計11万6331台生産された。
 コメットは不振のエドセルに代わるモデルとしてディーラーにとって救世主であった。開発費2億5000万ドル以上をかけ、1957年9月に、1958年型として華々しく登場したエドセルは、フォードの思惑が外れ大不振で、1960年型は1959年10月15日に発表したが、1カ月後の11月19日に生産を終了してしまった。エドセルの生産台数は1958年型6万3110台、1959年型4万4891台、これに1960年型2846台を加えて総計11万847台であった。

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上の2点は1961年型に追加設定されたコメットS-22。2ドアセダンをベースにバケットシート、センターコンソール、デラックスステアリングホイールなどでスポーティーさを演出したモデルで、この頃の流行を追ったものであった。価格は2282ドルで、1万4004台生産された。

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上の3点は、1960年11月に登場したポンティアック テンペスト。開発を主導したのはジョン・デロリアン(John Z. DeLorean)で、コルベアと並ぶ最もユニークなアメリカ車であった。カタログにはアメリカで唯一のフロントエンジン、リアトランスミッション車で、前後重量配分50-50でパーフェクトバランスでありフルサイズ車並みの乗り味を持つと訴求している。エンジンとトランスアクスルは湾曲したトルクチューブの中に収めたフレキシブル「ロープ」ドライブシャフトで結合され、ATのトルクコンバーターはトランスアクスル後端にむき出しで取り付けられている。高回転(3800rpm)で回る重量物を片持ちで支えるという無謀ともいえる設計であった。筆者もこの車に乗ったが、当時わが国の道路は悪路が多く、大きな石などに当たらないよう細心の注意が必要であった。跳ねた石が当たると「カーン」と大きな音を発した。しかし、このユニークなシステムには問題も多かったのであろう、1964年型ではトランスアクスルをやめて平凡なFRになり、リアサスもリジッドに、エンジンもV8の片バンクを使った4気筒は捨てて直列6気筒が採用されている。サイズはホイールベース112in(2845mm)、全長189.3in(4808mm)、全幅72.2in(1834mm)、全高セダン/ワゴン53.5in(1359mm)/54.3in(1379mm)。セダンの価格と生産台数は2702ドル(2万2557台)、カスタムトリムパッケージ付き2884ドル(4万82台)。

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テンペストのエンジンはポンティアックの389cidV8の片バンクをカットした、194.5cid(3187cc)直列4気筒OHVエンジンで、最高出力はキャブレター(シングルまたは4バレル)、燃料、圧縮比などを変えることで5種類がラインアップされていた。MT車には110馬力が、AT車には130馬力が標準として設定され、それより高出力エンジンはオプションであった。さらに、ビュイックの215cid(3523cc)V8 155馬力エンジンも選択でき、1961年型テンペストの総生産台数10万783台の内2004台がこれを積んでいる。

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テンペストには「サファリ」の名前でステーションワゴンも存在した。価格と生産台数は2438ドル(7404台)、カスタムトリムパッケージ付き2611ドル(1万5853台)、合計2万3257台でテンペスト全体の23.1%を占めていた。

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やや遅れて2ドアクーペが戦列に加わっている。レギュラーモデルとバケットシートなどでスポーティー感を演出した「ルマン」クーペが用意され、レギュラーモデル2113ドル(7432台)、ルマンモデル2297ドル(7455台)であった。

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上の3点はGMのオールズモビル ディビジョンから発売された新しいサイズの低価格車F-85。コルベアやテンペストとは異なり、ごく平凡なFR駆動のコンパクトカーであった。4ドアのセダンとステーションワゴンがラインアップされ、途中から2ドアクーペが追加設定された。サイズはホイールベース112in(2845mm)、全長188.2in(4780mm)、全幅71.5in(1816mm)。F-85の価格は2384~2789ドルであり、フルサイズの88シリーズの2835~3773ドル、98シリーズの3887~4363ドルと比べ、お手頃価格であった。1961年型F-85の生産台数は5万9674台。

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F-85の「ロケットV-8」エンジンはビュイックで生産された、215cid(3523cc)OHV 155馬力で、パワーパックオプションとして高圧縮比ヘッド(10.25:1)、4バレルキャブレター、デュアルエクゾーストなどによる185馬力エンジンも選択可能であった。

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1961年モデルイヤーの途中から追加設定された2ドアクーペ。標準モデルは2502ドルで2336台であったのに対し、185馬力エンジンを積み、バケットシートなどでスポーティーらしさを演出した「カットラス(Cutlass)」クーペは2753ドルで9935台販売された。
 1962年型にはコンバーティブルや215cidV8に燃料噴射とターボを装着した215馬力エンジンを追加するなどワイドバリエーション化が進められていった。

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上の2点はGMのビュイック ディビジョンから発売されたコンパクトカー、1961年型ビュイック スペシャル。発売当初は4ドアセダンとステーションワゴンが設定され、それぞれにスタンダードとデラックスがラインアップされていた。ホイールベース112in(2845mm)、全長188.4in(4785mm)のボディーにGMが新開発してビュイックディビジョンで生産された、軽量のアルミブロック215cid(3523cc)OHV 155馬力エンジン+3速MTを積み、オプションでATが用意されていた。価格は2330~2816ドルであった。

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モデルイヤー途中から追加設定された2ドアクーペは2330ドルで4232台生産された。

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これもモデルイヤー途中から追加された2ドアクーペだが、前後のデザインが異なり、バケットシートなどを装備したスポーティーモデルで、スペシャル デラックス スカイラーク クーペと名乗る。エンジンは215cid V8 185馬力を標準装備し、トランスミッションは3速MTが標準だが、オプションでATに加えて4速MTも選択できた。価格は2621ドルで1万2683台生産されている。1961年型ビュイック スペシャルの総生産台数は8万6868台であった。

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上の3点はクライスラー社のダッジ ディビジョンから発売された1961年型ダッジ ランサー。プリムス バリアントのボディーシェルをベースに、よりアトラクティブなトリムを加えたモデルで、ダッジ系ディーラーで販売するために用意されたモデル。ベーシックな170シリーズと、デラックスな770シリーズがあった。中段のイラストの白いクルマは770の2ドアハードトップ(2181ドル)、グリーンのクルマは770の4ドアセダン(2154ドル)。下段のイラストの右側の白いクルマは170ステーションワゴン(2382ドル)、他の2台は770ステーションワゴン(2466ドル)。サイズはホイールベース106.5in(2705mm)、全長188.8in(4796mm)、全幅72.3in(1836mm)。エンジンはバリアントと同じ30°傾斜した170cid(2786cc)直列6気筒145馬力を積み、3速フロアシフトMTまたはプッシュボタンコントロールの3速ATが装着された。1961年型ランサーの生産台数は7万4773台で、内訳は170シリーズのセダンが約2万800台、770シリーズのセダンとハードトップが約4万4300台、そして170/770ステーションワゴンが約9700台であった。

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ダッジ ランサーのスラント6エンジン、トーションバー式フロントサスペンション、リサーキュレーティングボール式ステアリングギア、モノコックボディーシェル。

 3回にわたって戦後のアメリカンコンパクトカーについて紹介したが、これらの登場によって、1960年の米国市場における輸入車の比率が、前年の10%超えから6.8%に縮小している。その後、1965年には6.1%ほどであったが、1970年には14.7%、1975年には18.2%、1980年には28.2%に上昇、輸入車の8割ほどを日本車が占めていたため、1981年には日本製乗用車の対米輸出自主規制が発表された。初年度168万台とし、当初は3年を限度としてスタートしたが、実際には1993年度まで13年間続いた。
 一方、アメリカ車で1940年代の終わりごろから始まった馬力競争は、レースとパフォーマンス広告をやめようという1957年6月のカーメーカーの合意により、いったんは落ち着いたのだが、1960年代に入ると販売戦略として若者受けするデザイン、パフォーマンスを追求するようになり、いわゆる「マッスルカー」競演の時代となる。いずれ紹介しよう。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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